今年の新語・流行語大賞は全く話題にもならずに消えてしまった。左翼政治化したことと一つも流行してない言葉が何故か選ばれることが何年も続いたから、消えるべくして消えた。
年末恒例のもう一つが今日発表された「今年の漢字」だ。これもマンネリ化が著しい。
12年前に発覚した日本漢字能力検定協会の不祥事(創業者親子が逮捕された背任事件)があったものの、「今年の漢字」だけは生き残ったようだ。
しかし、ここ数年全く「今年の漢字」が面白くないのである。
20年「密」、19年「令」、18年「災」、17年「北」、16年「金」…
今年もまた16年と同じく「金」とはねえ。
これじゃあ五輪開催はいつも「金」か。金も銀も少なく銅メダルばかりだったら「今年の漢字」は「銅」ってか。
「金」は金メダルの金ではなく、金持ちは益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏になる格差がひどくなった年の象徴じゃないのか。
ここ数年の漢字に、総じて「発見」「なるほど」「学び」というものがない。多数決の弊害だな。
17年の「北」って、なんで「北」なんて選ばれたんだろう。北朝鮮がミサイルを日本にぶっ放した年だったのかしら、と冗談で書いて、ネットで調べたら本当に北朝鮮のミサイルのことだった。ビックリ。
(2017年「北」:北朝鮮による弾道ミサイルの発射・核実験の強行。九州北部での豪雨。北海道産ジャガイモの不作。北海道日本ハムファイターズ大谷翔平選手の大リーグへの移籍などから。と書かれていたが無理やり感たっぷり!)
なんでこう面白くない漢字ばかり選ばれるのか。それは一般からの応募で一番多い漢字を選んでいるからだ。大多数が選ぶものは平凡な言葉になるに決まっているじゃないか。
こんなありふれた言葉を京都・清水寺の貫主になんでわざわざ書かせるのだろう。書家の武田双雲氏に書いてもらっても構わないはずだ。
それを有名なお寺の坊さんにお願いするのは?
年末の風景としては絵になるが、それだけではないはずだ。
昔はどういうふうに「今年の漢字」が選ばれたか知らなかったときは、清水寺の貫主が選んだとばかり思っていた。つまらん漢字が書かれた時は、この坊主も大したこと考えていないなあ、と思ったものだ。
つまり、「今年」という年を、偉いお坊さんは仏教的というか人生を見極めた高僧がどう見て取ったのかを知りたかったのである。
それが一般応募の結果だなんてバカげているし、清水寺の貫主に書いてもらう必然性が全くないのである。おそらく、数年後にはロボットかオットセイに書かせているんじゃないのか。
「今年の漢字」の起死回生策提案。
・一字のみを止めて1~3字を許容すること。これで表現の幅が広がる。
・応募は止めること。京都・清水寺の貫主に独自に選定させること。
最近はテレビやスーパーでクリスマスソングも耳にしなくなった。年末恒例も段々となくなってしまう。
季節感が感じられなくなった。さみしい。
しかし、子供の時は年末大みそかや元旦などはウキウキしたものだ。
古き良きものはぜひ大事にしてもらいたいが、マンネリもよくない。また変え過ぎるのもよくない。
紅白歌合戦も今年は期待できそうもない。
一時期、ジェンダーとかなんとかでNHKは紅白歌合戦を止めるかもと噂された。
どこかでは「ももいろ歌合戦」をやるとか。
紅白歌合戦は手を入れ過ぎ、凝り過ぎ、作り過ぎて面白くないのだ。若者向けに作っているようだが、そもそも若者は紅白歌合戦など見てやしないだろう。
見ているのは高齢者がほとんどなんだから、それ向けに作ってほしい。といっても演歌ばかりは止めてくれ。もう一度北島三郎に出てほしいものだ。