企業が色々と施策を打ち出すのはいいが、JR東海はちゃんと検討しているのかな?

 

「JR東海によりますと、12月28日から2024年1月4日までの8日間、東海道新幹線「のぞみ」について、自由席をとりやめ全席指定席で運行すると発表しました。

年末年始などの繁忙期は時間帯によっては早くから指定席が満席になったり、始発駅以外から乗る利用客の中には席に座れない場合もあり、過去には自由席への乗り降りに時間がかかったことで列車に遅れが出たこともあるということで、年末年始のほかゴールデンウィークとお盆も「のぞみ」については全席指定席となります。」

 

 

毎年の新幹線自由席ホームに行列を作るのは、年末の恒例の風景だが、これで今年からなくなりそうだ。テレビ局も暇になりそうだ。

いつも思うのはなんで早めに指定席を取らないんだろうということ。昔は私も自由席をよく使ったが、それは貧乏で指定席料金500円(今は530円らしい)をケチるためだった。今の人は最後の最後まで予定が決まらなかったから指定席を買えずに自由席に乗るしかなかったんじゃないか。

この自由席廃止により、急に新幹線に乗らなければいけなくなった(でも指定席は満席)ときはもう諦めるしかなくなった。

 

しかしそんなことはない。

私はこのニュースを見て、「ああ、喜んでいる奴らがいるだろうな」とすぐに思った。

転売ヤーのことだ。

恐らく、年末年始の新幹線指定席は発売と同時にバイトを大量に使ってネットから指定席を買うだろう。そして、指定席を買えない人にネットで高い値段で売り出すのだ。

こりゃ儲かるに違いない。転売ヤーというのは世の中の動きにすばしこいからもう儲ける算段をしているに違いない。

 

最近は、やりすぎ転売ヤーに非難が寄せられているから、チケットや希少商品を販売する側も対策を考えているようだが、今のところは転売ヤーのほうが一枚も二枚も上手のようだ。

 

さて、転売ヤーを非難すると必ず擁護する奴が出てくる。仕入れて利益を上乗せして売るのは商売の常道ではないか、なにが問題なのか、資本主義を否定するのか、と。

しかし、ダフ屋というのが昔はいた。

例えば野球場の近くで「券あるよ、券あるよ」と通る野球ファンに声をかけていた。その少し前の通りでは売るためのチケットを得るために、「券ないか、券ないか」と声をかけていた。

券がなくて、でも野球の試合を見たいファンはこのダフ屋を利用していた。

しかし、このダフ屋、やり過ぎると警察に捕まった。今はこんな光景はないだろう。みんなネットだろうな。

 

でもこのダフ屋は何故捕まるのか。

ダフ屋行為を取り締まるものとしては、迷惑防止条例や古物営業法などが挙げられるというが、昔は物価統制令違反(不当高価契約の禁止、暴利の禁止)になるから取り締まられていたようだ。今でも物価統制令って生きているんだろうか。

古いネット記事には、2018年6月よりダフ屋行為禁止法案が議論されて2020年にはネット上のダフ屋行為も取り締まり対象に含まれる法案が成立するだろうと書かれていたがどうなっているんだろうか。

続けてネットをみていたら、チケットの転売を規制する法律が2018年12月に成立し、公布から半年を経て2019年6月14日に施行されるとあった。もう法制化されたんだ。

 

(ネット解説)

規制の対象となるチケットは「興行」、すなわち不特定・多数の者が見たり聴いたりする映画、演劇、演芸、音楽、舞踏などの芸術・芸能やスポーツに限定されている。

 しかし、興行チケットに当たらないもの、すなわち人気列車の乗車券や指定券、人気アトラクションやパビリオンの整理券、限定販売のゲーム機やフィギュア、グッズ、本、DVDなどは規制の対象外だ。

 売れ残ったチケットが街なかの金券ショップで安売りされているように、物の価格は需要と供給の関係で決まるものであり、本来は誰とどのような売買契約を締結しても自由であるはずだからだ。

