新「なるほどメモ」その10(世の中で最も危険な思想は悪じゃない)

「いいか。世の中で最も危険な思想は、悪じゃなく、正義だ。悪には罪悪感という歯止めがあるが、正義には歯止めなんかない。だからいくらでも暴走する。過去に起きた戦争や大量虐殺も、たいていの場合、それが正義だと信じた連中の暴走が起こしたものだ」(山本弘『翼を持つ少女』)

 

この文を読んで「目から鱗」という方は余りいないでしょう。もう正義の暴走というのは、歴史的にも現在も嫌というほど見ているので、皆知っているのではないでしょうか。

私も一時期は「正義」という言葉に惹かれて左翼に走りましたが、左翼の悪の元は「正義の信奉」にあるということが早い時期に分かりました。正義というのは大事なんですが、恐ろしい魔力を持っていることを自覚しないと魔に魅入られてしまうのですね。

そういう意味で、この文からの発見は、「悪には罪悪感という歯止めがあるが、正義には歯止めなんかない。だからいくらでも暴走する」いうところでしょうか。

 

この正義の暴走。正義のためには何でも許される。キリスト教の教えのような。ウクライナや西側がやっていることです。

たった今クラスター爆弾がロシアに使ったと得々と話すアメリカや日本のマスコミ。まさに正義の暴走の一例でしょう。まさに歯止めがない。核爆弾を使っても正義の為なら許されると、平気で言うのでしょうね。

 

7.20 ウクライナ軍がクラスター弾使用開始

 

この言葉は、最近お世話になっている(よく読んでいる)ブログの「蚊居肢」から引用させてもらったものですが、このブログは含蓄ある文を多く引用(難しくてわからないものが多い)していて、この正義の暴走についても、以下のような引用がありました。紹介します。

 

 

・善への過剰なコミットメントはそれ自体、最も大いなる悪になりうる。このリアルな悪とはあらゆる種類の狂信的なドグマティズムである。特に至高善の名の下に行使されるドグマだ。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)

 

・善は根源的・絶対的悪の仮面にすぎない。…善の背後には根源的な悪があり、善とは「悪の別名」である。(ジジェク『斜めから見る』)

 

・いかに多くの血と戦慄があらゆる「善事」の土台になっていることか!(ニーチェ『道徳の系譜』)

 

・復讐欲動の発展としての正義(ニーチェ「力への意志」)

 

・一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。(中井久夫『看護のための精神医学)

 

・誰にも攻撃性はある。自分の攻撃性を自覚しない時、特に自分は攻撃性の毒をもっていないと錯覚して、自分の行為は大義名分によるものだと自分に言い聞かせる時が危ない。医師や教師のような、人間をちょっと人間より高いところから扱うような職業には特にその危険がある。(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」)

 

・例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?(令和4年度東大入学式祝辞 映画作家河瀨直美)

 

  この最後の言葉は映画作家河瀨直美の東大入学式(去年の4月)の祝辞なのだが、それに国際政治学者その他多くのウクライナ支援者たちがいちゃもんをつけた。

池内恵という中東地域研究者で東大教授蚊居肢氏からはバカの代表のように揶揄されている!)は、

「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ないでしょう」

と河瀨氏の祝辞を冷笑し、斉木伸生というフィンランド専門の国際政治学者

「いや完全なる悪者です。これはそういう次元の話ではありません。戦争違法化という長年の人類の努力を土足で踏みにじったのです。どっちもどっち諭に持ち込む余地はありません。」

と言い放つ。

また、細谷雄一という国際政治学者で慶大教授は

「それにしても河瀬直美監督の祝辞、なぜ人間個人にかかわる一般に留めなかったのか。それであれば多くが共感したはず。それを、国連総会決141対反対5でそのウクライナ侵略が非難され、プチャ虐殺で国連人権理事会でロシアが資格停止された直後に「ロシアの正義」に触れるとは。
 国際社会における正義は多元的であり、それを主権国家体系が支えている以上は国連という緩やかな協議体、合議体によってかろうじて国際社会で受け入れ可能な正義が生成されている。なぜそれを看過するのか。殺人やレイプをした人にも「正義」はあるかもしれないが、それを罰せずには社会は機能しない。
 せっかく繊細な人間描写に拘る芸術的な仕事に携わるのであれば、自らが専門的知見をもたない国際政治や戦争について限定した話にするよりは、それにふれずに人間個人一般にとどめれば、このような批判は受けなかったはず。言葉を大切にする職業の方であるゆえ、軽率であったと思い残念。」

 

と上から目線で国際政治について専門的知見をもたない癖に口なんか出すなよ、と河瀬直美監督を諭すのだが、これは素人の私でもこの専門家と称する細谷雄一が如何にウクライナ戦争のことを知らずに余りにもナイーブに正義を云々するか、なんとバカちゃうやろかと思わせる。

 

だから蚊居肢先生も

西側メディアを盲信するだけの国際政治学者なる「専門家」が実に繊細さに欠けるから、河瀬さんはあまりにも耐え難くなって、やむなく芸術の分野から具体的に適してるんだよ、キミらがすこしでも目を醒ましてくれることを期待してね。
 キミたちは、ロシアの「絶対悪」を存在させることで、ウクライナのバックにいる米ネオコンの、世界資本主義における構造的な」という意味での「究極の悪」を隠蔽してるだけなぐらい、いくらなんでも気づけよ。
世界に冠たる正義の2国! 究極の自由、ネオナチ活動自由の国! 」

とおバカな国際政治学者を丸ごとゴミ箱に放り込んだのである。
 

まともな頭があるなら、細谷とか池内なんちゃらは恥ずかしくて街を歩けなくなるはずだが、いまだに街をそして大学を闊歩しているらしい。バカは死んでも治らないってなんか前にも書いた覚えがあるなあ。
 

因みに私もこの河瀬直美監督の東大祝辞についてブログ記事を昔書いた。