死刑になりたいというバカ者による京王線列車テロ。切りつけと放火で大量殺人を計画したが、重体、重軽傷のけが人多数が出たものの、幸いにも大量の犠牲者が出るまでにはいたらなかった。
しかし、運が悪ければもっと多数の死者が発生した可能性もあった。恐ろしいテロ事件であった。
最近はスマホで事件が撮影されるので、生々しい現場がテレビに映し出される。
電車が駅に停車すると窓から逃げる乗客たちの姿が映し出されたが、その際皆が疑問に思ったのは、車両のドア及びホームドアがいつまでも開かないため、それを乗り越えて逃げ惑う乗客の姿だ。
もし足腰の弱い老人なら、高い窓やホームドアを乗り越えられなかっただろう。
また、JR山手線その他は窓がそもそも開かないから、乗降ドアが開かない限り逃げられない。(窓は簡単には破れないだろう)
もし、火災がもっと激しく延焼し、またテロ犯が無差別に次々と刺殺していったら、今回のけが人程度では済まない大量犠牲者が出たことだろう。そう思うと慄然とせざるをえない。
だから、窓、乗降ドア、ホームドアという逃げ道が塞がれ続けたのは大問題なのである。
なぜ車両のドア及びホームドアを開かなかったのか?いや、開けなかったのか?
ビジネス・ジャーナルより
「京王電鉄によれば、乗客が非常用ドアコックを使用したために運転士が停止位置を調整するための加速ができなくなり、本来の停車位置より手前で停まったために車両ドアとホームドアの位置がずれ、ドアが開かなかったという。また、手動でドアを開けることはできるものの、乗客が転落する事態を懸念して車掌はそれを躊躇していたという。
結果的に乗客たちは刃物を持った容疑者がいる車両内に閉じ込められた格好となったわけだが、一連の京王電鉄の対応は適切だったのか。」
この京王電鉄によれば、ホームドアが開かなかったのでなく、「開けなかった」のである。
その理由として、「乗客が転落する事態を懸念して車掌はそれを躊躇していた」と。
この京王の説明は説明になっていない。もう責任逃れが垣間見える。
何か別のことを想定して、乗降ドアとホームドアを開けなかったのではないか。
まず、「乗客が転落する事態を懸念して」乗降ドアとホームドアを開けなかったというのは、単なる言い逃れだろう。
もう列車は国領駅に到着していたのだから、「乗客が転落する」危険は考えられない。
最後部が一部ホームからはずれていたかもしれないが、そんな一部分の危険性から全体のドアを開けなかったなんていうのは、全く理由としておかしい。
そんな転落の危険より全体の乗客が閉じ込められているほうが余程危険だと思うのがふつうだ。なぜなら、車両火災が発生していたのだから、早く脱出させることが今やるべきことなのだ。車掌がそんなことがわからないはずはない。
だからこそ、なぜ車掌又は運転士又は駅員それぞれが、乗降ドアとホームドアを開けなかったのかが解明されないといけない。
単に慌ててしまっただけなのか。違うだろう。映像で見るように、乗客が車両窓やホームドアを何人も乗り越えてしばらく時間が立っていても、全く乗降ドアとホームドアは開かなかった。
私は駅員らが開けるのが危険だとか開けるのを忘れていたとかではなく、意図的に開けなかったのではないかと思っている。
つまり、乗客を車内に閉じ込めようとしたのではないか。
なぜか。
それは、乗客と一緒にテロ犯人がドアから逃走することのないよう車内に閉じ込めようとしたのでは。
車内からホームへ犯人が出て、更に犯行を繰り返すことを防ごうと、とっさに考えたのではないかと推定するのである。
確かに、犯人は結果的に車内に閉じ込められて、警察に簡単に捕まった。というか犯人は捕まりたかった、死刑になりたかったから大人しく車両に残っていたのだが、駅員たちはそんなテロ犯の意図はわからない。
だから、乗客より犯人を車内に閉じ込めることを思わず優先してしまったのではないかと思うのである。
しかし、その後の説明でそんなことは公表できないから、取って付けたような「乗客らが転落する恐れがある」という理由を考え出したのではないか。
