名古屋市でエスカレーターに立ち止まって乗ることを義務付ける条例が施行されたという。特に地下鉄のエレベーターでの事故防止のためだ。

 

埼玉県のエスカレーター 歩行禁止の取り組み

 

エスカレーターは立ち止まって 名古屋市が条例施行、全国2例目

10/1(日)

 名古屋市で1日、エスカレーターに立ち止まって乗ることを義務付ける条例が施行された。名古屋のエスカレーターでは利用者が左側に立ち止まり、空いた右側を急いでいる人が歩く“暗黙のルール”が存在する。転倒事故などを防ぐため、条例化で慣習や意識を変えていくのが狙いだ。

 同種の条例は2021年に施行した埼玉県に続き全国2例目。条例では右側、左側を問わず段上に立ち止まった状態で利用し、エスカレーターが設置されている駅や商業施設などの管理事業者にもそれを周知することを義務付けている。罰則規定はない。

 日本エレベーター協会によると、18~19年にエスカレーターを走って転んでしまうなどの「乗り方不良」の事故は全国で805件あり、つまずいて転倒▽逆走して駆け上がり転倒――といった事例が報告されている。

 名古屋市では「エスカレーターを歩く人とぶつかりそうで怖い」といった声が障害者や高齢者らから寄せられたことがきっかけで04年から市営地下鉄各駅などでエスカレーターに立ち止まって乗るよう呼びかけるポスターの掲示や放送をしてきた。条例化に踏み切った理由について、市の担当者は「条例化は市の決意表明。エスカレーター利用時の長年の慣習や意識を変えていきたい」と話す

(引用終わり)

 

条例化は全国2番目だというが、なぜ名古屋市なのか?

それは昔ブログ記事に書いたが、2004年に名古屋地下鉄のエスカレーターで死亡事故が起きたからだ。私のいつもの通勤の駅だった。

それから20年近くたってもエスカレーターで立ち止まる人が少なく危険なのでやっと条例化したのだと思われる。

記事を書いたのは5年前のことだが、エスカレーター事故を防止するのに「マナーを守れ」では防止など出来ないということを書いた。

また、そもそも右側を空けることになったのは、日本が欧米と比べて遅れていると批判されたからだ。昔はエレベータで立ち止まるのは田舎もんの後進国の証拠だったわけだ。だから日本も先進国になるために片側を空けたのである。

そんなことも記事に書いた。

 

ブログ記事(2018.12.18)より。

「エスカレーター事故はこの2年間で全国1500件も起きているという。昔私の住んでいた名古屋で、勤務先の地下鉄駅久屋大通り駅ではエスカレーターでの死亡事故が起きた。14年も前のことだった。

 

たびたびエスカレーターの片側歩行又は片側空け問題が扱われるが、鉄道会社のおざなりなキャンペーンで終わってしまい、それが又繰り返すということが続いている。

JR東日本が東京駅で「エスカレーター歩行防止対策」を(2018年)12月17日から始めた。

 

乗りものニュース」から。

危険なマナー「片側空け」は変わるか エスカレーター「歩かないで!」 東京駅で対策

2018年12月17日

マナーとして定着している「エスカレーターの片側空け」ですが、危険性のため対策が進められており、利用者への声掛けなど一歩踏み込んだ例も。この「マナー」で不安な思いをしている人もいるそうです。

「歩かないでください」利用者に声掛け

 JR東日本が2018年12月17日(月)から翌年2月1日(金)まで、東京駅で「エスカレーター歩行対策」を試行しています。

期間中は、中央線ホームに通じるエスカレーター2基と、京葉線ホームに通じるエスカレーター4基の手すりや乗降口に、「手すりにつかまりましょう」などといった内容を、文字と絵で表した掲示物が貼られます。壁面には「エスカレーターでは歩かないでください」「お急ぎの場合は階段をご利用ください」「左右2列でご利用ください」といった大型掲示物も。

加えて12月21日(金)までの5日間は、特製のビブスを着用した警備員が、利用者への声掛けも行っています。

 東京周辺では、エスカレーターで急ぐ人のために右側を空けることが、ひとつの「マナー」として定着しています。それを改めようとする今回の取り組みについて(中略)」

 

JR東日本だけでなく、私鉄もこの取り組みを本格化しているようだが、東京五輪で外国人が怪我などしないように片側歩行防止慣行を定着させたい思惑があるようだ。

 

しかし、これは的外れなのではないか。そもそも欧米では片側歩行が当たり前になっており、日本がエスカレーターの片側歩行防止をやってしまったら、むしろ外国人観光客は、日本はなんて遅れた国なんだろうと思うに違いない。

