新「なるほどメモ」その5(「社会保障」をとらえ直す)
「社会保障は、「社会による」弱者保護ではなく、「社会への」保障としてとらえられるべきではないのか。つまり強者と弱者のあいだの(所得におけるものをはじめとする)社会格差があまりにも大きくなるなら社会そのものが不安定になり、その結果として強者もまた損失を被る成り行きとなる。徳治にもとづいて格差が一定範囲に収められていなければ、社会そのものがひび割れるということである。」
(西部邁「保守の遺言」平凡社新書より)
社会保障というと年金や医療、生活保護などお金に関わることに限定してしまいがちである。それ自体はとても大事なことなのだが、最近は選挙のためのバラマキや伸びや規模を抑える話(緊縮財政)になってしまったり、ベイシック・インカムのような最低限の保障をしたら後は知らないなんぞというわけの分からない話になってしまう。それは「社会保障」ってそもそも何なのかが分かっていないから、金にまつわる技術的な話に終始してしまうのではないか。
私も社会保障というと普通に年金や医療、生活保護等のこととだけ考えていた。しかし、大事で必要な社会保障を、支払額が多くなって財政を圧迫するから抑制するんだとの政府の主張に、もらう側でありながら、結構そうだ、そうだもっと抑制すべきだ、なんてバカいって政府に騙されている者も多いことに、ちょっと違うんじゃないかといつも思っていた。
しかし、西部邁氏の言うように、社会保障は「社会への保障」又は「社会の安定」のため、という風に考えると、社会保障の意義つまり何のための社会保障なのか、ということを考えることとなり、単に「金くれ」(ゼレンスキーのような)という卑しいところに落ちないで建設的な議論ができるのでは、と思った次第である。