相も変わらず国会ではどうでもいい裏金問題で無駄な時を過ごしている。

裏金を追及するのは自民党の安倍派と二階派に限るようだから、みんな深刻ぶってはいるが(特に岸田)実は安倍派潰しを徹底的にやりたいから喜んでいるのである。

本気で裏金とか政治と金を問題にするなら、全自民党議員でなく、全国会議員の問題として見直したらどうなのか。

アメリカの議員に比べて、日本の議員の金の使い方はみみっちいし、こんな程度の金を「金権体質」なんて呼ぶ方がどうかしている。

そして、このどうでもいい問題をいつまでも国会で議論するのは、重要な事柄を議論したくないからだろう。

激増するワクチン後遺症しかり、不要なウクライナ復興支援しかり、増税しかり、エネルギー政策しかり、移民も問題しかり等々。

そして今日のニュースのGDPでドイツに抜かれ4位に転落、インドにも抜かれそうという30年に亘る成長を忘れた日本経済の問題など議論することはいっぱいあるはずだ。

 

そもそもこのパー券キックバック問題。特捜がアメリカの指示により無理やり作ったイシューだからこんなことは真面目に騒ぐような問題ではないんだ。

しかし、国民もどうでもいいことに憤慨して、又もや大事な問題から目をそらされている。いい加減気付いたらどうなのか?踊らされていることに!

こんなことやっているから、日本は没落していくんだ。

 

GDPでドイツに抜かれ4位になったということだが、ドイツですら全く成長していないんだから、追い抜かれたのではない、単に日本が勝手に落ちて行っただけだ。

もっと適切に表現するなら、「成長していないドイツすら抜かれた日本はどうした!」とするべきだ。

ドイツも日本同様健全(緊縮)財政一本やりだから成長するわけがない。しかも健全財政を憲法にまで書いているバカな国だ。そんな国に日本は負けたのだ。

 

 

 

三橋貴明氏はこのマイナス成長を「内需壊滅」と書く。

「…今回の経済成長率は、とにかく「内需壊滅」という点に特徴があります。(数字は対前期比%)
・民間最終消費支出 ▲0.2
・民間住宅 ▲1.0
・民間企業設備 ▲0.1
・政府最終消費支出 ▲0.1
・公的固定資本形成 ▲0.7
 と、内需が壊滅。外需は、
・財・サービスの輸出 +2.6
・財・サービスの輸入(控除項目) +1.7
 となり、今回は輸入が増えた(GDPにはマイナスの影響)にも関わらず、輸出がそれ以上に増えたため、外需はプラスとなりました。

 

そりゃ実質賃金が何期にも亘って減し、増税すれば需要は増加なんかする訳がない。

その理由をマスコミは色々と屁理屈を付けるが、緊縮財政とか増税には絶対に言及しないで無理やりな説明をする。そんな説明は聞きたくも知りたくもないからここには書かないが、処方箋はたった一つだ。積極財政支出と減税。これだけだ。

 

三橋貴明氏は今日のブログで次のように書いて危機感を露わにする。

「…怖いのは、経済成長率が二期連続のマイナスになったところで、「政治家は誰も騒がない」であろうことです。

 個人消費が三期連続でマイナスになろうが、肝心かなめの設備投資がマイナスになろうが、公需(政府最終消費支出と公的固定資本形成)が共にマイナスになろうが、つまりは「政府が真面目にやっていない」ことが明らかになろうが、「政治家は誰も騒がない」ことこそが、日本国の最大最悪の問題なのです。

 実質賃金が対前年比で2.5%も下がっても、政治家は誰も騒がない。経済成長率が二期連続でマイナスとなったといても、誰も騒がない。

 騒げよ! 特に、野党議員!

