ネットを見ていたら、東洋経済オンラインの記事で、中野剛志氏や施光恒氏らの座談会「アメリカの民主主義が「機能不全」に陥った理由 極右化する保守と、大衆を軽んじるリベラル」を見つけた。といってもチラ見しただけだが。

 これは、アメリカの政治学者マイケル・リンド氏の著書『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』(東洋経済新報社)発刊を記念してのもののようで、なかなか興味深く感じた。

 

 

その座談会紹介見出しには、次のように書かれていた。

 

グローバル化の問題点は「新しい階級闘争」を生み出した。新自由主義改革がもたらした経済格差の拡大、政治的な国民の分断、ポリティカル・コレクトネスやキャンセルカルチャーの暴走である。

アメリカの政治学者マイケル・リンド氏は、このたび邦訳された『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』(東洋経済新報社)で、各国でグローバル企業や投資家(オーバークラス)と庶民層の間で政治的影響力の差が生じてしまったことがその要因だと指摘している。

中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)など、気鋭の論客の各氏が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は井上弘貴氏(神戸大学大学院教授)も参加し、同書をめぐって徹底討議する。今回はその前編をお届けする。」

 

後半は以下にあります。

 

 

図書館で予約したら、さっそく借りることが出来たので読み始めている。まだほんの少しだけど。

この本の巻頭解説を中野剛志氏が書いており、これを読むだけでも刺激的だ。

 

マイケル・リンドは、いまや、左・右の対立ではなく、上・下の対立だという。ポピュリストとエスタブリッシュメントの対立とも。

これは私も前から感じていたことで、英米の混乱・堕落や日本の保守の歪みなど、もはや左翼、右翼では説明がつかない。このエスタブリッシュメントというものが支配していると考えるといろいろなものが見えてくるのだ。エスタブリッシュメントとは、単に富裕層のことではない。経営者層、高級官僚、高度専門家・技術者、識者、エリート学者、エリート学生等々のことだ。

 

そして彼らは総じて新自由主義者であり、グローバリストで、鼻持ちならないエリート主義者だ。

成田悠輔なんぞは典型的にその仲間のイデオローグだろうし、昨日ニュースでやっていたローマ・トレビの泉に黒い水を流して、環境を守れと叫んでいた若い暴力的環境原理主義者たちもまさにエリートを鼻に掛けたエスタブリッシュメントの一員だろう。

 NHKがよく若手学者を呼んで討論会をするとき(最近はほとんどしなくなったようだが)に選ばれた学者たちはほとんどこのエスタブリッシュメントの一員なのだと思う。だから、彼らの議論は我々の心に全く響かないし、届かないのである。

成田悠輔の話が我々の心を打たないのはまさにエリーティズムつまり支配層の言葉から発せられているからである。

 

(因みに、エスタブリッシュメントについて書かれた書として、英国の事情を書いた者だが、オーウェン・ジョーンズ「エスタブリッシュメント 彼らはこうして富と権力を独占する」(海と月社)及び同「チャヴchav 弱者を敵視する社会」(海と月社)がある。これも図書館で借りて読んでみたい。わが町の市立図書館は、小さいがこういういい本を蔵書しているのが嬉しい。)

 

マイケル・リンドのトランプ評は賛成できないが、まだ本文を読んでいないのでどういう批判をしているのか確認してみたい。

 

まずは下記に掲げる中野剛志氏の

【巻頭解説】「啓発されたリベラル・ナショナリズム」という思想

を文字起こししたので読んでみてほしい。

そしてできれば図書館で借りるか又は書店で購入をお勧めする。まだ読んでいないのに偉そうに言って申し訳ないが。

 

なお、中野剛志氏や藤井聡氏のお仲間の施光恒氏(九州大学大学院教授)が監訳で、「監訳者解説 新自由主義的改革に反省を迫り、民主的多元主義の再生を促す書」というものを巻末に書いている。

出来れば、この巻末解説も文字起こしして記事にしたいと思っている。

これらを読めば、本書を読みたくなること間違いなしだから。

 

マイケル・リンド

『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』

                          (東洋経済新報社)
【巻頭解説】中野剛志「啓発されたリベラル・ナショナリズム」という思想


 

