蓮舫が離婚していたと報じられ、今日のTBSゴゴスマでは大々的に扱っていた。しかし、これは今度出る週刊文春記事の宣伝のようだ。詳しくは週刊文春を買って読んでね、と。

 

ヤフーニュース(8.25)より。

「人生観の違いですね」蓮舫参院議員が離婚 「週刊文春」に理由語る

 立憲民主党参議院幹事長を務める蓮舫参院議員(52)が、離婚していたことが「週刊文春」の取材で分かった。蓮舫氏が、「週刊文春」の取材に認めた。

蓮舫氏を巡っては、820日、参院事務局に「村田蓮舫」から「齊藤蓮舫」に本名が変わったことを報告し、その後、参院ホームページの議員情報欄が更新された。

 蓮舫氏は情報番組のキャスターを務めていた頃、フリーライターの村田信之氏と知り合い、19938月に入籍。97年には男女の双子を出産した。息子の村田琳(23)は現在アイドルグループの一員として活躍している。

「週刊文春」が、離婚について事実確認を求めたところ、824日、蓮舫氏は取材に応じ、次のように説明した。

 87日に離婚届を提出して受理されました。弁護士も入れず、円満な協議離婚です。(理由は)シンプルに人生観の違いですね。彼は早稲田大学で講義を持ち、学生と地域を結ぶ教育をしています。いずれ地方に生活の拠点を移そうと考えていた。」

 離婚を切り出したのは蓮舫氏からだったという。…今年春ごろから私の方から切り出して、話が整ったのがこのタイミングということ。2人でこの件で話したのは30分ずつ2回だけ。彼も私との価値観のズレはわかっていたから理解してくれました。ただ、今も連絡を取り合うほど仲はいいです。籍を抜いただけなので、生活も心境も全く変わっていないんです。」

 827日(木曜)発売の「週刊文春」では、蓮舫氏がかつて夫を「ペット以下の存在」と語った理由などについて詳報する。」

 

 

「籍を抜いただけなので、生活も心境も全く変わっていないんです」というところが怪しい。夫を何かの為に利用して、用済みになったから籍を抜いたということか。いつも蓮舫には戸籍や国籍疑惑が付きまとうから、何か普通の離婚と違うことを覗わせる。

 

パチンコ屋の倒産を応援するブログが次のように書いている。

「…蓮舫は多重国籍の件について説明から逃げ回り続けました。それが20177月にようやく自身の多重国籍疑惑について説明を行うというので記者達が集まってみると、ほとんど隠された戸籍謄本のコピーの一部を提示し、なぜこの時期になったのかについて自分の子供達が成人するのを待っていたと
なぞの説明をしました。

そしてわかることは蓮舫の戸籍謄本が19ページもあるということだけでした。普通の人でここまでのページ数になることはまずありえません。」

 

また、国籍疑惑の際には、蓮舫が見せた二重国籍関連書類(「喪失國籍許可證書」)は偽造のようだとネットでは盛り上がっていた。私も3年前にそのことをブログ記事に書いた。

蓮舫疑惑が更に深まった!開示書類が「偽造」の疑い。そして松居一代より面白い蓮舫動画を発見!」(2017720日)
疑わしい点は

「顔写真が民進党のポスターの写真が貼り付けられており、台湾当局は受け付けないはずなんです。

また住所が日本としか書かれていないのも不自然、実際に許可証を発行された人は細かい住所も書かれていたと。そもそも期限が切れているパスポートしかないのに中華民国の国籍離脱の申請はできない。

 戸籍謄本の「国籍選択の宣言日」についても欄外の文字が、何故か逆転していること。切り張りが見え見え。それ以外にも疑わしい点が満載。」

 

当時経済評論家池田信夫氏もツイッターで「この証明書は台湾政府が発行したものではなく、区役所に見せるために蓮舫事務所のスタッフがつくった疑いがある。正式の申請は(旅券が無効なので)まだ受理されていない可能性もある。」と書いてるし、アゴラにも「蓮舫代表は国籍離脱について嘘をついている」と題して書いている。

 

しかし何故かマスコミその他スルーして問題にならず。蓮舫は安倍政権にいつも説明責任を要求するが、自分のことに関しては、説明責任を果たさないのです。

 

蓮舫は台湾国籍ながら、台湾より中国に親和的なのでいつまでも疑惑が晴れない。そして蓮舫の祖母が女傑だったということもあまり知られていない。そのルーツが今の蓮舫を作り上げているということを。

その辺のことは、パチンコ屋の倒産を応援するブログが昨日と今日、詳しく書いていますので、長いのですが、省略せずに引用しておきます。

 

REN4は説明責任を果たしてないんですが?」(2020.8.24

「参議院の議員紹介ページで村田REN4を見ると・・・

あれ・・・村田からいつのまにか齊藤に変わってますね。齊藤というのはかつて日本で名乗っていた通名だったはずですが?
 

