ここには、君主又はリーダーのあるべき姿の一つの教訓が語られている。

「歴史よもやま話・東洋編」文藝春秋社1966年刊の対談より。

 秦の始皇帝 

 

 

貝塚茂樹(京大教授中国古代史)

 専制君主は自分の所在などを、臣下にはっきり知られては絶対いけないのだという。そればかりでなく自分の欲望なども臣下に知られてはならぬ。そうでないと臣下が必ずとり入ろうとしてくるというのですね。これは、法家の韓非子などの考えです。君主というものは、臣下にその実体を明らかにしてはいかん、そうするとつかまえられ、操縦されることになるからです。
池島信平(文藝春秋社社長)

 いまの政治家でもジャーナリズムにのって、もてはやされるのが能ではないので、未知の部分の多い政治家のほうが何となく魅力があるようですね。
貝塚 だからスターリンは、はっきりしなかったのでしょうね。
鎌田重雄(日大教授中国古代史)

 それで天子は朕(ちん)というのだって、朕ということばは前からありましたが、秦の始皇帝は、はじめて自分のことを朕と言いましたね。兆(きざ)しという意味です。天子がそこにおるだろうということは分るけれども、はっきり分らない。ただそれらしい兆しがある。それで朕と言ったと言うのですね。

(「歴史よもやま話・東洋編」文藝春秋社1966年刊)

 

対談の短い言葉の中に、「なるほど」という言葉が語られていた。

人の上に立つリーダーはどんな考えか、どんな人柄か部下は分かった方が仕事がしやすいのだが、それを逆手に取って上司を操縦しようとする悪い輩が出てくるという警句だ。

自分の欲望なども臣下に知られてはならぬ。そうでないと臣下が必ずとり入ろうとしてくる。君主というものは、臣下にその実体を明らかにしてはいかん、そうするとつかまえられ、操縦されることになるから。」

 

おそらく、岸田首相などは鼻毛も抜かれて部下に操縦されているのだろう。これでは確かなリーダーとはいえまい。何でもあけっぴろげはよくない。秘密めかして、何を考えているかうかがい知れないのが賢いリーダーなんだろう。日本の歴史上ですぐ思い浮かぶのは徳川家康だろう。狸おやじ!

 

もうひとつ、中国の皇帝だけでなく、わが国天皇も朕(ちん)と自分を呼ぶが、その意味がよく分かった。

天子がそこにおるだろうということは分るけれども、はっきり分らない。ただそれらしい兆しがある」

それが朕なのだと。

中国や平安時代の垂簾(すいれん すだれを垂らして政治を行う)政治もそういうようなものか。

 

とすれば、今の岸田首相もまさに垂簾政治を行っていると言えるだろう。

岸田は当然簾の奥の黒幕からの指示を台本として読んでいるだけなのだから。

黒子、つまり真の権力者がそこにおるだろうということは分るけれども、はっきり分らない。ただそれらしい兆しがある」

だから、支持率も最低になるんだよね。

お前じゃ話にならん!黒幕よ、出てこいや!と。