「リアリズム」と「経済ナショナリズム」
 マイケル・リンドという思想家の名は時折耳にしたことがあり、興味も持っていたが、うかつにも、これまで彼の著作を読んだことはなかった。だが、今回、東洋経済新報社から本書「新しい階級闘争」の解説を依頼されたことを契機に、本書を含む彼の著作に触れた。 そして、本書の解説を依頼された理由を知ることとなった。というのも、リンドの思想は、私がこれまで展開してきた主張とほとんど同じであったからだ。
たとえば、リンドが2015年にナショナル・インタレスト誌に寄稿した「アメリカのナショナリズム の擁護(The Case for American Nationalism)」に目を通してみよう。 この論文の中でリンドは、冷戦終結前までのアメリカの戦略を支えてきた戦略思想を擁護する。
その一つは、国際関係理論において「リアリズム」と呼ばれる思想である。リアリズムとは、 大雑把に言えば、国家は自国の安全保障を第一に考えて行動するものであり、また行動すべき であるという思想である。リアリズムは、国家間の勢力均衡を重視し、勢力均衡を維持すること 外交戦略の目的とする。また、リアリズムは、国家の軍事行動は、自国の安全保障を確実なも のにするうえで必要最小限でなければならないと考える。 建国から冷戦期までのアメリカの基本 的な戦略思想は、このリアリズムであった。それゆえ、アメリカは、北アメリカの地域樹とし ての地位を確保しつつ、ヨーロッパやアジアにおける地域覇権の成立を妨害するような外交戦略をとってきた。
  もう一つは、「経済ナショナリズム」と呼ばれる思想である。アメリカは自由貿易の旗手のように言われているが、建国から第二次世界大戦までは、極めて保護主義的であり、また国家が積極的に産業の育成やインフラの整備を行っていた。そして、この保護主義と国家資本主義によっ 世界最強の生産力を獲得した1940年代になって、アメリカは自由貿易の旗手へと転じたのであった。
  このリアリズムと経済ナショナリズムから構成される思想を、リンドは「啓発されたリベラル・ナショナリズム (enlightened liberal nationalism)」と呼んでいる。 この「啓発されたリベラル・ナショナリズム」こそが、リンドの思想である。そして、それが私の思想でもあることは、たとえば「富国と強兵--地政経済学序説」中野剛志(東洋経済新報社)で示した通りである。

完全に失敗した「グローバル戦略」と「ポスト・ナショナリズム」
 だが、このアメリカの伝統的な思考様式であり、そしてリンドの思想でもある「啓発されたリベラル・ナショナリズム」が、冷戦終結後、放棄された。そのことを批判するのが、この「アメリカのナショナリズムの擁護」という論考の主な目的である。
  まず、冷戦終結後、リアリズムが放棄された。代わって、グローバル覇権を目指すのが、アメリカのポスト冷戦の大戦略となった。すなわち、他国の国家主権を軽視し、内政への軍事介入を行ったのである。この大戦略を支える思想は、ナショナリズムを時代遅れとみなすグローバリズム、あるいは「ポスト・ナショナリズム」である。
  そして、このポスト・ナショナリズムが経済政策に適用されると、自由貿易や移民の受け入れ推進となる。自由貿易によって中国の安価な製品の輸入がアメリカの産業を破壊したが、これに異を唱える声は排除された。また、不法移民の流入によって、アメリカは、多様な人種や民族を統合した国民国家ではなく、人種や民族によって分断された単なる集合体となってしまった。
   だが、このポスト・ナショナリズムは、アフガニスタンやイラクへの軍事介入の失敗、世界金融危機、そして中国の軍事的・経済的台頭によって、破綻を来したことが明らかとなった。もはや、アメリカには、グローバル覇権戦略を支えるのに十分な軍事力も経済力もないのである。 
    そこでリンドは、「啓発されたリベラル・ナショナリズム」、すなわちリアリズムと経済ナショナリズムへの回帰を呼びかける。
    まず、リンドは、リアリズムが唱える「オフショア・バランシング」という戦略を支持する。
「オフショア・バランシング」とは、ヨーロッパやアジアの地政学的安定のために、アメリカが「世界の警察官」的な役割を果たすのではなく、ヨーロッパやアジアの同盟諸国の軍事力を強化して、勢力均衡に当たらせるという戦略である。
   そして、経済的には、経済ナショナリズムの典型的な主張である国内の製造技術革新の強化を唱える。製造業が重要である理由は、それが軍事力を支える基盤でもあるからだ。また、技能の移民を受け入れ、アメリカの人口を増やすことは、安全保障上も重要である。ただし、賃金の引き下げやナショナル・アイデンティティの崩壊につながらないようなコントロールを要するであろう。
   この四半世紀のグローバル覇権戦略とポスト・ナショナリズムは、完全に失敗に終わった。アメリカは、元の正常な戦略、すなわち「啓発されたリベラル・ナショナリズム」へと回帰すべきだ。
   2015年の論考で、リンドは、このように主張した。彼の基本的な思想は、この論考のなかに凝縮されている。
   だが、この論考が発表された翌年の2016年あたりから、イギリスにおけるブレグジット(ヨーロッパ連合からの離脱)を決める国民投票やアメリカの大統領選におけるドナルド・トラ ンプなど、いわゆるポピュリズムと呼ばれる政治現象が各国において大きな問題となった。こうした状況を受けて、2020年、リンドは、本書「新しい階級闘争」を世に問うたのである。

