MMTに関する入門書の類はかなりたくさん読んだ。中野剛志氏のMMT本は全部読んだし、その他のMMT本も何冊も読んだ。ネットのコラムやYouTubeも積極的に読んだり見たりしている。

昔よりは少し理解が深まり、概要は分かった気になっているものの、少し深くなっていくと疑問ばかり湧いてくる。わかっていないなあと思うときはこういう時だ。頭が悪いことを実感する。

 

    

 

理解度テスト(又は他流試合)のつもりで反MMTのコラムを読んでみる。これは経済学者よりも素人筋のコラムの方が為になる。MMT理解の上でどこに躓いているがわかるからだ。そういう反MMT論議にきちんと対応できれば理解度は進んだと判断できる。

しかし、これが一筋縄ではいかないのである。経済学者でない素人筋は変なところから球を投げてくるから結構戸惑う。

要は上っ面しか理解していないので、架空の反論(つまり頭のなかで)を試みるとうまく説明できないのだ。つまり自分のなかで納得していないのである。

 

最近みた反MMTブログから。

一つはブログ「Social Chemistry」

「三橋貴明や藤井聡が推奨するMMTについて:日本の病気はマクロ経済政策では解決しない」

2019年8月2日(金)

「ここ数年間、内閣参与の浜田宏一氏の指導で、通貨発行量(マネタリーベース)の増加でデフレを克服しようと試みたが、その考え方はうまく行かなかった。この状況の下、内閣参与の藤井聡氏や三橋貴明氏は、現在米国で力を増しているMMTの考え方を採用して、もっと財政支出を行うことで、民間企業や個人などの金融資産(マネーストック)を増加させる政策をとるべきだと主張している。しかし、それでは同じような結果、或いはもっと悪い結果になるのではないだろうか。そう思ったのが今回の記事を書いた動機である。

私は、素人ながら差し出がましいことを言うことになるのだが、さしあたり消費増税を中止すること、更に、国防環境の悪化を考慮してその部分の予算を増加して、需要増加政策を2−3年行うことには賛成である。しかし、それ以降の国土強靭化などの土木事業に大金を投資するのには反対である。何故なら、MMTそのものは日本では成立しない制度であり、MMT的政策もあまり適さないだと思うからである。
 端的に言って、MMTが可能なのは、世界の決済通貨米ドルを発行する米国だけだと思う。MMT的政策を実行するだけの場合でも、自国通貨で国債を発行している国であると同時に、産業に国際競争力がある場合だと思う。何故なら、MMTを採用すれば、財政規律を失ってしまう可能性があること、更に、MMT理論が外国為替、輸出入の影響などを十分考慮しているかどうか怪しいと思うからである。

2)このMMTを考える上で参考になるのは、上記藤井氏らが米国から招いたニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授の記者会見である。

MMTは、貨幣の発行は政府が必要に応じてお金を使うことによりなされるという体制であるので、通貨発行量を決定するのは、政府の財政支出である。そして、財政支出の歯止めの指標は、物価上昇率である。ただ、実質賃金換算の物価上昇率がどの程度なら、財政支出を増加させられるかについて、上記二つの解説を見る限り明確ではない。供給能力が需要を超えない限りと言う類の話はあるだろうが。
現在、各国の中央銀行が紙幣を発行しており、財政政策は国家により、金融政策は中央銀行によりなされる。財政支出は税収と国債に頼って行われ、政府は政府の貸借対照表(BS)を意識して、財政規律を守る。従って、政府機能の効率化は、政府自身が財政状況を判断して行われる。既に記したようにMMTではその動機が、失われる可能性が高いと思う。
 

MMT的政策を勧める人たちの考えは以下のようである。:
需要が供給力に比べてかなり低くなっている日本のような状況で、需要増を物価上昇が起こるまで、政府の財政が牽引し進めることになる。需要の増加は、企業に供給能力増のための求人や設備投資を増加させ、経済成長を推進する。少なくとも、潜在失業などもない完全雇用の状況までは、財政増加はなされるべきであると考える。財政の大きさの限度の指標を与えるのはインフレ率である。従って、日本では例えばインフレ率が2%程度になるまで財政政策を行うべきである。

