またやってるよ。

 

  Friday For Futureの活動家たち

温暖化対策「やってるふり」やめて COP28にあわせ若者が抗議(朝日新聞)

地球温暖化について、世界の交渉も日本の対策も「やっているふり」――。アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開かれている国連気候変動会議(COP28)にあわせ、若者たちの団体が、期限を設けた化石燃料の段階的廃止などを求める緊急声明を発表した。8日、東京・新宿駅前でアピールした。

 声明を出したのは、気候変動対策を求める若者中心の運動「フライデーズ・フォー・フューチャー・ジャパン(FFFJ)」

 COP28では世界の平均気温の上昇を産業革命前に比べて1・5度に抑えるための交渉が続いている。だが、FFFJは、世界も日本も、見せかけだけで真剣に取り組んでいないとして、化石燃料の廃止や再生可能エネルギー100%社会への移行途上国の温暖化対策への支援強化、温室効果ガス削減目標の強化など7項目を求めている。声明は、5日に岸田文雄首相らに郵送したという。

(引用終わり)

 

若者たちはマルクスの次の言葉を実践しているのかもしれない。

「哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである。」

マルクス『フォイエルバッハ・テーゼ』

 

なぜか地球温暖化対策が遅れていると批判して若者が立ち上がるのである。海外は頭のおかしい環境原理主義者たちが絵画にペンキをぶっかけたり、路上に座り込んで交通妨害したりと反対運動は過激だ。しかし、日本は大人しいものだ。プラカードやでかい紙に訴えを書いて街頭に立つ又はデモをするくらいだ。

 

私はこういう若者を見て、情けなく思うばかりだ。愚か者め、もっと勉強しろよ!と。

「化石燃料の廃止や再生可能エネルギー100%社会への移行」なんか本気でやったら社会はどうなるのか真剣に想像したことがあるのだろうか。どうせ南極の氷の壁が崩れるのを見て、海面上昇を心配し、北極の氷が解けてホッキョクグマの居場所がなくなる程度の認識で二酸化炭素削減を叫んでいるんじゃないのか。

そして、黙っていてはいけない、行動しないといけないとばかりに街頭に立つ。

マルクスの「哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである。」の言葉の実践とばかりに。

 

しかし、私に言わせればマルクスの言葉は次のように書き換えるべきだ。

「若者たちは、世界を様々に行動してきただけである。肝心なのは、それを正しく解釈することである。」

つまり、変革よりも「正しい解釈」のほうを今すぐやるべきなんだ。その正しい認識を得てから行動すべきなんだ。正しく認識すれば、プラカードに書く言葉は180度変わるはずだ。

 

「脱炭素政策は止めよう!再エネは環境を破壊し資源の無駄遣いだ!」

 

「途上国の温暖化対策への支援強化」というが途上国は地球温暖化について全く興味なんかない。先進国による温暖化を理由に対策名目で支援金をがっぽりほしいだけなんだ。それはそれで構わないが、太陽光発電なんかじゃなく、きちんと石炭火力発電所を作ってやった方が喜ばれるのだ。

 

 2年ほど前にも(余り話題にならなかったようだが)街頭でプラカードを掲げた若者と同じような女子大生(東北大生ねこの女性も東京と同じくFriday For Futureの活動家か)が、「住友商事はバングラデシュのマタバリ石炭火力発電事業を中止しろ」という一人ダンボールデモをツイートに掲げたものを今年の5月になって、経済評論家池田信夫氏がその愚かな行為を徹底的に糾弾していた。

 

池田信夫ツイート 2023年5月2日

「こういうダンボールデモも「若気の至り」ではすまない。「私は途上国の現実も考えないで外務省や商社の仕事を邪魔する愚か者だ」とカミングアウトし、一生それが残ってしまう。」

 

アゴラ言論プラットフォームに池田は「「石炭火力ゼロ」がバングラデシュの人々の命を奪う」と題して書いている。

「石炭火力ゼロ」がバングラデシュの人々の命を奪う 池田信夫

「住友商事とJICAは、バングラデシュのマタバリ石炭火力発電事業を中止してください! 」

 

このツイートの表示が100万回を超えたので、ちょっと補足しておく。

この元になっているツイートは2022年2月4日のもので、まだ存在している。書いたのは〇〇〇〇。Friday For Future仙台の活動家で、現在は東北大学4年生である。明るい蛍光灯とエアコンの映っている画像に批判が殺到したため、こういうバージョンも撮り直した。

 

バングラへの開発援助は打ち切られた

 この段ボールデモは、JICA(国際協力機構)の開発援助プロジェクトに反対するものだった。これは外務省の予算1372億円で、バングラデシュのマタバリ地域に出力240万kW(60万kW×4)の超々臨界圧石炭火力発電所を建設する計画だった。

