先日のG7ヒロシマサミットは戦争サミットであったのに、岸田の支持率が上昇するなんて日本人はどこを見ているんだろうか。大手マスメディアも、俺達ってまだまだ捨てたもんじゃない、ネットに負けてなるものかと自信を深めたことだろう。

 そんな支持率上昇もアホ息子の翔太郎秘書官不祥事で打ち消されたようで、慌てて官邸(岸田本人が決断するわけないよね)は秘書官更迭を決めたようだ。当然だが、遅すぎる。

 

 今日のフジテレビで橋下徹がコメンテータとしてこの翔太郎秘書官不祥事を擁護していたようだが(擁護するといった途端にチャンネルを回した、不愉快だから。なのでどんな理由で擁護したのか知らない、知りたくもない。)が、公明を離縁して維新と連立させたいから橋下も岸田の悪口は言えないのだろう。

 

 それにしても橋下徹はテレビに出過ぎじゃないか。維新の広告塔(兼影というか真の維新の会支配者!)とはいえ、テレビ局も特定政党を裏から支援し過ぎだろう。維新と公明、どちらも連立には最悪、究極の選択だ。

 

 さて、戦争サミットとしてのG7ヒロシマサミットで原爆投下に各国リーダーは何を思ったか。

私もそういう割に原爆投下についての歴史的経緯など余り勉強していないことに気付いた。

今回は、3年前の月刊誌の書評(月刊WILL)を紹介したい。

これは、米国の原爆投下が如何に非人道的だったのかを如実に示す書籍(長谷川煕「疑惑 なぜB29-エノラ・ゲイ-は反転”したのか」)の紹介である。

 

           

 

米軍の本土上陸にかかる被害を最小限にするために原爆投下をしたなどというのは、全くの後付け理由で、巨大な破壊力を持つ原爆をいかに政治的に生かせるか、どうしても実実験つまりビルや家屋の破壊と殺傷効果の検証を実地でしたかったのである。何万人の人を殺すために効果的に実施したいという悪魔のような非人道的な米軍の手口(人体実験及びジェノサイド)をこの本、長谷川煕(ひろし)「疑惑 なぜB29-エノラ・ゲイ-は”反転”したのか」についての書評が紹介しているのである。

 

   原爆投下爆撃機「エノラ・ゲイ」

 この本は、原爆投下爆撃機「エノラ・ゲイ」が、なぜ投下地点「広島」へ直行せず、通り過ぎ・迂回し・反転してから投下したのかを、米国の資料館を回り、長期間をかけて取材して、地図と挿入しながら、徹底的に書き上げた本である。長谷川煕氏は元朝日新聞記者である。朝日にもまともな記者はいるのである。

 

長谷川煕「疑惑 なぜB29-エノラ・ゲイ-は反転”したのか」(wac)

   書評 永栄潔(ながえきよし)朝日新聞元記者(月刊WILL 2020年8月号)

 

 終戦から七十五年。原子爆弾はその年一九四五年八月六日に広島、九日に長崎で炸裂した。 米軍による史上初の核攻撃だった。爆発点は数十万気圧に達し、六百メートル離れた屋根の表面を溶かす熱風が音速の一・三倍で憤く。 犠牲者は広島で二 十六万人、長崎で七万余に及んだ。

七一年七月、広島原爆は人体実験だったとする一文が「文藝春秋」に載る。筆者は、被災当時、呉海軍工廠 広島分室で対空・対潜火砲を開発していた若木重敏元大尉( 戦後、協和発酵工業で抗がん剤を研究。副社長など歴任)。生き残った彼も列席した翌日の技術士官会議で、同僚が「大型機は侵入したとき上空を旋回しただけだったが、舞い戻ってきた瞬間、閃光が走ったという。直前に落下傘が三個投下された」旨報告するのを聴いてメモした「反転なぜ」の実相を調べての小論だった。

  ただ、「人体実験」と明記する米公文書に突きつける論考ではなかったからか、現代史家やメディアは無視に等しかった。本書はそうしたなか、著書がこの半世紀、米公文書を読み込み、原爆投下の当事者に取材し若木説を検証した報告。広島一都市全体を対象にした人体実験だったことは明らか--それが行き着いた結論だという。

呉鎮守府の記録によると、この日、 広島県に警戒警報が出たのは午前七時九分。豊後水道から侵入した三機の大型機は県中部を旋回し、同二十五分、東方へ去る。同三十一分、警報解除。

が、八時六分、現・福山市の松永監視哨から大型機二機(すぐ三機と訂正)が西北進中と入電。飛行が続けば広島市上空だ。

再度の警戒警報を住民に発令しようとした瞬間、凄まじい閃光。原爆の炸裂だった。

 

 

若木氏が飛行経路に注目したのには訳があった。

郊外住まいで怪我もなかった氏は広島市内の分室へ急ぐのだが、道で無数の死体の中を笑いながら歩いてくる少女らに逢う。警報解除を知らず、防空壕を出ると、こうなっていたと言う。

だとすると、米軍は防空壕の威力を知っており、警報を出させ、解除させ、ほっとした市民が壕から出るのを狙って投下したのではないかと見たのだ。

本書はそうした若木説を一つずつ検証し、事実を確定してゆく。

県央山間部に在った甲山防空監視哨では 寺地文人元副哨長が「頭上近くで急遽機種を東神崎方面に急旋回させた」と回想録に記していた。 原爆投下機の反転と投下直前の急旋回を証する新事実の発見だ。寺地氏は百歳近くまで著者の取材に応じている。著者は〇九年、原爆投下機「エノラ・ゲイ」のカーク航法士 (飛行経路を指)に面談。訊く前から「反転はしてない」と言い、「詳細の探求か。見つかりはしない (You are not going to find it.)」と語った由。著者は「反転」の告白として聴いた。

それで、人体実験のシナリオは誰が描いたのか。

著者は、原爆の威力を最大値で確かめたかったオッペンハイマーら科学者とマンハッタン工兵管区司令官グローブズ少将の合作と解く。

若木氏は、日独で都市空襲を指揮したルメイ米戦略空軍参謀長(のち勲一等旭日大綬章)とした。

原爆投下の直前、落下傘に目を奪わせたのが人体実験の何よりの証拠と断じた河内朗元愛知学泉大教授は`狂気の人`グローブズの単独説(「ヒロシマの空に開いた落下傘 70年目の真実」)。

説得力は著者か。

(引用終わり)

 

広島に落とされた理由は①人口が集中している、②直径5キロ以上の広さがある、③空襲を受けておらず町も破壊されていない、④軍事施設がある等々であるが、その中の、③空襲を受けておらず町も破壊されていないというのは、最初から原爆を広島に投下することを決め、原爆の効果を分かりやすくするために、わざわざ空襲を控えてきたという用意周到さ。

そこから考えても、B29を通り過ぎさせて、広島市民を安心させて、防空壕からはい出させた直後の原爆投下ということは米軍の悪魔的策略として十分考えられることである。

 

私はまだこの本を読んでいないが、そもそもなぜB29-エノラ・ゲイ-は反転”したのかといわれていることすら知らなかった。そういう疑惑も原爆資料館に展示すべきだろう。おそらくそんなことは展示説明にはないと思うけど。