しかし現在の日本では、インフレと財政の関係は講演者の説明ほど単純ではないと思う。それに上記記者会見の最後の方で質問があったように、インフレが突如起こる可能性が排除できない。ミンスキーモーメント(ミンスキーの瞬間)と言うらしい。物価も資産価格も群衆心理に左右され、危険だと気付いた時は手遅れのバブル崩壊ということになる危険性である。つまり、財政とインフレの関係が、線形関数や二次関数のような簡単な関数ではないのが、重要な問題点である。
 日本における需要が供給能力を下回る状況は、将来不安が原因であり、日本人が金を使わないから不況なのではなく、経済が不健全であるから病気に備えようという心理の結果だろう。つまり、消費者は日本企業の国際競争力の一層の低下を感じているのではないのか。インフレ率が高くないのは、グローバリズムの結果であり、MMT的政策による需要の上昇が、供給側への圧力と物価への圧力となって経済発展をもたらすという図式は、一時的に働くが永続的ではないと思う。

3)もし、MMT的政策を日本が進めれば、会社の黒字幅が増加するだろう。しかし、それが賃金や設備投資に回ることはないだろう。何故なら、企業の利益剰余金は大きくなっているものの、かれらは労働生産性の向上、新規産業の立ち上げ、競争力向上のための設備投資などにそれを使わない。日本企業の利益剰余金は既に過去最大である。

その結果、日本のマネーストックの対GDP比は非常に大きく、M2で見た場合米国の約3倍、EU圏の約2倍である。日本人はマクロに見た場合、実質的所得が増加していることの証明である。これで更にマネーストックを増加させるのは、この部分の解決にはならず、副作用に苦しむことになる危険性大であると思う。また、一般民の一時的な所得増があったとしても、マネーストックの上昇はもたらすが、消費に回らないと思う。せいぜい、株などの金融資産などへの投資に回る可能性が大きいと思う。それはバブルに繋がるだろう。

現在までに、日本銀行は国債をどんどん買って、お金をばらまいている。既に、日本の国債の6割ほどは日銀が買っている。それはこれまでの20年間実質的にMMT的政策をやってきたということだと思う。更に、日銀はREITやETFなどを既に相当買っている。それらは日本の資産の増加、更にそこからマネーストックの増加に寄与しているだろう。
 上記三橋氏が国会議員の中で行なった上記講演で、財政支出で貧困層に何らかの政策を施すという主張は、通常の政治であり、MMTとは無関係である。かれらがMMTを主張するのは、別の企みがある。藤井氏の土木へのテコ入れである。偏った部分へのテコ入れは、経済を歪にするだけだと思う。
(中略)
 日本経済の低迷は政府支出の低迷ではなく、日本企業の開発能力、新規産業の創出レベルの低さ、などに原因の第一がある。政府は行政を効率化する義務を放棄すれば、(何度も言うが)放漫財政に陥る。現在の通貨制度はその放漫財政防止を重視するようにできている。
現在の日本経済低迷問題の解決の要点は、MMTという通貨の革命にではなく、日本文化(価値の文化、労働の文化、人事の文化など)の革命にあると私は思う。
日本の人事では、優秀な者を高いポストに着ける事になっていない。何故、ダイソンの扇風機や掃除機が日本で開発できなかったのか?東芝はその扇風機の開発した人間のアイデアを何故取り上げる事ができなかったのか? 何故、新規産業が日本で発生し難いのか、何故、例えばスマホ決済などの導入で労働生産性の向上ができないのか?日本経済の治療には、別角度の視点や経済ではミクロの視点が大事であり、マクロには既に精一杯の努力をしてきたと思う。
 司馬遼太郎が生前指摘したように、現場には相当優秀な人材がいても、中枢には馬鹿なトップが多い。政治家も同様である。その文化に由来する組織の弱点を如何に解決するかが問題である。財政や金融といったマクロ経済的施策だけを議論していては、日本の弱点は克服されないだろう。

