新年、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

今年のお正月は、帰省するはずの息子が体調が悪いということで、帰省していないので寂しい正月を老夫婦で迎えました。

治れば明日にも帰るとのことですが、それでも親としてはつい心配してしまいます。

 

さて、新聞購読(読売)を去年止めたのですが、正月くらい新聞でも読もうかとコンビニに日経新聞と産経新聞の二紙を買いに行きました。

日経新聞をざっと読んで、ああ新聞購読を止めてよかった、と改めて思いました。

よくもまあ、こんなデタラメとどうでもいいことを書き連ねるなあと今さらながら思わされました。

こんなボケ新聞を読んでいたら精神衛生上、本当によくない。

 

日経新聞はビジネスマンの必読のように言われますが、本当でしょうか。

ビジネスマンはこの新聞社の書く記事をどういう思いで読んでいるのか、知りたいものです。

私のように「またバカ書いてらー」と思って斜めから読んでいるのか、それとも「なるほどそういうことなのか」なんて感心して読んでいるのでしょうか。

 

もし後者だとしたら、現実を把握できない訳ですから、仕事にも差し支えるし、仕事上の判断や上司との意見交換もうまくできるものか心配になります。

 

日経新聞一面は、「資本主義 創り直す」と大上段に振りかぶっって、北欧や米国、中国等の世界の経済の動きを解説しています。しかし中身は平板で高校生の書いたレポートのようです。

世界の動きを書いていますが、見るべきものはありません。というかなぜ北欧の国ばかり理想化するのでしょうか。

日本経済についても言及します。

 

日本経済は30年も低空飛行が続いていると正しく指摘しますが、その原因分析として

「雇用の安全を重視した結果、挑戦の機会を奪われた働き手はやる気を失う。行き過ぎた平等主義が成長の芽を摘み、30年間も実質賃金が増えない「国民総貧困化」という危機的状況を生み出した。」

と。

これって全部「嘘」でしょう。デタラメでしょう。テストでこんな回答したら×で0点でしょう。

そんな「嘘」にさらに「嘘」を積み上げます。

「それなのに民間企業を縛る多くの規制が温存され、社会保障改革の遅れで、財政膨張に歯止めをかけられない。」

 

どうですか、これも嘘でしょう。規制緩和をこれまでずっとし続けてきたし、日本経済の低空飛行の原因はこんな規制があるからだと思っている、なんてバカじゃないでしょうか。

それに、社会保障改革の遅れって何ですか。日経新聞が言わんとする社会保障改革の遅れとは、保険料の大幅増と支払いの縮減のことでしょう。いわば社会保障の大幅切り下げ。

「国民総貧困化」と言っておきながら、国民のセーフティーネットである社会保障を大幅切り下げしたら、さらに国民総貧困化が進行するんじゃないですか。

そして、お得意の「財政膨張に歯止めをかけられない」と財政破綻論を持ち出す。MMTを少しは勉強しろよ、です。

 

最後の結論に首をかしげます。

「一人ひとりの個人が自由に富と幸福を追求することで社会全体の発展を支えてきた資本主義は21世紀の新たな挑戦に打ち勝てるか。世界は岐路に立っている。」

 

何だか意味不明。ここでいう「21世紀の新たな挑戦」とは、資本主義を壊す動きのことを言っているらしい。というのも、個人の自由な働きがこれまでの社会全体の発展に寄与した資本主義が今や危機に瀕しているといいたいらしく、確かに資本主義は危機に瀕しているのですが、その危機をもたらす動きを表現するに「21世紀の新たな挑戦」という言葉は全く相応しくないでしょう。「新たな挑戦」という言葉は希望を持たせる明るい未来を開くというような時に使われるはずですから。

 

しかし、ここでは「21世紀の新たな挑戦」は逆の意味に使われています。

この記事を書いた記者は頭が分裂しているのではないでしょうか。かっこよくまとめたつもりでしょうが、悲しいかな、支離滅裂になってしまったのでした。

こんなアホ新聞を優秀なビジネスマンが読んで「なるほど、元旦らしい記事だ。後輩にも教えてやるか」

なんて思う奴はいるんでしょうか。おらんやろう!

 

長くなってしまいましたが、他の記事も大同小異です。

日経新聞に限らないが、いい加減な記事を書くのは、記者の勉強不足もさることながら、読者をバカにしていることから来ているものと思われます。

 

つまり、適当な記事を書いて誤魔化してもどうせ分かりゃしない。大企業経営者に取材しても、みんなアホばかりで新聞記事のおうむ返しの意見しかいわない。ましてや一般ビジネスマンも同様に何も知らないはすだ。だから適当な記事でかまわない。適当なクズ記事でも編集デスクも許してくれるんだから、と。

 

しかし、今の「まともな」ビジネスマンはネットを使って大量且つ上質の情報を仕入れています。新聞記事よりはるかに深い情報と分析をネットから取り入れています。

今通勤電車で新聞を読んでいるビジネスマンはいるんでしょうか。みんなスマホから情報を仕入れているはずです。(といってスマホは良質な情報ばかりという訳ではありません)

 

朝日・毎日は余りの反日嘘記事ばかり書くから購買部数は激減し、遠からず倒産する可能性が大ですが、日経新聞も小難しい経済記事中心だからと適当なクズ記事を書いて安心してはいられないでしょう。気が付いたら「誰もいなくなった」ということになるかも。

 

あのしょうもない琉球新報や沖縄タイムズがあれだけデタラメな且つ左翼プロパガンダ記事を書いても大手新聞が参入する余地がなかったのは、地元の死亡記事が丁寧に書かれるからだといいます。古い共同体では誰が死んだかの情報はとても大事なのです。別に記事が読まれているわけではないのです。

 

同様に、日経新聞も株価や投資信託価額や資源相場情報などを毎日知るために買われている可能性がありますが、今やそんな情報はネットから入手する時代です。まともな記事が書かれない日経新聞なと存在理由などありません。よく反省した方がいいと思います。

 

ということで、去年新聞購読を止めたのは正解でした。精神衛生上にこの上なく寄与してくれました。

元旦にわざわざ日経新聞を買って、こんないい加減な新聞を誰が読むんだろう、と改めて思った次第でありました。

 

<追伸>

日経の作家五木寛之氏のインタビュー記事から。

「豊かさの道標を求めて」の中で、「三密」から「三散」の時代へと五木氏は言っていますが、「三散」についてはどうでもいいのですが、最後のことばが気になりました。

「今年で90歳。長生きしたい。好奇心は尽きず、見届けたいことは山ほどあるからだ。」

 

ホントにそうですね。大いに賛成します。

そして、

「米中対立はどうなるのか。大谷選手は10年後メジャーでどんな立場にいるのか。電気自動車が街にあふれる社会も見たい。劇的に変わる地球上の動きにドキドキするほど関心がある。」

 

90歳にして好奇心が旺盛。見習いたいですね。

でも「電気自動車が街にあふれる社会も見たい」を読んでズッコケてしまいました。

五木さん、皮肉で言ってるんですか、それとも本気で?

文の流れからすると本気で言ってるようですね。

いま問題になっている電気自動車EVについて、「街にあふれる社会も見たい」って、こんなものが街に溢れていたら、失業者も溢れているし、ガソリンスタンドならぬ給電スタンドは行列でいっぱい、大雪の日本海側の道路じゃ立ち往生した電気自動車で死人も出てますよ。

好奇心が旺盛なら、もう少し勉強した方がいいかもと。90歳にもなってもこの程度ですか?

あるいは、日経新聞のためにサービスをしたんでしょうかねえ。