NTTグループ社員は、勤務地は原則自宅でリモートワーク、会社へは出張扱いだそうだ。

 

リモートワーク/在宅勤務はコロナ対策での緊急避難ではなかったのか。コロナが収束すれば当然リモートワークは限定的になり、普通の勤務形態に戻るのが当然だ。

だから、ホンダもイーロン・マスクのテスラも「原則出社」に戻している。イーロン・マスクは「週40時間出社しないならクビ」とまで言う。

米IBMも米Yahoo!も在宅勤務は禁止して、出社を基本としている。

 

NTTは御託を沢山並べている。

「NTTグループは2021年9月28日に、分散型ネットワーク社会に対応した「新たな経営スタイル」を発表しました。その中で、 with/afterコロナ社会においても、社員の働き方はリモートワークを基本とし、働き方を自由に選択・設計可能とすることでワークインライフ(健康経営)を推進する方向性を示しました。
 これまで、リモートワーク制度・リモートワーク手当・スーパーフレックスタイム・分断勤務・サテライトオフィスの拡充等により、社員の「働く時間」や「働く場所」の自由度を高めてきたところでありますが、ワークインライフをより一層推進するためには、 「住む場所」の自由度を高めることが重要であるとの認識に立ち、このたび、新たに日本全国どこからでもリモートワークにより働くことを可能とする制度(リモートスタンダード)を導入することとします。こうした取り組みにより、 転勤や単身赴任を伴わない働き方を拡大して参ります。」

 

しかしカッコつけてもバカげた壮大な実験というしかない。しかも絶対に失敗することが明らかな。

こんなアホな経営者が日本にいたとは嘆かわしい。サラリーマン社長がこんな愚にもつかない暴挙をやっては将来に禍根を残すし、大勢の社員が可哀そうだ。

 

個人的にはもう定年退職して6年にもなるから、勤務地は自宅だろうがなんだろうがどうなっても構わないのだが、私としてはこのアホ会社に関係していたこともあることと、どんどん否定される日本的経営の根幹部分までいとも簡単にも否定してしまう経営のあり方(悪い意味で暴力革命か)と日本を代表する企業の経営者のアホさ加減に多大な違和感を覚えるのだ。

 

この発想は澤田純社長(今度会長)らしい。

「通信の会社なのだから、昭和から新しいスタイルに変えていきたい」

バカである。これは澤田の焦りが生んだ暴挙ではないか。

こいつがバカな施策をNTTグループに導入した

 

ドコモが言うことを聞かないからといって、4兆円ものムダ金を投じて完全子会社化した。元々子会社なんだから、上場廃止してまで、ドコモを抑えつける意味はない。しかし、投資家向けには4兆円のムダ使いを説明しないといけない。

利益増と何らかのパフォーマンスを。

利益は簡単に出る環境にないから、コスト節減ばかりでやる気を失くさせているらしい。

パフォーマンスは、NTTお得意の組織いじりと派手な演出としての在宅勤務。

NTTグループにこんな下らない愚にもつかないことを強要し、そして社員間の協働・協業を無視した勤務形態なら生産性低下は必死で、失敗は目に見えている。その時は澤田らは退職しているから責任は部下に押し付けるだけだろうが。アホの極み!

 

元電電公社総裁、NTT元社長の真藤恒氏(石川島播磨から)が生きていたら、こんな愚昧な施策を絶対に許さなかったと思うよ。草葉の陰で怒り、かつ泣いているよ。

 

社員は勤務地は自宅と言うなら、当然社長も役員もみんな自宅勤務なんだろう。トップ間の意思疎通はリモートのみでできるのか。社員とのコミュニケーションはできるのか。オンラインでコミュニケーションが出来たと勘違いしてやしないか。まあ、社員の気持ちなど知る気は元々ないだろうが。NTTの幹部はみな別荘地でゴルフ場近くを自宅扱いにするんだろうな。そしてクラブハウスが幹部の仕事場。ここではリモートワークはしない。ゴルフやりながらの濃密なコミュニケーションをするんじゃないかと邪推する。

 

リモートワークは一概に否定はしない。小企業かつ特殊態様の業務なら、リモートワークも効果的だろう。しかし、リモートワークが原則といった途端、「それってちょっと違くね?」といいたい。

 

余りにも当たり前だが、仕事は協業が基本だろう。リモートワークでも協業が出来るかもしれないが、それは特殊業務か本当は対面でやりたいが、コロナ禍だから、やむを得ずのリモートワークだろう。

