今回の「なるほどメモ」はいつものより大分長い。

積ん読本解消のために、32年も前の本である松岡正剛著「空海の夢」(春秋社)を引っ張り出して読み始めたのだが、前に挫折したようにやはり空海の思想、密教の成り立ちなどについては全く歯が立たなかった。若き松岡正剛の著作なのだが、そもそも空海を説明する気がないようで勝手に書いていくだけで付いていけない。松岡の天才性は分かったけどもう少し読者にサービスしてもよいのではと思って途中で読むのを止めた。

 

 

       松岡正剛氏

  

 

 

そんな難解な本ではあるが、最初の方(「4意識の進化」)の、動物からヒトが立ち上がりやがて仏教を生み出すプロセスについては、なかなか面白かったので、ここに「なるほどメモ」としてまさにメモしておくことにした。この解説は知的刺激に富んでいてなるほどねと分かるものになっている。

この本は後日図書館のリサイクル棚に置くつもり。

 

(注)松岡正剛氏は編集工学研究所所長で「松岡正剛千夜千冊」、「知の編集工学」その他多数の著作があり、今でも書評サイト「千夜千冊」を続けている。

 

「…生命が意識をもったということは、ほぼ同時に言語あるいは記号系をもったということだ。

幼児の言語の獲得過程から類推して、言語の発生は意識の発生よりもすこし遅れていると想定できる(ピアジェ) 。すこし遅れるとはいっても太古のことだ。そこには数万年のズレがあるかもしれない。そのズレをパラパラとぶあつい自然誌の一書のページをめくるように圧縮して再現してみると、ざっと次のようなことになる。

 

 おおむね意識の発生は直立二足歩行に起因する。もっぱら樹上にいた者が大地に降り立ち、四つ足から二足歩行に転じたということは、ヒトの歴史にとってはむろんのこと、動物史の全体にとっても最大の事件であった。では、その二足歩行者に何がおこったか。まず強調すべきは、両手が自由になったことと眼高が高くなったことである。自由になった両手がいずれ道具や火をつくることはよく知られているが、両手の自由はさらに重要なことをも発見した。指の分節性を自覚したことである。樹上生活者と二足歩行者の差は指の曲げ方にあらわれていた。サルは五本の指を同じ方向に一緒に曲げてしまうけれど、ヒトは親指と他の四本の指を対向して曲げられる。 このことこそ道具をいじる手を生んだ最大の要因であるのだが、それはまた指を順番に折るという自覚をうながし、ここに一方における数観念の発生と他方における学習観念の発生をうながした。手指(しゅし)の分節性は、つまり学習記憶の発生に結びついた。仏像の掌のムドラー(印相)は、往時の人々が手指の表情に忘れてはならない貴重な記憶の数々を封じた残像ではないかと私は考えて いる。

眼高が高くなったことは両眼視(パララックス)を可能にした。両眼の前部に平行にならび、近くのものも遠くのものも自由自在に焦点をあわせて見られるようになった。 これはいわゆる距離観念を発生させる。はじめてわれわれに「ここ」 here と 「かしこ」 there の峻別が生まれるのはこのときである。定住意識と遊行意識が芽生え、まだ見ぬ「彼方」をも思想するようになる。やがてこの「彼方」からアトランティスや浄土やシャンバラの幻想が生まれるのは歴史があかすところであろう。此岸と彼岸という観念も、さかのぼればこの距離観念の発生が遠因になっていた。 

 眼高が高くなったぶん、腰の位置も高くなり尻がひっこみ、生殖器の内側に入ってしまった。これはおおざっぱにはさらにふたつの事態をひきおこす。ひとつは口と生殖器が遠のいてしまったことである。周知のように、ほとんどの哺乳動物はみずからの口や舌でみずからの生殖器を清浄することができる。ところが意識をもった動物、すなわちヒトにはこれが容易でない。 他者の口をもってしかあてがえない。おまけにたがいに遠のいてしまった生殖器をあわせるために、男女の交接は向きあうことになった。それまでたがいにお尻のサインを見ていれば判別できていたリビドー情報も、これで前にまわって確認するしかなくなった。女性の乳房が発達したのはそのためだったとデズモンド・モリスは主張したものだ。こうした性器位置の変化はヒトにおけるリビドーをいちじるしく変貌させ、いわゆるアドレッサンス(思春期)というヒト特有の生物的異常閉塞期をつくってしまった。ある種のヨーガ・ポーズはこのロ唇と性器の分離を回復するためだったともおもわれる。以降、口のマルクスと尻のフロイトはわかれわかれになってしまったままとなる。

 

 直立二足歩行がひきおこしたもうひとつの事は、世の女性を震撼させる。子宮が陥没し出入口が狭くなったため、これによって出産が容易ならざることになったのである。出産率は低下し、種族によっては絶滅の危機にさえさらされた。のみならず、子宮陥没は胎児の時間をひきのばしてしまうことになった。俗に十月十日といわれるヒトの状態は、あらゆる生物のなかで一番に長い。それはメスの受胎能力の限界に近かった。わが女性たちの狩猟能力が一挙に衰えたのはこのためである。それまではメスこそが力強いハンターとして森林を疾駆していたものだった。 

