「アメリカの自滅と日本の自殺」の後編です。

 

「アメリカの自滅と日本の自殺」後編 2012.11.10

 

 

西部「唐突かもしれませんが、今日本では尖閣諸島、竹島という領土問題が起こっていて、中国では反日デモや反日暴動が一定期間中国全土で広がっていて、日本の経済界は驚き慌てふためき、民主党政権は為す術を知らない。ワシントンの高台から高みの見物をしてらっしゃるようだけどどう見えますか」

伊藤「アメリカ人の中にも外交を見るのに二つの大きな流れがあるんですね。ひとつはモーゲンソーとかケナンとかキッシンジャー、ウォルツ、スパイクマン、ミアシャイマーといったリアリストグループ、大統領補佐官を務めたスコウクロフトやブレジンスキーもそうです。彼らは17世紀のウェストファリア条約以降の国際政治というのは基本的に多極構造化におけるバランス・オブ・パワーゲームで、それがノーマルだと考えている。
 もう一つのグループがウィルソニアングループと言われる人たちで、米国の自由主義と米国の経済システムと、アメリカの政治イデオロギーとか基本的人権のコンセプトとか、米国の政治思想と経済システムを、米国の軍事覇権を使って世界に採用させて、世界をアメリカナイズ、あるいはグローバリゼーションにしていくのがノーマルな形であると考えている。この二つのグループでものの考え方自体が違うわけですよ」

 

西部「日本にはバランス・オブ・パワーの考え方はほとんど入ってないね。日本の国際政治学者あるいは外交評論家たちのおそろしい怠惰だね」

伊藤「ええ。米国が国際連盟をつくろうとして失敗して国際連合を作った。実質的にはアメリカンヘゲモニーでやってきた。そのパックス・アメリカーナをノーマルな国際政治と見るか、それとも17世紀後半から20世紀始めまで続いたバランス・オブ・パワーゲームをノーマルと見るかでものの考え方がハッキリ別れる。
 僕は幸か不幸かリアリストグループへ行っちゃったわけです。自分なりに両方の本を読んでいたらリアリストのほうがぴったりくるんです。高校大学時代にヨーロッパ文学、ロシア文学が好きだったんです。高校大学時代にヨーロッパ文学、ロシア文学が好きだった連中は決してこのウィルソニアンにならないわけ。不思議なことに」

西部「当然のこととして米国から文学でいえば、世界的に有名な文学者がいたとしても、パリに暮らしていたヘミングウェイのような、米国は嫌だと逃れたやつとかフィッツジェラルドのように米国なんだこれとアル中になったやつとか反アメリカ的になった人ほど世界的に有名で、米国の主流文化の中からまともな文学がでてないんですよね」

伊藤「モーゲンソーが面白いこと言っていて『伝統の積み重ねがないと文化にならない。米国という文明は、天才はいる、そういう連中が時々線香花火のように出るが、文化的砂漠である』と言っている。モーゲンソーはドイツ生まれだからそういうことをハッキリ言うわけです。

話を戻しますと、リアリストグループに入っている人間から見ると、冷戦が終わった後の国際政治がもう一回多極の方へ向かっているというのは自然なわけです。
ところが米国にくっついてたら大丈夫だというような人たち、例えば森本敏さんや岡崎久彦さんのような人は、多極化したら困るわけです。米国が強くて世界を統治して、日本はアメリカ様にくっついて言う通りにしていたら大丈夫だと考えている。彼らは一極思考で、米国が強くないと日本の存在基板がガタガタになると考えている。僕みたいにリアリストの立場を取る人間は、多極化は自然なことで、それが17世紀から続いてきた国際政治のノーマルな状態だと考える。
で、日本の領土問題についていうと17世紀もしくは16世紀から1914年まで続いてきた多極状態のバランス・オブ・パワーゲームというのは、どの国も勢力圏の拡大競争をやるんですよ。それをやれば当然、領土紛争は出てくるわけです。リアリストグループの多極化がノーマルだと考えるなら、冷戦時代の2極構造が壊れて、アメリカの一極構造も足元からガタガタになってくる」