「右と左」の対立から「上と下」の対立へ
  ドナルド・トランプ、ナイジェル・ファラージ、ボリス・ジョンソン、マリーヌ・ル・ペン、 マッテオ・サルヴィーニといったデマゴーグが、無知蒙昧で社会に不満をもつ大衆を煽動し、エスタブリッシュメントを攻撃させ、体制を破壊しようとする。彼らは、危険な人種差別主義者であり、リベラルな世界の破壊者であり、もっと言えば、ペテン師である。ポピュリズムについては、このようなイメージで語られてきた。
   リンドも、ポピュリストの政治家たちを体制破壊的なデマゴーグとみなしており、彼らの主張を擁護しようとはしない。ポピュリストたちは、確かにリンドと同様に、グローバリズムに反旗をしてはいるが、彼らの自民族中心主義的な主張は、多様性に対する寛容を重視する「啓発されたリベラル・ナショナリズム」とは似ても似つかぬものだ。
だが、重要なのは、この過激な煽動的ポピュリズムを生み出したのは、エリートたちが半世紀にわたって構築し、維持してきた新自由主義的な支配体制にほかならないということである。

ポピュリストとエスタブリッシュメントの対立は、新しい階級闘争である。アメリカをはじめとする先進諸国は、大都市で働く高学歴の管理者(マネージャー)や専門技術者(プロフェッショナル)から構成される少数派の上流階級と、土着の国民と移民とに分裂した多数派の労働者階級との間に分裂した。そして、権力は、管理者と専門技術者といった上流階級のエリートたちに集中し、労働者階級は、政治・経済・文化のいずれの領域においても、発言する場を失った。上流階級が体制のインサイダーとなり、労働 者階級はアウトサイダーとなったのである。

この分裂は、かつてのイデオロギー上の右派と左派とは関係がない。問題は、右と左の対立ではなく、階級の上と下の対立である。たとえば、アメリカでは、共和党と民主党とを問わず、イギリスでも保守党と労働党とを問わず、エスタブリッシュメントは新自由主義を推し進めていた。

この上流階級による新自由主義的な支配に対して、アウトサイダーに追いやられて発言を失った労働者階級はついに不満を爆発させ、破壊的な反発の挙に出た。それがポピュリズムである。 だから、ポピュリズムの原因は、新自由主義的な政策によって労働者階級を抑圧し、政治・経済・文化のいずれの領域においても労働者階級を疎外してきたエスタブリッシュメントの側にある。ポピュリズムは確かに健全ではないが、それは、エスタブリッシュメントの新自由主義的な支配という疾患に現れた症状に過ぎないのである。

 

「ポピュリズムの反乱」の必然と限界

リンドは、煽動的で破壊的なポピュリズムには批判的であるが、エスタブリッシュメントの立場に与してはいない。むしろ、エスタブリッシュメントの新自由主義的支配に対しても、極めて批判的である。

