「友達と会えない。飲み会もできない。ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります」というメッセージとともに、星野とのコラボ動画をアップした。

安倍氏の日常を56秒の映像にまとめたもので、椅子に座ってペットと楽しいひとときを過ごしているほか、お茶を飲んだり本やテレビを見たりして過ごしている場面が入っている。ここに日本の人気歌手の星野源が『うちで踊ろう』を歌っている映像まで添えた。」
 

外出自粛を進めているので、率先して首相が範を示そうとしたのだが、総スカンを食った。中身は別に悪ふざけをしている訳でもなく、悪くはない。

しかし、少し考えれば「国民みんなが必死に生きているのに」とか「ゆったり愛犬と戯れて、お茶を味わい、退屈そうにTVを見て」とか「よくこんな優雅な生活送っていられますね」という批判が寄せられるということは容易に想像できる。

 

誰がこんなバカげた動画企画を持ち込んだのか、一説には昭恵夫人と言われているが、首相にも広報班がいるはずだからその辺の頭の悪い官僚が企画したんだと思う。

しかし、これがどんな反響を呼ぶかの最終判断は安倍首相が下したのだから、責任は自分で取るしかない。要は安倍首相自身のイメージ戦略への判断力が非常に欠如しているということだ。

 

私に言わせれば、あのチープな布マスク2枚に466億円も掛けて、国民から全く評価されないという施策も、とても優秀な今井主席補佐官の発案と文春には書かれていたが、それが国民にどんな反応を及ぼすかの想像力が全くかけているといわざるをえない。ダメな企画なら、首相としてNOといえばいいだけの話だ。それが言えないのは、もうリーダーシップもなく、ただ耄碌したというしかない。

 

しかも、今回のものを入れて、2度の失敗、イメージダウンはむしろ安倍追い落としの陰謀ではないかと思えるのだ。こうすれば、イメージダウンするということは、優秀な官僚ならすぐにわかることだ。つまり、安倍首相をイメージダウンさせることが目的の下らない企画だったのではないか。

 

回の動画で国民はといってもネットその他で全ての国民ではないが、安倍追い落としのためには好材料であり、狂ったように罵声を浴びせる。これはこれで大衆の狂気を思わせるもので鬱陶しい。

 

今日「山本七平の日本の歴史(下)」を読んでいたら、ちょうどこの動画批判を思わせるような批評に出会った。後醍醐天皇時代の鎌倉幕府最後の執権北条高時について述べているくだりである。

 

北条高時は闘犬や田楽に興じた暴君または暗君として描かれ、新田義貞軍に攻められ自刃し、鎌倉幕府が滅亡するのであるが、山本七平は、後醍醐天皇は無能で有害だったが、北条高時は政治家としては無能ではなかったという。決済するときは幹部会議を開いて自由に意見を言わせ、部下の適切な意見にはよく耳を傾けていて、信望も失っていなかったと。

それでも高時が「太平記」に無能と厳しく書かれたのは、ある種のタブーに触れたからではないかと山本七平は分析する。高時の横暴として指摘されているのは、闘犬や田楽に興じたことだけである。

 

この田楽(平安朝から行われた舞踊の一種。もと田植の時に行ったが、遊芸化して鎌倉・室町時代に盛んであった)も「まず京の都で流行し、ついで鎌倉に伝わったにすぎず、この流行の舞を愛好したのは何も高時だけではない。…非常識な豪遊浪費という点では、建武の中興後の後醍醐天皇等の方が数段ひどく、…。」

「従って問題は田楽そのものよりも、むしろ「田楽をもてあそぶ」のは幕府のタブーであり、高時がそれに触れたということであろう。…自分が陰では平然と頻発している性的隠語も、大統領が口にしたとなればいま同じ言葉を口にしたその本人がそれを糾弾しても矛盾はないのである。従って、田楽を楽しんでいるその者が、田楽ゆえに高時を非難しても、不思議ではない。