西部「途中で言葉を挟むとね、バランス・オブ・パワーってのは面白い言葉で、パワーという言葉出てくるでしょ。最近日本の領土問題でも自民も民主も国際法を持ちだして『国際法の積み重ねとして尖閣は日本のものだ、固有の領土だ』と言ってる。
もちろんルールは大事なんだけど、ルールとパワーの二元構造になってるんです。国際法は曖昧だが、ルールを実質たらしめるためにはパワーが必要というのに日本人は気づかない。バランス・オブ・パワーを知らないだけでなく、パワーという概念そのものがどんどん衰えていった」

伊藤「西側の帝国主義勢力が極東まで来たのが1850年代でしょ。1842年にアヘン戦争があって、50年代にロシアがバーっと降りてきて、北京条約とアイグン条約(璦琿条約)とかいうんで、日本人は腰抜かした。この後俺達もひどい目に合うと。

長い歴史の間、日本人は一度もパワーポリティクスとかバランス・オブ・パワーゲームを味合わないでずっと過ごしてきたわけですよ。そうするとヨーロッパ人とかロシア人がやってきたバランス・オブ・パワーゲームというのは最初から理解できないわけ。でも大久保利通なり伊藤博文なり、明治維新をやった人たちは少しはわかっていた。ところが大正時代になるとダメに成っちゃった。ハンティントンが「革命第一世代は国際政治に対応できるが、第二世代はがくっと落ちる」と言っている。大正時代と昭和時代の日本人のほうが国際政治に対応できずよっぽど鈍いんです。
 話を戻すと、21世紀の国際政治が多極構造になっている。ロシアも中国もインドもトルコもみんなバランス・オブ・パワーゲームをやりだした。それに気が付きたくないのが日本人で、だからレジティマシーとかルールがとか言っているわけです。でも他の国はバランス・オブ・パワーゲームをやっているわけでしょ。日本人だけがバランス・オブ・パワーゲームに参加しないとひどい目にあうというのに気が付きたくないんでしょうね」

西部「なんで気が付きたくないかというと、この前の大敗戦で、パワーの問題はアメリカ様にお預けという悪い意味での他者依存が身についたんだね。パワーというのが存在しているのは知っているが、それはアメリカがやってくれるだろう。そしてアメリカからご下命があってから俺達は動くんだと。しかしご下命があるどころかアメリカは『わしゃ知らん』といいつつある」

伊藤「アメリカが1945年に作った国際統治システムというのは中東と東アジアをアメリカが支配し続けると。ところがその足元がグラグラしてきて、例えばオバマが昨年11月にアメリカの軍事力をアジアシフトすると言ったんですけど、実際にはアジアに移せる軍事力はないわけです。
同時に次の10年間のアメリカ軍事予算を5000億ドルレベルに停滞させると言っている。しかし名目軍事予算を10年停滞させると言うことは、軍隊の人件費は毎年4%あがる。武器と弾薬の値段は毎年8~9%上がるわけですよ。ということは予算を停滞させると言うことは実質減っていくわけです。中国も北朝鮮もロシアも、アメリカの東アジア支配の影響力と支配力がどんどん弱くなっているのを見ている。しかもいつまでも自主防衛する意欲も判断力もない日本の足元を見て、領土問題でアグレッシブに出てくるわけですね。韓国、ロシア、中国の弁護をするわけじゃないけど、彼らの行動はノーマルであるといえます」 

西部「僕10年前から言ってる。見習うべきは中国、北朝鮮であると言ってみんなを怒らせてる」

伊藤「とにかく17世紀から1914年までの国際政治のあり方がノーマルという立場から見ると、21世紀の国際政治はもう一度多極化してきている。だから日本の周りの覇権主義的もしくはナショナリスティックな国が領土をかすめ取ろうとしているのは自然な振る舞いです。それを認められない日本人の思考パターンに問題があるわけです」

