新「なるほどメモ」その17です。

わたしが、アレクサンダーに独創や知恵にかけていささかも劣らなかった子どものころ、ひもでくくられた紙ばこをあけるのに、時をおかず決心して、剣を、いやナイフを抜いて、ゴルディウスのひもを断ち切ろうとしたら、そのつど母から、神託に正反対な意見を聞かされました。それには、歓声をあげるマケドニアの軍隊はすっかり面食らったにちがいないでしょう。アレクサンダーは、人も知るように、偉大な勇将で、ペルシャ人も、メディア人も、インド人も、エジプト人も、日夜いつも彼に対しおののいていました。さて、わたしの母は一緒におののきなんかしなかったでしょう。

「結び目は断ち切るもんじゃない!」と母はきびしい調子で言ったでしょう。「そんなことをするもんじゃないよ、アレックス!ひもはいつだって役に立つよ!」

(エリッヒ・ケストナー「ゴルディウスの結び目」より)

 

私は歴史や昔話などからの寓話、逸話や例え話などが好きで、分かりやすい話が示してくれる豊かなふくらみを発見することを楽しみとしています。

 先日「高校生のための批評入門」(ちくま学芸文庫)を読んでいたら、エリッヒ・ケストナーの「ゴルディウスの結び目」という文がありました。

 

 

 複雑に絡んだ結び目を解くよりも一刀両断に断ち切ってしまえという話ですが、まずウィキの解説を見てみます。

「ゴルディアスの結び目は、古代アナトリアにあったフリギアの都ゴルディオンの神話と、アレクサンドロス大王にまつわる伝説である。この故事によって、手に負えないような難問を誰も思いつかなかった大胆な方法で解決してしまうことのメタファー「難題を一刀両断に解くが如く」として使われる。」

 

 私は前にこの話を知った時、単純に「なるほどね、そういうやり方もあったのか」と感心しただけでした。おそらく多くの人はこのウィキの解説にあるように「手に負えないような難問を誰も思いつかなかった大胆な方法で解決してしまう」という点で称賛する話と受け取ったと思います。

 

この見方に対し、子供向けの話として、ケストナーは母親の「結び目は断ち切るもんじゃない!」という小言から別の見方を提示してくれています。

ウクライナ戦争を考えるだけでなく、改革、改革を叫ぶ河野太郎!一味にも読ませてやりたい話になっています。

 

「ゴルディウスの結び目」
E・ケストナー 高橋健二訳

 わたしたちはみんな歴史の時間にマケドニアのアレクサンダーのことを習って、まだおぼえています。若々しい征服者について語り伝えられている、有名なゴルディウスの結び目の逸話のことも、知っています。彼がゴルディウムに侵入し、たくみにからませられた結び目のこと、そしてそれをこれまでだれひとり解いたものがないことを聞くと、すぐそこへ案内させ、その名高いものを四方八方からながめました。この問題を解いたものには、大きな成功と遠くひびく名声とを与えると約束した神託を考え、彼は時をおかず決意し、剣を抜いて、結び目をまん中で断ち切りました。

 

ゴルディウスの結び目をまさに断ち切ろうとするアレクサンダー

 そりゃもちろん、アレクサンダーの兵隊たちは歓声をあげました。みんな若い王の知恵と独創性をほめたたえました。それは驚くにはあたりません。もっとも、わたしは一つのことを率直に言わずにはいられません。――わたしの母がそこにいあわせなくてよかったと!母がそこにいたら、腹を立てたでしょう。わたしが、アレクサンダーに独創や知恵にかけていささかも劣らなかった子どものころ、ひもでくくられた紙ばこをあけるのに、時をおかず決心して、剣を、いやナイフを抜いて、ゴルディウスのひもを断ち切ろうとしたら、そのつど母から、神託に正反対な意見を聞かされました。それには、歓声をあげるマケドニアの軍隊はすっかり面食らったにちがいないでしょう。アレクサンダーは、人も知るように、偉大な勇将で、ペルシャ人も、メディア人も、インド人も、エジプト人も、日夜いつも彼に対しおののいていました。さて、わたしの母は一緒におののきなんかしなかったでしょう。

