さて、一昨日の記事の冒頭で、

「世界も寒いようだ。米国も寒波襲来。これはもう地球寒冷化の兆候だろう。温暖化原理主義者は、寒冷化は温暖化が原因と訳の分からないことを叫ぶだろうが、もう脱炭素はやめて大いに炭素を出して温暖化すべきだ。暑いより寒い方が耐えられない。」

と書いたが、地球温暖化人為説を否定し、再生可能エネルギーを批判する市井の環境評論家近藤邦明氏が次のように書いて、地球寒冷化をむしろ心配すべきだと警鐘を鳴らしている。

 

近藤氏は私の環境問題についての思考の先生にあたるものと勝手に思っている。

近藤氏の地球温暖化批判やエネルギーに関する理論が最も優れていると思っている。但し、政治的な見方は余り賛成しないけど。

 

No.1449(2022/12/26)

寒波の冬に非科学的な温暖化脅威論を考える

本当に怖いのは温暖化のバカ騒ぎの中で迎える化石燃料の枯渇と地球の寒冷化

「…世の中では相変わらず人為的なCO2放出による温暖化の脅威を吹聴する世論が大勢を占めています。なんとバカバカしいことでしょうか。

 今回の寒波の影響を見るだけでも人間の生存にとって温暖化よりも寒冷な気候の方がはるかに致命的であることがわかるのではないでしょうか?

現在、人は化石燃料によるエネルギー供給によって比較的簡単に暖房することが出来るために、今回のようなエネルギー供給システムの崩壊を伴う異常寒波を除けば、寒さに対する脅威を忘れてしまっているのでしょう。

 生身の人間を一切の工業的なエネルギーを消費せずに自然環境中に置いた場合、赤道直下の高温の環境と氷雪に閉ざされた寒冷な環境ではどちらが生き延びることのできる可能性が高いかを考えれば答えは明白です。
 現在の地球の温度状態は、両極地方に極冠が発達した氷河期にあります。北半球の高緯度地方の氷雪気候を含む寒帯では農業生産は行えず、亜寒帯は限界的な農地であり、農業生産性は高くありません。
 単純に、地球環境が温暖化することは可耕作地の増加を意味し、生態系の第一生産者である植物にとって好ましい変化であることは明白です。


 愚かな温暖化脅威論の信奉者は、直近の気温極小期であった14~19世紀の「小氷期」の気温に比べて僅か数℃上昇することによってまるで灼熱の地獄が誕生するという北欧のどこかの国の無知な少女の愚かなプロパガンダに洗脳されてしまっています。大人気ないヒステリックな反応です。

 

 温暖化の脅威が話題になるのは、ほとんど夏の酷暑の時期です。しかし、本当に人為的に放出されたCO2による付加的な大気の温室効果の増加が原因である温暖化であるならば、温帯の夏の気温上昇とは関係がないと断言できます。温帯の夏や熱帯、亜熱帯の湿潤な大気であれば、水蒸気による圧倒的な温室効果があるため、CO2濃度の上昇による大気の温室効果の上昇は起こりません。


 仮に、CO2による大気の温室効果の影響が観測されるとすれば、日本の天気予報でご存じの「放射冷却現象」が観測される時期、つまり気温が低下して大気中の水蒸気濃度が低下する秋から冬の時期に限られるのです。
 つまり、CO2による付加的な温室効果による気温上昇は、温帯の寒冷な時期、ないし一年間を通して冷涼な高緯度地方ほど顕著になるのです。


 仮に人為的なCO2放出による地球温暖化が実在するとすれば、地球の寒冷期あるいは寒冷地の気温の上昇によって地域的・時期的な気温較差が小さくなり穏やかな環境になることを意味し、それは総じて地球の生態系にとって非常に好ましい変化です。
 しかし、残念ながら人為的なCO2放出によって大気中CO2濃度が顕著に上昇することはありません。また、その蓋然性は極めて低いのですが、仮に、大気中CO2濃度上昇による大気の付加的な温室効果の上昇による気温上昇が実在したとしても、それは好ましい変化なので特段対策をとる必要性はありません。


 どうしてこんな当たり前のことが理解を得られないのか、私には全く理解不能です。

 温暖化するにしろ寒冷化するにしろ、それは自然現象なので私たちはその所与の環境で暮らしていくしかありません。ただ心配なのは2000年以降、気温は世界的に低下傾向を見せているようであり、私の個人的な印象として、世界的に寒波による自然災害が急増しているように感じます。1980年代からの今回の気温上昇は既に極大値を過ぎ下降局面に入ったように思われます。


