先日、大学生がビルから転落死した強盗致死事件で逮捕された女子中学生(14歳)が他にもいわゆる「美人局(つつもたせ)」をしていた疑いがあるということで、仲間の13歳と15歳の男子中学生も捕まった。

13歳の男子中学生がSNS上で、「さき」という少女を装ったアカウントを作り、大学生と「会いたい」などとやりとりして、大学生を誘い出し現金を奪おうとし、大阪市中央区のビルから転落させ死亡させたのだが、女子中学生らは「これまでも複数回お金をとるのに成功した」などと供述していて、警察は「美人局(つつもたせ)」を繰り返していたとみて捜査しているとのこと。

 

この中学生も大人顔負けのワルで、児童相談所に通告されても相談所こそ迷惑な奴らが来たなと困っているのではないか。そもそもこいつらは反省なんぞする訳ないから、18歳までは何度でも犯罪を繰り返すに違いない。

 また、大学生も運が悪かったというしかないが、「君子危うきに近寄らず」なんだから、君子でなかったことは確かだ。

しかし、私はたかが中学生の脅しに逃げて隣のビルに飛び降りたというのも疑っている。つまり、この中学生3人は顔を見られたということでビルから突き落としたという可能性(殺人!)はないのか。大学生が逃げようとしてエアコンの室外機に靴跡が残っていたようだが、飛び降りたというより突き落としたかもしれないではないか。死人に口無しということか。猿之助自殺ほう助殺人と同じだ。

 

美人局、古めかしい言い方だ。

試験シーズンも終わったかもしれないが、漢字読み取りテストには絶対に出題されないよな「美人局」なんて。

これを「つつもたせ」と読むのもよく分からんな。ネットで語源を調べてももう一つスッキリしない。

 

「「美人局(つつもたせ)」は、中国の元の時代以降の文献、『金瓶梅』や『紅楼夢』、『笑府』などにもよく登場する犯罪である。娼婦を自分の妾と偽って少年などを欺くことを指す(利用美貌女子設局詐財)。ここで、局とは罠の意

現在の中国語では「桃色敲詐」、「仙人跳」と言う。これを大和言葉(和語)で「つつもたせ」の当て字とした(熟字訓)。江戸時代に作られた『風流滑稽譚』にも、いくつか登場する。しかし、江戸時代の既婚女性はお歯黒をつけるのが原則だったため、実際にはこのような犯罪はほとんど起こらなかったものと思われる。

大和言葉(和語)としての「つつもたせ」は元々「筒持たせ」と書き、「詐欺」や「いんちき」の意味で用いられた言葉である。本来、仕掛けが施してあるサイコロを使った「いかさまとばく」を意味していた。筒はサイコロ博打で使う筒のことで、「細工した筒を使う」という意味からと考えられる。そこから、「二束三文の安物を高く売りつける行為」を指すようになり、さらに「法外な料金で売春させること」を指すようになった。」

「つつ」は下ネタ的になるのでこの辺で止めるが、語源が分からなくても平気で使うのが言葉というものだろうね。

こんなのどうかな。

美人の局アナ ⇒ 美人局アナ (読み方)つつもたせアナウンサー!

 

さて、中学生でもこんな犯罪をするのか、最近のガキはひどいことを平気でするようになったよなあ、と嘆息するのが通り相場なんだが、昔読んだ本の「戦前の少年犯罪」管賀江留郎 (築地書館)は、想像を絶することが書かれている。

 

「戦前の少年犯罪」管賀江留郎

 

管賀(かんが)江留郎(えるろう)氏はペンネームだけれど「冤罪と人類―道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(早川書房)という本も書いており、犯罪に関する造詣が深い。評論家宮崎哲弥氏お勧めの書!

 

 

私は「読書メーター」にもたまに書評コメントを書いているが、この本について昔こんなことを書いていた。

「戦前の少年犯罪」管賀江留郎  築地書館 A(2016.08.12)

 戦前の日本の少年犯罪とは、こんなにひどいものだったとは。目からうろこ。「昔と違って、今はひどい…」というコメンテーターは皆さんこの本を読むべし。

小学生の殺人も数は多いわ、残虐だわ、ピストルで殺してるわ、簡単に殺しているわ、ひどいもんだ。これじゃワイドショーも大忙しだ。たがが外れていたというより、これが日本の現実だったのだね。この本には親殺し、主人殺し、教師殺し、レイプ等ありとあらゆる犯罪がこれでもかと繰り出される。しかも少年だから、ほとんど罪は軽い。今よりも軽いぜ。今より昔の方が、社会全般が子供を甘やかしていたんだ。歴史といってもほんの少しまえのことだけど忘れてしまうんだね。

(引用終わり)

 

この「戦前の少年犯罪」の表紙にはこんなことが書かれている。

 

昭和2年、小学校で9歳の女の子が同級生殺害
昭和14年、14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ
昭和17年、18歳が9人連続殺人
親殺し、祖父母殺しも続発!
現代より遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたちの犯罪目録!
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
発掘された膨大な実証データによって戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!
 

