簡単に裁判所は保釈を決定したようだ。検察は準抗告をしたようだが却下。原宿署の前には報道陣が山のように集まり、スターの「出待ち」さながらの賑わいだが、恐らくシートで覆って車の中は全く見えないまま、猛スピードでどこかに立ち去ることだろう。そして、バイクとヘリの追跡!いつものパターンだ。明日の情報番組の映像に使うために。
と書いて今 NHK9時のニュースを見たら、猿之助が保釈されて原宿署から出ていくところが映し出された。(8時半頃らしい)
堂々と顔をさらして報道陣に一礼して、その後後ろを向いて警察署にも礼をして車に乗った。さすがは大物歌舞伎俳優だ。しかし、警察に一礼したのはどんな意味を持つのか。まさか見逃してくれた警察への「お礼」!じゃないよな。
保釈されて原宿署を出る猿之助、思ったより堂々としているじゃないか!
父親の自殺を手助けしたとして、7月18日警視庁が猿之助を再逮捕したことで全ては終わったのである。
つまり、両親の殺害容疑は無罪となった。しかし、これは出来レースのように感じる。警察が真実を追及することをせず、猿之助の自白どおり、つまり猿之助の説明を全面的に警察は信じた。疑問は山ほどあるにも関わらずだ。猿之助の書いた筋書きは穴が沢山開いていて、安物推理ドラマのように見えるのに、それを崩せなかった警察。というより、崩す気がなかったような。奈良県警みたいに。
一応警察のために言っておけば、母親自殺ほう助による逮捕から父親自殺ほう助再逮捕まで3週間という時間が空いたのは、それなりに猿之助の自白・説明に不審を覚えて、捜査を継続していたのだろうから、その努力はよしとしたい。
しかし、その3週間もかかっても猿之助の説明の曖昧さ、つじつまの合わなさについて、突き崩すことができなかった。だから、猿之助の説明どおりの自殺ほう助で決着をつけるしかなかったのだ。しかし、それは警察の怠慢というしかない。怠慢という理由だけじゃないかも。
まず一番の問題は、両親がなんで息子の不祥事(しかも大したことのない、笑って済ませられる不祥事)に死を選ばなければならなかったのか、最初から皆が思っている疑問じゃないのか。それが全く解明されていない。
「皆で天国へ行こう」なんていう子供じみた説明を誰が信じるというのか。
まあ、警察はそれで了解してしまったわけだが。
「家族会議でみんなで死のうということになり、なるべく苦しまずに死ぬ方法として、自分が以前医師から処方された睡眠導入剤(向精神薬)を数錠ずつすり潰して飲みやすいように水に溶かして渡した。両親がそれを飲んで眠った後にビニール袋をかぶせた。後始末は自分がした。」
「家族会議でみんなで死のうということになり」というのは、猿之助の勝手な言い分に過ぎない。死人に口なし!
しかも説得力に甚だ欠ける言い分だ。これが嘘なら、自殺ほう助ということではなくなり、「殺人」となるのである。だから一番大事な要素じゃないか。
そして次はビニール袋をかぶせたことだ。これは以下の園田寿弁護士の解説にあるように、自殺ほう助ではなく、嘱託殺人となり、罪はかなり重くなる。
もう一つは、事件当初の近所のおばさんの証言。朝早くに猿之助の母親の大きな叫び声を聞いたという証言だ。自殺をみんなで決めたのに大声で叫ぶ必要がどこにあるのか。これは猿之助への抵抗の叫びだろう。
つまり、母親は自殺なんかする気はなかったのだ。この重要証言はその後報道から一切消えた。自殺ほう助にするには都合が悪い証言だからではないか。
さて、園田寿弁護士は猿之助のやったことは、自殺ほう助ではなく、嘱託殺人ではないかと疑問を呈している。(6.28)
「自殺とは、人が自ら死ぬことであり、それを手助けすれば、自殺幇助となる。たとえば焼身自殺をするつもりの人に、だれかがガソリンを手渡し、その人がそれをかぶって自ら火を付けた場合に、ガソリンを手渡す行為が自殺幇助である。つまりこの場合は、火を付けるという本人の行為が重要で、ガソリンを手渡しただけでは決して死の結果は生じない。幇助とはそのような行為である。
また、たとえば焼身自殺するためにガソリンをかぶって横たわっているだけでは、その人は決して死ぬことはない。だれかに頼んで、火の付いたマッチ棒を投げ入れてもらえば、その人の望みは満たされる。この場合は、火の付いたマッチ棒を投げ込むことが「人を殺す」行為であって、それは幇助行為ではない。この場合は、嘱託殺人と呼ばれる。
…あの薬では死ねないならば、猿之助の行為は幇助とはいえない。高齢者だから母親はリスキーな状態にはなっていたかもしれないが、上の例でいえば、ガソリンをかぶって横たわっている人と同じで、そのままでは決して死ぬことはなかったのである(いずれ目が覚める)。そうすると、死の原因を与えたのは、猿之助がビニール袋を母親にかぶせたということ以外には考えられない。これは幇助ではなく、(嘱託あるいは承諾)殺人である。もちろん、母親に死の意思があったことが前提である(それがなければ、普通の殺人罪)。
(引用終わり)
弁護士なら当然この事件が自殺ほう助という結論を出すことに疑問を感ずるのである。
また、猿之助がビニールをかぶせたことについて、園田弁護士は次のように書いている。(7.20)
「…両親が「死ぬ」という意思を何らかの方法で表明しており、猿之助が向精神薬を準備して飲ませたならば自殺幇助か自殺教唆であり(死因は向精神薬による中毒死)、薬を飲んで眠っている両親にかれがビニールをかぶせて、これによって両親が死亡したならば嘱託殺人か承諾殺人である。