なぜこれがタブーになるか。北条家は元来が罪人であり、従って不当に権力を握っていると自己規定すべきもので、「則民衆去私」の場合だけ、その存立が許されるものだからである。

(タブーに)触れた者は、政策的に失敗がなくても追放されるわけである。従って、日本中が田楽に浮かれても、高時だけは、質素・倹約・謹厳実直、「味噌」の余りを肴にわずかの酒をたのしむ、というジェスチャーをしなければならない。

 

山本七平氏が述べるように、北条高時はタブーに触れたがために追及されたのだが、同じように安倍首相も今回の外出自粛動画も民衆のタブーに触れたといえるのではないか。

「田楽を楽しんでいるその者が、田楽ゆえに高時を非難しても、不思議ではない。問題は田楽そのものよりも、むしろ「田楽をもてあそぶ」というのはタブーであり、高時がそれに触れたということであろう

と同様に、安倍首相の自宅でゆったりと過ごし、外出自粛の一つのあり方を示しただけなのに、それが民衆のタブーに触れてしまった。つまり「自宅で優雅に過ごす」ことが問題なのではなく、安倍首相の権力は民主主義の国として民衆に由来し、「「則民衆去私」の場合だけ、その存立が許される」。

 

「則民衆去私」とは、私心を捨て去って、民衆に従うことといえるが、民衆が優雅に過ごしても権力者には許されない、それがタブーなのであるから、高時だけは、質素・倹約・謹厳実直、「味噌」の余りを肴にわずかの酒をたのしむ、というジェスチャーをしなければならない」ように、安倍首相も質素・倹約・謹厳実直のジェスチャーをしなければ「政策的に失敗がなくても追放されるわけである」ということになる。

 

安倍首相も官僚秘書官も山本七平氏の本を読んでいれば、こんなバカげた動画を発信しなかっただろう。

しかし、民衆はなぜこれをタブーに触れたと感じたのだろうか。

安倍首相の長期政権により、民衆は倦(う)んだのである。安倍首相に「則民衆去私」をもう認めなくなったのである。

 

それはこれまでのデフレ不況下にも関わらず、緊縮財政、増税のみで実質賃金は下がり、大法人のみが豊かになり、格差が広がるにも関わらず、全く安倍首相は理解を示さず、「則民衆去私」ではなくなった。そこに世界的な禍々しい武漢テドロスウイルスの蔓延が日々の生活を破壊し始めた。にも関わらず、安倍首相は危機感を口先だけのものとして、実体を伴わない政策ばかりで、国民はやっと安倍首相、安倍政権の真の姿を理解したのである。

優雅な自宅での過ごし方に特段の問題はない。しかし、たまりにたまった鬱屈がこんなちょっとしたことで爆発しようとしているのである。

 

緊急経済対策は全く中身が無い。だから、それは今後1年でどうしようもなく落ちていく日本と国民生活により明らかになるだろう。そして、もうすぐ総選挙だ。全ての中小企業を敵に回した自民党と安倍政権は必ずしっぺ返しを激しく、とても激しくされるだろう。

 

しかし、それは立憲民主党の浮上では絶対にない。今日のNHK世論調査でもその他の調査でも、立憲民主党の支持率の凋落は目を覆うばかりだ。当然のことだが。しかし、自民党の敗北は立憲民主党の勝利にはならない。

でも、立憲民主党なんか選びたくないから、やはり自民党しかない!という時代はここ12年で崩れるだろう。必ずや新たな政治勢力が生まれるはずである。れいわ新選組でないことももちろんである。

 

そして、今度こそ本当に日本国民が試される時がきた。

落ちても落ちても現状に満足し、自民党、経済界、財務省の奴隷に甘んじるのか。

それとも財務省の洗脳に目覚めて、本当の日本を取り戻すのか。

 

日本を取り戻す?安倍首相が言っていたな。でも希望はそれしかないのである。安倍晋三がいうのではない日本を取り戻すしかないのだ。