実質審理なしの事実上の無罪判決は前から想定されてはいたが、いざ判決が下りてみると今更ながら検察、裁判官の談合判決に対して怒りを感じざるを得ない。

 

    無責任極まりないハゲ裁判官!

ニュースは判決を以下のように伝えている。

「…判決は「自身に関する週刊誌の掲載予定記事を読んだことをきっかけに積年の思い等もあって自殺を考えるに至った」などとする猿之助被告の供述を前提としても、「自殺をほう助する選択をしたこと自体は短絡的」と指摘。「犯行に至る経緯や動機に酌むべき事情が多いとは言えない」「被告人の刑事責任は軽視することができない」と判断した。

 その上で、「両親に自殺の意思を伝えたことを含め本件を公開する旨述べて反省の態度を示しつつ、2度と犯罪に及ばない旨誓っていること」などから、被告人に有利に考え得る事情があるとした。」

(引用終わり)

 

そもそも問題は猿之助による両親を死に追いやった行為は、「自殺ほう助」なのか「殺人」なのか、ということだ。それをたった一回の公判しかも単に検察・弁護人共に猿之助の供述を鵜呑みにしただけで、次回はもう結審という裁判官も含め真実を問うことを放棄した恥ずかしい、司法始まって以来(かどうか知らないが)の前代未聞の恥ずべき裁判と相成った。

「犯行に至る経緯や動機に酌むべき事情が多いとは言えない」とか「被告人の刑事責任は軽視することができない」といいながら、その口が乾く暇もなく「でも自殺ほう助にしといたるわ」とばかりになぜか猿之助を大甘に許してしまい、執行猶予がついた実質無罪判決にしてしまった。

検察も腐っているが、裁判官も腐っていた!裁判する前から結論が分かっていたなんて茶番もいいところだ。

これまでも何回かブログでこの猿之助マーダーケースを扱っているので読んでみてほしい。

 

 

そもそも何でそんないい加減な裁判になったのか。

ダイヤモンド・オンラインがその辺の事情を次のように解説する。

・合議審か単独審かで 執行猶予を予想できる理由

冒頭に「執行猶予の線で固まった」と書いたが、その理由は複数の裁判官による合議審ではなく、裁判官1人による単独審になったことが大きい。一審が地裁の刑事事件は原則として単独審だが、裁判所法26条で「死刑又は無期若しくは短期1年以上の懲役若しくは禁錮に当たる刑事事件」(法定合議事件)か「合議体で審理・裁判する旨の決定をした事件」(裁定合議事件)は3人の裁判官による合議審になる。
 意外に知られていないが、新聞やテレビが「○○裁判長は~」「○○裁判官は~」と区別して報じているのは、前者が合議審、後者が単独審と明確な違いがあり、分けているのはきちんとした理由があるのだ。
 ではなぜ今回、法定刑が「6月以上7年以下の懲役又は禁錮」である自殺幇助罪に問われたのに、合議審でなかったのかといえば「合議審で審判すべきもの」ではないと判断されたからとみるのが妥当で、それ故に司法担当記者らが「公判内容に争いがなく、執行猶予で決着という『あうんの呼吸』ができているな」と推測できたわけだ。
 それに加え、警察・検察に嘱託殺人や承諾殺人(同意殺人罪)についてあまり深く検討した気配がないことだ。もちろん向精神薬の容器や両親にかぶせたとされるビニール袋などが処分されていたため物的証拠はなく、供述頼みという側面はあっただろう。

 供述にもあるビニール袋をかぶせた行為は両親を死に至らしめた「殺人の実行行為」ともいえ、もちろん同意殺人罪の可能性は疑っただろうし、供述に矛盾はないか確認もしたに違いない。ただ、自殺幇助罪と同意殺人罪は一般の人にとって受けるイメージはかなり違うが、実は法的に同一構成要件の犯罪で法定刑も同じ。それ故検察側に「危ない橋を渡る必要はない」という判断があったとみることもできる。

 

(トラ注 つまり捜査の途中から殺人罪に問うのを警察が諦めたのである。それは公判を維持できないからではなく、もっと別な力が働いたことをうかがわせる。勿論松竹に罪を軽くしてほしいなんていう力があるとは思えない。そこより警察・検察あるいはそこに影響力を与えられる人物が途中から「自殺ほう助」でストーリーを組み立てよ、という指示があったのではないかと推定できる。もちろん証拠なんぞないから、この理不尽な決定を推理するとこういうことがいえるのでは、という憶測だけで言っているのだが。

そして、そのストーリーに裁判官も同意したということも怪しい。つまり警察、検察、裁判官も動かせるパワーを持った誰か(猿之助と親しい黒幕)の存在があるというしかない。)
 

・検察官が懲役3年を求刑したのは 執行猶予を求めるサイン
 執行猶予が付く要件だが、刑法25条の規定で懲役3年以下でなければならない。法曹関係者や司法担当記者の間では「判決は求刑の7~8掛け」とよくいわれる。そのため、検察側が懲役4年以上を求刑した場合は「実刑」、同3年以下は「執行猶予」を求めているサインといわれる。その間の同3~4年は「裁判長にお任せ」ということになり、被告は判決言い渡しの期日まで眠れぬ夜を過ごすことになる。
 今回のケースは自殺幇助罪ではあるが「死亡したのが2人」という点をどうみるかという部分が唯一の争点だった。これについて、むしろ検察側が「執行猶予で十分ですよ」というお墨付きを与えたという見方もできるわけだ。
(引用終わり)

 

そしてこの裁判を猿之助の望み通りとするために、裁判官1人による単独審に無理やり決めた。つまり、合議審にすると3人の裁判官が裁判に関わることとなり、当然「自殺ほう助」で突っ走ることに疑義を発する裁判官も出てくる可能性があるから、裁判官1人による単独審にしたのである。

そして、「検察官が懲役3年を求刑したのは執行猶予を求めるサイン」であり、出来レースなのだ。

というより、二回目の公判で結審つまり実質審理なしとは余りに世間をバカにしているではないか。

 

そういう愚かな公判進行をしたこの間抜け裁判官は、司法の信頼を失ったことに気付いているのだろうか?