以上、素人の考えですので、経済に知識のある方のコメントを期待します。

(引用終わり)

 

論点がかなり多岐に亘っているのでいちいちコメントすることは難しい。コメントするだけの力量がないのを感ずる。おそらく三橋貴明氏や中野剛志氏ならこの「Social Chemistry」氏の認識の誤りを完全論破できると思われる。私にもおぼろげながらだが、このブログ主の見方が多くの点で誤っていることがわかる。

MMTが可能なのは、世界の決済通貨米ドルを発行する米国だけだ」とか「MMTを採用すれば、財政規律を失ってしまう可能性がある」なんていう言い方がおかしいことはすぐにわかる。

 

MMTは貨幣とは何かとか国債の役割や赤字支出や負債残高の意味転換を迫るものでありデフレ不況の原因などを説得的に説明するものだからだ。「MMTが可能」なんていう言葉自体がナンセンスなのである。MMTは可能とか不可能とか関係なく、財政と経済の仕組みを説明する理論であるに過ぎない。同様に「MMTを採用すれば、財政規律を失ってしまう」といういい方もおかしいのであり、採用するも何もMMTの見方は単に自然(財務とか政府の役割とか)の現象を説明しているだけだからだ。

 

ここではあまりMMT理論への直接的な批判がなされているわけではないが、政府の財政支出が過大になされることへの懸念があり、それは例えばダグラス・マクレガー氏がタッカー・カールソンのインタビューでも米国の政府債務残高が巨額になり過ぎて破綻すると訴えていたのと同じものだ。しかも、バイデン政府はウクライナには何千億ドルも大盤振る舞いするのにハワイの山火事被災者にはわずか700ドルの一時金しか出さないと指摘する。

それは政府の財政支出が際限なくできるということとどこに支出をするかは別のことなのだが、MMT的考えからすると財政支出に歯止めが利かなくなり、軍事費や無駄な支出がなされてしまうという懸念につながる。しかし、それはMMTとは関係ないことだ。ネオコンはウクライナに過大な支援をまずすると政策決定したから莫大な支援をしているのであり、財政支出に歯止めがあったとしてもネオコンつまり為政者はそんな財政制約などお構いなしに支出するのである。

 

この「Social Chemistry」氏は「日本における需要が供給能力を下回る状況は、将来不安が原因であり、日本人が金を使わないから不況なのではなく、経済が不健全であるから病気に備えようという心理の結果だろう」と書くが、マクロとミクロの区別ができておらず、「日本における需要が供給能力を下回る状況」つまりデフレというマクロ現象をミクロ問題(将来不安とか日本企業の開発能力、新規産業の創出レベルの低さとか日本的人事等々)に矮小化してしまう。

要はマクロの歯止めのきかないと勝手に思っている財政支出に恐怖心を感じて、マクロ視点を避けようとしていることがうかがわれる。

だから

その文化に由来する組織の弱点を如何に解決するかが問題である。財政や金融といったマクロ経済的施策だけを議論していては、日本の弱点は克服されないだろう。」

なんて日暮れて道遠し、のようなのんびりとした解決策しか提示できなくなってしまったのである。出口治明みたいな。

 

なんだか書いていて最初のMMT理解度テストに当てはまらないようなブログを選んでしまったようなので、私のMMTへの理解不足、もどかしさを表現できなかったが、私がいいたかったのは、素人でも専門家でもMMT批判というのはいろいろな、思ってもみない観点から発せられるので、本当にMMTを理解していないとこういう反MMTにうまく反論できないということである。

それは勿論こちら側の勉強不足もあるが、MMT推進者、学者、評論家(三橋貴明、中野剛志、森永康平等々)もいつまでも入門書ばかり出版するのでなく、もう少し理解度を深めた書物、かゆいところに手が届く書物がほしいなあ、と切に要望するのである。でないといつまでも納得感、腑に落ちた感が得られないから。

 

MMT勉強、頑張るぞー!

 

 

(訳の分からん記事になってしまった)