明日は広島に原爆が投下されてから78年目の夏を迎えるが、5月の広島G7ではその非核都市で戦争拡大のことが話し合われた。その後非人道的な兵器と言われる劣化ウラン弾やクラスター爆弾をウクライナ戦争で平気で使うようになり、日本も含め世界中で議論などほとんど巻き起こらなかった。

つまり、正義の戦争、侵略戦争を否定するためなら非人道的な兵器など問題にならないということを、少し前なら高い壁があったはずなのに、いとも簡単に超えてしまった。

ということは、核兵器も正義の戦争なら使ってもよいということになり、核戦争が忌むべきことでもなんでもなく、「核は使える兵器」になりつつあるというとても恐ろしい時代を迎えている。

 

ウクライナのゼレンスキーは核爆弾を使いたくてうずうずしており、なんとかNATOをこの戦争に引きずり込み、ロシア占領地域あわよくばロシア本国に核ミサイルを撃ち込みたいと考えているようだ。

このままウクライナの劣勢が更に明らかになれば、米国ですらロシア占領地域への戦術核の打ち込みを容認する可能性がある。ブリンケンやヌーランドら狂ったネオコンは本当にやりかねない。

そしてその時植民地日本はどういう態度を取るんだろうか。宗主国のやることは全て正しいんだと、核をロシアに落としても岸田は、「必要なかつ正しい行いだ」というかもしれない。

終末時計又は核時計というものがあるが、もうすぐ午前0時を打つかもしれない。

しかし、ネオコンにとっては、核の使用は世界核戦争を想定せず、限定的な核戦闘をイメージしているかもしれない。彼らにとってはもう心のタガは外れっぱなしに外れて、マッド・ネオコンと化し人類は米国の狂ったネオコンに引きずり回されているのである。

 

核爆弾がそんなに身近なモノになっていいのだろうか。

原爆が開発され、日本に落とそうとしている米国政府は、結局広島・長崎に原爆を投下するという非人道的戦争犯罪を犯したわけだが、その間にいくらかの逡巡と葛藤があったと思われる。それでも日本に原爆をどうしても落としたい(合理的な理由がなくても)という勢いが勝ったのであった。

 

そう詳しく勉強しているわけではないが、渡辺惣樹氏の本や林千勝氏の動画などを見ると少しその背景が分かってくる。

まずは渡辺惣樹氏の著書「真珠湾と原爆 日米戦争を望んだのは誰か ルーズベルトとスチムソン」(WAC)及び「第二次世界大戦とは何だったのか 戦争指導者たちの謀略と工作」(PHP研究所)から引用してみよう。

 

        渡辺惣樹氏

    

 

 原爆の日本投下を主導したのは、陸軍長官ヘンリー・スチムソンだが、その彼でさえ当初は次のように述べている。

  

 陸軍長官ヘンリー・スチムソン

「出席の科学者諸君には我々が本案件(原爆使用) について、ただとにかく戦いに勝つという(軍事的)視点だけで考えているわけではないことを理解して欲しい。(中略)
この兵器は、我々人間と(我々の住む) 地球との関係を革命的に変える。もっと言えば、文明を壊滅させる“フランケンシュタイン"になるかもしれない。しかし、しっかりとコントロールできれば、世界平和を確実にする可能性もある」

(「日米戦争を望んだのは誰か」より)

 

スチムソンには少なくとも「文明を壊滅させる“フランケンシュタイン"になるかもしれない」という意識はあった。しかし、現在のゼレンスキーやネオコンにはそういう意識はあるのだろうか。おもちゃ程度の意識しかないのではないか。

 

原爆開発のマンハッタン計画には英国も参加していた。チャーチルとトルーマンの議論になったのは事前警告の是非だった。

 

    トルーマンとチャーチル

「専門家委員会は無警告使用を勧告していたが、トルーマンは決めかねていた。悩む彼の背中を押し、無警告使用を決断したのはチャーチルだった。そのときの言葉をウォルター・ブラウン(バーンズ国務長官顧問)が聞いていた。