蓮舫は多重国籍の件について説明から逃げ回り続けました。それが20177月にようやく自身の多重国籍疑惑について説明を行うというので記者達が集まってみると、ほとんど隠された戸籍謄本のコピーの一部を提示し、なぜこの時期になったのかについて自分の子供達が成人するのを待っていたとなぞの説明をしました。そしてわかることは蓮舫の戸籍謄本が19ページもあるということだけでした。
普通の人でここまでのページ数になることはまずありえません。

 

ちょうど昨日コメント欄で書いておりますが、村田REN4は聞かれてもいないのに親の遺産はゼロだったということをよく語っていました。

台湾のバナナ輸出の5割を牛耳っていて台湾政府にも影響力を持ち、日本の政治家の一部も買収していたのが村田REN4の父親でした。日本でペーパーカンパニーを作って台湾からのバナナの輸入枠をこのペーパーカンパニーを通して議員に配る、という形で日本の政界にも食い込んでいました。

昭和41111日の参議院農林水産委員会より。

黒柳明
かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の五〇%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村。

陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度は息子さんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております。この陳杏村氏の息子さん二人が。たとえば、これは例として、謝哲信さんが取り締まっている会社は三興商事とか、いま言いました砂田産業その他です。謝哲義さんが取締役のポストにある会社としては福光貿易その他です。まだまだ数多くあります。それが三番目の関係です。
四番目、この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある、こういうような点もはっきりしております。

(中略)

巨大な利権を切り回していた陳杏村とその息子の謝哲義と謝哲信。そして謝哲信がその利権の切り回しを使って当時の国会議員、それも通産大臣になるような人にまで影響力を持っていたわけです。

そしてこの謝哲信こそが謝蓮舫、つまり村田REN4の父親です。

財産がゼロということを聞かれもしないのに言っていた事を考えれば、財産がないということにしたかったということだろうと思います。
なにせ台湾は相続税率が10%しかありません。そしてそれまで多重国籍問題について説明責任から逃げ回っていた村田REN4が急遽説明を行うとして実施された会見では、子供達の成人を待っていたという謎の説明をしているわけです。子供達が成人、つまり国籍選択ができるようになるのを待っていたということでしょうか?すぐに国籍選択をしなくても3年間はごまかしができます。

とにかく「台湾籍」という事が重要だとブログ主は考えます。

村田REN4は聞かれてもいないのに父親の財産がないことをアピールしてきた人です。かつて日本で大きな利権になっていた台湾からのバナナ輸出枠の5割を握っていて、それを使って日本の政界にも食い込んでいた人物が財産ゼロなんて話は普通はありえないと思います。

となれば村田REN4が台湾籍を抜けるにあたって、財産を移し替えなければならないとすれば、二人の子供達が台湾籍の離脱手続きをしていない間に財産を相続させていたのではないかという事を勘ぐりたくなります。

村田REN4が説明から逃げ回り続けているので推測でこういうことを書くしかありません。本人がきちんと説明責任を果たさないのですから。

で、蓮舫は「村田」と名乗ることを異常なほど嫌がっていました。そのため国会内外で「村田蓮舫」とどうしても書かなければならない場所以外では徹底して「蓮 舫」(まるで蓮が名字のように扱わせることで村田と入れさせない)ということをやっていました。

子供達への相続が完了して日本国籍のために結婚した旦那の姓を名乗る必要もなくなって、かつて名乗っていた通名であるところの齊藤に戻した・・・ということになるのかもしれません。

そうなると齊藤というのは通名ではなく戸籍上かつて登録していたという事でしょうか?
そして今更になって旦那を養子入りさせて齊藤姓に変更したということでしょうか?

それとも国会でのプロフィールをあえて旧姓に変更した、ということでしょうか?