しかも、次の条件を全てみたすチケットに限られる。

(1) 興行主やその委託を受けた販売業者が、販売時に(i)同意のない有償譲渡を禁止し、(ii)入場資格者又は購入者の氏名・連絡先を確認した上で、(i)(ii)が券面などに表示されているもの

(2) 興行の日時・場所のほか、入場資格者又は座席が指定されているもの

これらの行為に及んだ場合、1年以下の懲役か100万円以下の罰金となる。両者を併せて科されることもある。国内だけでなく、日本国民が国外でこれらの行為に及んでも処罰される。事務手数料や譲渡代など上乗せ分の名目が何であれ、興行主側が設定した販売価格を1円でも超過していればアウトだ。「有償」とは対価性を伴うということなので、現金に限らず、転売金額に相当するプリペイドカードやギフト券、物品などとの交換も許されない。(後略)」

 

新幹線指定席券の買い占め・販売の転売は「興行」に当たらないから、規制の対象にならないから必ず転売ヤーがやって来ること間違いなしだ。

それで混乱してもクレームの行先はJR東海だから転売ヤーは安心だ。

 

ところで、転売ヤーは悪くない。資本主義的経済行為をしているだけと擁護するのは、経済学者か経済学に一家言ある奴らに多いらしい。

 

 

因みに歴史的な転売ヤーといえば、日本では明暦の振袖火事の際、木曾の木材を買い占めて巨利を博した河村瑞賢や悪知恵を働かせた奈良屋茂左衛門であろう。

 

しかし、やはり転売は悪なんだと書くブログがあった。

ブログ「経済学を疑え!」

そこには次のように書かれていた。

 

なぜ転売が悪なのか

はじめに

3週間ほど前のことになるが、また経済学者が転売行為を擁護して軽く炎上したようだ。

ツイート

「転売そのものの否定って、ほとんど資本主義の否定なのと(流動性が高い=転売しやすい)、最初のプライシングが失敗していて過度に安いから転売される。転売ヤーは「高値を払ってでも欲しい人が入手できるようにする」高付加価値なサービスを提供。」

 

経済学者に限った話ではないが、「転売行為は迷惑」という当たり前のことを理解しない人がいるのはなぜだろう。彼らには根本的に何か変な思い込みがあるような気がする。

思うに「価格は需要と供給で決まるのが最善だ」と彼らが考えている点に問題があるのではないだろうか。

この点は一旦脇に置くことにするが、今回の記事では「転売ビジネスがなぜ悪なのか」を経済学者でも理解できるように説明する。

外部不経済(=負の外部性)

経済学者に説明するには、彼らが使う用語を使って説明するのが一番だ。

シンプルにこう言えばいい。

「転売ビジネスは外部不経済をもたらす」

これだけで、こちらの主張したいことは伝わるはずだ。(もちろん、すぐに納得はしてくれないだろうが)外部不経済というのは、要するに取引の当事者以外の外部に迷惑がかかるということ。公害が良い例だ。先ほどの主張は「転売ビジネスをすると迷惑する人がいる」と言い換えられる。

経済学者はこう質問するだろう。

「転売ビジネスのどこにそんな外部性があるというのか?」

これは「転売ビジネスで誰が迷惑するというのか?」という意味になる。

賢明な読者は既にお分かりだろう。

もちろん、迷惑するのは“転売ヤーが居なければ商品を買えたはずの消費者”だ。

この記事で問題とする転売行為

私は“転売は悪だ”と書いたが、もちろん全ての転売ビジネスが悪だと主張しているわけではない。

ここで問題にしている転売ビジネスと、そうでないものとを区別しておこう。

問題にしているのは例えば、チケット、同人誌、PS5、マスクなどの転売だ。

要するに、転売屋が居なくても消費者が商品を手に入れられる状況が出来上がっているにもかかわらず、売り手と買い手の間に割り込んで利益を抜こうとする行為を問題にしている。

