松戸の行方不明女児が川で遺体で見つかり、DNA検査をした結果、残念なことに南朝芽ちゃん本人だと特定された。

テレビでは事故と考えるには不可解なことが多すぎるとしきりに疑問を呈していた。つまり事件性が高いのではないかと。

 

しかし、捜査関係者によると、として

「あざや骨折、首を絞められた痕跡がないから事件性をうかがわせるような点は確認されず」とか「靴や靴下を何者かが置いたとは考えられない。自ら脱ぎ、川で遊ぼうとした可能性もある」等、

事故と事件の両面でとはいうものの、なぜか警察は事件性がないことのほうにしきりに寄せてつまり予断をもって判断しようとしているのが覗われる。

 

週刊誌もそういう警察の方向性に不信感をもっているようで次のような記事を書く。

(NEWSポストセブン)

「…千葉県警は、朝芽さんが死亡した経緯について調べるとともに、引き続き、事件と事故の両面で捜査していると報じられている。

 遺体発見の10月5日に現場周辺を取材していると、あることに気づく。捜査員の姿がほとんど見かけられないのだ。公園脇には千葉県警の車両が停まっていたものの、所持品の見つかった場所に捜査員はいない。周辺の住民への聞き込みをしている捜査員もいなかった。取材を続ける別の全国紙社会部記者が語る。

「遺体が見つかるまでは河川敷や所持品が見つかった公園に捜査員が大勢配備されていました。しかし、遺体発見翌日からは大幅に捜査員の数を減らしています。警察は事件性が薄いと見ているようです。」

(引用終り)

 

元刑事の吉川氏や小川氏がテレビで指摘する靴と靴下の置き場所の矛盾や家族が探していたときにはその場所には、靴や靴下がなかったという重要証言に警察は重きを置いていないようなのだ。そして靴や靴下を脱いでわざわざ雑草の生い茂る河川敷を30mも歩いて川べりに行ったという不自然さも警察は事件性の証拠とは捉えようとしないらしい。

 

警察はもう遺体が発見されたので、事故として処理して一件落着としたいのではないかとどうしても疑ってしまう。警察は元刑事らが指摘する不可解さについて、真摯に説明しないといけないはずだ。

 

事件性がない、つまり事故による川への転落だと最初から決めつけて、不可解さを解くということはあってはなない。

 

警察のよくやる手は、エクストリーム自殺という説明だ。昔この件でブログを書いたことがある。(後述)

つまり、殺人事件が起きた時、警察が犯人を見つけることが困難あるいは面倒になったとき、この事件は殺人ではなく、自殺だとして処理してしまう。その際、自殺と判断するには余りも無理があっても自殺だと言い張ることがある。これをエクストリーム(極端な)自殺というのだ。

(ネットの解説 エクストリーム自殺とは、自殺するにはあまりにありえない状況で死亡が確認され、警察によって自殺と判断された事件のことを指す。 つまり単純な自殺ではなく、事件性がありそうだが、第三者の関与を立証できない事件をエクストリーム自殺と呼ぶ。)

 

今回の事件は、小学1年生のことだから、エクストリーム自殺つまり川に自殺するために入ったなどという説明は不可能だから、この手の説明は使えない。だから事件性がないというためには、いくら不可解なことがあっても、全ては事故を説明するいわゆる可能性の論理を持ちこんで済ましてしまう可能性がある。蓋然性を考えよ。

 

例えば、もう捜査関係者の言として「靴や靴下を何者かが置いたとは考えられない。自ら脱ぎ、川で遊ぼうとした可能性もある」という言い方。前にも可能性について書いたが、可能性とは100万分の1の可能性つまりあり得なくても論理が否定できなければ、あり得ると強弁出来てしまうのだ。

雑草の生えた河川敷を裸足で30mを歩くことは考えられないでしょう、と言うと、いやいや元気なお子さんなら30m裸足で歩けないことはないでしょう、と説明して実際そうしたということに強引にしてしまうのだ。

 

まあ今のところ警察が事件性はないと結論を出したわけではないのだが、昨今の警察、特に奈良県警の安倍元総理の銃撃暗殺事件のいい加減な捜査をみていると警察のやることが信用できなくなるのである。

 

さて、私は前回もこの女児行方不明を事件(拉致又は誘拐)だと思うと書いたが、その推理を書いてみたい。

 

まず朝芽ちゃんは母親と約束した公園ではなく、自宅から約1.2㎞も離れた公園に行ったのか。

その理由は二つ考えられる。

一つは母親と約束した公園を間違えてしまったことだ。朝芽ちゃんは遠くの公園で母親と遊ぶとばかり思ってそちらに向かってしまったこと。

もう一つは、近くの公園に行く途中に不審な車に声を掛けられたので、キックスケーターで遠くの公園に逃げたのではないか。

 

