新「なるほどメモ」その7

「さる高名な経済学者の夫婦がテレビ・インタビューに答えていた。

『我が家では、大事なことはすべて主人が決定します。--でも、何が大事なことであるかは、私が決めてます。』」

(田島正樹「読む哲学事典」講談社現代新書 「イロニーとユーモア」より)

 

   

  明治の外務大臣陸奥宗光    陸奥宗光の妻 美人で有名

 

誰が財布のひもを握っているかということだが、日本人の家庭では妻であることが多いことについて、世界的にみて異質だとよく言われる。

そのため、妻の昼の食事は友達とレストラン、夫はマックか富士そばかファミマのおにぎりという哀れな日本風景だが、それが夫婦円満の秘訣ともいえる。哀れなる日本男児よ、ということか。

 

私はこの言葉を読んで、世界の政治権力の真実を垣間見る心地がした。

「でも、何が大事なことであるかは、私が決めてます。」

 

これは大なり小なり、政治権力の真の在り処を示していると思われる。

大はアメリカ・バイデン大統領、中はウクライナ・ゼレンスキー大統領、小は岸田首相。

ある意味政治の行きつく先を示していると思われる。

 

アメリカの真の権力者又は政治・政策の決定者は、認知症バイデンを大統領職に付けて困っているかと言えば、そうではないだろう。まさに操り人形として政治・政策の決定をしやすくし、且つ責任に関しては無答責なんだから、こんな好都合な仕組みはない。

 

岸田首相は「検討使」と言われているくらいだから、自身で決断できず、「何が大事なことであるかは、○○が決めてます」ということで、部下が上司にお伺いを立てるのではなく、その反対に上司(といっても最高権力者なんだが)が部下にお伺いを立てて、「何が大事なことであるかを決めて」もらい、首相が決定したことにするのである。

そして、○○の中には、主に財務省が入り、その他内閣官房副長官が入るのだろう。

 

つまり、今日の真の権力者にとって、ヒトラーやスターリンのような独裁者ではなく、「何が大事なことであるかは、主人を操る者が決める」という形がもっとも理想的であるといえる。

政治で責任を取らなくていい、なんてこんな素晴らしいことはないのだから。

 

しかし、それは権力の暴走を止めることができないから、国民にとっては最悪といえるだろう。ウクライナ戦争や日本の30年の不況をもたらした緊縮財政などがその典型といえる。

 

妻が財布のひもを握る日本の夫婦のあり方は、世界で異質でも何でもなく、世界の真(裏)の権力者にとって理想の形を示していたのであった。