 少なくとも、昨年7月以降継続しているマイナス成長は、岸田内閣の責任なんですよ。特に、10-12月期は公需が二つともマイナスなのです。政府がさぼっていたことはあまりにも明らかなのですよ。」

 

そう「政治家は誰も騒がない」んだ。株式市場が異様に盛り上がっているからか経済成長とか国民生活になんか関心はないのである。

何故って、今は忙しいんだ。自民党の裏金問題追及で忙しいんだ。経済なんてどうでもいいんだ、と。

そして野党は国民生活に一切関心がないことがよくわかる!クソ立憲民主党!

 

過去にも何度か指摘したが、国民もまた増税はやむを得ないと思っているし、緊縮財政もやむを得ないと思っているんだ。何しろ、国債の債務残高が1000兆円を超えているから、いつ国家破綻するかわからない。

だから、多くの国民は、増税も、緊縮財政も必要なんだというザイム真理教信者になり果てている。

 

ゆでガエル理論というのがある。

「ゆでガエル理論」とは、ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さ、難しさを戒めるたとえ話の一種で、おもに企業経営やビジネスの文脈でよく用いられる。カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちに茹(ゆ)であがって死んでしまうという話だ。

 

さて、現在の日本国民、経済が成長せず、賃金も上がらず、増税が強化され、社会保障の保険料が増大し、果ては馬鹿げたウクライナ復興も大幅負担を強いられる、もう死にそうじゃないか。

この状態をゆでガエル理論に当てはめるとどうだろうか。

「カエルを熱湯の中に突然入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちに茹(ゆ)であがって死んでしまう」

のだが、徐々に熱くなるってのは気持ちのいい状態のことだ。しかし、慣れすぎると熱さに気が付かず死んでしまうと。そんなアホなカエルはおらんやろう、ということで単なるお話なのだが、今の日本人はそのゆでガエルの比喩では表現できない、逆なのではないだろうか。

つまり熱くて気持ちいいのでなく、寒くて凍えて震えるイメージの「冷えガエル」(私の勝手な造語!)

 

「カエルを冷凍水の中に突然入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れて徐々に冷却すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちに凍死してしまう」

これは茹でガエルよりもリアリティがあるのではないか。

 

日本経済は緊縮財政を30年続けて経済徐々に冷やしてきた。つまり財布の中身も冷え冷えし続けたわけだ。そして30年経った今もこの冷凍水の中に浸かった日本国民は、何のこれしきの事、これは日本の未来の為に冷やしているのだからとてもいいことなんだとみんなで励まし合っている。

そして遂には、その冷温変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちに凍死してしまうのである。

 

「茹でガエル」よりももっと怖い「冷えガエル」!今の日本の現状だ。

そして先日もルサンチマンについて書いた記事がここでも残念ながら当てはまってしまう。

 

「狐は葡萄に手が届かなかったわけですが、このとき、孤が葡萄をどんなに恨んだとしても、ニーチェ的な意味でのルサンチマンとは関係ありません。ここまでは当然のことなのですが、重要なことは「あれは酸っばい葡萄だったのだ」と自分に言い聞かせて自分をごまかしたとしても、それでもまだニーチェ的な意味でのルサンチマンとはいえない、ということです。

狐の中に「甘いものを食べない生き方こそがよい生き方だ」といった、自己を正当化するための転倒した価値意識が生まれたとき、孤ははじめて、ニーチェが問題にする意味でルサンチマンに陥ったといえます。」

 

ちょっとここでのルサンチマンとは違うが、ザイム真理教信者(つまり国民のこと)は、狐の甘いものを食べない生き方こそがよい生き方だ」と同様に

経済を成長させない生き方こそがよい生き方だ」

「成長より借金を返すことこそがよい生き方だ」

と、「自己を正当化するための転倒した価値意識が生まれたとき、ザイム真理教信者ははじめて、ニーチェが問題にする意味でルサンチマンに陥ったといえる」ということになる。

 

ここから抜け出ることは容易ではない。

「冷えガエル」は「死に至る病」だから。