いずれにしても多重国籍問題についてもぜんぜん疑惑を晴らしていないので、説明責任から逃げ回らないでもらいたいものです。説明責任から逃げ回っている村田REN4に、説明責任を果たすように言わないで逃げるのを手伝っている立憲民主党にも大いに問題があります。」

 

REN4さん逃げないで説明を」(2020.8.25

「…さて、昨日取り上げたREN4の件ですが、旦那の村田と離婚したとのことです。

昨日も書きましたが、REN4は一貫して「村田」と名乗ることを嫌がってきました。そのためにあの手この手、とにかく可能な限りあらゆる場面で「村田」という表記がなされないようにしてきました。

なのでブログ主は日本国籍と種を得るだけが目的だったんじゃないかと。
旦那のことはペット以下と言ったり、REN4を持ち上げるためにテレビ局が作った特集番組でREN4と子供達がそろって旦那を軽視して扱っている事を隠しもしませんでしたからね。そして離婚して日本で通名として名乗っていた「齊藤」を改めて名乗ったと。

謝哲信とミスシセイドウだった母との子で日本国籍はこの母の方を取った形で姓も母から齊藤と持ってきたようです。

今回の離婚でREN4の戸籍謄本は以前の19ページからさらにページ数を増やしていそうですが・・・はてさて。そもそも普通に暮らしていたら19ページなんてやたら長くならないはずなんですよね。
そのあたり、REN4は説明責任から逃げ続けてきて全くわからないままです。

昨日のブログ記事でも取り上げた内容も一部ありますが、あらためてREN4の胡散臭さについてその父、祖母のあたりも考えてみましょう。

REN4の父は謝哲信、その母が陳杏村です。父の謝哲信については昨日書いたとおり、政界における黒い霧事件の中心人物になるほどの大物でした。

まずこの父の亡くなった年も繰り返し間違うREN4のツイートがこちら
2010413日 16年前、私の父が他界した⇒1994年?

2012412日 17年前に私の父も他界、明日が命日。⇒1995年?

2013413日 20年前の今日、父が他界。⇒1993年?

2014917日 917日は父の誕生日。亡くなって20年経つが。⇒1994年?

2015413日 22年前の今日。父が旅立ちました。⇒1993年?

2016413日 大好きな父が旅立ってから22年が過ぎました。⇒1994年?

 

ちょっとREN4さん、自分の父親の亡くなった年がガバガバじゃないですかね?

ちなみに平成30115日の参議院予算委員会ではREN4はこんな事を言っていたりします。
以下、議事録より。

—–
REN4 私の父は台湾人です。日本の占領下で日本国籍を有していました。戦後、台湾国籍になりました。
—–

台湾が日本だったことはあっても、日本占領下であったことは一度もないのですけど?このあたりの感覚、日本人でも台湾人でもないように思います。一部には三重国籍を疑われるREN4ですからね。

あ、ここでブログ主の邪推を一つ書かせてもらいますね。

昨日も書いたとおり、REN4の父親は日本の政界にがっつり食い込むほどの財力とコネを持っていました。REN4の母親はミスシセイドウの齊藤圭子とのことです。

REN4がタレントとして売り出していくきっかけはクラリオンガールになったことでした。クラリオンガールの中でも特にプロポーションが悪く写真集の売り上げは歴代でワーストと言われています。
参考までにこんなんでした。(写真省略)
REN4の異常なプライドの高さなどを考えると本人がねだったのかもしれませんが、
政界にがっつり食い込むほどの力を持っていた謝哲信の力があったのでは?とブログ主は邪推しています。だってねぇ、、身長が高いとかいうわけでなし、メリハリのないボディ。真面目にちょっとなんでREN4が選ばれたのかわかりません。こういうのって女性の方から見てどうなんでしょう?

 

話を戻しましょう。

蓮舫の祖母、陳杏村がそもそも怪しいのです。台湾人士鑑という台湾のそれなりの人達の目録みたいな本があるのですが、それの249ページに陳杏村の記載があり、昭和十年東京銀座ファッションスクールを卒業し同年7月に台湾に洋装店を開業したことが書かれています。
ちなみに台湾のWikipediaだと1926年に台北第三高等女学校を卒業し、謝達林と結婚して台南の白河に病院を開設したとあります。

1939年には上海でたばこの卸売業を始めたようです。
同年、日本軍に戦闘機2機を寄付。1945年にスパイ容疑で逮捕されるも無罪ということになっています。
たばこの卸しがどれほどの利益になるかはわかりませんが、いきなりぽんと戦闘機2機買えるもんなのですかね?