しかし、約束した公園が近くだと思っていたら、いくら不審車に追いかけられてもわざわざ遠くへ行くことは考えられないから、母親と約束した公園を間違えて遠くの公園に向かう途中で不審な車から声を掛けられた、又はゆっくりと朝芽ちゃんの後を付けてきたので急いで逃げたことが考えられる。

 

「朝芽ちゃんが行方不明となった日、公園近くの寺の防犯カメラが彼女の様子をとらえていた。時刻は、朝芽ちゃんが家を出てから約30分後の昼12時。往来する車を気にしながらも、一目散に公園へキックスケーターを走らせる姿が確認されている。」(FRIDAYより)

 

その証拠と思われるものが防犯カメラに映った朝芽ちゃんのキックスケーターに乗る姿と駐車場のところで、一旦立ち止まり後ろを振り向いたことだ。これは不審車の様子を確認した行為ではなかったか。

朝芽ちゃんは何の為に後ろを見たのか!

 

そして、朝芽ちゃんがキックスケーターで動き始めた直後に、防犯カメラは白い車の前の部分を映しているのである。私の女房の早くからの指摘!

ニュースでは朝芽ちゃんのキックスケーターの動きばかり追っているので、白い車が後ろから付いてくる映像を早々と切ってしまっているのだ。この白い車はかなり重要な参考車両といえるのではないか。

 

たとえ、この白い車の運転手が犯人でなくても、朝芽ちゃんのキックスケーターの後ろから付いていっているのだから、朝芽ちゃんがそれからどこに向かったか等の証言を得るのは貴重なはずなのに、全くニュースは触れようとしない。

 

そしてキックボードが見つかったのは防犯カメラに映った場所からそう遠くない公園で、だ。

私の推理からすれば、その公園近くで不審車が朝芽ちゃんに追いつき、何か言葉を掛けて車に押し込んだのではないか。そしていたずら目的か何かで拉致したか。

 

そして次の日に犯人は女児が川に転落したように装うことにして、女児を川に投げ捨てたのではないか。

生きたままか死んだ後かは解剖の結果を待たないと分からない。

そして、川に女児が勝手に河川敷を歩いて転落したという証拠にするために、わざわざ靴と靴下を置いたのではないか。だから、家族が河川敷近くの道を探したときには靴と靴下がなかったのは、その時は犯人が拉致した状態だったのだと推理できる。

 

靴と靴下の発見の時間的おかしさ、及び雑草の河川敷を裸足で歩くはずがないこと等から朝芽ちゃんの家族は、行方不明なのは川への転落ではなく、拉致されたのではと考えて警察にもその旨を訴えたのではと想像する。

しかし、警察がその指摘に反応しようとしない(つまり事件性を否定)ので、やむを得ず家族はやや唐突なコメント

「さやが居なくなって、もう6日目です。もしも、さやを保護して下さっている方がいらっしゃいましたら、その方にお伝えしたい事がございます。さやの側に居てくださっているのであれば、どうか人が多い安全な場所にそっと離していただきたいです。…」

を出したのではないかと思うのである。

 

もし事件性があるのなら、警察は初動捜査を誤ったのである。最初から事件としての捜査に力を入れるべきであった。

しかし、靴と脱いだ靴下に惑わされて、川への転落としてのみ捜索を行ってしまった。だから警察は今さら事件として捜査などできないと思っているのではないだろうか。解剖結果の判断も恣意的に行われる可能性すら考えられる。

 

そうすることで一番喜んでいるのは犯人だけだ。

警察は事故としてどう説明できるかに頭を悩ませるのでなく、事件として最初から初心に帰って捜査すべきなのである。それでも犯人を見つけることができなくてもそれはそれで止むを得ないことだ。

もし拉致犯人がいるとしたら、松戸近辺では再犯の可能性すらあり得るのだから。

 

<参考>

かなり昔(2015.12.12)書いた「エクストリーム自殺」についての記事。

 

「最近の警察は、難事件はみんな自殺として処理するのが流行っているらしい?」

最近は不可解な事件が多く、なぜか安易に自殺として片づけられている気がする。

・児童全裸首吊り事件

「東京都日野市内の林で近くに住む小学4年の男子児童(10)が全裸で手足を縛られ首を吊った状態で見つかった。2015年10月26日は小学校が休みで、男児は11時ごろ「遊びに行ってくる」と言って自宅を出た。しかし、夕方になっても帰ってこないため、母親が18時半ごろに110番通報した。警視庁日野署員が遊び場所などを探していると、20時ごろになって林の中で男児の遺体を見つけた。ビニールひもを木の幹にくくりつけ、幹から1.5メートルのところで首を吊っていた。手足を縛ったのも同じビニールひもで、両手は後ろ手に縛られていた。