西部「尖閣が日本のものだというのは国際法の事例に限定すれば確かにそう。しかし日清戦争の頃ですからね。中国が弱くて日本が強い時に宣言している。竹島だって日ロ戦争前後。だから東シナ海、日本海あたりでは取ったり取られたりしてるのであって、前回はうまい具合にアジア諸国が混乱して日本だけまとまってたから日本領だと宣言したわけです。
向こうに言わせればいつ取り戻してやろうかというね。中国人は約束守らないとか二枚舌で相手をするのは面倒臭いというけど、学ばないといけないところがあるんですよ。100何年に渡って『いつかオレの領土だ』といってやろうという執念深さ。国際政治をやるのなら、100年くらいは平気で持ちこたえる態度は必要なんだよね。

 僕はアメリカに見習おうと時々いうの。ブッシュ・ジュニアが『復讐』っていうでしょ。国家国民がある歴史的な連続性を保とうとすると、復讐するという国民感情は大事なものの一つなんだよね。感情的に復讐で燃えろというのではなく、例えばアメリカは日本の非戦闘員を総力戦だから仕方ないといいつつ90万人焼き殺してる。
これに関して日本人は『いつか目にもの言わせてやりてぇな』ということくらいは常識のひとつとして、作法のひとつとしてもたないといけないのに、敗戦の翌日からケロッとして無いんですよ。

スターリンだってすごかったですよ。日本が樺太その他を取るでしょ。それに対してスターリンはツァーリズムを滅ぼして、社会主義ロシアと言いながら日本を蹴っ飛ばした時、「復讐した、敵を取った」と喜んだといいます。結構執念深いんですよ」

 

伊藤「またケネス・ウォルツを引用して悪いんですが1971年に「セオリー・オブ・インターナショナルポリティクス」という本を書いた。その中で非常に明確に説明してくれたのが

「正義とか正統性というのは国内政治では充分に成り立つ議論である。しかし国内政治から一歩外に出て、国際政治になると過去2500年間の正義とか正統性というものは一度も定義されたことはないし、定義したとしても、それを強制的に執行する機関はない。国内政治においては『私の要求こそ『正義』『正統』だ』という議論が成り立つけれども、国際政治においてはしょせん、『強いものは強い。弱いものは弱い。弱いものが負けたらそれでおしまい』ということで、当然、正しいものが負けるわけです。国際政治においては正義とか正統性の議論をやっても、最終的にはパワーが優勢な方が自分の解釈を押し付けるということになっちゃう。だから国際政治に正義とか正統性とか道徳を持ち込まないほうがいい」

というんだけど、彼自身はマキャベリスチックなパワーストラテジーを嫌がるんですよ。僕がケネス・ウォルツを好きなのは、一見マキャベリアンでソーシャル・ダーウィニズム的解釈をしながら、彼自身のすすめる外交政策というのはむしろ非常に穏健でディフェンシブなんです」

西部「ソーシャル・ダーウィニズムというのは進化論で、弱肉強食、自然淘汰で国家間人間間で競争していくと、自ずと強いものが勝つんだけど、それを通して世界全体が進歩していくという、生物の進化論を社会に適応した奴がいるんですよ。スペンサーその他。それをソーシャル・ダーウィニズムと呼ぶんです」

伊藤「僕が日本人にわかってほしいのは、我々に正義がある、我々に道義があるという議論を何十年繰り返していても、パワーが無いと踏み潰されてしまう。だからといって、国際政治は仁義なき戦いであり、弱肉強食だから弱いものを踏みにじっていいんだと日本人がやりだすと大失敗するということです。そこでバランス・オブ・パワーをディフェンシブな形で守る。ロシアとかイスラエルとか中国とかアメリカみたいに自分のパワーが強いからといって、周りの弱小国を踏みにじるようなことをやるとこれまた失敗するんです」

西部「国際法には抽象的には世界人類の共通の正統性、たとえばジェノサイド、ホロコースト、民族虐殺やっちゃけないというと、みんなそうだねと頷く。それが、たとえばアメリカの場合で言えば30万人原爆でポッと殺しちゃう。ジェノサイドだけど言い逃れはいくらでも出来る。日本だって南京で30万やったじゃないかとか、総力戦だから仕方ないだろうとか、戦争を早く終わらせるためにはやむを得なかったと。具体化しようとしたとたん、パワーの争いが起こるということなんですね。