当時上海租界を牛耳っていたのは青幇でした。国民党と極めて近く、戦後中国共産党が国民党を追い出して支配権を握ると国民党が台湾に逃れたのと同じく青幇もまた台湾や香港に逃れました。

戦闘機2機を寄付という事をもって日本軍に近づいたこの角度で考えたら彼女のバックには青幇や国民党があったのかもしれません。

なお、現在「台湾人士鑑」の陳杏村などの載っているページを見ようと思っても確認することができなくなっています。いつのまにか該当箇所が破られていたようで、国会図書館に現在ある物はこのとおり、
247~250ページのところが抜け落ちているのです。(略)

かつてREN4が二人の子供に中国籍を取らせることを目的にしたのか、妊娠中に留学ということで北京に滞在していたことがありました。しかしながら結局は日本に帰国することを選んで日本で出産しています。わざわざ微博にアカウントを持っていてそこでつぶやいていたりとREN4は台湾籍のわりに心は大陸なのですよね。
こうなってくるとビートたけしの言った「台湾経由の中国のスパイ」というのが冗談じゃなくなってくるのではないかとすら思います。

やはりスパイ防止法は日本に絶対に必要です。立憲民主党に集まる人達って背中がずいぶんと煤けて見える人が多いのですよね。」

(引用終り)

 

ワイドショーでは夫がペット以下とか円満離婚とか程度の扱いはできるが、祖母さんが日本軍に戦闘機二機も寄付して、スパイ容疑で捕まったなんて話をすることはできないでしょうね。

でも戦後秘史としては、祖母さんの話の方が面白そうだ。

「農と島のありんくりん」ブログも書いている。

「…父・謝哲信氏が亡くなった時に、蓮舫氏には大きな遺産が残されたはずです。後述しますがそれもそのはず、謝氏は政商だった母・陳杏村の台湾バナナルートの日本事務所長のような立場だったからです。巨額の金が謝氏の元にあつまり、黒い霧の中に消えていきました。 

憶測の域を出ませんが、蓮舫氏が相続税を租税回避するために、台湾籍を捨てなかったとしてもそう不自然ではありません。というのは台湾は、日本よりはるかに相続税が安いからです。  

ここにも、彼女のもう一つの体質である、「違法ではないが、限りなく脱法に近い」ことをやってのける体質が現れているのではないか、と見る向きもあります。  


蓮舫氏の祖母である陳杏村は、これはもう女傑、あるいは、女帝というにふさわしい存在でした。戦時中に表向きのタバコ商の看板の裏で、日本海軍の裏工作であった阿片取引などに関わっていたとされています。

当時日本海軍は米国などのタングステンなどの戦略物資の禁輸で苦しんでいました。しかし、哀しいかな軍人にはどうしていいかわかりません。そこで白羽の矢がたったのが、大陸に様々なパイプを持つ右翼の児玉誉士夫でした。児玉は、上海を拠点にしてこの裏工作に当たります。これが俗にいう「児玉機関」です。児玉は、1937年、外務省情報部長河相達夫の知遇を得て、中国各地を視察し、翌38年には海軍嘱託となり、41年から上海で児玉機関を運営しています。この裏工作の資金源が阿片密売でした。  

陳杏村は、上海で児玉機関のための物資調達や、阿片密売の売り捌きなどに協力していたようです。この阿片密売によって陳杏村は巨富をなし、児玉も戦後、日本に持ち帰った巨富を元手にして黒幕にのしあがっていきます。 

では陳が単純な日本軍協力者かといえば、どうも違うようです。状況証拠ですが、国民党政権のテロ組織であった青幇は漢奸(※裏切り者の中国人の意)狩りをして数万といわれる白色テロをおこなっています。青幇の本拠地は上海にありました。 

しかし、陳杏村は日本軍に取り入って巨富を得て、しかも戦闘機を2機も贈るという派手なまねをしておきながら、結局、青幇の漢奸狩りからは逃げおおせています。後に一度逮捕された際も、釈放されています。 疑わしきは容赦なく殺しまくった青幇にしては不自然です。 

ここから、陳杏村は実は日本軍協力者という仮面をかぶって、その情報を国府に流していたスパイではなかったのか、という疑惑もささやかれています。

中国情報サイト・サーチナはこう書いています。

1945年、日本軍が降伏したのち、陳杏村は売国罪で起訴されたが弁護士に弁護を頼んで仮釈放となり、台湾に帰った。台湾当局の裁判所は当時の社会的事情に迫られた事、国民党の地下工作と関係があった事の理由から「陳杏村売国事件」に無罪を言い渡した。」

この陳が戦後に手がけたのが、台湾バナナの日本輸出でした。

同じくサーチナはこう述べています。

「台湾に帰った後も、陳杏村は依然として実業と政治の世界で大いに活躍する名声赫々たる女丈夫であった。彼女は大一貿易有限公司総経理、福光貿易株式会社社長、契徳燃料廠股フェン有限公司董事長を歴任し、更に台湾地区青果輸出業同業公会理事長を務め、台湾が海外に進出を果たす、とりわけ日本向けバナナ輸出貿易事業において主導的な役割を果たしたという。」