最近は、「ほんの今女になった」と言えば女風呂に入っても許される時代だから、これからは人を殺したら、自殺したいと被害者は言っていたといえばみんな自殺ほう助になる。今回の猿之助裁判はそういう画期的な判決なのだ!

安倍元首相暗殺も黒幕がいるはずだ。奈良県警がいい加減な捜査しかしなかったのは、強大な黒幕の指示だ。これは某アメリカの総督の可能性が高いが、猿之助殺人事件の黒幕は誰だろうか。これは某国ではありえないから、スーパー歌舞伎好きな政治家なんではないか。

 

世間はこの判決に誰も納得していないし、猿之助の説明、つまり本人が自殺することに両親が同意して、「母親は『わかった。だけどあんただけ逝かせるわけにはいかない。私らも逝く』、父親は『うん』と言いました」なんて馬鹿げた説明を誰も信用なんかしていない。警察、検察、裁判官がみな納得してしまったこと自体がこの裁判は茶番の証明なのだ。

だから、 猿之助が歌舞伎界に復帰するなんて世間は絶対に許さないし、「両親自殺ほう助の猿之助」ではなく、永遠に「両親殺人の猿之助」として記憶されるに違いないのである。

復帰の思いが猿之助にあること自体許されないし、ずっと両親の菩提を弔って静かに余生を過ごすべきなのである。(本当は刑務所で!)

 

 

判決直後にもう猿之助は長々とコメントを発表した。コメント全文は以下の通りだ。

【コメント全文】

 本日、裁判所から、懲役3年執行猶予5年の判決の言い渡しを受けました。失意のどん底で決意したこととはいえ、常に自分を見守ってくれた父と母を巻き込んでしまったこと、そして、歌舞伎界を含め、多くの皆様に治癒し難い傷を負わせてしまったことに対し、言い表せない罪を感じています。

 自分の記事が世に出るとき、そのこと自体により、四代目猿之助を継承した自分が「猿之助」という名前のみならず歌舞伎界という大きな伝統と文化に対し深い傷を与えてしまうこと、また成長を歩み続けている猿之助一門のみんなを暗闇の中に放り出すこと、その現実の大きさから自死を選んでしまいました。どん底の中で生き長らえることを選ばなかった自分の弱さを責めるしかありません。たとえ生活の場を失ったとしても、次の日を信じて静かに待つべきでした。生きることを諦める気持ちになったとき、自死を成し遂げることだけを考えていました。自分の精神状態の異常性すら理解できない状況に陥っていました。「あなただけ行かせるわけにはいかない。」という両親の言葉も自然に受け止めてしまっていました。来世に向かう両親の身支度をし、そして、自分の終止符へと向かいました。

 自分一人で抱え込まず、周囲の人に自分の不安や絶望を相談するべきでした。ただ、当時の自分は、自分の立場もあり、他の人には自分の気持ちは理解できないだろうと考え、また、周囲に弱みを見せることもできませんでした。

 事件の日から今日まで生きてきました。毎日、あの日のことを思い返してきました。私だけが生き延びてしまった、父と母に申し訳ない、そういったことを考えていました。事件後も、死んでしまいたい、明日命が終わっていないか、と思うこともありました。しかし、周囲や病院関係者の助けのおかげで、事件のときほど真に迫った自死の思いが生じることはありませんでした。

 「最後に何か言いたいことはありますか。」という裁判官の言葉に対し、「自分にできることがあればやらせていただきたい。」と答えました。

 今後は、生かされた自分に、これから何ができるか考えていきます。

これからは、一人で抱え込まずに、自分の弱さも自覚し、周囲の方々に相談し、助けていただきながら、一日一日一生懸命に生きていこうと考えています。

本当にご迷惑をおかけしました。

                           四代 市川猿之助

 

これを読んで、なんと適当な反省文か、という思いでいっぱいだ。

自死に至る思いを「「猿之助」という名前のみならず歌舞伎界という大きな伝統と文化に対し深い傷を与えて」しまったから、死しか選択肢はなくなったということだが、お前は中学生か、と突っ込みたいくらいだ。

そして、親を二人も死に至らしめた心情の吐露としては余りにも浅薄であり、「私だけが生き延びてしまった、父と母に申し訳ない、」と一応は書くものの、今は生きたい、何かしたいということばかり書き連ねて、復活を匂わせているのである。

 

猿之助に限らず、全てが嘘っぽいのだ。

警察、検察、裁判官がアホだから自殺ほう助といういい加減な罪で許されたのである。(黒幕の存在の可能性は大有りだが)

もし、黒幕がおらず、警察、検察、裁判官が普通の能力と責任感と職業意識を持った者たちなら、まだ裁判が続いて、猿之助は責められていたはずなのである。

 

日本はそれほどにも堕落した国家になってしまった。政治も経済も医療も司法も。

猿之助としてはこの堕落した日本に助けられたのだから、堕落日本に感謝をささげないといけないのだよ。

 

(追伸)

猿之助に今後やってほしいこと。

歌舞伎界に今後如何に貢献できるかなんて馬鹿げたことではなく、もし本当に自殺ほう助なら、この事件をもっと掘り下げて詳しいいきさつなどの「私記」を書くべきだ。