そして今明らかになっているのは、死因が少なくとも(猿之助の行為による)窒息死ではなく、両親が飲んだ向精神薬の中毒死(の可能性)ではないかということである。
しかし重要なのは、専門家の意見では、報道されているあの向精神薬で死ぬことは「ほぼ不可能」ということである。
なお、死の危険性を高める行為が自殺幇助であるという考え方もないことはない。しかし、この場合は、最初の自殺者が行なった行為自体が死の危険性を含んだものでないといけない。その行為にそもそも死の危険性がないならば、殺害行為を行なっていない幇助者がいくら行為しても、死の危険性が高まったということにはならない。本件でいえば、両親が飲んだ薬の量では医学的に死ねないならば、両親に命の危険はなく(いずれ目が覚める)、猿之助の幇助行為が死の危険性を高めたとはいえない。
しかし、かれがビニール袋をかぶせていたとなると、話はまったく別であり、その場合は、かれが死の危険を高めたのではなく、新たに死の危険を創設したのである(つまり殺害行為を行なった)。」
(引用終わり)
問題は死因であるが、警察の司法解剖の結果死因は〈向精神薬による中毒死〉(あるいは疑いが濃厚)とのことである。しかし、少しの向精神薬では死なないと医者は言っていたではないか。
つまり、警察は窒息して死んだとは認めたくないのである。あくまで向精神薬で死んだことにしないと自殺ほう助にならないからである。そうではないと、園田弁護士のいうように、嘱託殺人または殺人になってしまうからだ。
要するに、警察はなぜか途中から真実を追及することを断念して、「自殺ほう助」ありきのストーリー、つまり猿之助が書いた筋書きに沿うように捜査も調整してしまったのではないのか。
その結果、「家族会議でみんなで死のうということになり」という理由になっていない馬鹿げた理由を猿之助の言いなりになって警察は認めざるを得なくなった。つまり、「家族会議でみんなで死のう」という猿之助が勝手に言っていることが真実か否か追及することを止めてしまったのである。
自殺ほう助罪という軽罪にするためには、「家族会議でみんなで死のう」(両親から言い出した心中自殺!)ということが必須になってしまったのである。
警察ってこんなにも甘いんだろうか。冤罪というのは、無実の者を犯人に仕立てることだが、今回の事件はこの逆のように感じられる。犯人にしないためにどうすべきかで苦労する警察!
私は先般この事件を記事に書いたとき、両親の自殺はあり得ない、息子のスキャンダルで死ぬなんぞあるわけがない、でも死んだ。その理由を次のように推測した。
私の妄想的推理。
両親が一緒に死のうなんていうのは、猿之助の証言のみ。信ぴょう性が薄い。
両親を辱める記事ではないから、一緒に死のうと家族会議で決めた、というのは理由として軽すぎる。
両親が自殺する理由としてもっと強力な理由が必要。しかし、それがない。
猿之助が両親と自殺する理由がないなら、なぜ両親を死に至らしめたのか。
この程度の週刊誌記事で猿之助が死を覚悟するほど打ちのめされることは考えられない。
一つ考えられることは、
・週刊誌記事に関して家族会議が行われた、これは事実であろう。
・何が話し合われたのか。私は父親段四郎から猿之助への強い𠮟責があったのではと推測する。
・猿之助の名跡を猿翁(三代目市川猿之助)から受け継ぎながら、お前はその大事な名跡(先代が辛苦の上築き上げた猿之助歌舞伎!)を汚したという父の強い𠮟責!
・その叱責に対する猿之助の父親への強い負い目、それが怒りに変わりそして逆上!これまで頑張ってきた自負を父親から否定されたことへの怒りそして逆上! その怒りが殺意へ変わったということは考えられないだろうか。
・両親が自殺しようという理由がないなら、猿之助の方から父親に向けられた殺意が考えられるのだ。
その怒りはビニール袋をかぶせて死に至らしめたという行為に表れていないだろうか。
・母親はその巻き添えを食ってしまった。
・となると猿之助自身の自殺は偽装?ということになるが…。
(引用終わり)
もう猿之助は自殺ほう助罪で起訴されることが決まった。おそらく、執行猶予付きの軽罪だ。
これは猿之助が週刊誌スキャンダルで指摘され、親から𠮟責されてから犯行まで(ここは私の妄想ですから間違えないように)ほんのほんのわずかの間に考え付いた筋書きであったように思われる。
両親の自殺とそのほう助、これで何とか乗り切ろうと。
そしてそれは成功した。
もう殺人の疑いでマスコミが扱うことは絶対にない。
何年かして木原官房副長官の妻の事件がコールドケースとして蒸し返されれば別ではあるが。
因みに、木原官房副長官の妻の事件を再捜査したのは、所轄の女性刑事の執念らしい。海外ドラマを地で行っているみたいだ。
原宿署を出てくる猿之助の表情は無表情のようにも見えるが、自信たっぷりのようにも見えた。つまり、私は単なる自殺ほう助をしただけだという自信。それは今後の復活を暗示しているようにも見えた。世間はそれを許すつもりか。そんなことでいいのだろうか。
「家族会議でみんなで死のう」という両親との約束は今後どうするつもりなのか。
人相が変わった猿之助 不気味な表情!
因みに、保釈にあたって「一人にして大丈夫なの?」という声が上がっているが、私の読み筋からすれば全く何の心配も要らない、ということが分かるだろう。