 今後の気温低下が小氷期並みの数100年規模で継続することになると、この寒冷な期間中に化石燃料の枯渇が現実のものになる可能性が高いということです。人類はこうした事実を直視して、エネルギー多消費型の工業生産の増大を前提とする愚かなSDGsなどという非現実的な目標は早く捨て去り、まず第一に人口を緩やかに減少させ、農業生産の減少、エネルギー資源の枯渇に対応できる人間社会の構造を構築する準備を始めるべき時期が近付いていると考えます。」

(引用終り)

 

「愚かな温暖化脅威論の信奉者」も「北欧のどこかの国の無知な少女」も「どうしてこんな当たり前のことが理解を得られないのか、私には全く理解不能です。」

という近藤氏の嘆きは、世界が如何に簡単に愚かな思想に支配されてしまうかについての嘆きです。

 

しかし、世界の指導者、学者、エリートらがまさに地球温暖化問題については思考停止して愚かであることに間違いありません。

先日読み終わった「財政赤字の神話 MMT入門」を書いたステファニー・ケルトン教授という素晴らしい経済学者ですら、この本の中では地球温暖化問題が人類の課題だと真面目に書いているのです。

恐らく、地球温暖化人為説を頭から信じ込んでいるようです。財政赤字を神話だとして新しい理論を訴える優秀な学者も地球温暖化に関しては、「北欧のどこかの国の無知な少女」と同じレベルなのです。

 

しかし、脱炭素のために世界で愚かな施策を強行し、巨額な支出をしているのは何故なのか。それは単に間違った理論を信奉しているから、というわけではないようです。

 

その答えは(もちろん絶対に正しいという訳ではなく、仮説ですが)経済評論家増田悦佐氏の最近の著作にありました。

「恐怖バブルをあおる世界経済はウソばかり!脱炭素社会と戦争、そして疫病のからくり」(ビジネス社)

P80に「過剰資本を整理する作戦」と書かれていました。

ああ、これが奴らの目的だったのか、と思い当たりました。

 

つまり、戦争は何の為に行われるのか。もちろん政治的、歴史的、地政学的、指導者の質等々の要因が絡んで戦争が起こる訳ですが、その中でもよく言われるのが、破壊して復興することで資本家が利益を得る、直接的には軍需産業の利益のためですが、狭い産業界にとどまらない資本主義社会が「蕩尽」を要求するわけです。これが戦争を求める理由の一つといえます。

 

同様に、脱炭素のための愚かな投資。それは誰がみても失敗が見えている。それでも失敗する為に世界の国々に精力を注がせる。それはあたかも戦争のような破壊をもたらすでしょう。

そして、脱炭素の失敗によって世界が破壊されたら次は復興となるわけです。まさに一粒で二度おいしいグリコのキャラメルのようなもの!

 

戦争も、破壊して復興することで産業や経済を回す壮大な悪魔的な事業!

脱炭素も戦争と同様に世界のエネルギーシステムを破壊して、反省して昔の(つまり現在の)普通のエネルギーシステムを復活させる。そこにまた莫大な資金がつぎ込まれるわけです。

しかし、その過程で迷惑というか人々は塗炭の苦しみを味あわされる訳ですが、世界資本にとってはどうでもいいことです。

これが、脱炭素政策、つまり失敗させる、破壊させる政策の理由なんだと。

 

だから、常識で考えれば、

「どうしてこんな当たり前のことが理解を得られないのか、私には全く理解不能です。」

と言うことは正しい。

しかし、戦争が利益の為になされる愚かな行いと同様に、地球温暖化人為説に基づく脱炭素政策はまさに最初から愚かな施策として作られていると考えれば、「理解不能」ではなく「理解可能」となるのではないかと。

 

そして、そんな馬鹿げたことは断固拒否をしないといけないのです。

ここで少し位叫んでも何の役にも立たないのですが。

 

一番賢く立ち回るための簡単な方法が一つあります。

それはドイツや欧米の脱炭素政策をじっと見ているだけでいいのです。

失敗が明らかになるまで、日本はじっと動かずにしていればいいのです。

アホの小泉進次郎のように、欧米に媚を売って安易に動いてはいけない。

つまり、よく周回遅れといいますが、脱炭素政策には何周もの周回遅れが最も賢い方策なのです。

何もしないこと、SDGSなんて無視すること、グリーン戦略なんて無視すること、電気自動車なんて無視すること等これらが日本の歩むべき賢い道なのです。