「日本だって真珠湾攻撃の警告を出さずにハワイの若者を殺したではないか」」

(「日米戦争を望んだのは誰か」より)

 

 チャーチルは日本人を一瞬に市民何万人を殺しても平気だったのである。原爆の開発段階でルーズベルトとチャーチルはその使用原則について協議し、いくつかの点で合意していた。

その中で「第三国にそれを使う場合は、他方の同意が必要であること。」という合意があった。

つまり、原爆を使用する際は英国が同意しなければ使えないことを意味するのだ。チャーチルが日本への原爆使用を容認しなければ、広島・長崎の悲劇は防ぎえたのであった。

チャーチルは1940年に首相に就任した際、無差別都市爆撃を容認していた。

渡辺惣樹氏は次のように書いている。

 

「…英国空軍の無差別都市爆撃は、自らがナチス同様の非人道的国家になることであった。

チャーチルは、これを正当化するレトリックを考えなくてはならなかった。「ドイツ人は民間人であっても軍の重要なパーツである」。これが枢軸国に対しての無差別空爆正当化のロジックだった。一方で、連合国の民間人は軍とは無関係の無辜の民であった。米空軍もこのロジックに倣った。日本の民間人もすべて軍のパーツであった。
英国空軍はドイツ各地の都市爆撃を続けた。ドイツ東部の都市ドレスデンへの空爆はとくに激しかった。一九四五年二月十三日から翌日にかけて四回にわたって合わせて三九〇〇トンの爆弾を投下した。 死者は二万五〇〇〇から三万五〇〇〇人と推定されている。米空軍が東京下町に大規模な空襲をかけたのは、ドレスデン空爆のおよそ一月後のことだった(三月十日)。二〇〇〇トンの爆弾が落ち、一〇万人が死んだ
 ドイツにも日本にもピカソはいなかった。彼の描いた「名画」ゲルニカは、ナチスの都市空爆の非道を視覚を通じて訴える。世界中の教科書に採用されナチスを糾弾するが、連合国軍を非難する絵は知られていない。両国の横網町公園には東京大空襲被災者の御霊を慰霊する堂(東京都慰霊堂)がある。 ここにも米空軍の非道をビジュアルを通して伝える展示物はない。怒りを抑えた静かな鎮魂の空間があるだけである。日本人は怒りを直接的に表現することに不得手なのである。」 

「第二次世界大戦とは何だったのか」より

 

 日本に原爆を落としたのは人種的偏見によるかもと言われているが、渡辺惣樹氏のこの文を読むと、チャーチルはドイツ人でさえ市民も「軍のパーツ」だから殺戮していいという理屈を持っていたようだから、ドレスデン空爆によるドイツ市民の大量殺戮も勝つためには平気であった、つまり日本人という黄色人種だから特に殺しても平気ということではないようだ。

 それにしても、チャーチルは素晴らしい政治家と言われているが、こんな冷酷かつ戦争犯罪を平気で行う政治家の顔は余り知られていないのではないか。そして、広島・長崎への原爆投下の責任も米国だけでなく英国にもあるということは強調されていい。

渡辺氏はこの文の章に「チャーチルの歴史的大罪と嘘」と名付けている。渡辺氏はチャーチルを徹底的に嫌っている。

 

 日本の具体的な標的都市は当初最適都市として、京都が選ばれていた。これに反対したのがスチムソンで、京都は日本の芸術と文化の中心地であることを理解していたのである。

それでも、激しい議論の結果、ターゲットは京都を第一候補として、広島、小倉、横浜、新潟の5都市に絞り込んだ。(その後どのように長崎が選ばれたのかよくわからない。もう少し調べてみたい。)

 