これに対し、古本屋で見つけた古本などの商品を仕入れてネットで売る行為、いわゆる“せどり”は問題にしていない。せどりの場合はその転売屋がネット上のマーケットにその商品を載せない限り、他の地域の人には買うチャンスが無いため、転売屋の行為には意味があるからだ。また、通常の商店や問屋なども問題にしない。その商店や問屋があることで流通が完成するからだ。

(後略)

 

もう一つ同じブログで。

チケットの転売行為が「泥棒」である理由」

はじめに

「チケット転売は世の中の役に立っていない」「チケットの転売屋は何も生産していない」というのがこの記事の結論です。(もちろんチケット転売が泥棒である理由も説明します)

普通の感覚を持った人は「そんなの当たり前だ」と言うと思いますが、「チケット転売は世の中の役に立っている」と主張する人もいるため、この当たり前のことをイチから説明しなければなりません。

誰がそんなことを言うのかと言えば、市場原理主義を信じる人、特に経済学者です。

ネットで検索すればこんな記事が見つかります。

gendai.ismedia.jp

toyokeizai.net

これらの記事を引用したりしなかったりしながら、チケット転売が世の中の役に立つかどうか検討しましょう。なお、本記事ではチケット転売行為の法律・ルールに照らした妥当性や、倫理的な善悪の話をするつもりはありません。単純に世の中の役に立つかどうかが論点です。

 

値付けに失敗しているわけではない

高橋洋一氏はこう言います。

そもそも転売が起きるのは、定価が市場価値を表していないからだ。コンサート主催者側の事情によって定価が決められているが、コンサートの市場価値はお客であるファンの主観的な評価で決まってくる。主催者がその市場を読み違えたことが問題である。

興行の主催者がチケットの市場価値を読み違えたから、変に安い価格でチケットを売っているのでしょうか?

そうではありません。もっと高い価格でも売れることは、主催者側は百も承知です。

主催者がチケットをその価格にしたのは、アホだから値付けに失敗したのではなく、なんらかの意図があってそうしているのです。

どんな意図なのかを詳しく論じることはしませんが、ポイントを一つ挙げれば「アーティストとファンの関係は一度限りで終わるものではない」ということです。

例えばある女性が交際を検討している男性からデートの誘いを受けた時、「交通費プラス一万円出すなら受ける。出せないなら別の人を探せば?」などと価格交渉しませんよね。

これが一夜限りの関係なら「ホテル代別で三万円。出せないなら別の人を探せば?」などと交渉して、妥当な価格を探ることができるでしょう。

アーティストとファンの関係は一夜限りではありませんから、今後の関係も考慮に入れた上で価格を決めているのです。主催者側の意図を全く考えずに「市場で価格を決めれば全て解決」と主張する経済学者はアホと言っていいでしょう。

 

二種類の「本当に欲しい人」

チケット転売問題で面白いのは、転売に反対する人も容認する人も同じ「本当に欲しい人」という言葉を使って自説を正当化することです。

転売反対派は、「チケットが高額で転売されてしまうことで本当に欲しい人が手に入れられなくなる」と言います。

一方で容認派は、「高額でも買いたい本当に欲しい人が手に入れられるのだから良いことだ」と言います。

反対派と容認派で「本当に欲しい人」の意味が違っているのですね。

これはどういうことなのか?

チケットを買うのは実際に興行を見たい人と転売屋です。

実際に見たくてチケットを買う人のことを実需者と呼ぶことにしましょう。実需者は全員が「本当に欲しい人」です。

「本当は大して見たくないんだけどねー」と言いながらチケットを買う実需者は居ません。

転売反対派の言う「本当に欲しい人」は実需者全員のことであり、特にチケットにさく予算の少ない人に焦点を当てています。供給されるチケットの一部を転売屋が確保することで、チケットを定価で買いたい実需者の手に入る確率が下がってしまうことを反対派は問題視しているわけです。

一方、容認派の言う「本当に欲しい人」はチケットにさく予算の多い実需者のことです。予算のより多い実需者ほど確実にチケットを手に入れられることを、容認派は「正しいこと」と見ています。

 

チケット転売によって生産物は増えない

チケットが高額で転売された時、生産物が増えたと考えるべきなのでしょうか?

