最近のテレビはニュースも面白くないけど、まあ世の中でどんな事件が起きたのか少しは見ておかないと、と思ってみるが、どうでもいいことだけどニュースの中で使われた言葉に引っかかってしまう。

そこで今日はニュース等から拾ったぼやきを。

 

例えば、事故や事件などで「命に別状はない」という言い方

 

死んでいない、助かったと言いたいらしいが、受けるイメージは「死んでいないから、まあよかった」というものになっていやしないか。しかし、ちょっとした怪我や切り傷でも皮膚を切られて血が出ればかなり痛いし、重傷なんぞと表現されたら本人の怪我の度合いはかなり大変なものなはずだ。

それが「命に別状はない」と表現された途端、受け手(視聴者)は、ホッとしてしまうのである。なんだか、この言葉の多用が事件の重大さを削ぐような気がして気になる。たとえ死んでいないということを表現するのに間違いではないにしても、言葉に手垢がついて現実を表していないなあと思うのだが。

 

そんな怪我の度合いを表現するのに、先日のニュースでは、事故の際、〇〇さんは軽傷、△さんは中等症、と表現していた。怪我に「中等症」なんてあるのか。コロナ感染のとき「中等症」とはよく耳にしたが、怪我では使わないだろう。「症」は病気のときに使う言葉だろう。よくこんな言葉をニュースで使ったものだ。書や雑誌などの原稿をチェックする校正係というのがテレビ局にはないのだろうか。

 

しかし、軽傷でもない、重傷でもない中程度の怪我をどう表現するのかハタと困った。

ネットで怪我の分類を調べてみた。

「軽傷」全治30日未満の怪我

「重傷」命に別状のない全治30日以上の怪我

「重体」命に関わる怪我

「心肺停止」呼吸や心臓の鼓動が確認できず、かつ医者が死亡を確認していない状態

「死亡」人の死を医者が確認した状態

とあった。

「中傷」もないことはないが、「警察発表に中傷は定義されていないため、報道で中傷が使われることはありません」と書かれていた。中傷は怪我の程度より「根拠のない悪口を言い,他人の名誉を傷つけること」という意味になり、まずいから使えないんだな、きっと。

だから中程度の怪我を「中等症」なんか無理やり使って間違えたのか?しかし、それでも「中等症」はないよ。

しいて言うなら「中程度の負傷」かな?

 

次は、凶器の表現について。

鍵やドアをこじ開けられると必ず使われるのが「バールのようなもの」だ。「バール」とは言わない。特定できていないから「ようなもの」と言う。まあしょうがない。「ナイフのようなもの」もしようがないな。

 

    

バールのようなものではなく、これはバール!

しかし、先日の刺傷事件では「刃物のようなもの」と表現していた。語感として変ではないか。

刃物は包丁やナイフ等々の個別を指さずに集合名詞のようなものだから、どんなものでも「ようなもの」なんて使わずに「刃物」で刺されたとか切られたと特定して言えばいいのではないか。「刃物のようなもの」というのは、まだ凶器は「刃物」でないかもと警官は心配しているのだろうか。そんな厳密さはニュースに求めていないから「ようなもの」なんて逃げ道を作る必要なんてないのに。

「バールでこじ開けられた」とか「包丁で刺された」とスッキリ表現してくれ。

 

三つ目。強姦罪はなぜ無くなった?

