黒川東京高検検事長の賭けマージヤンに対して、訓告処分は軽いぞ、と総理や法務大臣にいちゃもんをつけ、辞職を受理せず懲戒免職にしろとか言っていますが、「検察の独立を守る」はどこへいったのでしょうか。検事長の処分は、検事総長の職務として行われていますので、訓告が軽いと思っても「検察の独立を守る」立場からは文句は言えないはずです。

 

 もし、この検事長がバリバリの左翼の味方で、政府の嫌がる検察運営をしていたとして、賭けマージャンがばれた場合、検事総長が懲戒免職処分をした時は、立憲民主党その他は何というのでしょうか。

当然「政府の横暴だ、政府の気に入らない検事長だから重い処分にしたんだ。軽い処分にしろ」と要求するでしょう。そこでも「検察の独立を守る」といいながら、「軽い処分」をするよう検察庁内の人事に内閣が介入せよと要求することでしょう。

 

要は左翼なり立憲民主党にとっては、「検察の独立を守る」なんてことはどうでもいい。左翼らは自分にとって都合がいいのか、悪いのかが判断基準にすぎないのです。

 

よく左翼はダブルスタンダードだ、と批判されるのですが、そんなことは彼らにとって当たり前のことなんですね。ダブルスタンダードなのではなく、本当はキチンとシングルスタンダードを重んじているのです。

ダブルに見えるのは単にレトリックに過ぎないのであって、つまり言葉に重きを置かない、つまり言葉を信用していない、つまり嘘を嘘と思わず平気でつく、なのでダブルスタンダードなんて批判は全く当たらない。

 

彼ら左翼のスタンダードとは、「目的のためには手段を選ばない」「自分が有利になるなら何を言っても、しても構わない」。これが彼らのスタンダードなのです。そういう風に考えれば、彼らの要求が奈辺にあるかすぐにわかるというものです。

 

問題はそういう嘘をついても構わない、というスタンダードでは、相手と信頼関係は絶対に築くことができない、ということです。

いつでも嘘をつく、自分の為しか考えない人や組織と真摯な話し合いや交渉など出来るわけがない。ソ連や中国の外交とはその誕生以来そういうものでした。公の場で簡単に嘘を吐くのは、左翼のDNAといえるものです。

 

「私は君の意見に反対だ。しかし、君がそれをいう権利は生命をかけて守って見せる。」と言ったのは、フランスの哲学者ヴォルテールの名言です。言論の自由は民主主義の根本ですから。

ふつうこれは右翼も左翼も民主主義者を標榜するなら、必ずこれに言及するものです。

左翼リベラルも必ず言います。しかし、彼らのダブルスタンダードから言えば、そんなことは全く考えてもいません。

彼らのスタンダードはシンプルです。つまり自己に有利になるように言うなり行動するなり、がスタンダードですから、君の意見に反対な左翼は、君がそれを言う権利など絶対に守ろうとしません。そんなことしていたら負けるからです。左翼は反対意見の持ち主は弾圧するのです。それが当たり前の左翼のスタンダードなんです。

 

その一つのいい例が、検察庁法改正案に反対するというハッシュタグ騒動へのあのバカ左翼ラサール石井の発言である。

 

東京スポーツより。2020.5.22

 小泉今日子ら多くの芸能人が抗議ツイートに参加したことで話題となった「#検察庁法改正案に抗議します」が、思わぬ展開を迎えている。テレビ番組で指原莉乃が抗議ツイートへの非参加を告白したが、その理由に対しラサール石井が批判的な持論を展開。ネット上では双方が批判を浴びる事態となっているが、それを見た若いタレントたちが戦々恐々とし、政治離れを起こしかねない状況になっている。
「選挙の時に若者の政治への関心について取材を受けたことがあるんですが、今回の指原さんの件を見てしまうと発信することが怖くなって。ラサール石井さんみたいに芸能界の大先輩から発言を批判されたらと思うと、発信をためらってしまいます」(20代の女性アイドル)

