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全国の学生青年、お子様連れのママ達も東京に集結!
渋谷から1000人規模のデモを行いましたよーっ(^o^)/


デモって言えば、殺伐としたイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、私達は、常に建設的な言葉で、明るい日本の未来を差し示さんと動いています!!










周囲の反応は、デモ行進を興味深く見ている若者の姿が多かったように思います(*^^*)







◆日本とアジアの平和を守る! 若者1200人が渋谷でデモ行進


「誤った歴史認識を改め、日本の誇りを取り戻したい」
「侵略の野望を持つ近隣国から、アジアの平和と繁栄を守りたい」


こうした愛国心に突き動かされた若者1200人(主催者発表)が28日、「愛してるから、黙ってられない。若者1000人We Love日本」デモを行った。デモには、幸福実現党の釈量子党首や、トクマ遊説局長なども参加した。


晴れわたり澄み切った空の下、日の丸を掲げたデモ隊は、「従軍慰安婦・南京大虐殺はねつ造だ」「日韓のほんとうの友情を取り戻そう」「北朝鮮の核実験に黙ってられない」「日本政府は核装備の検討を」などのシュプレヒコールを上げながら、代々木公園から渋谷駅前や宮益坂下交差点など、渋谷の街中を練り歩いた。

(続きは以下のURLより)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11000



俗に言う若者の政治離れや無関心も、自らの国に誇りや感謝を持てないところに比例していると思います。


若者には力がある。
ただ眠っているだけ。
その力が目覚めれば、この国はもっと素晴らしい国になる。


一人一人の個性が違うように、様々な意見や対立もあるだろうが、それらを出し合ってこそ、哲学者のヘーゲルが言うように、個人の成長が、日本という国の成長に繋がるのです。


世界から見た日本のあるべき姿を、私達一人一人が発信していく時代にしては、日本の未来を創ってゆくのみであります。


真下こうじ
「いじめや自殺が相次ぎ、少年非行の低年齢化のなかで、道徳教育充実の声が高まっている」


今回は、日本の道徳教育について、私の考えを述べさせて頂きます(`◇´)ゞ


昨年の3月に道徳が特別教科に加わりましたが、ここで少し、道徳の歴史を遡ってみたいと思います。


道徳の前身は修身(身を修めることを意味とする)
1890年の教育勅語発布から、敗戦の1945年まで存在していました。


修身では、

「努力」
「友情」
「親孝行」
「反省」
「信義」
「責任」
「武士」
「愛国心」

など、25項目に及ぶ徳目を、実在した人々のエピソードから生の体験として、一人一人が感じ取っていくことができるような道徳教育を行っていました。


「勉学・研究」には、野口英世などのエピソード。
「親孝行」には、二宮金次郎のエピソード。
「資質・倹約」には、徳川光圀などのエピソードといったように教えられていたのですね。


しかし、日本の敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、修身の授業停止命令が出されました。

修身のほか、日本歴史、地理も授業停止命令が出され、歴史は戦前の教科書に代わって「太平洋戦争史」を教える指示も出される。


こうして、戦後日本人に重大な影響を及ぼしたのが、歴史教育の全面否定でした。


道徳が特別教科になったのは冒頭でも記しましたが、道徳とは、
「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」
とあります。


しかし、私達の日常生活において、足りないところが何かあるのではないでしょうか。


それは、善悪の判断ができたとしても、その善悪に対して放置したり、濁したり、ハッキリと物を言わないところだと思うのです。



外交面では、日本政府と他国とのやり取りを見ていても、日本はハッキリと物を言わない傾向があるように思えて仕方ありません。


特に、民主党政権で言うなら、誰が意思決定者なのか分からないとアメリカに言われた程です。


潜在意識では、日本が先の大戦で、他国に迷惑を掛けた罪悪感を引きずっているのか、敗戦の尾を引きずり、「言わない」というよりも、「言えない」ことのほうも多分にあるのか、相手の顔色を伺い過ぎている部分は否定できません。


今の道徳教育も、結局のところは、敗戦後GHQに敷かれた教育を、70年もの間、私達は知らず知らずに学んできたわけであります。



「道徳と修身」


「国家百年の計は教育にあり」という言葉もあるくらいですが、教育は日本の基礎となり、道徳は日本人の心を育む基礎にあたります。


そう言った意味では、現在の道徳が、本当に日本人の心を育む基礎となっているのでしょうか。


修身が自己に対する規律になれば、道徳は外的規範にあたると言われています。


いくら道徳を学んでいても、それはルールやマナーと言った外的規範にしか過ぎません。


現在はゆとり教育ではないものの、なんとなく分かったというような浅はかな教育では、真に人を生かすことにはならず、自らを律する精神が弱ければ、惰性に流されやすい人間が悪に染まるのも容易いことです。


だからこそ、善悪の判断を身に付け、仁義(人が踏み行うべき道)を理解していなければ、積極的に人を動かす言動行動へと転化はしないものなのです。


日本の道徳教育には、善悪の基準に照らし合わせ、ハッキリと物を言える人間に育てることが必要なのではないでしょうか。



「日本では、他国より傍観者の割合が多く、通報者や仲裁者が少ない」


悪に対して物を言うのは勇気のいることかもしれませんが、見て見ぬふりをすれば、更に悪を助長し、反省させるキッカケをも失い、その罪が大きくなるばかりです。


言いにくいことでも恐れずに言うことが、その人の罪を軽減させることに繋る。


それが本当の友であり、真の友情を育んでゆくのではないでしょうか。


言ったら言い返される、だから何も言わない。これでは悪が無くなることはありません。


意見の衝突はあるでしょうが、ここで大切なのは、お互いを理解し、許す心を学ぶことです。


日本の教育には、その姿勢が求められていると思ってなりません。



「人間の絆とは」


私は、他人を見て見ぬふりをする程、人間という生きものはそう浅い関係ではないと思っています。


人に対して無関心な方もいらっしゃるでしょう。


何に対しても感動や感激をしなくなったと言う方もいらっしゃるでしょう。


そういう人を冷たい人だと思う方もいますが、そんなことはありません。


どんな人だろうとも、心を持っている限り、人と人とを結び付ける絆を、教育で育むことは可能なのです。



いつの時代も、自分が正しく、相手が悪いといった偏った思想が、戦争の火種となっていますが、先の大戦について触れるなら、日本だけが悪の枢軸国で、英米だけが正義の連合国だったという考え方は、偏っていると言わざるをえません。