そんな中で米国にもまともな軍人や役人はいたようだ。これらももっと知られていい事柄だ。

「…その後、二人(トルーマンとチャーチル)は無警告での原爆投下を決定したが、側近高官は原爆使用そのものに懐疑的だった
「(原爆使用には)全く意味がない。このことを聞かされて、僕の心は沈み込んだ」

(モーラン卿: チャーチル主治医)
「核兵器など、使ってしまえば我が国の倫理規範は中世暗黒時代の野蛮人と同じということになってしまう」

(ウィリアム・リーヒ提督)
「科学者らが、恐怖の部屋を開ける鍵を探し出さないで欲しいと密かに願っていた」

(ヘイスティング・イスメイ英陸軍少将) 

 

…六月一日、スチムソンは専門委員会の結論をトルーマンに報告した。

核爆弾はできるだけ早い時期に日本を標的として使用する、民間人(軍事工場従事者)の住宅に囲まれた軍事施設のある都市(候補五都市)とする、警告は行わない、とする内容だった。
 原爆投下はこうして決定した。しかし、これにどうしても納得できない委員がいた。

ラルフ・バード海軍省次官である。彼は原爆を使わずとも、日本は降伏すると考えていた。

六月二十七日、意を決した彼は、スチムソン宛てに次のように書いた。
「日本に対して、原爆投下の数日前に警告を出すべきと信じます。(中略)この数週間で、日本が降伏を探っていることは確実だと分かってきました。

予定される三首脳会談(注 ポツダム会談)後に、我が国の使節が日本の代表と中国の沿岸部のどこかの都市で会い、ロシアの状況(注 日ソ中立条約の破棄と対日戦参戦)を説明する。その上で、原爆の使用についてあらかじめ警告することができます。

そして同時に(降伏後の)天皇の立場や無条件降伏後の日本に対する扱いを(具体的に)説明するのです。こうした丁寧な説明こそが(降伏を模索する)日本が求めているものです」
「私の提案に沿ったアクションを起こすことで、我が国が失うものは一つもありません。重要な問題であるだけに前向きな検討を切に望むものです。(中略)(原爆を使用しない方法がないか)とにかく試してみるべきなのです」

(「日米戦争を望んだのは誰か」より)

 

この原爆が悲惨な結果をもたらすことを予想できた「普通の良心」を持った軍人たちが米国や英国にもいたのである。

今のネオコンには求むべきもないが、余りにも核を弄んでいるのは狂気の沙汰というしかないし、そんなネオコンを師と仰ぐ日本の国際政治学者のでたらめさが恐ろしい。

 

国際政治アナリストの伊藤貫氏も動画のなかで次のように語る。

文字起こしをしてみた。(シェルリさんの記事からやり方を教えてもらいました)

(32分20秒頃)

「…2度もアメリカによる核戦争犯罪、アメリカによる核攻撃っていうのはあれは戦争犯罪、核兵器による戦争犯罪で正当な軍事行為ではないわけですね。正当な軍事行為ではないから当時のアメリカ 軍のトップだったマーシャル大将とヨーロッパ戦線のトップだったアイゼンハワー大将とそれから海軍のトップでトルーマン大統領の首席補佐官だったレーヒ海軍大将と。いいですか、米国軍人のトップ3人で3人ともそんなことするなと、日本を核攻撃する必要はないと、もう我々はすでに勝っていると、日本政府はもうスイスとかスウェーデンとかを通じてもう戦争やめたいって言ってきてるんだから核兵器を使う必要は全くないと。

 マーシャル陸軍大将は、もしどうしてでも使いたいって言うんだったら日本の軍需工場か日本の軍事基地に原爆を落とすんだったらまだわかると、民間人に使う必要全くないと、要するに軍部の最高幹部が日本を核攻撃する必要ないって言ってるのにわざわざ民間人を殺すわけですよ。非武装だからもう核戦争犯罪でしょ。