当時、バナナ貿易ほどボロイ商売はなかったようです。日本人にとっては高嶺の花であるバナナは高価で売れ、しかも輸入枠があったからです。ですから、一回このバナナ輸入枠さえ押さえてしまえば、安く輸出できて、ベラボーに高く売れる市場を独占できたのでした。 

これが陳杏村の錬金術第二幕でした。

彼女がやった方法は、いうまでもありません。裏金をふんだんに政界にバラまいて、バナナ貿易を独占することです。 

このようにして政界工作をしていた「台湾バナナの女帝」・陳杏村と、既に政界のフィクサーとなっていた児玉とは二度目の協力関係を持ちます。 

そしてこのバナナ貿易利権は、蓮舫氏の父である謝哲信氏に受け継がれています。  

このバナナ利権は、司直の眼から逃れるために多数のトンネル会社に分割しており、そのひとつを息子たち謝哲信、謝哲義に管理させていたようです。 

「黒い霧・台湾バナナ事件」が取り上げられた農林水産委員会-4号昭和411101日にはこういう記載があります。

「かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の五〇%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村。
 三つ目、陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度は息子さんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております。(略)

この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある」

この1966年の国会答弁に見られるように、謝は母親の陳から譲り受けたバナナ利権のために、台湾と日本政界に金をばらまいたようです。ちなみにこの陳が作った会社は現存していて、今は蓮舫氏の母親が代表を努めています。 

これが「黒い霧・台湾バナナ事件」です。 

この時に日本政界、台湾だけではなく、中国共産党筋にも黒い金がばらまかれたという噂がありますが、真偽は定かではありません。 

中国共産党との関わりで言えば、蓮舫氏は成人した後に北京大学に留学しています。陳はこれまでの経緯からなんらかの北京政府とのパイプを持っていたはずですが、それと蓮舫氏の留学と関連づけられるかとうかは不明です。 

ここにもうひとり蓮舫氏の人生に、強い影響を与えた人物が登場します。 

それがかつて総評左派労働運動を率い、「高野総評」とまで呼ばれた高野実の息子である高野孟氏でした。

父親の実氏はゴリゴリの古典的マルクス・レーニン主義者で、中ソを平和勢力と規定し、労働運動を革命の学校と位置づけたような人物です。 

長男である高野氏もまた、中国シンパとしてマスコミ業界で知らぬ人とていない存在でした。サンデープロジェクトでよく見る顔でしょう。

ちなみに、鳩山由紀夫氏と共に旧民主党の立ち上げに関わり、現在も鳩山氏の主宰する東アジア共同体研究所の理事を務めています。その彼が蓮舫氏を北京大学に送り込み、さらには弟子格の村田信之氏まで付き添わせ、やがてふたりの結婚の媒酌人まで努めています。

後にテレビ業界に蓮舫氏を紹介し、その後、政界入りを勧めたのも、この高野氏です。 

外国インテリジェンスのする情報工作を、一般人が証拠を提示することは不可能です。ただ、その後の蓮舫氏が中国の意に沿ったことを、多く発言し始めたことは事実なようです。

戦中戦後史を、闇社会と深く関わりながら生き抜き巨富を築いた女傑・陳杏村と孫娘が、どのような関わりを持ち、台湾と大陸、日本を舞台にして生きてきたのか、歴史ミステリーの様相も見えてきました。

蓮舫さんは薄っぺらいですが、歴史の闇を背負った女傑・陳杏村女史には好奇心をそそられるものがあります。」

(引用終り)

 

最後のほうに、夫村田氏が出てきました。左翼評論家高野孟の弟子だったとは知らなかった。ということは、結婚も左翼の同士的なつながりだったのかもしれません。つまり、蓮舫の御役に立つための結婚だったかも。そして目的を達したために村田氏はお役御免になった。離婚といっても悲しみなど何もないのはそんなところに理由があったのかもしれません。 

 

農と島のありんくりん氏が言うように、「蓮舫さんは薄っぺらいですが、歴史の闇を背負った女傑・陳杏村女史には好奇心をそそられるものがある」というのは確かですね。

蓮舫が民主党で余りにも偉くなりすぎたばっかりに、秘密にすべきことがらが出てこざるをえなくなった。そういう意味ではおばあさんはあの世で「もっとうまくやらんかい」と怒っていることでしょう。

恐らく蓮舫が国会議員を辞めて、10年ぐらいしたらこの辺の歴史の闇ももっと国民に明らかになることでしょうね。その時まで私は生きていないでしょうが。