だから、外国人のためとかなんとかいうバカげた下らない理屈でなく、日本人のための片側歩行防止策に真面目に取り組むべきなのだ。

 

というのも、そもそもなぜエスカレーター片側歩行という慣行が生まれたのか。

江戸川大学の斗鬼正一社会学部教授は次のように説明する。

「エスカレーターにおける片側空け(片側歩行)が初めて出現したのは、第2次大戦時の英国ロンドンの地下鉄だと言われています。当時の英国は戦時体制下。社会全体で効率向上が求められていた時期で、その施策の一環でした。

 日本で片側空けが始まったのは1967年頃、大阪・阪急電鉄の梅田駅が最初で、その後1980年代後半から90年代に掛けて東京などでも同様の現象が見られるようになりました。

英国はロンドンの地下鉄当局、梅田駅は阪急電鉄の呼び掛けでしたが、東京などは、「紳士の国・英国に見習おう」といった一部の人の主張に合わせ、自然発生的にルールとして定着していったようです。

片側空けは米国やフランスなどでも見られるルールです。

中国でも北京や上海など都市部では五輪や万博を機に当局が要請し、韓国でもワールドカップを機に片側空けの導入が進みました。いずれも多くの外国人が自国を訪れる国際的イベントの開催に合わせたタイミングで、「紳士的な先進国である」ということを世界に示したかったためだと思われます。」

 

どうですか。中国や韓国では「外国人が自国を訪れる国際的イベントの開催に合わせたタイミングで、「紳士的な先進国である」ということを世界に示したかった」のでエスカレーター片側歩行を始めたのですよ。

だから、東京五輪でエスカレーター片側歩行を禁止したら逆に日本は「紳士的な先進国」ではないということになりかねないのです。

 

 しかも、左翼の大御所朝日新聞元記者の本多勝一は、1993年に「エスカレーターに二列の幅があったら、一方を歩行者用に空けておくのが世界の常識である。ところが(日本では)右側を空けない鈍感な「立ちんぼカカシ」による迷惑が一段とひどくなった。」と書いている。

その結果が今日の日本のエスカレーターの状況であり、本多勝一のいう「立ちんぼカカシ」はいなくなり、「紳士的な先進国」に仲間入りしたという訳である。

本多勝一の貢献大といえるのです。バカなことを言ったもんです。

 

今回のキャンペーン、外国人に認められたくてエスカレーターの片側歩行禁止を慣行にしようなんてバカげた考えは止めるべきなんだ。もっと普通の感覚で、エスカレーターの片側歩行は危険だ、障碍者にとっても高齢者にとっても危険だ、早くエスカレーターを駆け上りたいという欲望はもうここでは認めないということを日本の慣行とし、それをもって、「紳士的な先進国」だと訴えるべきなんだ。

 

それにしても、エスカレーターの片側歩行禁止については、鉄道会社も一般市民もどういう訳か腰が引けている。強く主張しない。

京都亀岡市が下らないレジ袋販売禁止については、何も文句も言わないで唯々諾々として従いそうな気配なのに、二年で一五〇〇件も事故を起こしているエスカレーターの片側歩行については、強くその禁止を主張しないのはどういう訳だろうか。

 

そもそもの間違いは、先に引用した「乗りものニュース」にも表れている。

「マナーとして定着している「エスカレーターの片側空け」ですが」と書き始め、見出しには「危険なマナー「片側空け」は変わるか」と付けている。

 

書いていておかしいと思わないのだろうか。

マナーに危険なものなんてあるのか、危険なマナーが定着しているなんてことはあるのか。

そんなものはマナーではないと断定すべきではないのか。

 

マナーとは、行儀・作法のことを指す。自分とみんなのための立ち振る舞い、生活の仕方のことであり、そしてほかの人が不快にならないように気をつけること、とネットに書かれている。

そして電車のマナーの例として、乗降は降りる人を優先する、基本的には食べ物を食べない、携帯電話はマナーモードに設定し、通話は控える、吊革にぶら下がらない、床に座らない、イヤホンの音量に注意する等々だ。

 

エスカレーターの片側空けがマナーと誤解されるのは、急いでいる人が通りやすいように片側を空けておくということだろうが、電車内でケータイで話がしやすいように、他の乗客はおしゃべりする際は小さな声にするということがマナーにはならないように、急ぎの人の危険なエスカレーターの走り上がりや走り降りができるように空ける必要はないだろう。

そもそも「エスカレーターの片側空け」はマナーにはなりえなかったのだ。

 それを本多勝一その他が大声で、片側空けは鈍感の証拠、欧米では紳士がやっていると騒いだものだから、とんでもない間違いがマナーとなって日本に定着してしまったのだ。

 