今のウォルツの態度を僕流にまとめれば、人類の普遍的な価値を否定しないが、具体化する場合には各国のパワーが必ず関係してくる。あれが正統でこれが不当などと安直にいうなという、普通のことなんだよね」

伊藤「正義感を振り回す外交は危険で、愚かなものになりやすい。それをウォルツだけでなく、ケナン、ラインフォルド・ニーバーとかも言っている。ニーバーが『国際紛争はほとんどの場合、straggle among sinnersだと」

西部「sinってのは宗教的な罪。crimeじゃないんですよ。宗教でも道徳でもいいが、どう考えても人間性にもとるという感じね」

伊藤「国際政治は罪深い者どうしでやっているという認識があれば、無茶苦茶やらない。ところが自分こそ正義の代表だと思い込むと、中共とかルーズベルトみたいに無茶苦茶やるわけですよ。自分に正義があると思うから。だからウォルツにしてもニーバーにしても、僕が彼らを好きなのは、アメリカだって罪深いんだよという視点が常にあるからなんですよ」

西部「罪深いが宗教的だというなら、不完全。人間は不完全だから、そんなものが人を断罪したりしていいのという」

伊藤「僕が第二次世界大戦後の大統領で一番好きなのはアイゼンハワー。彼は偉くて『私は長い人生でいろんな戦争に参加してきた。有名なのはノルマンディー上陸作戦。最終的にわかったのは戦争なんかしても国際紛争の最終的な解決につながらないんだ』と言った。彼は軍人をどんどん減らして、最後の演説は軍産複合体に用心しろ。何をするかわからない、というものでした。彼は正義感を振り回してどんどんやっつけろという態度にすごく疑問を持ったんです」

西部「軍事産業と政治家、政党が金をめぐり、権力をめぐり、組織をめぐり、分かちがたく複合しつつある。これに気をつけないとアメリカは文明文化として堕落するという演説をしていなくなった」

伊藤「もう一つアイゼンハワーの好きなエピソードがあって、1950年代始めごろはソ連の核弾頭が少ししかなくて、アメリカは何千発もあった。そのときアメリカ空軍がロシアに先制攻撃をやっちまおう、今ならできる、我々の戦略爆撃機とミサイル使えばロシアの軍事基地を全部核で攻撃できると。

そのときアイゼンハワーが言った言葉は、もちろんロシアと戦争したら勝つだろう。それで、勝ってどうするんだ?ロシアを占領しようとした国がどんな目にあったか覚えてるのか。やめておけと言った。アイゼンハワーというのは常識がある、しかもアメリカが罪を犯しやすい国だと充分に心得た軍人だった」

西部「あの時代のアメリカ人の指導部の幾ばくかにはヨーロッパ文化の素養があったんだろうね」

伊藤「僕はみんなにアメリカの悪口ばかり言うと言われてるんですが、第二次世界大戦後の外交システムを作ったケナン、マーシャル、アイゼンハワー。この3人は偉いですよ。トルーマンなんか馬鹿で全然だめです。ケネディも馬鹿だからベトナム戦争を始めた。この3人は偉い。やり過ぎちゃけない。限度があるとバランス感覚が優れていた。アメリカ人的な単純な結論に飛びつくっていうのがこの3人には全然ない。問題は今のアメリカにそういう人物がいないということです」

西部「17世紀、デカルトの弟子たちが物事をすべて合理的に単純化するのに対して、イタリア人のヴィーコという人が『すべてを単純化する恐ろしい人たち』って言ってたんだけど、アメリカに限らず日本のインテリとか政治家ももの凄く物事を単純化してわかりやすくして、コンプレックス、複合体を忘れちゃってる。ということでアメリカでのご活躍を期待しております。ありがとうございました」

(引用終わり)

 

この対談もとても面白かったですね。

国際政治への理解がとても深まります。こういう話はなかなか聞けるもんじゃありません。

いい話を聞く/読むとさらに勉強したいと意欲が湧いてきます。

 

また伊藤貫氏の話をブログに載せていきますので、お楽しみに。