バングラでは電力需要が急速に伸びる一方、電力設備が追いつかない。マタバリのプロジェクトはこの状況を改善するため、バングラ政府の要請で始まった開発援助である。JICAと住友商事の事業として、第1期工事では60万kWの石炭火力発電所を2基建設中で、2024年に稼働する予定である。

しかし2021年のG7サミットでは、排出抑制策がとられていない石炭火力発電に対する政府の新規支援を停止することで合意し、第2期工事が国際的な反対運動のターゲットとなった。

マタバリのように進行中の案件は停止の対象外だったが、小泉環境相が石炭火力からの撤退を打ち出したため、外務省が政治的配慮から援助を打ち切った。2022年6月、住友商事は第2期の入札から撤退を表明した。

バングラでは貧困と停電が続く

この計画に参加していたのは日本だけなので、第2期工事は中止となり、バングラ政府は独力でLNG火力発電所を建設する方針だ。しかしバングラの天然ガスはすでに産出量が減少しており、建設資金の目途も立たない。

JETROによれば、ウクライナ戦争で化石燃料の輸入価格が上がり、外貨準備が急減しているため、バングラ政府は火力発電所の稼働を一部停止し、全国的な計画停電を実施すると発表した。

今後も100~150万kWの電力が不足する見込みで、エリア別に1日当たり1~2時間の計画停電を実施する。2022年10月には全土で停電が起こり、首都ダッカを含む国土の80%で電力が途絶えた。

 

大事なのはCO2ではなく大気汚染を減らすこと

環境左派の活動家は最近気候正義という言葉を使うようになった。これは地球温暖化の被害が熱帯の途上国に集中するため、先進国が援助すべきだという主張で、昨年のCOP27でも「損害と賠償」のための基金設立が決まった。

これは大きな前進である。今後100年で2℃程度の温暖化と60cm程度の海面上昇は、先進国では大した問題ではないが、バングラなどの熱帯では深刻な問題である。それを防ぐために緊急に必要なのはインフラ整備なのだ。

マタバリ火力の中止でCO2濃度は何ppm下がり、地球の温度は何度下がるのか。反対派のパンフレットには何も書いてない。そんな効果はないからだ。彼らの批判するのはSOX、NOXなどの大気汚染である。

これは正しい。途上国で問題なのはCO2ではなく、PM2.5である。先進国ではもうSOXやNOXは問題にならないが、バングラでは毎年12万人以上が大気汚染で死亡している。その最大の原因は、電気のない地域で照明や暖房などに使われる薪による室内汚染である。電力は命を救うのだ。

日本の石炭火力は、次の図のように世界一クリーンである。日本の発電所が撤退したら、それよりはるかに大気汚染のひどいバングラの発電所が稼働するだけだ。送電網の貧弱なバングラでは、再エネは使い物にならない。 

 

バングラの地獄への道は活動家の善意で舗装されている

先進国で電力インフラが大きな問題にならないのは、豊かになったからだ。大気汚染よりCO2を気にするのは、先進国では大気汚染はほぼ解決し、残る環境問題は温暖化だけだからだ。

しかし一人当たりGDPが2500ドルのバングラで大事なのは、100年後の気温ではなく、きょうの生活に必要な電力である。途上国で気候正義を実現するために必要なのは、まず豊かになることだ。そのためには、途上国が自力で国土開発を進められる電力などのインフラ整備が重要である。

段ボールデモをやっている活動家は、主観的には「気候正義」を実現しようという善意でやっているのだろうが、その結果は停電と大気汚染である。バングラの人々の地獄への道は、環境活動家の善意で舗装されているのだ。

(引用終わり)

 

東北大生にしてバングラのことを何も知らずに「住友商事とJICAは、バングラデシュのマタバリ石炭火力発電事業を中止してください!」と言って、画像までネットに出してしまっている。本人は正しいこと「気候正義」のための行動をしている気分だろうが、池田信夫氏からすれば

その結果は停電と大気汚染である。バングラの人々の地獄への道は、環境活動家の善意で舗装されているのだ。

ということになる。まさに、行動より正しい認識・気候変動の正しい解釈が重要になる所以だ。

若者は、行動する前にきちんと学べ、が大事。そうしないと恥をさらすことになるから。

 

しかし東京も仙台も両者とも「Friday For Future」の活動家だ。つまり後ろに世界的な環境活動家組織があるということを示している。

グレタを見れば分かるように彼女たちは世界政府を目指す富豪たちに操られている。Friday For Futureの活動家による今の愚かな行動も操られた行動に過ぎないのだ。しかし、活動家のようだからもう元には戻れないだろうな。