重体・重傷者その他20人弱のけが人を出した大事件ではあるが、それでもドアを開けないということが人災になりうる、もっと大量の犠牲者が出る可能性があったのに、(語弊がある書き方で申し訳ないが)この程度で済んだのは、単に運が良かった(車両火災が延焼しないで済んだ、テロ犯が更にしつこく刺殺して回ろうとしなかった)というしかない。
それにしてももう一つ不思議なのは、乗客が逃げ惑うなか、駅員の姿が全く映っていないことである。
ふつう駅員は昔と違って効率化の為にホームにはいないが、それでも緊急停止をしたのだから、運転士は事件・事故発生を駅に知らせていたはずで、駅員が駆けつけていないといけないのだ。
何分後か知らないが、警察官が何人も犯人逮捕しているところを映しているが、駅員の姿は見当たらない。
ついでに、ジョーカーテロ犯を確保する際に、警官がテロ犯と立ち話をしているようで緊張感が全く感じられなかった。
直前に乗客20人にも切りつけ、放火しているというのに、立ち話とはどういうことだ。「貴方がやったんですか」なんて質問でもしていたのか。有無を言わさず、倒して首根っこを押さえて手錠を掛けるべきではなかったのか。なんだか駅員も警官ものんびりしている。
さて、この死刑になりたいから大量殺人を考えたという事件に、平野啓一郎という小説家は場違いな場外乱入をして恥をかいている。
スポーツ報知
「芥川賞作家の平野啓一郎氏が2日、自身のツイッターを更新。東京都調布市内を走行していた京王線の特急電車内にいた乗客17人が重軽傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕された住所・職業不詳、服部恭太容疑者(24)が「人を殺して死刑になりたかった」などと供述していることについて、私見を述べた。
「直感に反して、死刑制度に犯罪抑止効果がないことは知られていますが、最近では寧ろ、死刑制度が犯罪を誘発さえしている事件が目につきます」
「最高刑が無期懲役だったら、この手の犯罪の動機にはならないのでは?日本も死刑制度を廃止すべきです」
と提言していた。」
(引用終り)
死刑になりたい奴が殺人を犯すので、死刑を廃止すればそういう殺人事件はなくなる。だから、死刑制度を廃止しようと。
この小説家、バカ、というしかない。
平野啓一郎は初期の頃いい小説を書いていた。京都大の学生で小説を書き始め、「日蝕」により芥川賞を当時最年少の23歳で受賞した。泉鏡花風の幻想譚「一月物語」もいい本で「日蝕」とともに昔読んだが、こんな優秀な学生もいるんだ、と感心したことを覚えている。
しかし、いつしか左翼になってバカばかり言うようになった。
今度の発言もそんなバカ発言だ。
こんなアホ発言にはすぐに反論が出るだろう。
そんな下らない理由で死刑制度を廃止したら、死刑にならないからといって何人も平気で殺す奴が出てくるだろう。それはどうでもいいのか。
今ですら、一人殺しても死刑にならない、とか2人以上殺したら死刑になるから、もっと殺しても構わないという頭のおかしい殺人犯がいるというのに、死刑廃止は殺人を更に誘発するだろう。
また、「死刑制度に犯罪抑止効果がないことは知られています」というが、効果がないということは証明できるのか。
死刑制度があるから、人殺しはしないという人間はごまんといるはずだ。そんな人間がほんとは殺したかったが、死刑が怖いから殺さなかった、なんてわざわざ言う奴はおらんやろう。
論理的にいえば、死刑制度に犯罪抑止効果があることは十分推定できるのである。
このバカげた平野の論。「死刑になりたい奴が殺人を犯すので、死刑を廃止すればそういう殺人事件はなくなる」という論は、中国におもねる村上春樹の論に似ている。
つまり、「尖閣は中国にくれてやれ」論に似ている。
尖閣なんかあるから中国が攻めてこようとするのだ。攻めてこなくさせるには、尖閣などの小島は中国にくれてやればいい。それなら日本は平和だ、と。
同様に、ミサイル基地なんてあるから中国が攻めてくる。ミサイル基地はいらない。ない方が平和だ。
死刑があるから死刑になりたい殺人が起きる。死刑がなければ殺人は起きない。
なんと幼稚な論理であるか。平野啓一郎も調子に乗ってバカを言ったものである。