男児が身に着けていた衣類や靴は、遺体近くで見つかった。遺書などは見つかっていないという。行政解剖の結果、死因は首の圧迫による窒息死であることが分かった。

 東京都日野市の草地で26日夜、首にビニールテープのようなものが巻き付いた状態で死亡しているのが見つかった男児(10)の遺体には、第三者と争った時にできるような傷がなかったことが警視庁日野署への取材で分かった。解剖の結果、死因は窒息死と判明した。同署は状況から男児が自殺した可能性が高いとみている。」

 

・福生顔剥ぎ死亡事件

「東京都福生市のマンションの一室で11月、住人の土田芳さんが死亡しているのが見つかった事件で、土田さんの死因が、大量の睡眠薬の摂取による中毒死とみられることが11日、捜査関係者への取材で分かった。土田さんは顔の皮膚がはがれていたが、飼っていた犬や猫がかみつくなどしてできた可能性があることも判明。警視庁福生署は土田さんが自殺した可能性も視野に、事件性の有無を慎重に調べている。」

 

 ネットを見てたら、こういうのを「エクストリーム自殺」というらしい。解説をみると…。

「「エクストリーム自殺」とは、自ら命を絶つには難しいと思われる状況で「自殺」と判断された事件のこと。アクロバティックな要素を持った「エクストリームスポーツ」の名前から転じて名づけられたネットスラングの一種だ。そんな言葉が生まれるほど不可解な「自殺」は数多く起きている。」

 

 警察の事件処理は膨大な量の書類を作るようだ。警察小説であるまいし、謎解きのできる優秀な警官はそうそういない。不可解な事件はなるべく自殺として処理したいと思うのが人情だろう。捜査も書類もめんどくさいから。

 

 過去にも殺人を自殺として処理したものも数多くあるのではないだろうか。

日野市の小学生の全裸首吊り事件などは、自殺の断定が早すぎる。福生市の事件での猟奇的な顔の皮はぎを飼っていた犬や猫がかみついたとするのは、想像力がものすごい。警察庁等の上層部もこんないい加減な説明で納得するんだろうか。

 こんな状態だと、犯人が特別に優秀で証拠を残さずに犯罪を行ったら、警察はみんな「エクストリーム自殺」と処理するに違いない。

事件発生早々「事故又は自殺と事件の可能性を視野に…」と報道されたら、間違いなく自殺と処理されるに違いない。

 

 「エクストリーム自殺」とは、自殺の一種ではなく、警察が「この事件はよくわからないし、面倒だから自殺としておこう」という総称なんではないか。

つまり「エクストリーム」とは、自殺者のことではなく、警察の「エクストリーム処理」のことではないのか。

 

 ちょっと不謹慎だが、この事件ももしかすると「エクストリーム自殺」として処理されるかもしれない。

「神奈川県平塚市の無認可保育所で死亡した生後4カ月の男児は、頭の骨が折れていたことが9日、捜査関係者への取材で分かった。県警は外部から強い衝撃を受けたとみて、事件の可能性も視野に調べている。捜査関係者によると、男児に目立った外傷はなかったが、司法解剖の結果、頭の骨が折れ、脳に損傷を負っていることが分かった。揺さぶったりするだけでは、骨が折れることは通常ないという。

 保育所の防犯カメラには、死亡した赤ちゃんがベッドから転落したり、柵に頭をぶつけたりする様子は、映っていなかったことがわかった。警察は、赤ちゃんが施設以外で頭に衝撃を受けた可能性もあるとみて、事件と事故の両面で捜査している。」

 

 きっとこれも生後4カ月の男児による自殺!として断定されると思うよ。4カ月の男児が自殺なんかできるかって?いやできるんだ。事件でも事故でもなく死んだのなら、後は自殺しか考えられないから。生後4カ月でも、最近は早熟だから、きっと将来を悲観して…。

だから、自ら命を絶つには難しいと思われる状況での死亡つまり「エクストリーム自殺」なんだとね。

 

警察の「エクストリーム処理」疑惑を晴らしたいなら、まずは捜査に十分な時間をかけて、自殺という想定を頭脳から排除して、安易な判断をせずに、そして説明責任をきちんと果たすこと。これなくしては、今後の「エクストリーム自殺」は、絶対に「エクストリーム処理」と見なされてしまうぜ。

(引用終り)