 それでもなお、ヒトの赤ン坊は動物学的には未熟なままに誕生すると考えられている。ほかの動物たちが生後まもなく自力で生きてゆけるのにくらべ、わがヒトの子供には「育児」が必要になってしまったのだった。こうしたことから「人間ははやく立ち上りすぎたのではないか」と結論づける者もいるくらいである。わが師と仰ぐ昆虫学のリーダー北里大学の奥井一満教授やわが友と仰ぐケニヤ国立博物館のリチャード・リーキー博士もその一人であった。ここでヒトはいったん立ちどまるべきだったのかもしれない。あまりにも劣悪な条件がそろいすぎていた。みずから火にとびこんでほかの仲間を救ったという一匹のウサギの話に考えこんだ青年ブッダもそのような人間の絶望的な出発点におもいをいたした。クロポトキンがシベリアで動物たちの相互扶助ぶりを見たとたんにアナキズムに走ったのも、人間の出発点のあまりにもデキの悪いことにあきれたためだった。荀子の性悪説ということもある。しかし、進化におけるホモニゼーション(人間化)はひたすら胸をはって前に進むしかなくなっていた。そこで、ヒトはいよいよ言語を獲得することになったのだ 。

 

 言語の発生もさかのぼれば直立二足歩行に起因する。手の自由は手話をつくり、棒をもつ手は図形言語を準備しはじめた。けれどもやはり大きな契機は声の分節化を自覚したことにあるだろう。かつて四つんばいのころ、声帯筋は体の方向に対して直角についていた。これが直立するにつれしだいにタテ方向に圧縮される。声帯は首のまわりの筋肉とともにひっぱられ、つねにテンション(緊張度)の高い状態のまま固着した。そこに空気が通過する。空海が「内外の風気わずかに発すれば響くを声という」と書いたように、テンションの高い声帯筋は空気を微妙に震わせて、風気は声の分節化を生んだ。このことはハイハイの赤ン坊が発話しにくい状態にあることや、われわれが首だけをあおむけてしゃべるのが困難であることからも知られよう。

 声の分節パターンはただちに大脳に記憶された。その大脳がほかの動物より大きくなってしまったのも、実は子宮の出入口が狭くなったためだった。生クリームをボール紙をまるめた口からしぼり出すように、われわれは“狭き門“を通過したがゆえに肥大した大脳にありついたのである。こうして話は大脳とのゆるぎないコンビを確立し、以降、異常な膨張と蓄積をつづけることになる。それは悪無限的というほどに危険な拡張をつづけた。ここから先はあまり説明の必要はない。今日のわれわれにおいてもすべてみあたることばかりが数千年にわたってくりひろげられてきたからだ。声の言語におよぼす影響については、また「呼吸の生物学」の章(省略)にものべることにする。

 しかし、これでは救いがなさすぎよう。これでは直立二足歩行をしたことがすべての災禍の原因だというだけで、「意識の進化」などにどんな長所もなかったことになる。動物に戻った方がましだということになる。実際にも、まだしも四つんばいになる方がいいと考えた哲人もいた。ヴェーダ書に登場するバラモンがその例である。また、火にとびこむウサギの真似をする哲人もいた。元に戻る哲学であった。しかし歴史はそのような「逆進化の勇気」をそれほど記録してこなかった。むしろ直立二足歩行の断続をおもいついた一団の人々の記録に情熱をかたむけたようだった。それが「坐る」 ということである。 

 

 まったく「坐る」とは東洋のおそろしい発見だったとおもう。すでに紹介したごとく、その契機は雨季によってとじこめられた森林生活によって余儀なくされたのかもしれないが、そこに 「意識と言語の中断」を加えたのは、やはりおそるべき発見だった。かれらは業火の嵐をまきおこす意識と言語の相剋を、ともかくもひたすら坐りつづけることによってくいとめようとした。ヨーガ yoga という原義には、そのような「ともかくつなぎとめておく」という主旨がよくふくまれている。

  黙念として坐っただけではなかった。直立二足歩行によって自由になった両手をもう一度ゆっくりと結びなおし(印契)、遠くにも近くにも焦点があり両眼をあえてソフト・アイ(半眼)にしてみることまで実験したのであった。今日、われわれが暗く冷たい伽藍のなかでめぐりあう仏像たち―主に如来や菩薩像であるが、その仏像には、大進化の波を身を挺してくいとめた古代人たちの静かな勝利感がただようようである。 

 しかし、そういう如来や菩薩がざらにいるわけではなかった。かれらは「時間の逆留」のすばらしい規範となりえたが、その規範にいたるにはあまりにも長期にわたる修行が必要とされた。菩薩--ボーディサットヴァとは、そうした長期の修行に堪えられそうもない人々を救助するための特殊な役割をもつ人のことをさしているのだが、やはり誰もが菩薩にめぐりあうとはかぎらなかったということである。 仏教の歴史の真の苦はここからはじまった。(後略)」

(松岡正剛著「空海の夢」(春秋社)の「4意識の進化」より。)