そんな特殊会社に成り果てるNTTに新人は応募してくるのだろうか。このコロナ禍で大学の授業もろくすっぽ対面で受けられなかった学生が、NTTに入ったら、会社に来るな、会社に来たって机はないぞって、どんだけ孤独にしたら気が済むんだというだろう。

だから、NTTを応募する若者は激減するにちがいない。だってそんな会社、面白いわけがないんだもん。

 

仕事は「原則出社」という当たり前が、コロナ禍で当たり前でなくなった。しかし、まともな企業はその当たり前に戻ろうとしている。まさに当たり前に。それをしようとしないのは、異常な会社NTT、それを決めた異常な社長澤田だといえる。

 

その当たり前の理由を今さら述べ上げたくもないが、バカげたNTTに向けて言わねばならない。

まずホンダ。

「ホンダとして本来目指していた働き方を通じて変革期を勝ち抜くために、『三現主義で物事の本質を考え、さらなる進化をうみ出すための出社・対面(リアル)を基本にした働き方』にシフトしていきます。

 22年4月、国内営業部門の従業員向けに以上のようなメールを送付し、5月上旬には国内全社を対象に「原則出社」とする方針を通達したと報じられました。」

 

「三現主義で物事の本質を考え、さらなる進化をうみ出すための出社・対面(リアル)を基本にした働き方」という当たり前と言えば当たり前の日本的経営を再確認している。

 

次はイーロン・マスクのテスラ。

「電気自動車大手テスラ社のCEOイーロン・マスク氏が、従業員にメールで「週40時間出社しないならクビ」と伝えたことが話題になったが、「管理職ほどオフィスに姿を見せることが重要だ。自分もテスラが増産しようとしていた時期には工場に住んでいた」というマスク氏。またTwitter社の社員への演説で、人員削減の可能性や、リモートワークは「特別な従業員」にのみ許可すると述べた。

 

これまた当たり前の考え方だ。「管理職ほどオフィスに姿を見せることが重要だ」というマスクの言葉をNTTの澤田は何と反論するのか。リモートワークでも出来ると言うだろうが、出来る訳ない。マスクはモラルがまだ定着していない場合リスクを伴うと言っていたように記憶するが、NTTの管理職に高いモラルがあるとも思えない。退職間近の管理者の多くは、全く仕事をやろうとしないで、部下に放り投げているというじゃないか。

 

次は米Yahoo!。

Yahoo!はIT企業だから、当然リモートワークに好意的だと思ったら、豈(あに)諮らんや、2013年にCEOであったマリッサ・メイヤーは在宅勤務原則禁止の通知していたようだ。

彼女は、

最上の職場になるためには、コミュニケーションとコラボレーションが大事。ゆえに、私たちはサイド・バイ・サイドで(机をならべて)働く必要がある。社内にいることが肝要なのだ。

ベストの決定や見解は、社内の廊下や社員食堂での、新たな人たちとの出会い、いや即席チームミーティングから生まれることもある。

在宅勤務だと、スピードと仕事の質がしばしば損なわれる。私たちは、ひとつのヤフーにならねばならぬ。そして、それは物理的に一緒にいることから始まるのだ。

 

いやいや、この米Yahoo!のCEOは、私の言いたいこと、といっても全く当たり前のことなんだが、全部言ってくれている。これまた、これをみて澤田は何と言うだろうか。

というより、NTTにもまともな幹部はいるはずなんだ。NTTといういう日本的経営そのものを長くやってきた会社に長くいた社員が、澤田の極端なアホな考えに賛成する訳がないんだ。それを強引に在宅勤務が基本と決めてしまったのは、ゼレンスキーのような独裁者(プーチンじゃないよ)になっていたのだろう。

 

ネットでコンサルタントの声。

「リモートワークが増えれば増えるほど、職場としてのまとまりはかえって重要となる。なぜなら、米国ですでに起こっている通り、十分な信頼関係がない場合、リモートワークはうまくいかず、生産性が低下するばかりか、人間関係さえ崩壊させかねないからだ。

よって、採用して間もない社員などにそのような働き方をさせることには無理がある。まずは一定期間一緒に働き、信頼関係をつくる必要がある。信頼関係があってこそ、機能する働き方だからだ。」

 

出社して仕事をしてきた社員が、今後NTTのこのバカげた制度のなかで仕事をしても、これまで培った人間関係や経験、企業文化を持っていたのも、徐々に退職し、いなくなり、リモートワーク氏か知らない職員が大半になったらどうなることか。十分な信頼関係がない場合、リモートワークはうまくいかず、生産性が低下するばかりは必定だろう。

 