経済学的には増えたことになります。

たとえば、60円で仕入れた林檎を100円で売れば40円分の付加価値が生産されたことになります。

以前のブログ記事でも書いたように、10万円で仕入れた英会話教材を40万円で売れば30万円分だけGDPが増大します。しかし実際には、この転売行為によって新たな価値は生じてませんよね。

4倍の値段で買っても教材それ自体に何の変化も生じません。

4倍速く学べるようにもならないし、4倍分かりやすくもならないし、学んだ時に4倍の幸せを感じるわけでもありません。単純な転売によって価値は増えないのです。

チケットの場合も同じことが言えます。

客席数100での公演を1回だけやるとして、チケットが定価2000円で先着100人の実需者に売られた場合と、転売屋がチケット100枚を確保して予算の多い実需者100人が6000円で買った場合とを比較してみましょう。

主催者側が提供するものは、100席の公演1回であることに変わりはありません。

チケットの末端価格が3倍になったことでアーティストが3倍のパフォーマンスを発揮することもありません。

では、公演を見る側が得る効用(幸せ)はどうでしょうか。

3倍の価格でチケットを買った観客は3倍の幸福や快感を感じるのでしょうか。

これも違います。

観客が得る効用はチケットを買った価格とは無関係であり、個々の実需者で大差はありません。

3倍の価格でチケットを買う人は、定価でしか買えない人の3倍幸せになれるから3倍払ったわけではないのです。定価でしか買えない人の方が得る効用が大きいケースだってあるでしょう。

チケットの末端価格が定価の何倍になろうが、観客が得る効用の総量は大して変わりません。

 

並ばずにチケットが買えるのは便利だが……

しかし転売容認派はこう言うでしょう。

「転売屋からチケットを買った人は列に並ぶなどの労力を払うことなくチケットを手に入れたのだから、楽にチケットを入手できるという便利なサービスが提供されたのだ」と。

たしかに、そう言われればそんなような気もします。しかし転売屋が何かを生産したとも思えません。

よく考えてみましょう。

転売屋は実需者でないのにチケットを確保しています。自分が需要しているのではないのに商品を確保することを「無需確保」と呼ぶことにしましょう。

無需確保は正当な行為でしょうか?

「正当な行為だ。無需確保が不当なのだとしたら、全ての商売が不当だということになってしまう」

はい、その通り。無需確保は別に不当な行為とは言えません。

しかし転売屋は、チケットを買おうとする実需者がたくさん列に並ぼうとしているのを知った上で、先回りして列に並んでチケットを確保しています。

このような行為を「割り込み無需確保」と呼ぶことにしましょう。

たとえば、コミケ会場に深夜や早朝から並んで人気の同人誌を転売目的で買う行為が割り込み無需確保です。また、マスクを欲しがる人がたくさんいることを知った上で大量のマスクを仕入れて在庫にする行為も割り込み無需確保と言えます。

これは正当な行為でしょうか?

 

割り込み無需確保を考える

たとえ話で考えてみましょう。

ある牛丼屋が一日20食限定で、牛丼を100円で売るセールをやったとします。券売機の前に朝から20人ほどの人が並んでいます。

しかし一番前に並んでいたのが転売屋で、100円牛丼の食券を20枚全て買い占めてしまいました。

そして後ろを向いてこう言います。

「この食券、一枚200円で買いませんか?」

この行為は世の中の役に立っているのでしょうか。

後から来た人が200円で食券を買ったとして、「並ばずに食券を買うことが出来て助かったよ。君はたしかにプラス100円分のサービスを僕に提供してくれたね。ありがとう」と感謝すべきなのでしょうか?もし私がこの列に並んでいたら、この転売屋をぶん殴りたくなりますけどね。

 