「結び目は断ち切るもんじゃない!」と母はきびしい調子で言ったでしょう。「そんなことをするもんじゃないよ、アレックス!ひもはいつだって役に立つよ!」

もしアレクサンダー大王があんなに若くて死なず、賢い老人になったとしたら、彼はいつかそれを思い出して、ひそかに考えたでしょう。「あのケストナー夫人があの時ゴルディウムで言ったことは、 まちがっていなかった。結び目は断ち切るものではない。それにもかかわらず、そんなことをしたとしても、兵隊は歓声をあげるべきではなかったろう。歓声をあげたとしても、少なくともそんなこと を自慢すべきではなかったろう!」

    *

わたしは近年おりにふれ短い韻文の警句を書き、小さいかばんにしまっておきました。その警句の一つがたまたまゴルディウスの結び目に関係しています。それでその五行詩をこれにちなんで発表す るのは、ふさわしいことのように思われます。

 

死後の名声について

解けない結び目を剣で断ち切るのは、 

アレクサンダーの課題であった。 

さて、あの結び目を結んだ人の名は?

それはだれも知らない。

だが、たしかにそれはだれか別な人だった。

 

ほんとに奇妙じゃありませんか。だれかがこしをすえて、熱心に利口にたくみに結び目をつくります。巧妙至極にからませてあるので、世界中のだれも解くことができません。しかし、その逸品を作 りあげた人を、歴史はわたしたちに伝えておりません!が、だれが剣を抜いたかは、わたしたちはもちろん知っています!歴史家は数千年来強い人たちには弱いのです。石の板に、パピルスの巻き物に、厚い本に、歴史家は、問題を剣で解決しようと試みた人たちを感激して書きとめます。が、運命の糸がどんなに解きがたくからんでいるかについて報告することは、彼らの興味を引くことがずっと少ないのです。また、風変わりな理想家がそういう運命のもつれを平和にときほぐそうとすることについて書くのは、彼らを退屈させます。結び目を切りきざむことに、彼らは高校生なみの興味を寄せます。古いゴルディウスの方法を尊重し生き長らえさせることに、彼らは少なからず貢献しました。

そういう結び目を苦心してほどく代わりに、剣で断ち切った現場に、わたしたちはしたしく居あわすという、ありがたい思いをしました。とほうもなく興味のあることでした。わたしたちの頭髪は、 ぬけてしまわないかぎり、今でもなお逆立っています。至る所でできる新しい結び目をほぐすために、世界中から代表が集まって苦吟している時に、早くもまたしても、サーベル理論の信奉者が、わたしたちの国でももちろん、のさばって、「まったくすべてたわごとだ!いつまでぼそぼそ言っているんだ? ぶった切るのが一番筋が通っている!」とつぶやきます。

結び目の代わりに、そういう提言をする連中をこそ、一刀両断にするように、実際徐々に転換していくべきだと、わたしは思います。

(出典 ケストナー「子どもと子どもの本のために」)

(引用終わり)

 

「一刀両断にする」ほうが大胆だし、カッコイイ。まあ問題によっては「一刀両断にする」するしかないものもある。しかし、何でもかんでも「一刀両断にする」解決方法がいいことなのか、ちょっと立ち止まって考えるべきなんだ。

何でも勇ましい見方、考え方、行動、大胆さが称賛される時代だが(改革を叫ぶ河野や維新の奴ら!)、そこには知恵の無い浅はかさしか感じられないという感覚が思い出されてよいのだろう。

ケストナーの母親は素晴らしいよね。

 

因みに、ウィキの「ゴルディウスの結び目の「伝説」を引用しておきます。詳しくは知らなかったので。

 

「その昔、権力争いにあけくれたフリギアでは、世継ぎの王がいなくなってしまった。そこでテルメッソスの神サバジオスに、臣民が次の王がいつ現れるかの託宣を仰いだ。

すると、預言者の前に牛車に乗ってやってくる男がフリギアの王になる、という神託がくだった。ちょうど神殿へ牛車に乗って入ってくる男がいたが、それは貧しい農民のゴルディアースであった。

