元バレー全日本・大山加奈さんなんて全く知らないが、双子用ベビーカー乗車拒否されて一躍「時の人」になったのは11月7日のことだ。

 

デイリースポーツ

元バレーボール全日本女子選手の大山加奈さんが7日、自身のインスタグラムを更新し、バスに乗車できなかったことを嘆いた。

 大山さんはベビーカーに乗った双子がバスに乗った画像を掲載。「バスに乗れなくて泣く日が来るなんて…」と書きだして状況を説明した。

「ふたごの靴を買いに行きたくて、悩みに悩んだ末に思いきって再度チャレンジしてみることに。」と双子ベビーカーでバスに乗ろうとしたと明かした。

 後部のドアから乗ろうとしたところ「なんとドアを開けてもらえませんでした。」と伝えた。バスはそのまま走り去ったという。次のバスはドアは開けてくれたが、歩道の段差とバスとの間に溝もあり、なかなか乗り込めない状況に。結局「火事場の馬鹿力でベビーカーを持ち上げなんとか乗り込みました…(高校時代デッドリフトやりまくっていてよかった…)」と何とか乗ることができたとした。

 しかし、降りる時も同じようになかなかうまくいかない状況に。他の乗客が協力してくれて「なんとか降りることができました。」と伝えた。

「運転手さんはスルー。」だったとし「悲しくて悔しくて…乗客の女性の優しさが沁みて…色々な感情が込み上げてきて涙腺崩壊…泣きながらショッピングモールへと向かいました…」と告白した。

 「迷惑な存在だと思われたことが やはりとても悲しくて…あのバスが走り去る光景 思い出すとまた涙が出て来ます…」と悔しい思いを吐露。

「今日だけでなく、出かける時には毎回色々シミュレーションを重ね、時には諦めたりと日々ものすごく気を遣っているのです…」と外出する時に尻込みしていることも伝えた。バス会社名も挙げて「運転手さんは席を離れてはいけないというルールがあるのでしょうか?」と疑問点も提示。

自身が批判される可能性も示唆した上で「公共交通機関って誰でもいつでも利用できるものではないんですかね。本当にもっと優しい世の中にならないかな。」願った。

(引用終り)

 

最近はベビーカーが電車やバスに乗り込んでくることに、社会はかなり寛容になっているようで昔ほどの冷たい視線は無くなっているように思える。そこには鉄道会社やバス会社の努力がかなり関与していると思われる。

 それでも完璧とはいかないから、元バレー全日本・大山氏のようなことも起きる。

そのことをインスタで上記のニュースのように訴えたのだが、かなり感情的になってバス会社を責めている。

「バスに乗れなくて泣く日が来るなんて…」

「悲しくて悔しくて」

「色々な感情が込み上げてきて涙腺崩壊」

「思い出すとまた涙が出て」

等々。

乗車拒否されて、余程バス運転手に頭に来たことがうかがえる。確かにバスの運転士の態度はまずかったのは確かだ。バス会社の決まりに反しているからだ。

そして、「自身が批判される可能性も示唆した上で」と書いているから、「迷惑な存在だと思われたことがやはりとても悲しくて」と書く通り、大山氏の思いの中には、双子ベビーカーでバスに乗り込むのは「迷惑な存在だ」という社会的視線の存在を感じ取っているようだ。

 

しかし、「自身が批判される可能性」を覚悟しても、正義は自分の方にあるという自信があるからいろいろと不満を書き連ねたのだろう。

 

この大山氏には直接的には反論できない。何故なら、「東急バスの公式サイトには、双子用ベビーカーの乗車が可能であることや補助が必要な場合には乗務員に申し出てほしい旨が明記されている」ということだから、大山氏は間違ったことはしていないし間違った要求はしていないのである。

だからまさに正論爺さんと同じなのだ。いや、正論おばさんか。

 

正論にはなかなかモノを申す(反論する)ことができないが、大山氏の言動にやや違和感を覚える人も多いのではないか。

 

大山氏「自身が批判される可能性」を覚悟していることからもうかがえるが、当然大山氏は批判されれば、倍返しできると思っているし、するに違いない。だから誰も何も言わない。

 

つまり、双子ベビーカーでバスに乗るご婦人はまさに弱者なのだから、社会は弱者に全面的に支援しないといけない。支援しないのは、意識が遅れており、正されないといけない、と。

だから誰も何も言わない。でも違和感は残る。

確かにバスの運転士の態度はまずかったのは確かだ。でも違和感は残る。

 

その違和感とは何か。(といっても私だけが覚える違和感だけかもしれないが)

ひとつは、双子用ベビーカーの乗車が可能であると東急バスは決めているのだから、それをしなかったのはルール違反、怠慢という会社側を責める感覚である。だから、当然のサービス提供を拒否されたので「悲しくて悔しくて」という感情の爆発に至ったのだが、それは普通のものなのか。