アメリカの国務省とホワイトハウスとCIAが面白いのは、その世界で唯一核戦争犯罪の犠牲となって日本人にだけは核を持たせないと、もう素晴らしいヒューマニズムの発露でね、本当にすごいわけ。もうこれほど道徳的なこと、もうとにかく核戦争犯罪の被害者となって日本人にだけは絶対に持たせたくないと。

で日本人に核を持たせないために重要なのは、アメリカはいつでも周囲の核武装国が日本を攻撃した場合、アメリカはいつでも戦う用意があると、戦う能力があると。でこれは嘘なんですけれども嘘をつかなきゃいけないんですよ。

だからバイデンが何度も何度も台湾を守るためにアメリカは戦う用意があるっていうのは、それを言わないと日本人が、じゃダメだ、もうアメリカは頼りにならないと、じゃあ核兵器持たなきゃいけないと。ところが国務省の日本担当官は、日本人にだけは絶対持たせるなと。もうとにかく2度も核戦争犯罪になって、日本人だけは持たせちゃいけないという、もう素晴らしい道徳観の持ち主だから、だからあの日本人をずっと騙しておかなきゃいけないんですね。(後略)」

 

伊藤貫氏もはっきりと日本ヘの原爆投下は戦争犯罪だという。そこからとても皮肉っぽく「アメリカの国務省とホワイトハウスとCIAが面白いのはその世界で唯一核戦争犯罪の犠牲となって日本人にだけは核を持たせないと、もう素晴らしいヒューマニズムの発露でね、本当にすごいわけ。もうこれほど道徳的なこと」と語る。

しかし、「もうとにかく核戦争犯罪の被害者となって日本人にだけは絶対に持たせたくない」という米国国務省の考え方の評価は少し難しい。米国は日本の核武装を絶対させないことを国是としているようだが、なぜなのか。こんなにアメリカという国に従順なのに。アメリカに盾突くことなんぞ考えられないのに。

 

それはこういうことなのか。

つまり、米国は絶対に許されない巨大な核を使った戦争犯罪を犯した。その負い目がいつまでもある。

そして「普通の国」なら、戦争犯罪を犯した国にいつか復讐してやろうと考えているはずだ。もし日本が核武装したら、その核は米国に復讐を遂げるために使うかもしれない、日本という国は何を考えているかわからない、今は大人しくしているが、核を持ったら正体を現して米国に歯向かうかもしれない。だから日本に核武装など絶対に許してはならないんだ、と。

見よ、広島爆心地にある原爆死没者慰霊碑には何て書いてあるのか。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。

過ちとは何か。日本が米国に敗北したことである。日本人はそれを過ちと捉えている。だから、核武装して力をつけたら今度は過ちを犯さず、米国に勝つんだ、という意味だ、と米国は捉えているのではないか。

太平洋戦争当時日本は軍事大国だった。今から考えると米国は資源や生産力が高く大国のように思われていたが、そうではなく、米国は日本に脅威を感じていたのである。それは渡辺惣樹氏の「日米衝突の根源」や「日米衝突の萌芽 1898-1918」という著作を読めばよくわかる。

だから、アメリカは日本を徹底的に叩き潰したかったのである。

 

そのことは、林千勝氏の動画「米極秘文書から紐解く原爆投下の真実」にもよく表れている。

文字起こしをしてみた。

 

 

米極秘文書から紐解く原爆投下の真実|林千勝

ChGrandStrategy

日本を取り戻すCGSの林千勝です。よろしくお願いします

もうすぐ8月6日です。先日5月に広島サミットが行われました。

岸田総理核兵器のない世界の実現皆さんご存知のようにうたってですね核不使用の歴史継続へ明確なメッセージを出すということでしたが、この成果を皆さんどのようにご覧になられているでしょうか。なぜ広島長崎の人々の上に原爆が落とされたのか、ここが私、物事の本質の根本だと思うんですね。そしてこの経緯を見てみますと、アインシュタインの手紙、ルーズベルト大統領への手紙は有名ですが、そもそもドイツとの開発競争で原爆開発が始まったんですね。

