中之島ブルースという三幕の芝居の幕が開く。絶海の孤島「中之島」をめぐる人間という個体又は種と他の動物の種の生存を考える物語である。原作は応用倫理学者加藤尚武氏。

 

中之島ブルース 第一幕

時…一九〇〇年(明治三三年)

所…絶海の孤島「中之島」(食べ物はナカノシマ・ペリカンとナカノシマ・バナナ)

出演…中之島一郎(日本の飛行機の発明者)

 

 

 雲一つない空を一直線に走る白い直線はみるみるうちに大きくなって、プロペラ機の姿が視界一面にまで広がる。一九〇三年ライト兄弟がノースカロライナ州の砂丘でわずか五九秒の滞空時間を記録するのに先駆けて、日本で行なわれた飛行実験である。機体の腹に付けた横断幕には、「世界最初の空中大実験飛行術」と書かれている。

 

 先駆者には悲劇が見舞うという法則のとおりに、歴史の限界を超えて飛びすぎた飛行機は絶海の孤島に不時着してしまった。

 そこは、誰もいない海、白く輝く砂浜、椰子の木の大きな葉がゆったりと揺れ続ける無人島である。 海中の飛行機に合掌して別れを告げると、運転者・発明者・制作者である中之島一郎氏は、海岸の柔らかい砂岩にナイフで「中之島」と刻みつけた。心のなかで彼は「我、領土を拡張せり」とつぶやいていた。そして、島の探索に向かった。 

 島で食べられるものは、バナナとペリカンである。中之島氏は、それぞれに「ナカノシマ・バナナ」「ナカノシマ・ペリカン」と名前を付けた。味わってみると、バナナはすこぶる不味い。まるで芋柄をうらなりの糸瓜(へちま)で味付けしたようなものである。これに対してペリカンは、すこぶる美味である。合鴨に野兎の背肉を合わせたような味わいで、ペリカンが魚を生食しているために、ビタミンCも豊かであり、栄養学的に見て完全食であることがわかった。

 中之島氏が、ノルウェーの捕鯨船に助けられて日本に帰還したときには、もちろん日本中が歓呼の声を上げて、大阪では提灯行列が行なわれた程である。もちろん何を食べて中之島氏が生き延びたかが話題になった。ナカノシマ・ペリカンが美味であるという話が全国に伝わると、何とかしてそれをわが国に移入して、欧米の食肉文化に負けないだけの特産品として育てたいという声が高まった。

一九一〇年に白瀬中尉が南極探検に行くときに「中之島」を訪ねるということになったのだが、残念ながらナカノシマ・ペリカンは発見されなかった。多分、絶滅したのであろうと伝えられた。しかし、中之島氏が、自己の生命の質(QOL)のために、種を絶滅に追いやったということは、人間として当然許されることをしたものとして、賞賛する者はあっても非難する者はいなかった。彼の冒険は、やがて唄となって日本国民の永遠の記憶に刻まれることになった。

 

空にさえずる鳥の声、峰より落つる滝の音

大波 小波どうどうと、響き絶えせぬ海の音

 

この唄「天然の美」(武鳥羽衣作、田中穂積曲)の流行が、一九〇八年(明治四一年)であるが、活動写真館でこのメロディーが演奏される度ごとに、人々は中之島一郎氏の壮挙を偲んだのであった。

 

中之島ブルース 第二幕 

時…一九五〇年(昭和二五年)

所…絶海の孤島「中之島」(食べ物はナカノシマ・ペリカンとナカノシマ・バナナ)

出演…ジロウ・ナカノシマ中尉(中之島一郎の孫)

 ジェーン台風(九月二日)が近づいているという悪天候に飛び立ったジロウ・ナカノシマ中尉が、祖父の発見した孤島「中之島」に不時着したということには何か宿命的なものがあった。朝鮮戦争が勃発(六月二五日)すると直ちに空軍に志願したナカノシマ氏には、祖国日本の上を踏んでみたいという動機があったに違いない。七月二日に金閣寺が炎上するという事件があり、その時にもナカノシマ氏は「僕が日本を見ない内に古い日本が燃えてなくなってしまう」と嘆いていた。