指原の件とは、17日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」に出演した際のこと。番組では検察庁法改正を巡り「#検察庁法改正案に抗議します」とハッシュタグをつけたツイッターでの抗議活動を取り上げた。
 指原は「私はそこまでの信念がなかったので、つぶやけなかった」と参加しなかった理由を明かし「ツイッターですごく簡単な相関図とかが拡散されて、大きくなった。本当にそれを信じていいのか、双方に話を聞かずに、どっちの意見も勉強せずに、偏ったやつだけ見て『え?そうなの?広めなきゃ!』っていう人が多い感じがしている」などと分析した。

 これに物申したのが、ラサール石井だ。18日のツイッターで「小泉今日子より指原莉乃の方が『賢いとされる態度』みたいなのが今日の日本をつくった」という意見ツイートを引用。その上で「指原さんがそうだとは言いませんが、『賢く立ち回って、生き残る』という考え方は、堀江貴文、橋下徹、箕輪厚介、などの本が売れている現象でもわかる。若者にはそれの何が悪いかわからない。100人に1人のエリートになりたいのだ。しかし私は残りの99人に興味がある。文学や演劇はそういうものだ」と論じた。
 引用したツイートの内容からも、指原より小泉をたたえていると受け取れるが、ネット上では指原の不参加や分析などへの賛否両論が噴出。そして、ラサールの指原への発言に対しては「発信しない自由もある」など批判的な声がより多く寄せられた
 さらに、前出の20代アイドルを含め若いタレントを数多く抱える事務所のマネジャーも「ラサールさんは賢く立ち回った指原さんのことを否定的に見ていますよね」と語り、こう続ける。
「知識も人生経験もまだまだ浅い20代のタレントが、政治について頑張ってコメントしただけで一般の方だけでなく、芸能界のベテランの方から厳しく意見をされてしまうのは。タレントも『指原さんのようになったら怖い』などと言って、政治的なことを発信することに後ろ向きになってしまっている」(前同)

(引用終り) 

 

ラサール石井は64歳にもなるジジイなのに、若い指原に攻撃的で、左翼的な言動に同調しない若いタレントは許さんぞ、と恫喝しているのである。

若手タレントが政治的に色々発言しても、それは言論の自由なんだから、考えることが大事なんだという大人の態度は少しも見せず、左翼的発言つまり俺のような意見に同調しない奴は許さん、という雰囲気なんだ。

 

ここでもう一度ヴォルテールの言葉を思い出そう。

「私は君の意見に反対だ。しかし、君がそれをいう権利は生命をかけて守って見せる。」

ここでは、意見の中身について云々しているのではない。意見の相違はあるに決まっている、だから言論を戦わせている。しかし、その言論を戦わせるという場をぶち壊す奴は許すことはできない、反対意見だからといって抑え込もうとするやつは許せない、とヴォルテールは言っているのである。

 

ラサール石井は左翼丸出しで、言論の自由な場を認めることをしない。自分の意見に反対する奴は許さない、と言っているのだ。ラサール石井は平気で言論弾圧まがいなことを言っているのである。

 

もし、ラサールが言論の自由は大事だというなら、若い指原の言い分を先ずは認めてあげるべきなんだ。それを「賢く立ち回って、生き残る」なんて、指原を汚く批判するなんて、本当にラサールって言う奴は嫌なクソジジイというしかない。

指原のどこを指して「賢く立ち回って、生き残る」とか「賢く立ち回った」というのか。むしろ、賢く立ち回ったのはラサール石井の方だろう。

 

落ち目で年寄り芸人のラサール石井のテレビへの露出度は極端に減っている。しかし、それを挽回しようと敢えて炎上ツイッターを投下して話題作りに懸命だ。その成果として、ワイドショーのコメンテーターに使われ始めた。これこそが、「賢く立ち回って、生き残る」薄汚いやり方なのではないか。

その自分の生き残りのために、指原は餌に使われたなんて可哀そうと言うしかない。

 

私はあのラサールの蝦蟇(がま)を彷彿とさせる顔がテレビに出てくると、虫唾が走ってすぐにチャンネルを切り替えるのだが、テレビ局もそういう炎上芸人の汚い根性をキチンと見据えて、安易に使うことは止めてほしいものだ。こんなバカ芸人にコメントさせて何かいいことでもあるのだろうか。

テレビの衰退はこういうバカを使うところから益々加速するのである。

もう坂上のバイキングも賞味期限切れだよ。