一方で、マナーとしてではなく「歩行禁止」にすればホームの混雑が迅速に解消できず、状況次第ではむしろ転落事故も招きかねないという声もあるようだ。

 

日経ビジネスの記者はバカげた理由を述べて片側空け禁止に疑問を呈する。

それに今の日本は、当時の英国に負けず劣らず効率化が要求されています。そうした状況での片側空けの廃止は働き方改革に逆行する、という主張もあります。電車で移動する際の駅での乗り換え時間はビジネスで最も無駄な時間の1つです。大切な商談や打ち合わせに遅れまいとエスカレーターを歩きたいと思うビジネスパーソンの気持ちも分かる気がするのですが…」

 

大切な商談や打ち合わせに遅れまいとエスカレーターを歩きたいと思うビジネスパーソン」などそれだけで失格ではないのか。エスカレーターを走らなくても間に合うようにするのがまともなビジネスマンだろうに。

 

これについては、江戸川大学の斗鬼正一教授は、

「片側空けを廃止し、全員が両側に乗った方がトータルとしての効率は上がります。英国などでは、一定の条件下では歩行禁止・両側立ちの方が、片側空けより輸送量が30%向上するといった社会実験もあります。」

と述べているし、先日のNHKテレビでは、両側歩行の方が結果的に早いという実験結果を示している。

 

片側だけ、だらだらと長い列を作っているエスカレーターをみれば、二列で整然とエスカレーターに乗った方が実験などしなくてもわかるというものだ。なぜそうなるかは、片側を空けていいても、意外に走りあがる人間は少ないからだ。そんな奴に予約席を取ってやる必要はないのだ。

 

さて長々と書いてしまったが、なぜ片側を空けるのかはもう一つの理由がある。

それは定着し過ぎたおかげで、片側を空けずに立っていると、煽り運転の如く文句をいわれるのでそれを避けるために片側を空けるのである。マナーとして空けているのではないのだ。トラブル防止のためだ。

 

 エスカレーターの両側に乗ろうと啓発するwebに以下のように書かれている。

「だって、正しい乗り方をしたら周りに嫌な顔をされるじゃん」

頭ではわかっていても、正しい行為をするとなぜか迷惑がかかってしまう…。

この現状こそ、エスカレーターの正しい乗り方が浸透しない一番の原因だと思います。

現にネット上では、「後ろから怒鳴られた」「早くしろ、と急かされた」などといった声があがっていました。また、「子どもと一緒に横並びで乗っていたら、後ろから無理やり追い抜かされた」といったものも…。」

まさに「あおりエスカレーター乗り」だ。

 

こんな奴らにマナーと称して、片側空けは止めましょうと鉄道会社社員や警備員が声を掛けても実効は一つもあがらない。当たり前だろう。

彼らにすれば歩行禁止の法律でもあるのか、と開き直られれば対応できないのである。つまりはパフォーマンスをしているだけ、エクスキューズとしてのパフォーマンス。

そして「正しいマナーが定着するには時間がかかります」なんぞとうそぶくのである。要はやる気がないのだ。

 

いや、やる気の問題というよりも、思想の問題というべきか。

私は以前このブログに「リクライニング論争 一番のワルは鉄道会社である(2017.4.4)」という記事を書いた。

 

リクライニングの倒しすぎについて、乗客がトラブルを起こしているのに、鉄道会社は我関せずで、「乗客同士がマナーを守って譲り合え」というだけだ。マナーの問題だから如何ともしがたいと逃げるのだ。

鉄道会社にやる気さえあれば、リクライニング問題も解決する。禁煙問題が解決したように鉄道会社のやる気一つの問題だ。

 

さて、思想の問題とはどういうことか。大げさすぎるが要はどのように考えてマナーに立ち向かうかということだ。

ここでは法律で禁止されない慣行をいかにうまく両側乗りの慣行として定着させるかだ。

人間の慣行・習慣ほど変えづらいものはない。人の理解に訴えることをするなら、永遠に変わらない。

 

そこで参考になる考えが「政治の理論」(稲葉振一郎)という本に書かれていた。

近代政治思想の起源を説明するくだりなのだが、

 

「自然状態の概念を用いた論客たち(ホッブスほか)が、大体において神が造りたもうた間の性質、人間の本性、人間性を所与の不変のものとして受容した上で議論を進めている、ということである。