そして目次
1、 戦前は小学生が人を殺す時代
2、 戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3、 戦前は親殺しの時代
4、 戦前は老人殺しの時代
5、 戦前は主殺しの時代
6、 戦前はいじめの時代
7、 戦前は桃色交遊の時代
8、 戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9、 戦前は体罰禁止の時代
10、戦前は教師を殴る時代
11、戦前はニートの時代
12、戦前は女学生最強の時代
13、戦前はキレやすい少年の時代
14、戦前は心中ブームの時代
15、戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16、戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代

 

目次を見るだけでもすごいことをうかがわせる。

ネットに管賀江留郎氏が「戦前の少年犯罪」の事例を克明に記載していたので、それを少し紹介する。

これを読むと、まずは「ほんとかね」という驚きと「知らなかった」「今よりひどい」という感が浮かぶ。そして…。

 

 

「少年犯罪データベース 13歳以下の犯罪(抜粋)」

管賀江留郎

・昭和2年(1927).4.29〔女学校1年(満12~13歳)が小6から教師と付き合って自殺未遂〕

 神奈川県横須賀市の自宅裏山で、船越実科女学校1年生(14)が包丁で喉を突いて自殺を図ったが父親に発見されて病院に運ばれたため2週間のケガで済んだ。小6の時から小学校教師と恋愛関係になり、ラブレターを見られて父親に叱られたため。雑貨商の長女。

・昭和3年(1928).3.15〔小6(満12~13歳)が授業中に同級生を刺す〕

 神奈川県横須賀市の小学校の教室で、6年生A(14)が同級生B(13)の胸をナイフで刺して重傷を負わせた。授業中に教師が訪問者と廊下で話しているうちに、BがAの机をナイフで削った。言ってもやめないので反対にAがBの机をナイフで削ると頭を殴られカッとしたもの。

・昭和3年(1928).6.17〔小4(満10~11歳)が友人を刺殺〕

 埼玉県北埼玉郡長野村で、小学4年生(12)が工員(14)を刺殺した。4人でクジ引き遊びをしていたが、「ごまかしてはダメだ」と頭を殴ったのでカッとして、所持していた工作用の切り出しナイフで脇を刺し、逃げるのを追っかけて背中から心臓を突き刺したもの。成績は良かったが凶暴性があった。

・昭和3年(1928).6.20〔小4(満10~11歳)が弟毒殺〕

 石川県金沢市の自宅で、小学4年生(12)が療養中の3年生の弟(10)の水薬にネコイラズを入れて飲ませて毒殺した。父親は海軍主計少佐で、両親が病弱な弟ばかりを可愛がるので弟を亡き者にすれば自分が可愛がられるだろうと考えたもの。「ただ面白半分にやった」とも話す。

・昭和3年(1928).6.23〔小1(満6歳)ら2人が幼女に硫酸あびせる〕

 東京市深川区鶴歩町で、小学1年生(7,8)2人が女の子(5)を材木倉庫に連れ込み、1人が押さえつけて、1人が消火用にビールビンに入れて倉庫に積んでいた硫酸を身体にかけて自宅に逃走した。泣き叫ぶ声を聞いて近所の人が病院に運んだが4週間の重傷。これまでもこの女の子に何度か暴力を振るっていたが、親同士の間に人が入って示談となっていた。女の子の父親は「子どものいたづらにしては度が過ぎる」と激怒。

・昭和4年(1929).2.19〔9歳(満7~8歳)が6歳を猟銃で射殺〕

 岡山県御津郡の自宅で、9歳が隣家の6歳を射殺。母親が3時のおやつにモチを出してくれたが、焼き方が悪いとわがままを言って食べなかった。そこへ遊びに来た6歳が「おまえが食べねば、わしが食べてやろう」と食べ出したので怒って、「毒が入っているので死ぬぞ」「撃ち殺すぞ」などと脅したが、「撃ってもよい」と6歳が言い返したので、父親の猟銃で心臓を狙い撃ちしたもの。

・昭和5年(1930).1.25〔小学校高等科2年が女の髷切り通り魔〕

 大阪府大阪市の路上で、小学校高等科2年生(現在の中2に相当)が、子供を背負っている主婦(35)に「おばさん頭にゴミがついています。払ってあげましょう」と近づき丸髷をつかむとカミソリで根元から切り取りニッと笑って円タクで逃走、翌日に捕まった。