 と心配するが、心配には及ばないかもしれない。というのも、こんな日本人いや人間的でない制度は失敗するに決まっているからだ。だから恐らく5年と持たないだろう。澤田がNTTの会長を辞めて顧問となって影響力が無くなれば、こんな愚かな制度はすぐに捨てられるに決まっているからだ。

それでなくても、NTTは組織いじりを年がら年中やっている。つまり、組織を作っては潰す、組織を作って長続きした試しはないのだ。なぜやるかって。組織いじりが一番やった気になるからだ。日本政府と同じだな。

 

さて、このバカげた制度改革にまともに批判している評論家がいる。河合薫氏だ。企業文化などの評論に定評がある。この河合氏が何を言っているか。まあ、当たり前と言えば当たり前のことなんだが。

 

「出社=昭和」「在宅=革新的」って本当? NTTとホンダの経営哲学

「出社=昭和」「在宅=革新的」なのか?

 ここで伝えたいのは「出社」=昭和の働き方でもなければ、「在宅」=いい人材が集まるとは限らないということです。ましてや、「全員出社」=「生産性が高まる」わけでもなければ、「全員在宅」=「生産性向上が課題」でもない。

「経営者のゆるぎない経営哲学」「会社が存在する意味」「大切にすべき有形無形の道具」を、会社の全てのメンバーに共有することこそが重要な課題であり、その結果として生産性が向上するのです。

 

 例えば、今では諸悪の根源のごとく言わる「長期雇用」も従来は制度ではなく、経営者の経営哲学でした(終身雇用という言葉が多用されますが、私は長期雇用という表現を使っています)。

「長期雇用」は、1955年から1年以上にわたって日本企業をフィールド調査した経営学者ジェームス・C・アべグレンが、日本企業を支える経営の“三種の神器”の一つとしてあげたものです。もともとの言葉は「Lifetime Commitment」。「あなたの人生に関わらせてくださいね」という、経営者としての熱意と責任を社員に示す経営哲学でした。

 私は全国津々浦々1000社以上の企業を講演会や取材で訪問していますが、社員がイキイキと働く企業は例外なく長期雇用が基本でした。そして、付加価値の高い製品を生み出す現場の力があった。その結果として、世界シェアを伸ばしていたのです。

 極論を言えば、基本在宅でも出社でも、どちらでもいい。自分の価値基準と合わなければ、その会社を選ばなければ良いだけのこと。

 一方で、「働く人たちは労働力を提供しているのであって、人格を提供しているわけではない」のですから、国のいう「在宅勤務を選択する権利」は労働政策として認めることも必要不可欠でしょう。

・求められる「つながりへの投資」

 ただし一つだけ決して忘れてならないのは、出社であれ在宅であれ、働いているのは「人」だという当たり前のことです。

 社会的動物である「私」たちは、フェース・トゥ・フェースでコミュニケーションをとり、他者とつながることで生き残ってきました。

 フェース・トゥ・フェースとリモートとでは、情報量が圧倒的に違います。ただ単に、相手の顔が見えるだけでなく、声のトーン、相手の匂い、そこの空気感、周りの状況、例えば誰かが近くにいるとか、川があるとか、さまざまな状況が絡んでいます。言葉はコミュニケーションの一部でしかなく、相手と自分の関係、その場の状況を五感をフル稼働してさまざまな情報の交換が行われているため、言葉の意味も変わります。

 しかし、リモートだと、「言葉」の情報がものすごい比重をしめるようになる。それは言葉が持つ力の肥大化であり、言葉によって傷ついたりする人も増えるようになってしまうリスクがある。

 さらに、フェース・トゥ・フェースだと、たわいもない言葉が相手の表情やその場の空気、状況により温かさが増し、相手とのちょっとしたやりとりに救われたり。自分を取り囲こむ“半径3メートルの世界”の人との関わりがあるからこそ、勇気が出たり、「もうひとふんばりしよう」とモチベーションが高まったり、小さな幸せを感じ取ることが可能です。

 そういった顔の見える、「ねえねえ」と話しかける関係性をリモートで作るのは、至難の業。頭ではつながったと感じても、心はつながったと感じ取ることができません。それは孤独感につながっていきます。

 実際、リモート営業が一般化したことで、孤独を感じる営業職の人が増えたとの調査結果もある。名刺交換したり、握手したり、一緒にコーヒーを飲んだりすることがなくなり、相手に感情移入できなくなり、うまくいかない営業活動をねぎらってくれる同僚もいないため、人間らしさの極みだった営業という仕事が孤独な業務になり、精神的疲労を訴える人が増えたとされています。

