その2(小幡績のコラム)
「…「自国通貨建ての政府債務なら、いくらでも借金できる」というのは幻想で、為替取引が国際的に行われているかぎり、それは自国通貨建てであろうとも、金融市場から攻撃を受ける。
そして、為替の暴落を許容しても、結局国債が暴落してしまい、借金はできなくなり、すべてを日銀に依存することになる。同時に、株式も短期的には大暴落となるから、政治的に持ちようがなく、政権は株式市場により転覆されるだろう。その結果、その政権あるいは次の政権は、財政再建をせざるをえず、日銀引き受けは結局実現することはない。
日銀直接引き受けがありえないとなれば、「財政破綻はしない」という論者の議論はほぼすべて破綻する。だから、これ以上議論することもないが、この際、すべての点において彼らを打ちのめしておこう。
まず、政府と日銀を一体で考える「連結政府」という議論は、前述したように無意味だ。連結政府という考えで借金しようとすれば、即金融市場暴落だから、一体で考えることは“打ち出の小槌”どころか、反対に“地獄への道”である。
その次に、借金という負債と対になる資産も考えろという「バランスシート議論」も無意味だ。日本は負債も多いが資産も多いので大丈夫というのは、現実的にはまったく間違いである。
政府が不足しているのは現金である。キャッシュがなければ、国民にも配れないし、公共事業もできないし、国民の医療費の肩代わりもできない。資産があっても現金がなければ、政府の資金調達には使えないので、現金資産あるいはすぐに現金化できる資産しか意味がない。したがって、特別会計の剰余金は使えるが、それ以外はほとんど使えないのである。
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の厚生年金の積立金の運用資産の株式、債券などを売却すれば、確かに100兆円以上の現金は入ってくる。だが、たとえその資産が200兆円で売れたとしても、1000兆円を超える負債を相殺するには遠く及ばないし、もちろん、将来の年金支払い原資が不足するから、将来、200兆円の不足額が増えるだけのことである
さらに、道路や森林などは問題外である。買い手がいない。道路に価値があっても、買う人がいなければ売却はできない。価値があっても価格がつかないというのは、金融市場でなくとも普通のことである。
高速道路だけでなく、すべての道路に課金すれば、というような議論は意味がない。なぜなら、消費税も政治的に上げられない政府が、すべての道路に課金するなどということを実行するはずはないからだ。万が一、それをするとすれば、財政破綻後であろう。
こう追い詰められれば、「財政破綻ありえない派」の論者たちは、今度は「そもそも借金を返す必要などない。個人や企業と違って、国は返さなくていいんだ」と言うだろう。それならば、バランスシートで考えること自体に意味がない。バランスシートで考えろという議論は、そもそも無意味なのである。
前述した金融市場による財政破綻のプロセスで見たように、財政破綻が起こるかどうかは、政府がそのとき必要な現金を調達できるかどうかにかかっているのであって、バランスシートも借金残高も直接は関係ないのである。
しかし、現金化できる資産をすべて売りさばいても、せいぜい1年ちょっとで、2年も持たないだろう。なぜなら、新しい国債が発行できなければ、借り換えもできない。現在、日本政府は、毎年借り換えも含めて国債を170兆円以上新規発行しており、今後は200兆円を超えてくると思われるので、現金化できる資産をすべて売り払っても1年しか持たず、2年は無理なのである。
借金残高が大きいとどうなる?