 女中もいる裕福な家庭の内縁の妻の連れ子で、活動写真や探偵小説好きの、女の日本髪に慾情する変態性欲者。咋年の夏頃から砂を持ち歩いて擦れ違う女にふりかけて「モシモシ髪に砂がかかっています」と髪に触っていたが、やがて30歳以上の年増女に興味を持つようになり、また触るだけでは満足できなくなり髪を切るようになった。20人以上を襲ったと自供。

・昭和5年(1930).2.17〔小6ら60人の万引き団〕

 広島県安佐郡で、小学校高等2年生(14)をリーダーとする6年生を含む60人の万引き団が捕まった。高等2年生(現在の中2に相当)40人のうち36人がグループに加わっており、付近の店で犯行を繰り返し、アジトには現金25円、鉛筆30ダース、ハーモニカ、運動靴などが隠されていた。

・昭和5年(1930).7.1〔小6(満11~12歳)が級友7人を毒殺未遂〕

 広島県賀茂郡の小学校で、6年生(13)が同級生7人を殺害するため弁当に劇薬を入れたが、異様な味ですぐに吐き出したため未遂に終わった。5月に隣家で1円20銭を盗んでから泥棒呼ばわりされ続けたことを恨んで、病院で働く父親から塩化水銀をもらって致死量以上混入したもの。昼休み前に家に帰ったため怪しまれてすぐに捕まった。

・昭和7年(1932).8.19〔小学生女子(満12~13歳)が担任教師と関係して出産〕

 愛知県瀬戸市の小学生女子(14)が、担任教師(25)と関係して妊娠、14日に出産したが未熟児のため5日で死亡、19日に死亡届を出したため2人の関係がバレて大問題となった。

・昭和8年(1933).8.20〔小2(満9~10歳)が3人殺害〕

 大阪府北河内郡四条畷町で、小学2年生(11)が、女の子(9)の家でこの娘のこずかい2銭を盗って逃走した。女の子と妹(6)、姉妹の親戚の小学2年生(9)ら3人が追い掛け、返してくれと迫ったが、小2生は返すと騙して池に誘い込んで女の子を突き落とし、男の子の頭を棒で殴って倒してから池に放り込み、逃げる妹を追い掛けて後ろから絞殺して池に投げ入れ、3人とも殺害した。深夜に死体が発見されて警察の取り調べを受けたが、姉(15)が1人でやったと嘘をつき、父と自分の共犯、姉と自分の共犯などと自供を変えたが、8.23になって自分1人でやったと自白した。日雇い人夫の長男。

・昭和8年(1933).8.20〔小5女子(満10~11歳)が級長選挙買収資金のため窃盗〕

 東京市中野区の銭湯で、小学5年生女子(12)が50銭入りのサイフを盗って捕まった。成績優秀の級長だが、9月の選挙に向けて級友にノートや鉛筆を渡して買収工作をしており、資金稼ぎのためこの銭湯にあるプールに毎日通うついでに20回以上90円の窃盗を働いていた。気づいた主人がサイフ入りの服をわざと置いて見張っていたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。

・昭和8年(1933).8.25〔14歳女子(満12~13歳)が買春して小学校高等科生(満13~14歳)が買う〕

 愛知県名古屋市で、小学校高等科生(15)が女子(14)を買春していて2人とも8.25に逮捕された。女子は長野県西筑摩郡から家出して鶴舞公園で売春して少年に貢いでいたもの。この小学校高等科生には2,3日前から50銭で相手をしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。

・昭和9年(1934).12.6〔中1(満12~13歳)連続通り魔が女性27人を切る〕

 岐阜県岐阜市で夜10時前、中学1年生(14)が自転車に乗って、夜学から自転車で帰宅中の女工(17)に近づき「コンチクショウ!」と叫びながら押し倒して、ナイフで顔、首、胸などめった刺しにして重体として逃走した。
 翌年2.10の朝6時、民家に侵入して就寝中の女性(23)を出刃包丁で15回めった刺しにして重傷を負わせて逃走したが、女性に指を噛み付かれてケガをしていたためその日に逮捕、警察の威信を賭けた警戒網を嘲笑いながら1年前から路上で女性27人に切りつけて5人に重傷を負わせた連続通り魔事件の犯人であることを自供した。
 小学校ではトップクラスの成績だったが、中学入試のため深夜まで猛勉強を続けて神経衰弱となり、探偵実話小説を読みふけった影響もあって、小6の2月に初めての犯行を犯し、女を襲わないと寝られない変質者となった。裕福な家庭の次男で高額なこづかいをもらっており、両親はタンスから血まみれのガーゼなどを見つけていたが、犯行にはまったく気づかず逮捕に茫然としている。