実はこれは西洋政治思想の伝統からすれば大きな路線変更である。

たとえば、西洋政治哲学のそもそもの原点たるプラトンの「国家」からしてそういう議論ではない。そこでの理想のポリスは、素質ある人間を選抜して、統治者階級に相応しく訓練して改造する。

…しかしホッブス以降の「自然状態」論者たちは違う。あるがままの人間性を所与の条件として受け入れたうえで、より善き国家の構想はあくまでも制度設計としてなされている。

…彼らがあるべき政治、法制度を構想する際には、人間性そのものを「あるべき人間性」の方へと変えていく可能性はほとんど念頭に置かれていない。…あるがままの人間性は所与として受容されるだけではない。そうしたあるがままの人間たちが、共存していくために必要とする共通のインフラストラクチャーを作り維持することこそが、想定される国家の機能の核心である。」

 

難しいように見えるが、このエスカレーター問題を考える上でそっくり当てはまるのである。

要は片側歩行を慣行とする人々をどうしたら矯正できるのかという問題について、マナーとして彼らの良心に訴えて定着させるという考え方は、稲葉振一郎氏の議論からすれば、プラトンの伝統的な西洋政治哲学に由来する、「素質ある人間を選抜して、統治者階級に相応しく訓練して改造する」ことを求めるものである。

 

しかし、ホップス以降の政治哲学では、人間の見方を全く変えているのだ。

つまり、人間性を改造するなんぞと大それたことを考えることなく、「人間性そのものを「あるべき人間性」の方へと変えていく可能性はほとんど念頭に置かず、あるがままの人間性は所与として受容し」共通のインフラストラクチャーを作り、維持することこそが大事だといっているのだ。

 

 つまり、片側歩行を慣行とする人々を矯正するなぞ考えず、「あるがままの人間性は所与」とし、マナーとか啓発とかして良心に訴えることなど最初から問題にしない、諦めるのである。誰も啓発されて従うような甘ちゃんじゃないのだから。

 

じゃあどうするか。それはまさに簡単なことなのである。リクライニングシートと全く同じ解決策を取ればいいだけの話だ。つまり片側歩行をできないような構造とすればいいのだ。といってもエスカレーターを物理的に改造しようなんてことではない。

実質的に片側歩行をできないような状態に少し長い間置く努力をすればいいのだ。

そしてそれが慣行となる。そしてそれが新しい日本的な「紳士的な進歩国」として海外に訴えることが可能となるのである。

 

具体的にはどうすればいいのか。すでに五年ほど前にネット「知恵袋」に解決策が暗示されていた。

「私のアイデアは、いままで空ける側とされていた方に、体格のいい学生アルバイトを雇って立たせると言うものです。彼らには『エスカレーター指導員』と書いた、交通指導員みたいな派手な色の、ジャケットやブルゾンを着てもらいます。こうしたらまさか彼らを押しのけて、歩いて上り下りする人はいないでしょうから、いやでも減少していくでしょう。」

 

これが答えだ。

「体格のいい学生アルバイト」ではダメだ。警備員がいいと思う。彼らが右側に立つのである。そうすれば下から走って上がろうとする者も文句は言えない。そして上がり切ったら、下りエスカレーターの右側にまた乗るのである。これを繰り返すのだ。

そして、この右側立ち先頭指導を三か月程度繰り返す。そうすれば、これが慣行となって一般人も自然に右側に立つようになり、両側乗りになる。

そして急ぎで歩きたい派の思いはいつでもどこでも挫折する。

これが繰り返されればバカでない限り、右側立ちの人に「何してんのじゃ、ボケ!」なんぞの罵声を浴びせられることはなくなるだろう。

 

ここには一つの大事な条件がある。鉄道会社の本気のやる気だ。

やる気がなければ、キャンペーンと称して一か月程度で止めてしまうかもしれない。それでは絶対に成功しない。これは片側歩行したい人間との戦いと位置づけないといけない。どちらが忍耐できるかの戦いだ。慣行となれば、鉄道会社は手を引くことができる。

そして社会、マスコミの支援も必要だろう。

マナー問題として扱う限り、問題は解決しない。人間性を変えることなどできないんだという思想を持つべきことが解決につながるのである。

 (引用終わり)

 

右を空ける習慣は「何してんのじゃ、ボケ!」と言う乱暴者のために出来た習慣だった。

こんな馬鹿げた慣行が人を怪我させたり、死に至らしめたのである。

習慣に正義も普遍性もないのによくまあ何十年も続いたものだ。

この慣行が如何におかしいか皆で認識して、鉄道会社、警察、行政が一体になれば必ず解決する。

フジテレビのイットよ、毎日のようにエスカレーターを映し出してキャンペーンを張ってくれ!