 刑法177条の強姦罪が強制性交等罪になって、最近また罪名が変わって不同意性交等罪という罪名になった。その結果構成要件や刑も改正された。その中身については余り関心がないのでここでは何も言わない。

「命に別状はない」という表現が作るイメージが現実を弱いものにしてしまうのでは、と同じように罪名が包括的にしようと広げたおかげで、罪の重さのイメージが薄れてしまったのではないかと思うのだ。

強姦罪といえば暴力的に無理やり犯したというイメージが強いが、ニュースで不同意性交等罪で逮捕したと言っても単に同意しなかっただけなのか、なんて軽く見えてしまう。言葉の持つイメージの歴史を大切にして強姦罪という言葉をのこしてほしいものだ。

強姦罪の加害者は男性に限られるのは女性への差別的取り扱いという批判もあるが。

正確を期するなら、「男による(又は女による)強姦罪(不同意性交等罪)」としたらどうか。ツイッターが廃止されてもⅩとなってもわざわざⅩ(旧ツイッター)と表現しているように。

 

四つ目は、「ありがとうございました」と礼をいう司会者に対して応えるゲストの挨拶は?金子みすゞの「こだまでしょうか」じゃないんだから。

 

 情報番組では専門家といわれるゲストが何かを説明する。別に大したことは言っていないし、台本はテレビ局が用意したのだろうが、その点はこの際関係ない。ゲストや専門家が説明し終わると、司会が「ありがとうございました」と礼をいうのだが、それに対応するゲストの言葉がほぼ100%「ありがとうございました」とおうむ返しをするのだ。しかし、100%は異常だろう。全く何も考えていない又は日本語に日本人が感覚をなくした証拠じゃないのか。

 

これにはとても違和感を覚えるのだ。

ゲスト又は説明者がなんで「ありがとうございました」なんだ!おかしくないか?

流れからいったら、「わざわざ○○について説明していただきありがとうございました」という司会の言葉は自然だ。

しかし、説明者は日本人なら、ここで謙遜したりへりくだるのが礼儀というもんじゃないのか。

「拙い説明でわかりましたか」とか「長々と説明して申し訳ありません」とかの謙遜の気持ちをもって司会のお礼に応えるべきであり、その言葉は「失礼いたしました」となるのが普通じゃないのか。

それをゲストが「ありがとうございました」って、意味が分からん。

(私みたいな下司の者をわざわざ呼んでくれて或いはギャラを頂いて)「ありがとうございました」ということか。まあへりくだっているかもしれないが、「ありがとうございました」に対して「ありがとうございました」はやはりおかしい。こだまでしょうかって、金子みすゞの詩じゃないんだから。

 

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。

(「ありがとうございました」っていうと「ありがとうございました」っていう。)

そうして、あとでさみしくなって、

「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

こだまじゃなくて、「ありがとうございました」っていうと「失礼しました」って答えろよ。

 

番外編。テレビから離れて、エアコンのリモコンボタンへのいちゃもん。

やっと秋が見えてきたが、これは二酸化炭素の排出による地球温暖化ではない。確かに今は地球は温暖化しているが、豪雨や異常気象は、地球寒冷化のシグナルだ。豪雨や異常気象は海水が熱いからではなく、これまで以上に寒気団が頻繁に発生しているからだ。雨は寒気がないと降らない。熱いだけでは異常気象は起きないのだ。

 

ついいつもの地球温暖化二酸化炭素説に反駁してしまうのであるが、今年の夏も働いてくれたエアコン。家にあるこのエアコンボタンに「快適」というボタンが付いている。

一番上の緑のボタンが「快適」ボタン

この「快適」という言葉が気に入らないのだ。メーカーはどういうマーケティングや議論をしてこんな馬鹿げたボタンを設定したんだろう。

誰にでも通用する「快適」なんかあるのか!快適さなんて個々人で違うのが常識じゃないのか。

女房は暑がりで、少しでも室温を下げたい。私は寒がりで室温が下がり過ぎるのは困る。

こんな時「快適」ボタンはどんな判断をするのかふしぎだ。

だから一度も押したことがないのだが、もし「快適」温度にしたら、女房にも私にも中途半端な温度になって快適なんてほど遠くなるのじゃないのか。

無意味な「平均」概念じゃないのか。

まあ、使わなければいいだけの話なのだが、こんなボタンのためにメーカーの優秀な開発者が鳩首して議論したとなると滑稽なことだ。