ところが経緯をずっと見てみますと、当初から投下対象は日本だったんですね。

ドイツということは全くなかった。当初から投下目標は日本であったと。

そして1943年5月の会議では、日本の軍事施設に落とすと。つまり太平洋トラック島に集合してる連合艦隊に落とすということが大勢の意見だったんですね。

何が言いたいかというと、人々の頭の上に落とすという発想は全くなかったということですね。

常識的に考えればありえないということですね。これを人々の頭の上に落とすという風に大転換がなされたのが1944年9月のハイドパーク会談です。

これもまあCGSで触れたかもしれませんが、ニューヨーク郊外のハイドパークにおいてルーズベルト大統領とチャーチル首相が会談し、ここにある原爆資料館広島平和記念館に展示されてるこの一次資料ですが、ハイドパーク覚書というものを交わして、そこにこう書かれてる。

When a”bomb”is finally avairable. It might perhaps, after mature consideration,be used against the Japanese, who should be warned that this bombardment will be repeated until they surrender.

(最終的に「爆弾」が使用可能になったら、日本人が降伏するまでこの砲撃が繰り返されることを警告すべきである。Deepl翻訳)

つまり原爆が完成した暁には熟慮の上にだが日本人に落とす、使用すると。これ日本って国じゃないんですね。抽象的な日本という国でもないし物理的な日本の国土という意味でもなくて大和民族に落とす、使用すると。で彼らが降伏するまでは繰り返し原爆を投下する、警告する、ということなんですね。ここで初めて人間の目そして日本人の日本国民の上に落とすということが合意されたと。

原爆投下目標は、人間それは日本人降伏しなければほぼ絶滅ですね。

 

降伏が遅れればほぼ絶滅と警告するという英米首脳の合意了解事項、これは前にお話ししたかもしれませんね。そして広島平和記念資料館は素晴らしい展示がたくさんあるんですけども、一次資料に基づいた展示がたくさんあるんですが、原爆投下理由を3つ、そこから総合して原爆投下理由を3つあげることができます。

1番は今述べた日本人に対して市街地・労働者・住民・繰り返し、2番目は膨大な開発経費、表に出たものだけで20億ドルですが当時のお金ですがこれを使った開発の国内向け正当化、3番目、戦後のソ連勢力拡大を抑止つまり核による戦後秩序、核による支配権、核による覇権ですね。この3つが理由でございまして、本土上陸作戦の米軍の犠牲を回避するという理由はないんですね。あげられてないってことが非常に重大なんですね。

 

そして今日の本題はここからです。よくある質問になぜ長崎2発目を投下したのかという質問があるんです。そしてこれに対する答え方として、広島はリトルボーイでウラン型、テネシー州のオークリッジ研究所で開発した。長崎はファットマンのプルトニウム型でワシントン州のハンフォード研究所で開発した。2つの系統なんで2つを落とさなければならなかった、どっちか一つって訳にいかなかったっていうような言われ方がしてるんですけども、ここから本題ですが、実はこのなぜ長崎に投下したのかと質問が実は本質から外れてる可能性があるんですね。つまりなぜ長崎2発目で止めたのかが本質的質問であるという捉え方がある、その話をしたいと思います。

 

さっき言いましたように原爆の投下というものは〇〇(不明)繰り返しです。費用対効果からもそれから戦後の核覇権という意味でも普段の巨大な威力を見せた方がいいわけで、つまり一発より2発の方がいい、2発より3発の、3発より5発の割合、5発のより10発のがいいですね。一発だけだったら一発あたり20億ドルですけど10発落とせば一発だったら2億ドルで費用対効果全然違いますしね。2発でも手放しよりもどんどん続いてるんだということの方が圧倒的に先ほどの投下目的を果たせるわけですけども、ここに一次資料がございまして、これはジョージ・マーシャル図書館に保管されてるもので2020年8月に機密解除になったものですね。トップシークレットの横に線が入ってると思いますが、ここにある資料はマンハッタン計画の最高責任者であるグローブス将軍という方がマンハッタン計画の使用メンバーに当てた指令書です。

