①GOTOトラベルキャンペーン 東京出入り修学旅行補助なし
そもそもGOTOトラベルキャンペーンで東京都を除外したのは、菅の小池に対する嫌がらせからだと思われるが、そのとばっちりを受けたのが東京都内の学校の修学旅行だ。補助がもらえなくなったのだが、理屈から考えると修学旅行に補助すること自体がおかしいのだから全国の修学旅行補助を止めるべきなのではないかと思う。東京都の修学旅行だけ補助しないというのは理屈に合わない。
というのは、一般向けトラベルキャンペーンから東京都を除外した理由は、感染者の多い東京都民にわざわざ補助をしてまで旅行に行くことはお勧めしませんということだ。東京都民の旅行を禁止した訳ではない。なるべく行って欲しくはないけど、どうしても行きたいなら仕方ないですね、補助はしませんよ、ということだ。
だからその趣旨でいけば、東京都内の学校の修学旅行も禁止した訳ではない。もう予定が組まれているのなら行けばいい。補助があるから修学旅行に行くことにするか、補助が無ければ止めるかということ学校はないはずだ。もし政府が感染拡大の心配をして修学旅行の補助を止めさせようとしているのなら、修学旅行自粛要請という形ではっきりさせるべきだ。
もしそれが本来の趣旨なら、東京都だけに嫌がらせをするのでなく、神奈川も大阪も名古屋もみんな補助をすべきでない。
GOTOトラベルキャンペーンの趣旨が、行こうか行くまいか迷っている人に、この補助をすることによって旅行を決めさせて観光客増進を考えているのなら、修学旅行は先ほど書いたように補助のある無しが修学旅行行きを左右するわけではないから、補助する意味がない。しかし、折角の旅行で少しでも費用を軽くし、その残りが消費につながるなら、ということを政府が期待するなら、東京都の修学旅行への補助を止めるのは筋が立たない。
つまり、補助をするなら東京都も含めて全国、補助をしないなら東京都も含めて全国というように東京都だけ差別することはおかしいというのが結論だ。
②札幌岳登山中の高校グループから警察に救助要請があり、ヘリで救助。
遭難する前に救助要請する判断は、ある意味すごい。しかも、要請時間が午後4時10分頃「夜までに目的に到着しないので救助してほしい」というのが理由だ。雨も雪も降っておらず、台風や豪雨が近づいているわけでもない。けが人が出た風でもなかった。遭難の事前予測という素晴らしい判断!だ。
なんだか、救助ヘリをタクシー感覚で呼んだようにみえる。
「夜までに目的に到着しないので救助してほしい」という要請があったとき、警察はこう言ってもよかったのではないか。
「はいわかりました。でも、まだ陽が落ちるのは早いですし、雨も降ってませんので、生徒にもう少し頑張らせたらどうですか。夜間になったら、ビバークも練習できます。どうしてもというなら、明日の朝もう一度電話して下さい。頑張って下さいね。」
こういうニュースは報道すべきではない。隠すべきだ。
こういうことが巷に知れ渡ったら、適当な準備で適当に登山し、途中でめんどくさくなったら、ヘリを呼んで降ろしてもらえばいいというふざけた輩が大挙して出現する可能性があるからだ。ウーバータクシーならぬウーバーヘリをやる会社が出てくれば大いにやればいいけど。
③災害地での被災地支援活動はいつまでもボランティアに頼っていていいのか。
今日も熊本は大雨で災害地ボランティア活動は中止となった。雨がひどすぎて二次災害の可能性すらある。被災住民も天を仰いで大雨を恨んでいることだろう。
「7月12日のNHK日曜討論において、九州や中部地方をはじめとした豪雨災害の復旧がコロナ禍の影響も重なって難航している中、武田良太防災担当相が「ボランティアの出足が非常に悪い」「ボランティアをはじめとしたマンパワーが必要だ」などと発言した。納税者であり主権者である国民に、大きな危険や重労働を伴う災害対応を丸投げしては、無賃労働を求めるかのような武田氏の発言に、国民から怒りの声が噴出している。」
