ここ数年テレビを見るというと、夕方のニュースぐらいしか見ないのだが、最近はニュース自体がパターン化して飽きてきた。火事と車の事故とわいせつ事件とさい銭泥等々。そのパターン化した事件でよく扱われるのが、無人販売所における盗難事件だ。最近の日本人の質が悪くなってきましたねえ、と言いたいのではない。ニュースの扱いが余りにワンパターンで面白くないのだ。無人販売所における盗難事件に凝縮された問題を剔抉(てっけつ)してほしいのだ。無理だけど。

 

といってもここ数日の事件は面白い(といっては不謹慎だが)事件が続く。中学教師が老人の家に空き巣に入って、刺し殺してしまった事件。その後何食わぬ顔して学校に戻って数日前に捕まるまで普通に授業をしていたという事件。

 

今日はこの事件について言いたいわけではなかったが、書きついでに気になったことを一言二言。

それはまず教育委員会の会見。その中での校長の殺人犯教師への評価の言葉。それへの違和感

「(尾本容疑者は)普段は明朗快活。非常に誰とでも穏やかに会話ができる教員です。教員との人間関係も良好です。担任としても個を大切に、一人ひとりの生徒に配慮した指導をしており、中堅教員として手本となっています」

「(Q.最近、お金に困っている様子は?)全くそういった話はありませんし、そんな様子を感じることはありませんでした」

 

大体犯人が捕まるとこんな感じのほめ言葉を連ねる。近所の住人も同じように褒める、褒める。

私はこういう犯人を褒める言葉にとても違和感を覚える。

「とっても素晴らしい人ですよ。」「でも人を殺したんですが」

 

そう言いたいことはよくわかるよ。要は「びっくりしました」と言いたいがために落差を付けたいという無意識か、他のテレビ会見が刷り込まれているからかなんか知らないが、いつもワンパターンの言い方だ。テレビ局もそれを望んでいるのが見え見えだから学校側もサービスしているに違いない。

 

もう一つの理由は、そんな殺人教師に気が付かなかったのか、どういう管理・指導してるんだという責任追及(誰もそんなこと言ってないが先回って)から逃れるために、素晴らしい人物ということをことさら言うのである。

この二つが、大体どんな事件が起きても関係者から必ずそういうのを見させられているから違和感を抱くのである。

 

しかし、その後マスコミが調べを進めていくと、この男の異常性が暴かれていく。

まずはギャンブルや投資に狂って莫大な借金を重ねているとか。こんなことはふつう同僚なら薄々わかるものだ。しかし、問題を起こさなければ特に注意などしない。が、ちょっとやりすぎな奴だよな、ぐらいのことは周りは気付いているはずだ。

 

また、ストーカーもやっていたというトンデモ情報が出てきた。ストーカーやる奴なんて世の中そうそういないから、これを本当にやる奴はやはり行動とかしぐさとか言い方の異常さに現れるはずだ。

つまり、同僚や教頭などはそういうことを薄々知っていた可能性があるんじやないか。

 

だって、最近教師の超過勤務が問題になって授業以外の仕事に追われてほとんどの教師は大変だ、もっと働き方改革をしなくてはと言われているのに、ギャンブル、ストーカー、自転車でぐるぐる回り、等々全然教師の仕事なんてしているように見えない。大変さなど感じられない。

これで校長が言う「中堅教員として手本」なんてほんとなのかねえ、と思ってしまう。イヤイヤこの校長、この殺人教師が学校で鼻つまみ者だったことを知っていたんじゃないのか、そんな疑いを持ってしまうね。

 

つまり、報道の仕方、テレビ局のストーリーの作り方がワンパターン(何度も使ってしまったがこれは死語かな。三省堂の国語辞典は死語は辞書から削除するというバカ辞書だからこの言葉は載ってないだろうな)なのである。

私に言わせれば、この教師への異常性の評判も取材で集めているはずだと思うのだが、それを最初に出すとストーリー、つまりこんないい人がこんなトンデモな事件を起こしたということが言えなくなるので、出し惜しみしているのでは、という疑いだ。

 

そして不思議なのが逮捕される前の犯人の映像(自転車に乗る教師)が逮捕直後に出ることだ。

つまり、警察がかなり早い時期に、マスコミに向けて「こいつが犯人らしいよ」と伝えているに違いない。

警察はテレビ局にサービスし過ぎじゃないかねえ。手錠にはバカみたいにぼかしを入れるくせに、人権問題は起きないの?

 

本当は今日は無人販売所の盗難ニュースについて一言言いたかったのだけれど、中学教師の殺人事件について書いているうちに夜も更けてしまったので、これについては次回に書こう。