・昭和10年(1935).9.4〔15歳(満13~14歳)女子が幼女を誘拐殺人〕

 東京市中野区大和町の漬物店で、子守女(15)が主人の長女(5)を連れて失踪し、9.12に空腹で草むらに倒れている子守女が捕まり、自供から長女の腐乱遺体が発見された。

 三鷹の実家や井の頭公園などを紙芝居や火事を見物しながら連れ歩いたが、9.6に長女が歩けなくなり、杉並区の荻窪駅近くで背負い紐で絞殺して遺棄、大規模な捜索網にもかかわらずその後も死体の近くを6日間も放浪していたもの。

 3月にこの家に雇われたが以前の奉公先からもたびたび家出しており、嘘つきで、背負ったまま土手から転げ落ちて死んだと言っていた。反省もなく明るくけろりとしている。10.11に殺人と死体遺棄で送局。

・昭和12年(1937).6.20〔15歳(満13~14歳)が主人一家ら3人殺害〕

 東京市荒川区三河島町の砂糖商宅で、雇い人(15)が深夜1時に同じ部屋で寝ていた同僚(15)の手足を縛って首に紐を三重に巻いて絞殺、金庫の金を盗もうするところを主人の妻(33)に発見されたため顔や頭を氷砂糖を割るカナヅチで殴って殺害、傍で寝ていた三女(2)を手ぬぐいで絞殺、主人の服を着て150円を盗んで逃走した。主人は娘2人と番頭を連れて砂糖会社招待の慰安旅行に出掛けて留守だった。

 写真入りの手配書10万枚が配られ、顔の特徴から「ホクロ少年」と呼ばれて各地で目撃されるたびに新聞で大騒ぎされながらも1ヶ月も逃亡して、7.21に満州国奉天市で捕まった。活動写真見物などに金を使って15円しか残っていなかった。この年の銀行員大卒初任給70円。

 少年は主人の従兄弟にあたり、父親が外地を渡り歩く写真師だったため満州国遼陽市で生まれた。父親は1年前に死亡、母親も4歳の時に死んでおり、継母とともに静岡県磐田郡の工場で働いていたが盗みのためクビとなり、2月からこの家で勤めることとなった。

・昭和16年(1941).5.20〔14歳(満12~13歳)ら女学生9人が不純異性交遊や援助交際〕

 東京市杉並区高円寺のピンポン倶楽部店で、女学生(14~18)7人、女学校卒業生(18)、喫茶店女給(17)ら女子9人が、1月に慶応、明治、日大ら大学生9人、中学生11人、会社員など男25人と知り合い、半年近く不埒な交際を続けていて男女全員逮捕された。女学生(18)は学校を休んで5日も大学生のアパートに泊まり、女学校1年生(14)ら5人は高円寺の帽子店経営者(60)や土地ブローカー(58)に小遣いをもらって何度も身をまかせるなど外泊を繰り返していたが、「お友達の家に泊まる」と嘘をついて両親も学校もまったく気づいていなかった。男女とも裕福な家庭の子女ばかり。警察への投書で発覚。

・昭和21年(1946).9.28〔小6女子(満11~12歳)が泥棒の逆恨みで従姉妹を毒殺未遂〕

 山形県西村山郡で、小学6年生女子(13)が近所の親戚宅に侵入、従姉妹の小学6年生女子(13)の飯盒のご飯にネコイラズをまぜて毒殺を謀ったが未遂に終わった。

 8.31にこの家で百円を盗んだことがバレて、母親が「今後このような悪いことをすれば、これを飲んで俺とお前は死ななければならない」と買ってきたネコイラズを渡した。成績が悪い女子は優等生の従姉妹に嫉妬していたこともあり、泥棒を親に告げ口された怨みを晴らすため、家の手伝いと教師に嘘を言って学校を早引けして犯行に及んだもの。毒を入れたあとに390円と衣服などを盗んで自宅に逃走していた。

(引用終わり)

 

長々と引用してしまったが、すごいですよね。これでもほんの一部ですよ。13歳以下に限定してこのひどさ。20未満なら更に激しい犯罪が行われていた。

管賀江留郎氏の「少年犯罪データベース」にはこのように膨大な少年犯罪記録が掲載されている。特に戦前と戦争直後のこの少年犯罪の記録を見ることで「昔は…」とか「最近は悪くなった」などという言葉が安易に吐くことができなくなる。

何しろ過去については知らないことが多すぎるのに、知ったかぶりしている。ちょっとまずいかもしれない。