 

8月10日付けの指令書で右上に8月10日と書いてありますね。で文章を読んでいくと、この赤枠の部分ですが3発目は8月17日以降に投下という風になってるんですね。このことが読み取れる。文章の前の方はですね8月24日以降投下できるということであったんですけどもそれが前倒しできるようになったと。よって日本人に8月17日以降3発目を投下できる、投下するという指令書があの一次資料で見ることができます。

そして8月10日同じ日ですがトルーマン大統領は日本降伏が近づいているという情勢判断があって一連の原爆投下を一旦停止するんですね。あくまでも一連の原爆投下です。2発で止めるとかそういう前提は全くないんですね。しかしこの8月10日に日本のポツダム宣言受諾の報は入ってこなかったと。そしてヘンリー・ウォレスという閣僚の日記が残ってるんですけどもこの8月10日にトルーマン大統領は初めてですね原爆投下の非人道性を遅まきながら認識したという風に書かれてます。つまり8月6日に広島に落とし8月9日に長崎に落とした。でその投下後の状況の情報が入ってくるんでしょ。それであー自分が落とした原爆っていうのは非人道的だったのかということに8月10日に気がついたということが閣僚の日記に残ってます。

 

そして8月13日に原爆投下の実務の最高責任者ハル将軍という方とそれからシーマン大佐という方の電話会議の記録が残ってるんです。ハル将軍というのは陸軍の作戦部の参謀で戦後琉球の総督になった方ですね。そしてシーマン大佐っていうのは先ほどのマンハッタン計画の最高責任者がこの2人の電話会議記録が残ってまして、要点を述べますと2発の原爆は絶大な効果を日本人に及ぼしたと。つまり広島と長崎の原爆は絶大な効果を日本人に及ぼして良かったと。それから繰り返し落とすという当初案に沿って8月19日に3発目を投下できると。先ほど17日って言いましたが、ちょっと2日ずれたんですね。そして9月に4発目5発目の投下ができると10月に6発目から8発目の投下ができると。そして10日に一発の原爆投下が硬い線だとそして10日に一発ずつ日本に落としていくだけではなくて、まとめて本土上陸作戦の進行前に日本軍をその殲滅するために落とす。まとめておいてまとめて落とすということも検討できるということを8月13日に電話会議で記録してるということがわかっております。

 

 そして8月14日トルーマン大統領と会談したワシントンのイギリス公使。これ貴族の方だと思いますがイギリス公使からイギリス本国への報告全文これが残ってましてこれがイギリス英国の国立公文書館に残っておりましてこの英文の報告によるとこういうことがわかってるんです。これが一次資料のそのものです。左上の囲み1945年8月14日と書いてありますけども 

The president remarked sadly that he now had no alternative but to order an atomic bomb to be drroped  on Tokyo.

って書いてあるんですけども、つまり8月14日現在でトルーマン大統領の考えは3発目を東京に落とすことだと、それ以外に選択肢はない、というのがトルーマン大統領の発言なんですね。そして彼は数日前に非人道的っていうことを認識しましたから一応「sadly」と言ってますけどもそれ以外選択肢はないと。

もう3発目を東京に落とすのは既定事実というトルーマンの発言ですね。実際東京であったか別の新潟であったかそれは今となっては知ることができませんが、そして皆さんご存知のようにこの8月14日に文章もうちょっと細かく見ますと、日本の降伏宣言がまだ出ていない中、トルーマン大統領は再び原爆投下が必要になるかもしれないと考えていた。8月14日のホワイトハウスでの会談後ジョン・バルフォア英国公使はトルーマンが東京への原子爆弾投下を命令する以外に選択肢はないと悲しげに発言したとさっきの電文で報告してるんですね。

