昨日算数もできないのかと枝野を笑ったのであるが、またまた街頭演説でバカを露呈してしまった。

こんなんじゃ、来たる総選挙に絶対勝てないよ、ほんと。

バナナのたたき売りじゃないんだから、俺っちの自然エネルギー立国のほうが美味しいよ、とバカ丸出し。

 

「立憲民主党の枝野幸男代表は19日、千葉県柏市で街頭演説し、デジタル化の推進を掲げる菅義偉首相を批判した。立民は次期衆院選で「自然エネルギー立国」を政策の柱に据えるとして「首相は取って付けたようにデジタル化なんて言いだした。この国は後ろ向きのデジタルではなく、前向きの自然エネルギーで食っていこう」と訴えた。

 

<演説の書き起こし>

そして3つ目。これからの日本の未来。どうやってこの国は食っていくのか?

菅さんはとって付けたようにデジタル化なんて言い出しました。

これやったらいいんです。なぜかと言ったら 日本はまだ昭和なんだから。日本のデジタルは。もう世界から取り残されたすっごい後ろの方なんです。デジタル化は。これは早く追いつかせなきゃいけない。これはどうぞやってください。

でもこれは追いつくだけだから。遅れてる分。これからの日本の未来を輝かせることはできないんです。

だから私は、自然エネルギー立国! 日本を作っていこう。皆さんに提案したいと思います。

日本にはここ(自然エネルギーの)技術あるんですよ。太陽光。それから、風。それから水力。それから、波。地熱。バイオマス。もう本当に日本はありとあらゆる自然エネルギー。この技術がある。

しかも日本中、津々浦々に、それが素晴らしい適正もった土地を持ってるじゃないですか。

(←メガソーラーで山野が破壊されて困っているのを知らないのか!) 

まず日本を、自然エネルギーで回っていく国にしましょう。21世紀は、世界の国々が自然エネルギーを求めています。(←そしてみんな失敗して困っているぞ、ドイツを見よ!)

もう「温暖化対策だ」なんだかんだと言って、いままでのエネルギーは変えていかなきゃならない。世界が思っています。

日本は、ここでは世界をリードできるんですよ。国として明確に、世界の自然エネルギーをリードしていく。 (←安いメガソーラーはみんな中国製だぞ!)

後ろ向きのデジタルじゃなくて、前向きの自然エネルギーでこの国は食って行こうじゃありませんか。 これみんなを幸せにするんじゃないですか?(←こいつはホントにバカ!)

 

この目の前の3つの、短期的な組み合わせと、ベーシックサービスと、そして自然エネルギー立国で、日本の経済を、未来に向けても足場からも元気にしていく。私たちには具体的なビジョンがあります。 (←自然エネルギーで安定生産ができるわけないだろうに)

次の総選挙で、この国の政治の流れを変えていきたいと思っています。競争によって強いものが強くなるけれども、なんとなく社会全体が、暗く、不安が募っていく社会はもう切り替えましょう。(←枝野が辞めれば日本は明るくなる、ホント)

昭和の名残のような古い発想から切り替えましょう。未来に向けた新しい政治を、進めていきましょう。

(引用終り)

 

この男は何も勉強していないね。算数だけじゃなくて、理科もわかっていないようだ。

自然エネルギー、特に太陽光発電と風力が環境破壊で大問題になっているのを知らないのだろうか。

「後ろ向きのデジタルじゃなくて、前向きの自然エネルギー」って、自然エネルギーは前向きでもなんでもない、ただのクズ電力だし。金食い虫で環境破壊はするし、あと10年も経ったら、山や畑に醜く設置したメガソーラーはみな大規模産業廃棄物になるのが目に見えている。

 

このブログでは何回も書いてるけど、何度でも自然エネルギーがなぜダメなのかを書く。

 

近藤邦明氏の解説より。

自然エネルギーに過大な期待を抱かせる一つの要因は、希少なエネルギー資源、つまり石油を消費せずに、どこにでも存在し、莫大な絶対量を持っているからであろう。しかし、それはエネルギー密度の低い、不安定なエネルギーだという性質を併せ持っている。
自然エネルギーという、どこにでもあるが、拡散したエネルギーを、工業的に利用できる、高度なエネルギーにするためには、多くの仕事と資源を投入することが必要になる。更に、制御不能な時間的不安定性を持つ自然エネルギーを利用するためには巨大なバッファ装置が必要になる。多くの人々は、自然エネルギーを利用できるようにするために投入されるこれらの工業的エネルギー(=石油エネルギー)と鉱物資源を見落としている。」

自然エネルギー礼賛者は、

「大海原に漂流する遭難ボート。水も食料も尽き果てた。いや海がすぐ手が届くところにある。無尽蔵の海水がある。これを飲めばいいじやないか。助かった!」

と言っているのと同じなのである。これが自然エネルギーの正体なのだ。その間違いに早く気付くべきなのだ。

 

近藤邦明氏が述べているように、今問題になっているのは発電というエネルギーの形態であり、すべて発電というのは工業生産プロセスを経て取り出されるものであり、自然エネルギーとて例外ではない。自然エネルギー発電とは、自然エネルギーを何らかの工業製品である発電装置によって捕捉して電気に変換する過程であり、自然エネルギー自体の無尽蔵性が本質なのではなく、自然エネルギー発電の本質とは発電装置の工業的な生産であると捉えないといけないということである。

つまり、自然エネルギーを考えるとき、目を向けるべきは「自然エネルギーの無尽蔵さとか自然にやさしい」とかではなく、工業的な生産品としての自然エネルギー、それは太陽光パネルの生産、巨大風車の生産そしてそこから生じた電気を安定的に社会全体のエネルギーとして利用可能にするまでの装置群いわば自然エネルギー発電システム総体として捉えないと、自然エネルギーを間違えてしまうということである
大規模な自然エネルギー発電システムの導入は、社会全体のエネルギー効率を著しく悪化させるものなのである。

 

自然エネルギーの問題点をまとめると
①自然エネルギーは空間的な密度の低い拡散したエネルギーなので、これを集約して工業的に意味のある有用なエネルギーにするためには例外なく単位発電電力量あたりの発電装置規模が飛躍的に増大する
②自然エネルギーは予測不能な非定常な変動をするため、電力の安定供給のためにはバックアップ用の発電装置、蓄電装置、制御装置、揚水ダム、高圧送電線網の追加建設などの付帯設備が必要。
③自然エネルギー発電装置およびバックアップ用の発電装置、蓄電装置、高圧送電線網等を含めた“自然エネルギー発電システム”によって電力を供給するためには莫大な工業製品の製造と巨大施設建設が必要。


つまり 自然エネルギー発電は導入コストが高いことだけでなく、こうした巨大で不安定・低効率の発電装置を作り、運用するために石油などの工業的なエネルギーや鉱物資源を大量に必要とし、その結果として必然的に導入コストが高くなるのである。

 

枝野ももう少しこの辺のところを勉強してくれよ。