 彼は日系人であることを誇りにし、「戦果を挙げてパールハーバーの汚名をそそぎたい」とも語っていた。その彼がマッカーサー指揮下の国連軍の仁川上陸(九月十五日)を前にした秘密任務のためとはいえ、台風を押して飛行したのは無謀だった。

 パラシュートで脱出し、着陸した孤島の海岸の岩には、たしかに「中之島」と彫られた文字が読めた。「おお、祖父よ。あなたの霊が私を導いたのだ」と語って彼は岩に接吻をした。

彼は、その島にナカノシマ・バナナが存在すること、それがものすごく不味いことを知っていた。しかし、祖父の残した恵みである。彼は、感謝の気持ちを込めてバナナを食べて耐えた。

 

 ところが何とナカノシマ・ペリカンが生き残っていたのだ。「絶滅」という情報が流れたのは不十分な観察の結果であったのかもしれない。あるいはナカノシマ・ペリカンを絶滅から救いたいという気持ちから、「もう絶滅してしまった」という善意の嘘を誰かが流したのかもしれない。

しかし、ナカノシマ氏は、このペリカンは保存されるべきだと考えた。

「第一に、学名ナカノシマという文字のある種を絶滅させることは、家名を傷つけることになる。第二に、偉大な技術者であった祖父の思い出を大切にして、いずれはハワイに持ち帰って繁殖させて金儲けをしたい。 第三に、捕まえるのが面倒であり、鳥類の肉はきらいである」。

理由というものはすべて三つそろえば十分だと考えるのは文明人の特性である。ナカノシマ氏は、ペリカンを食べないことにした。

 

 ジロウ・ナカノシマ氏の生還は再び日本の世論に大歓迎された(アメリカの新聞では「馬鹿な日系軍人」という扱いを受けた)。古橋の水泳世界記録 (一九四九年)、湯川博士のノーベル賞授賞 (一九四九年)に続くような、日本人に自信を与える情報にジャーナリズムは飢えていた。武士道の精神をもった日系アメリカ人というだけで世論の歓迎を受ける素地があった。

 ペリカンを食べなかった義挙が日本人の賛嘆の対象になった。食料事情が良くなったとはいっても、八月十四日には文部省がパンによる完全給食(八〇〇カロリー)実施を発表している。なにしろ池田勇人大蔵大臣が「貧乏人は麦を食え」と発言(一九五〇年十二月)して物議をかもしたという時代である。飢えの恐怖から脱出した日本人が、栄養に目覚めた時、ビタミンブームが起こっている。栄養のよいペリカンを保存して、栄養の悪いバナナで我慢するなんで武士道精神はたいしたものだと賛嘆された。

 この時に歌われたのが「白い花の咲く頃」で、ナカノシマ氏が離島で故郷の日本女性のことを思い自分を慰めたという設定になっている。「白い花の咲く頃。故郷の遠い夢の日。サヨナラと言ったら黙ってうつむいてたお下げ髪」という歌詞である。ナカノシマ氏の青春時代の別れた恋人が「お下げ髪」をしているという想定が、いかにも日本的情景なのである。

 

中之島ブルース 第三幕

時…二〇〇〇年

所…絶海の孤島「中之島」(食べ物はナカノシマ・ペリカンのみ)

出演…中之島三郎(中之島一郎の子孫)

 中之島三郎氏が、なぜこの島を訪れたかについては、彼がこの島で死亡してしまったために詳細はわかっていない。リゾート開発を企画していたが、企画が他人に洩れるのを恐れて単身島を訪れたところが、ボートと無線の故障で帰国できなくなったというのが、捜査当局の推定である。彼は中之島について個人所有権が存在すると主張して日本政府にそれを承認してもらいたいという訴訟を起こしていたが、彼が本当に中之島一郎氏の子孫であるかどうかについでも、多くの疑問があり、週刊誌に格好の話題を提供していた。 

彼は、たとえ手持ちの食料がなくなってもペリカンとバナナがあるとたかをくくっていたようだ。ところがバナナは絶滅していた。地球が温暖化して海面の水位が高くなり、バナナの根が海水で洗われるようになったためである。