特に、本書の第6章(「ロシアの操り人形とナチス-ポピュリスト有権者を悪者扱いする管理者エリートの手口」)は、日本の読者には必読であろう。我々が入手するアメリカに関する情報は、もっぱらアメリカのマスメディアを通じてである。しかし、そのマスメディアがエスタブリッシュメントの支配下にあるから、我々が知る情報にはバイアスがかかっている。そのことが、第6章を読むと、よくわかるのである。

エスタブリッシュメントのリベラル派は、トランプを支持するポピュリズムを、ロシアがソーシャルメディアを利用して行った世論操作によるものであるとか、隠れファシズムの発現であるといったように解釈して、非難してきた。だが、ロシアによる世論操作はあったとしても、その影響はごく小さいものに過ぎなかった。トランプ勝利の主たる要因は、地域経済の衰退と労働者所得の低迷である。だが、エスタブリッシュメントたちは、そのことを認めようとせず、ロシア陰謀説を流し続けた。

また、2017年8月に、バージニア州シャーロッツビルで、白人至上主義者の車が群衆のなかに突っ込んで一人の女性をひき殺すという事件が起きた際、トランプ大統領が記者会見で白人至上主義を明確に非難しなかったと報じられた。そして、この記者会見での発言が、トランプが隠れナチであることの証拠だとされたのである。ところが驚くべきことに、当時のトランプの実際の発言を確認すると、白人至上主義に対する強い非難の言葉がいくつもあったのだ。

一般に、陰謀説を撒き、フェイクニュースを流すのは、ポピュリストのデマゴーグの側であると信じられているし、それは事実でもある。しかし、エスタブリッシュメントの側もまた、ポピュリズムを封じ込め、自分たちの特権的支配体制を守るためであれば、陰謀説やフェイクニュースによって世論を操作していたのである。身の毛がよだつような話である。アメリカの政治は、ここまで腐りきっていた。これでは、ポピュリズムの反乱が起きても当然であろう。

だが、デマゴーグに煽動されたポピュリズムは、破壊的・攻撃的ではあっても、特権階級の新自由主義的支配体制にとって代わる安定的な新体制を構築することはできない。それは、エリートたちの鼻持ちならないグローバリズムやポリティカル・コレクトネスといった綺麗事に反発する、下品で露骨なカウンターカルチャー以上のものではないのである。そのことは、2017年から四年間のトランプ政権の顛末を見ても明らかであろう。結局のところ、ポピュリズムの反乱は、エリートたちの強固な新自由主義的支配によって、鎮圧される運命にあるとリンドは言う。

その結果、政治体制は、抑圧的な新自由主義と、それに反発するポピュリズムという両極端の間を振り子のようにスイングし、不安定化することになる。実際、そうなってしまっている。 2022年、アメリカでは中間選挙があり、その二年後には大統領選があるが、アメリカにおけ政治の不安定化と社会の分断がいっそう深刻化するであろうことは、すでに誰の目にも明らかとなっている。

 

「民主的多元主義」で拮抗力を取り戻す

この民主主義の危機を打開する方法はあるのだろうか。

リンドは、新自由主義的支配が確立する前のアメリカの民主政治に解決のヒントを得ようとする。かつてアメリカの政治において、労働者階級の声は、労働組合、宗教団体、地域政党、市民団体などの機関が代弁していた。そして、そうした各種機関が「拮抗力」となって、一部の特権的階級に権力が集中するのを防いでいた。このような政治システムを「民主的多元主義」と言う。過去半世紀、エスタブリッシュメントたちは、その特権的支配を確立するために、新自由主義的 な政策やグローバリゼーションによって、労働組合や市民団体を弱体化させてきた。この労働組合や市民団体などの機関を復活させ、その「拮抗力」を取り戻すというのが、リンドの提案である。

本書においてリンドは、階級闘争という分析視角を持ち込んではいるが、マルクス主義のように、労働者階級が体制の革命を引き起こすとは考えていない。彼の望みは、階級闘争における労働者階級の勝利ではなく、そもそも、国民が階級に分かれて闘争することを回避することなのだ。階級の壁を越えた国民の連帯と統合を理想とする「啓発されたリベラル・ナショナリズム」こそが、彼の思想である。

私は、リンドの思想に全面的に賛成である。

(引用終わり)