災害直後から、若者から老人まで率先してボランティア活動に参加するのをみていつも頭が下がる思いだ。私には到底できそうもない。腰が痛くて重いものを持ち上げることすらできない。足手まといになるだけだ。
しかし、いつも頭をよぎるのは、この災害の多い日本、特に最近災害が多発し、被害も大きくなっているのに、10年一日のごとく初期復興を当たり前のようにボランティア活動に依存するのはおかしいのではないか、ということだ。
その一番悪い例が引用した武田良太防災担当相の「ボランティアの出足が非常に悪い」「ボランティアをはじめとしたマンパワーが必要だ」という無責任な発言だ。もう最初からボランティアを当て込んでいる。政府が出てこようとしない。だから、「ボランティアの出足が非常に悪い」なんていうバカげた発言になってくるのだ。
マスコミも悪い。ボランティアは美談であるが、常態と考えるのはおかしい。それをマスコミはなぜ指摘をしないのか。
大きな石や倒木、壊れた家屋等々の移動や処理は重機が必要だ。ボランティアだけではやれない。自衛隊が重機を使って処理している姿は頼もしい。
昔は地元の土建業者が重機を持ち込んで処理をしたというが、政府(特に民主党)とマスコミの公共工事大反対、土建屋を儲けさせるな大合唱で公共事業支出はドンドン削られ、地元中小土建業者は軒並み廃業していった。だから、災害時にとても役立った人々の力が失われてしまった。
災害多発日本に災害復興力が脆弱すぎる日本、ボランティア活動に細々と頼る日本。これではいけない。
災害復旧部隊を全国的に立ち上げるべきだ。失業対策としても効果的だ。災害の無いときは、復旧訓練と重機資材の操作訓練、その他の空き時間は全国に困っていることがある場所に駆けつけて作業をする。
そういう恒久的部隊を3000人程度の規模で作ったらどうか、といつも思っているのだが。
④子供を産む資格のない動物以下の親、鹿児島で11日間も幼児放棄
最近は育児放棄が流行なのだろうか。先日は東京都大田区で女児(3)が8日間一人きりで放置され死亡した事件があったばかりで、今回は幼児は死ななかったものの11日間も育児放棄したのは死ぬことを望んでいたのかもしれない気の狂った夫婦の仕出かした事件だ。
育児に疲れたとか「夫婦でゆっくりしたかった」と供述しているそうだが、子供が憎くてあわよくば死んでくれるかもという気持ちで育児を放棄したと思われる。
動物は子供を産めば本能で赤ん坊を育てようとする。最近は動物園で飼育され、動物本能を失い育児できない動物も出てきているようだが、それは例外、というより動物園という環境が自然の本能を狂わせてしまったのだ。
人間は動物の本能を壊してしまっている(岸田秀氏の説)から、育児も産んだ母親は当然そうするというものではない。それは文化というものが親に育児をさせるように仕向けているのだ。
つまり、育児放棄する親は、そういう文化を受け継いでこなかった。育児本能がそもそも壊れ、その後の育児文化も身に付けることが出来なかったのだから、二重の意味で人間失格であり、子供を産んではいけない存在なのだ。
避妊もせず、ただ男とやりたいだけ、そして子供が生まれてもその子供を邪魔扱いをする。男とやりたいときにできないからじゃまなのだ。男にも当然同じことが言える。子供を産んだのは男の共同作業であるが、やることしか頭になく、母親同様、生まれた子供がじゃまなのである。
「夫婦でゆっくりしたかった」という供述は、「夫婦でのんびりしたかった」という意味ではない。「夫婦でゆっくりS××したかった」という意味だろう。
子供が可哀そう、それしか言うことができない。こういう事件は今後何度も何度も起きることだろう。
社会がこれを防ごうと思っても無理な気がする。救いがない。