 

もう一つは、双子用ベビーカーの乗車が「迷惑な存在だと思われた」ことが悲しくて悔しいのだが、一応大山氏は双子用ベビーカーの乗車は「迷惑な存在だ」ということを認識しているのである。

それなのに、双子用ベビーカーが乗車する際のバス運転手へ「お世話になる」というか「ご苦労様ですがよろしく」という感覚というか理解が欠如していることだ。

 

まあ、権利を主張するのが好きな人は、相手を理解するとか感謝するなんて感覚は持ち合わせないようだ。(先般のJR小田原駅で車イスでの乗車を拒否されて駄々をコネた伊是名おばさんの例を見ればよくわかる)

 

つまり権利は主張するものなので、それ自身間違いはないのだが、その権利を満足させ提供する行為もまた普通の人々が行っているので、日本人ならやってもらって当たり前という感覚は普通ではなく、当たり前のことでも、例えばお客様は神様でも、配達してくれるクロネコヤマト配達員には「ご苦労様」と声をかけるではないか、金を払ってるんだから「ご苦労様」なんて言う必要はないというのは理屈ではそうだが、ふつうの日本人は「ご苦労様」というのである。

そしてこの感覚が角付き合わせる社会をなごませるのである。お互い様の感覚だ。

 

大山氏への違和感はこれではないか。お互い様の感覚、つまり「ご苦労様です」の感覚が感じられないのである。

 

双子用ベビーカーの乗車は「迷惑な存在」かもしれないが、それは権利だし、バス会社も認めているのだから、乗るのは権利だ、感謝はいらない、それなのにその権利さえ奪われてしまった、頭に来た~、ということなのではないか。

 

そしてこの乗車拒否問題には後日談がある。

ニュースより

「騒動から1週間ほどたった17日、大山さんは「意見交換会を実施しました」と報告。「これを機に双子ベビーカーでも構えたり諦めたりすることなく安心してバスを利用できるよう利用者とバス会社さんとの相互理解が深められればという思い」から、運転士たちに双子用ベビーカーの乗降車を体験してもらったり、車内での転回がどれほど大変なのか体験してもらったりしつつ、利用者および会社側にとって「相互理解が深まる素晴らしい時間」が実現したと語っていました。

(中略)

大山さんは、ベビーカーだけでなく子連れや車いすユーザー、高齢者など全ての人が安心して利用できる乗り物であってほしいという願いもつづりながら、「お忙しい中、貴重なお時間を作っていただいた東急バスさま、ありがとうございました!!」と感謝の言葉で締めていました。

(引用終り)

 

バス会社の運転手との意見交換会をして、「運転士たちに双子用ベビーカーの乗降車を体験してもらった」りして、「相互理解が深まる素晴らしい時間」が実現したと語っているとのことなのだが、少し変じゃないのか。

 

双子用ベビーカーの乗降車を体験したのは、バス運転士であり、車内での転回がどれほど大変なのか体験してもらったのも運転士のようなのだ。これで「相互理解が深まる」のだろうか。

理解不足つまり元凶はバス会社と運転士だから、運転士に双子用ベビーカーの乗降車を体験させたのか。

それはそれでよいことだが、「相互理解を深める」ためには、元バレー全日本・大山氏も双子用ベビーカーの乗降車の体験をすべきなのではないのか。

 

(大山氏はこの後に運転士の立場で双子用ベビーカーをバスに乗せることを体験すべきなのだ。それをやって初めて双子用ベビーカーをバスに乗せることが如何に大変かが理解できるはずだ。しかしインスタには「火事場の馬鹿力でベビーカーを持ち上げなんとか乗り込みました」と書いているのだからわざわざ体験しなくても大変さは分かっているはずなんだが。)

 

大山氏は自分の主張が権利で正しいと思っているから、運転士の苦労など思いも浮かばなかったのではないか。

権利であってもそれを提供する側に立って体験することが「相互理解を深める」ことになるはずである。

 

だから、大山氏はまず運転席に座って運転(疑似的に)をし、停留所に停まったら、乗客を降ろしたり、双子用ベビーカーの乗降車を助けたりして、運転士の仕事を体験すべきなのである。そしてその仕事を終えて、どういう感懐を持つに至ったかの思いを吐露すべきなのである。

 

そこまでやれば、バス運転士と双子用ベビーカーの乗客との「相互理解が深まって」、運転士の苦労も分かって初めて、「ご苦労様です」とか「ありがとう」という言葉が自然に出てくるのではないか。

 

つまりは裏方さんの苦労に思いを致すことが一番大切なのである。

これまでの日本人はこんなことは当たり前だったのだ。