臓器移植で考える

次に、臓器移植の順番待ちリストで割り込み無需確保を考えてみましょう。

たとえば心臓の移植が必要でドナーからの提供を待っている患者のリストがあり、A氏~J氏の10人が待っているとします。

次にドナーが現れた時に移植を受ける権利があるのはA氏ですが、実はこのA氏が転売屋で、健康なのに前もってリストに名前を書いていたのでした。

この行為は割り込み無需確保に当たります。

A氏は後からやってきた大金持ちのZ氏という患者に、次に移植を受けられる権利を1億円で転売しました。Z氏は「君のおかげで順番を待たずに移植が受けられるよ。ありがとう」とA氏に感謝します。A氏は1億円分の価値のあるサービスを作って提供したと言えるのでしょうか?

全くそんなことはありません。A氏が何も生産していないことは明らかです。

A氏の割り込み無需確保と転売行為が無ければ、次に移植を受けられるのはB氏でした。

仮に、B氏は次の移植を受ければ命が助かるのに、この順番飛ばしによって死んでしまうとしましょう。そうすると、Z氏はB氏を死なせる代わりに自分が早急な移植を受けられることになります。

つまりこの一連の行為によって何かが生産されたわけではなく、B氏に迷惑をかけて(死なせて)、その代わりにZ氏が効用を得ているのです。

Z氏が1億円を余分に支払うなら、このお金は迷惑料としてB氏に支払われるべきです。

この1億円をA氏が受け取るのはおかしな話ですよね。B氏が受け取るべきお金をA氏が盗んでいるのと同じことです。

 

失権と奪権

100円牛丼の例に戻りましょう。

転売屋が20枚の食券を買い占めた時点で、後ろの19人は100円で牛丼を食べる権利を失います。

このように権利を失うことを失権と呼ぶことにしましょう。

一方、後から来て200円を払って食券を買った人は、100円で牛丼を食べる権利を+100円で買ったのだと言えます。

100円余分に支払うことで(結果として)列に並んでいた誰かを失権させ、その権利を奪ったことになります。このように権利を奪うことを奪権と呼ぶことにしましょう。

奪権した人が余分に支払うお金は、本来迷惑料として失権した人に支払われるべきものです。

転売屋がこのお金を取るのは泥棒(か詐欺)と同じことです。

 

チケット転売も泥棒

100席の公演チケットの例に戻りましょう。

転売屋がチケット100枚を割り込み無需確保すると、この転売屋が居なければ先着100名に入れたはずの実需者が失権します。

予算に余裕がある人が2000円+4000円を払って奪権した場合、追加の4000円は迷惑料として失権した実需者に支払われるべきです。この4000円を転売屋が取るのは泥棒です。

 

結論

チケットの転売屋は何も生産していませんし、世の中の役に立っていません。

割り込み無需確保という行為によって実需者を失権させ、失権した実需者が受け取るべき迷惑料を詐取する泥棒ないし詐欺師だと言えます。

(引用終わり)

 

牛丼の食券買い占めの例が一番分かりやすかったですね。

JR東海もバカなことを考えたものです。きっとすぐに炎上すること間違いなしですよ。

 

転売ヤーとは人の弱み、システムの不十分さに付け込んで利益を得ようとする人間として卑しい行為であり、経済行為としては最低の行為です。

こういう悪い奴らをはびこらせないためには、もちろん法律で規制して捕まえるのもいいでしょうが、一番なのは転売ヤーに損をさせることです。つまり売れ残りを大量に発生させて立ち直れないような損害を与えることです。そのためには、自分は金を持っているから他人を出し抜いて転売ヤーのチケットを買おう、とすることを絶対にやめることです。

といっても、世の中自己中は多いので、転売ヤーを利用する者も必ず出てきますよね。こういう奴も転売ヤーの共犯、悪い奴らといえるでしょう。

やはり法律で規制するしかないかもしれないね。そのときは刑をとてつもなく重くしてほしい。懲役10年、罰金1千万円とかね。