 これからの会社に必要なのは「つながりへの投資」です。在宅を基本とするなら、なおさらのこと。社員が「孤独」にならないための知恵を最大限に生かす必要があります。

 そして、もう一つ。気が乗らない日でも会社にいけば、仕事スイッチがオンになり、親のことや子供のことなど、家庭の問題を忘れる貴重な“逃げ場”にもなります。

 そうした「場=会社」が持つ力も大切にしてほしいです。

(引用終り)

 

一部賛成できないところもあるが、大事なことであるが当たり前なことを言っている。
フェース・トゥ・フェースとリモートとでは、情報量が圧倒的に違います。ただ単に、相手の顔が見えるだけでなく、声のトーン、相手の匂い、そこの空気感、周りの状況、例えば誰かが近くにいるとか、川があるとか、さまざまな状況が絡んでいます。言葉はコミュニケーションの一部でしかなく、相手と自分の関係、その場の状況を五感をフル稼働してさまざまな情報の交換が行われているため、言葉の意味も変わります。

 しかし、リモートだと、「言葉」の情報がものすごい比重をしめるようになる。それは言葉が持つ力の肥大化であり、言葉によって傷ついたりする人も増えるようになってしまうリスクがある。」

なんていう分析は余りに当たり前すぎて微笑んでしまうのだが、NTTのバカげた制度をやろうとしているバカ経営者には、こんな基本的なことまで説明しないとわからないだろう、ということだ。


最後の「これからの会社に必要なのは「つながりへの投資」です。在宅を基本とするなら、なおさらのこと。社員が「孤独」にならないための知恵を最大限に生かす必要があります。」は、「不可能だ」と言うべきなのである。リモートワークは社員がつながらず「孤独」になるだけでなく、企業にとって多大な損失を与えるよ、ときっちり言うべきなのである。そこが残念だった。

 

恐らく、澤田以下NTTの人事・組織担当幹部は、リモートワークで仕事は出来る、会社にとって損はないと思っているようだが、こういうのを見ると私は必ず思い出す話があるのだ。

それは、リービッヒと水耕栽培の話だ。

 

19世紀の化学者リービッヒは、従来の“有機物を与えることで植物がより大きく成長する”とする有機栄養説をくつがえし、窒素、リン酸、カリのような“無機物のみで作物は育つ”とする無機栄養説を打ち出した。その後に、水耕栽培の手法が開発され、無機養分のみで植物が生育することが証明されて、有機栄養説は退けられ、リービッヒの無機栄養説に軍配が上がることになる。

 

(注)水耕栽培とは、本来は土を使って育てている植物を、水と液体の肥料で栽培する方法。土を使わず植物の根を水に浸すような装置で栽培し、植物に必要な栄養分は水に溶かして与る。

 

確かに無機養分のみで植物が生育するので、水耕栽培の手法で育てられた野菜は食べられるだろう。しかし、ちょっと考えればすぐに疑問が浮かんでくる。水耕栽培だけで育てられた野菜には人間に必要な栄養がキチンと含まれているのだろうか、と。人間に必要な栄養素は化学者も知らない要素があるのではないか、と。そういう目に見えない、よく分からない要素も大事なのではないか、と。

 

つまり、水耕栽培とはNTTのリモートワークだ。リモートワークで仕事を遂行することは可能に違いない。水耕栽培と同じだ。しかし、水耕栽培で供給された栄養素だけでいいのか、という疑問はリモートワークだけで仕事が成り立つのか、企業として成り立つのかという疑問につながる。

 

NTTは今リービッヒと同じ過ちを犯そうとしているのではないか。

リモートワークでも仕事はできるが、社員は必ず倦んでくるはずだ。しかも劣悪な家庭環境のなかで強いられるリモートワーク。今までは、緊急避難だし、もうすぐ終わることを期待して無理無理合わせていた。それが恒久的な仕事の方式になるとは思ってもいなかっただろう。

若手社員はリモートワークでも構わないと言うかもしれない。しかし、小さな子供を抱える家のリモートワークなど悲惨の極みではないのか。専業主婦は毎日夫の世話をしなくてはいけない。羽も伸ばせない。このまま定年退職したら、こんな夫とずっと一緒だと思うと絶望的、という奥さんの怨嗟の声も聞こえてきそうだ。

社員はストレスを抱え、協業も出来ず、経験の伝えもままならない。それは確実に企業を蝕んでいく。

 

まあ5年も持たないだろうが、早く失敗に気付いてこんな下らない制度をさっさと捨ててしまうことだ。社員のために、NTTの将来のために。

バカだよなぁ澤田って奴は。現場のこと、仕事のこと、何も知らないんだ。こんな暴挙はサラリーマン社長(会長)がやることじゃないよ。