にわかには信じがたい神託であったが、ゴルディアスの牛車には、神の使いの鷲がとまっていたため、それを見た占い師の女が、彼こそが次の王だと高らかに叫んだ。

ゴルディアスは王として迎えられ王都ゴルディオンを建てた。ゴルディアスは神の予言に感謝を示すため、乗ってきた牛車を神サバジオスに捧げた。そしてミズキの樹皮でできた丈夫な紐で荷車の轅(ながえ、牛車の前方に二本出ているかじ棒)を、それまで誰も見たことがないほどにしっかりと柱に結びつけ、「この結び目を解くことができたものこそ、このアジアの王になるであろう」と予言した。

その後、この荷車を結びつけた結び目はゴルディアスの結び目として知られ、結び目を解こうと何人もの人たちが挑んだが、結び目は決して解けることがなかった。

 

数百年の後、この地を遠征中のマケドニア王アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)が訪れた。彼もその結び目に挑んだが、やはりなかなか解くことができなかった。

すると大王は剣を持ち出し、その結び目を一刀両断に断ち切ってしまい、結ばれた轅はいとも簡単に解かれてしまった。折しも天空には雷鳴がとどろき、驚いた人々を前に、大王の従者のアリスタンドロスは「たったいま我が大王がかの結び目を解いた。雷鳴はゼウス神の祝福の証である」と宣言した。後にアレクサンドロス3世は遠征先で次々と勝利し、予言通りにアジアの王となったという。

 

この神話部分は、古い伝承ゆえの多くのバリエーションが存在する。ゴルディアスにはミダースという息子がおり、その息子が王になったとする話や、占い師の女と結婚したとする話などもある。

 

この話はゴルディアスが結び目を作る神話とアレクサンドロス3世が結び目を解く伝説の二つから成り立っている。それぞれについて研究が行われている。

ロバート・グレーヴスによれば、この結び目は、ゴルディアース/ミダース王の神官たちによって守られた宗教的結び目暗号だった可能性があるとされる。

ディオニューソスの(言葉にできない)神聖な名前を象徴しているのではないか、つまり名前を結び目で表現した暗号ではないかとし、その秘密が神官によって代々受け継がれ、フリギアの王だけにそれが明かされていたのではないかとした。

一方で、古い文献では、アレクサンドロス3世がゴルディアスの結び目を解くことに挑戦したことについては一致しているが、その解き方については必ずしも一致していない。

プルタルコスはアレクサンドロス3世が剣で結び目を断ち切ったという定説に異を唱えている。彼はアリストブロスの言を採用し、アレクサンドロス3世が結び目を固定していた留め釘を引き抜いて紐の両端を探り当て、普通に結び目を解いたとしている。古典学者の中にもこちらの方が定説よりも尤もらしいと見なしている者もいる。

都合により恣意的な改変をたびたび受けることがある寓話とは異なり、神話にはそのような要素はほとんどない。この神話は全体として、中央アナトリアの王国における王朝の交代の正統性を与えるためのものと見られる。したがってアレクサンドロス3世が「結び目を野蛮な方法で断ち切ったことは…古代の体制の終焉を意味した」と言える。

牛車はゴルディアースとミダースの旅がその地方内の旅ではなく長い旅だったことを示唆しており、彼らの神話の起源がマケドニアにあることと結びついている。このことはアレクサンドロス3世も気づいていたと考えられている。この神話によると新王朝はそれほど起源が古いものではなく、その始祖が聖職者ではない余所者だったことが記憶されており、名祖としての農民の「ゴルディアース」またはフリギア人であることが確実な「ミダース」が牛車に乗っていたとすることでその事実を代表したものと見られる。

他のギリシア神話でも征服権によって王朝を正統化しているが、この神話で強調されている神託は、かつての王朝が聖職者を王とし未確認の神託神を祭っていたことを示唆している。」

(引用終わり)

 

Wikipediaって勉強になりますね。ゴルディアスの伝説なんて知らなかったなあ。ゴルディアスは怪獣だとばかり思っていた。それをアレクサンダー大王が断ち切ったと。全くいい加減でテキトーな知識でした。反省!