そして皆さんご存知のように数時間後の午後4時5分8月14日のワシントン時間の午後4時5分にホワイトハウスに日本のポツダム宣言受諾の報告が入ったんですね。ということで3発目が東京に落ちなかった、日本に落ちなかったということが事実です。

 

なぜ米軍が長崎2発目で止めたのか、この本質的な質問に対する答えは日本が8月14日にポツダム宣言を受諾したから、ということなんですね。

日本降伏させること自体が先ほど話したように目的ではなかったし10発あるいはそれ以上落とす計画予定であったし、まさか日本が降伏したので降伏した以上を落とせないですからね。止まったというのが歴史的な一つの本質であるということを我々知らなきゃいけない。

 おそらく英米の首脳たちはレクチャーを受けてるはずですから、知らぬは日本人だけですね。

この戦争の真実に基づいて、そしてこれは悲劇ですよ、戦争の悲劇を乗り越えてこの地政学的状況ですから一層の日米同盟の友情、日米同盟と友情を深化していかなきゃいけないと、このことに蓋をして知らないふりで歴史をやり過ごすということは日本人としてどうかなということを強く感じましたので皆さんに今日お話しさせていただきました。また詳しい話は別の機会にさらに詳しい話がありますが、ちょっと時間の関係でここで一旦切らせていただきたいと思います。

 

 戦争っていうのはこれだけ悲惨なもので、残酷なものであるし非人道的なものですですから絶対に戦争は起こしてはならない。そして歴史を振り返るならば日本国民もアメリカ国民も絶対に戦争を起こしてならないという決意を持っていたし、先ほど前回お話したようにアメリカ国民は専守防衛で固まってたんですね、それをひっくり返したのがグローバリズム勢力というかルーズベルト大統領のいろんな日本に対する仕掛けであり、封じ込めでありそして残念ながら真珠湾奇襲というものがそれを後押ししてしまったということですね。

 ですから日本とアメリカの国民がとにかく共通の意識お互いに連携し、よくコミュニケーションをとってその戦争というものがスメドリー・バトラー将軍の戦いもそうですが、いかにそのビジネスでありウォール街が仕掛けグローバリスト勢力が仕掛けていたものかと、これは歴史的事実ですから陰謀論でも何でもなくて、そのことを共有し二度と同じ悲劇を起こしてはならないということをもう日々決意を持って歩んでいかなければならない、そのように確信しております。日本を取り戻すCGSの林千勝でした

(引用終わり)

 

日本がもう負けていることが分かっているのに米国は何十発も原発を日本に落として壊滅させようとしていたのは驚きです。その理由は何であったのか。おそらく日本への恐怖心であったのではないかと思います。しかし、昭和天皇のポツダム宣言受諾によってかろうじて日本は壊滅から免れたのですね。それは全く知られざる驚きの歴史の真実ではないでしょうか。

しかし、ここで変なことを林千勝氏は語ります。

そしてこれは悲劇ですよ、戦争の悲劇を乗り越えてこの地政学的状況ですから一層の日米同盟の友情、日米同盟の友情を深化していかなきゃいけないと、このことに蓋をして知らないふりで歴史をやり過ごすということは日本人としてどうかなと…」

米国の戦争犯罪犯したという事実と「一層の日米同盟の友情、日米同盟と友情を深化していかなきゃいけない」とどうしてつながるのでしょうか。「このことに蓋をして知らないふり」とはどういう意味でしょうか。米国が日本を絶滅させるなんて考えていなかった、そういうことは知らないでいいんだ、知らないで手を繋ごうということなら少しおかしいでしょう。しかし、それを知ったら日米同盟と友情が深化するんでしょうか。伊藤貫氏の語ることと何かずれているような気がしました。