 中之島三郎氏はペリカンを捕まえようとした。ところがペリカンはとても賢くて絶対に捕まらない。ジロウ・ナカノシマ氏が自力で捕獲することを断念した訳がわかった。しかし、捕まえなくては生きて行けない。三郎氏は島中を歩き回った。するとペリカン捕獲装置を格納したボックスが見つかった。扉にはこう書いてある。

「捕獲装置を使用する人は暗証番号を入力してください」

もちろん彼はその暗証番号を知らない。しかし、さらによく見ると、「暗証番号がわからない人は、次の番号に電話して下さい」と書いてあるではないか。

電話をすると世界自然保護局の役人が出た。

役人「そちらの島に残留している人類の個体数はいくつですか」

三郎「一名です」 

役人「一名では、<なにびともナカノシマ・ペリカンを捕獲してはならない。ただし人類の存続が脅かされた場合はこの限りにあらず>という生物種保護法の規定に達しません。暗証番号はお教えできません

三郎「それじゃ私は死んでしまう。君は私を殺すつもりか」

役人「絶滅のおそれのある種に指定されてない動植物を食べて生きる可能性を私は否定しておりません」ガチャン

 

 中之島三郎氏の救援隊が島に到達したとき、氏はすでに亡くなっていた。遺族は世界自然保護局を業務上過失致死等で訴えた。遺族には、法文上の根拠はともあれ、人が死ぬとわかっているのに「絶滅種の保護」を楯にとって暗証番号を教えないというのは本末転倒だという感情がある。日本政府は一九七〇年三月に「一人の命は地球より重い」と言明(トラ注 福田赳夫総理)して、超法規的な措置でハイジャックに遭った国民を救ったことがある。個人の生命を救うために法律を曲げたのである。

 法廷での論争は延々と続いた。判決はしかし遺族に不利だった。判決文にはこう書かれていた。

「情において忍びないこととはいえ、他の生物種の生存権に対して人間個体の生存権を優先させるならば、それは人間のゆゆしき越権というべきであって、種の生存権の平等を認めざるときには、特定種の保護のために他の種の絶滅をはかることも正当と見なされることになり、人類の悲願である自然保護の達成ははかりがたいものとなる以上、特定個人の生命を犠牲にすることもやむをえないものとしなければならない

(トラ注 世界経済フォーラム会長クラウス・シュワブらが言いそうな物言い。欧米のエリートなら皆賛成するに違いない)

 

世論の多くもそれをやむをえないものと見なしたが、中之島氏の遺族への同情を示す者も多かった。そして中之島氏の悲劇を歌った「中之島ブルース」という歌が生まれた。これは一九××年に流行した歌の替え歌であるが、古い歌を知らない人々は悲しさを表現するこれほどに切ないメロディーがあることを知らなかった。

 

みどりゆたかな なかのしま 

おもいであつき なみだごえ 

よべどかえさぬ なみのおと 

いきてゆきたや ながれぐも 

おお、ここは南海、中之島ブルースよ

(幕)

 

さて、世界自然保護局の役人の次の言葉が肝だ。私は昔この話を読んで、いつかフィクションではなく、現実にそうなるかもと戦慄を覚えた記憶がある。

一名では、<なにびともナカノシマ・ペリカンを捕獲してはならない。ただし人類の存続が脅かされた場合はこの限りにあらず>という生物種保護法の規定に達しません。暗証番号はお教えできません

 

人間の命、個体の命はとても軽くなった。コロナ・ワクチン接種による死亡なんて気にしない大臣と厚労省がそれを証明している。46年前の福田赳夫元首相の「人間の命は地球より重い」はなんだか当時は実感がなく、当たり前だけど大げさに言い過ぎじゃないか、という受け止め方をしていたが、今や「人間の命は地球なんて比べ物にならないほど軽い」ということが世界的に認知されてしまった。

ワクチンも脱炭素もウクライナ戦争も動物愛護法も、みんな人間の命の軽さを肯定する思想に席巻されてしまったようだ。

 

この話の原作者加藤尚武氏による解説は次回。