戦争を体験された方のお話を聞くと、戦前の修身教育で培ってきた心が、戦友がかけがえのない家族であり支えであったと言われています。


時代は違えども、現代よりも、人と人とを結び付ける絆や自尊感情は、心底深かったんだなと感慨深くなりました。


しかし、修身や教育勅語、八紘一宇と言えば、軍国主義の復活だと連想されるなか、先入観で物事を見ては、良いところも見えなくなってしまいます。


現在の日本は、先の大戦に対する罪滅ぼしが相当強く、他国には甘く、自国には厳しい面がありますが、それが自虐史観となって、過去の全てを否定、排除に表れているように思えてなりません。


過去から学ぶべき素晴らしいところは、たくさんあるはずです。



戦後70年もの間、私達が学んできた固定概念を払拭し、戦前、修身により培ってきた日本の精神性を、そして失った日本の誇りを、本来の教育の場で取り戻すことです。


そして、ここ日本に、精神的主柱を打ち立てたい。



それは時間が掛かることかもしれませんが、未来の子供達にツケを回したくないのなら、自虐史観を払拭することが先決であります。


これからはばたいてゆく子供達に、日本の未来を託す責任が私達にはあります。


「日本よ、今こそ自虐史観を乗り越え、自分の力で立ち上がれ。」


真下こうじ

~仏の教えは出会うもの~



日本では、日本神道以外にも様々な宗教や宗派がありますが、古くから仏教も日本に根付いていますよね。

私の檀家は曹洞宗ですが、ここで言う仏の教えとは一体何なのでしょうか。



「仏教とは、単なる信仰ではなく、何よりも生き方です。」


そう仰られる方もおられますが、その生き方とは、日本人特有の精神性に表れているのではないでしょうか。


たとえ仏の教えを知らなくても、親切心、礼儀、調和、寛容さ、感謝など、日本人の心を長年育み続けながら、今日まで日本の文化を創ってきたのだろうと思います。


「親切心」
「礼儀」
「調和」
「寛容さ」
「感謝」


言葉は目に見えるものではありませんが、私達は、日本人の現在の生き方によって、これらを目の当たりにしています。


そう言った意味では、私達は、仏の教えを知らず知らず体得している仏の子なのではないでしょうか。


ただ、人類史の歴史では、戦争や紛争が絶えることはありません。

世界に目を向ければよく分かると思いますが、そのなかでも、宗教間の対立や争いが今もなお続いています。



キリスト教22億人
(世界人口の約33%)

イスラム教15億人
(世界人口の約22%)

ヒンドゥー教9億人
(世界人口の約14%)

仏教4億人
(世界人口の約6%)



宗教とは何の為に存在しうるのか。

それぞれの教えによって人々を救うはずが、対象とする神の違い(おもに一神教)、教えの違い、自ら信奉する神こそが絶対だと信じる熱心さが故に、これまで幾度となく宗教戦争を繰り返してきたのです。

だが、無神論や唯物論なら平和で争いは全く起きないのでしょうか。


中国はどうか。
北朝鮮はどうか。


宗教はアヘンであると言ったドイツの思想家、カール・マルクス。

マルクスを台頭とする共産主義は、無神論、唯物論ですが、その共産主義国でも、粛清や暴力、貧困も絶えることを知りません。


宗教を是としない国でも、争いが絶えることはない。


その点、日本はどうか。


現在の日本では、宗教は蔑ろにされながらも、自由と平和を享受している唯一の先進国です。


私は、様々な宗派や緒宗教を融和してきた日本の和の精神こそが、世界平和に大きく貢献する鍵だと思っています。


だからこそ、日本は自虐史観を払拭し、一国平和主義にとどまらず、日本という素晴しい和の国が、世界の盟主になることを最大の目標として掲げています。


しかし、悲痛なことに、世界を見渡せば、宗教やイデオロギーによる争いが解決することなく、紛争や内戦で大切な人を失い、悲しみに打ち沈む人々。
ろくにご飯もありつけない子供達。
治安の悪い国では無法地帯と化し、権力と金が蔓延っている。


そこに希望はあるのか。
夢や理想を持てるのか。


いや、どうしたら明日を生きていけるのか、その不安と恐怖でしか考えれないのではないだろうか。



「あなたが虚しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」



この自由の大国に生まれた者にとって、無意味に生きるか、誰かの為に死ぬかを選べと言われれば、私は迷うことなく後者を選ぶだろう。


それが日本に失われた大和魂だと思うのです。


もちろん、私だけでなく、優しき心を持つ日本人なら、後者を選ぶ方のほうが多いと思います。


戦中の特攻隊をテロと同一視する方もいますが、特攻隊の精神は、祖国日本を守る為に、愛する家族を守る為に、自己の犠牲を省みない愛が横たわっているのです。



「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」


吉田松陰



それぐらいの気概と覚悟が自分にあるか、日々、自らにそう問いながら、精進に精進を重ねるのみ。


積極的平和主義とは、単なる優しさだけではなく、善悪を分かつ正義の価値基準が必要不可欠であります。


真下こうじ