では、借金残高の大きさはまったく関係ないのか。500兆円でも1200兆円でも関係ないのか。
借金の大きさには、2つの大きな影響がある。
まず第1に、借金残高が大きいと「こいつ返せるのか、返す気あるのか」という疑念を持たれ、新たに貸してもらえなくなる。その意味では、GDP比で250%でも財政破綻しないのだから、300%でも400%でも大丈夫、60%程度で破綻したギリシャなどとは日本は根本的に違う、という議論は間違いだ。
つまり、日本がこれまで破綻しなかったのは、政府に金を貸してくれる人がいたからで、今やそれが日銀しかいなくなりつつあるというのが問題であり、250%で破綻しないことは今後破綻しないことを意味しない。何より、日銀に半分を買わせないといけないという現実は、まもなく破綻することを示している。
第2に、破綻したあとの再生の困難さに大きく影響する。日本にとってはこれが最大の問題だ。
ギリシャと違って「自国通貨建てで、国内で借金をしているから大丈夫だ」というのは、厳しい国際金融市場ではない、なれ合いの、そして政府の影響力のある金融機関と中央銀行が保有しているから、破綻がすぐには起こりにくい、という意味では正しい。
だが、それは逆に言えば、市場が鈍感であり、鈍感な投資家が保有している(鈍感に振る舞うことを強制されているともいえるが)ことを示しているのであり、破綻危機が近づいても、金利が上昇しない(国債価格が下落しない)という市場の警告機能がマヒしていることを意味する。だから、日本政府の破綻は突然起こるのである。
そして、破綻後、政府の財政再建が非常に困難になる。国内の資金は使い尽くしている。個人の金融資産は銀行に預けられ、地域金融機関やあるいは半公的な金融機関、ゆうちょ銀行などに預けられている多くの部分は国債になっているから、返ってこない。
国民の金融資産の実質価値は激減してしまうのであり、国債の返済は先送り(リスケ)され、いつかは返済されるとしても長期にわたり、インフレ分は目減りするし、何より、すでに老後を迎えている多くの国民は貯金が今必要なのに使えなくなってしまう。
開き直って、財政破綻、デフォルトした場合、過去の借金は水に流してもらって再建するのが、政府破綻の場合は多い(実質ベースで半分程度返済される、つまり半分は棒引き)。
国内保有が多いほど、破綻したら大変な事態に
この場合、海外投資家が保有していれば、破綻の負担は海外に転嫁できるが、国内保有の場合は、すべて国内で負担しなければならない。つまり、夜逃げすらできない。自分の処理はすべて自分でしなければならないのである。これが、国債が国内保有だから大丈夫、という議論の最大のウソである。
むしろ、国内保有だからこそ、破綻したら本当に終わりであり、再起がほぼ不能になってしまうのである。
そして、その額が莫大であれば、1200兆円であれば、1200兆円の負担を国内で負うことになり、2000兆円になってから破綻すれば、そのときの日本国民が2000兆円を負担することになるのである。
だから、政府の借金の大きさは致命的に重要なのであり、ほぼ国内から借金をしていることは、日本政府の財政破綻リスクにおいて最も致命的なリスクなのである。」
(引用終り)
ツッコミどころ満載のコラムだが、さてキチンと反論せよといわれるとまだ勉強不足だ。だが、御用学者の主張を知ることはとても勉強になる。MMT理論が理解できたかどうかのリトマス試験紙になるからだ。
ぜひ皆さんもこのコラムを読んで納得するかおかしいと思うか考えてほしい。
小幡の主張はそれなりに説得力を持っている。それは何故か。
我々の持つ常識といっても洗脳された常識あるいは埋め込まれた常識をくすぐるからである。
子供の時、こんなクイズを出し合ったことはないだろうか。
「綿1トンと鉄1トンとどちらが重いか?」
「そりゃ鉄の方が重いだろう」
「残念でした。両方同じ重さです。どちらも1トンだから。」
「あちゃ!」
綿は軽く、鉄は重いのが常識というものである。でも結構このクイズに引っかかる者は多いのだ。「常識」「イメージ」の強さ、といえようか。
小幡や藤巻の論理はこれに似てるような気がするのだ。
よく読めば、あるいはよく聞けばわかるのだが、常識の罠に落ちやすいのである。
この小幡コラムもすぐに反論できるものと勉強不足で少ししらべないと反論できないものもある。しかし、それが大いにMMT理解への助けになると思うのである。
今後も大いに御用学者、研究者の反MMT屁理屈を引用していきたいと思う。