毎日新型コロナウイルスの報道ばかりでストレスが溜まります。それもまだ始まったばかりなのですから。いつになったら…。

テレビに出てくる何人もの感染症専門医も手洗いとうがいばかりを言うだけで、これで専門家なのかと呆れます。活断層かプレートテクトニクスの説明をするだけで、今後1週間は余震に気をつけようという地震学者と同じような気がします。

ここしばらくの間、情報をシャットアウトするのもストレス回避のための一つの方法かもしれません。

 

たた、いつもバカしかいわない左翼バカ芸人のラサール石井のツイッターには一言言わせていただきます。
ラサール石井

「コロナウィルス、もうすぐ国内外にかなりのパニックが予想される。関東大震災の時の朝鮮人虐殺のようなヘイトをけして起こしてはならない。「武漢ウィルス」などの呼び方はもってのほか。ウィルスは人種、国籍を差別しない。我々は平等に死ぬ。助け合わなければならない。」

 

まず「関東大震災の時の朝鮮人虐殺」が当然の事実のようにシラッーと書いていますが、これこそ左翼特有のデマと言えます。

工藤美代子氏の「関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実」や加藤康男氏の著作を読むべきです。従軍慰安婦や徴用工のような嘘話である可能性が多分にあるのです。

 

それをまだそんな事件が起きてもいないし、起きそうもないのに、さもこの新型肺炎で、日本人が韓国人や中国人を虐殺でもするかのような薄汚い印象操作しているのです。悪辣なラサール石井と言うしかありません。

 

「「武漢ウィルス」などの呼び方はもってのほか」というのは、中国共産党からの工作員への指示があったのでしょうね。武漢から発生したのは間違いないのですから、「武漢ウィルス」といわれても文句はいえないでしょう。ラサール石井の必死さが笑えますが、逆にこんなところまで浸透していることは怖いことです。

ついでに、地名を付けるのが悪いなら、「ラサール」という芸名も廃止したらどうですか。

だって、このまま「左翼芸人ラサール石井」という名前が定着したら、ラサール高校が左翼学校のようでイメージが悪化するし、ラサール高校に迷惑を掛けているのではないですか。そんな昔の進学校をいつまでも鼻にかけていてどうするんですか。「工作員石井」という芸名をお勧めしますが。

 

「ウィルスは人種、国籍を差別しない。我々は平等に死ぬ」というのは本当のことです。だから恐ろしいのではないでしょうか。しかし、だからといってこの言葉でラサール石井は何が言いたいのでしょうか。

恐らく、「中国人にヘイトしたって、お前たち日本人もウイルスで死ぬんだからな、ざまあみろ」とでも。

 

「助け合わなければならない」とは、麗しい言葉です。でも「助け合わなければならない」ではなく、「中国を助けよ!」でしょ。二階のように日本人を差し置いて、中国が第一、と言いたいんでしょ。

ラサール石井のいう「助け合わなければならない」とは、二階と同様備蓄品や医薬品を中国へ送れということでしょう。

 

そんなことを言う暇があったら、日本人の新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための提言を一つぐらいしたらどうなんですか。

「日本人は中国人を虐殺をする可能性があるからそういうことは許さない、中国人は助けよう」なんぞと日本人のくせに日本人の病気の心配は一つもしていないじゃありませんか。まあ、それが左翼芸人の面目躍如ということでしょうか。

 

今日はそんなことを書くつもりではなかった。小泉進次郎空っぽ大臣いや環境大臣の謝罪拒否のことでした。

 

朝日新聞

横須賀に戻った事実は謝ったところで変わらない――

小泉進次郎環境相は25日の衆院予算委員会の分科会で、16日の政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合に欠席して地元・横須賀で後援会の新年会に出席していた問題について、そんな言葉で野党議員からの謝罪要求を改めて拒否した。

 

小川氏 肺炎の会議の欠席について、反省はするが謝罪はしない立場を貫いているように受け止めている。これ、率直に謝罪した方がいいんじゃないですか。謝罪のない反省はないでしょ。反省しているのに謝罪しない、っていうのはないでしょ。はっきりさせて頂きたい。

小泉氏 私の中でさまざま声を受け、真摯に受け止めて、反省していると申し上げたところなんですが、私の良くないところでしょうか、「反省している」と言っても反省しているようには見えない。そういうふうにご指摘も頂いていることも反省しています。

謝罪を、ということでありますが、私が(地元の)横須賀に戻った事実は、謝ったところで変わりません。ですので、しっかり今回のことを反省し、今後、このようなことがないようにしっかり大臣としての職責を果たし、危機管理も万全に取り組んでいく形で私の反省の形を示していきたい。」

(引用終り)

 

なんだかいつも下らない論議に時間を費やしていると思うのだが、小泉進次郎も、野党から国民に「謝れ」と言われたら、素直に謝ったらどうなのか。反省しているんだからなぜ謝罪を拒否するのか。

 

ふつう国家間や企業間、私人の間でも交渉の際は、謝罪をするな、と言われる。道徳的または慣習としての謝罪も、罪を認めたとみなされるから、と。

でも日本人は謝罪をさせることが好きなんである。だから、余り謝罪拒否に拘泥すると交渉が余計にスムーズに行かないことが多いのである。

 

もちろん、韓国には謝罪してはいけない。謝罪すれば許すといわれても謝罪してはいけない。韓国はやくざと同じで、甘い言葉で謝罪を誘ってくるが、それに乗って謝罪した途端豹変して、謝罪したのだから、日本がすべて悪いのだと追及を激しくしてくる。これが韓国だ。

 

しかし、この大事な新型肺炎対策会議を欠席して、新年会に参加したのは小泉進次郎の怠慢というしかない。対策会議の軽視というしかない。例え会議が形式的なものであろうと、形式的なことに意義があるというのが社会の通例なのだ。それを無視したのだから、責められて当然で、だから反省しているのだろう。

 

それなら国民になぜ謝罪しないのか。別に死んでお詫びしろとか大臣を辞任しろ、とかいわれているわけではない。それでも謝罪しない理由は何なのか。全くわからない。

一つだけ言えるのは、菅官房長官らから「絶対謝罪するな」と口止めされているからではないか。

だから、謝罪拒否は自分の考えから出たわけではないので、訳の分からない拒否理由を言うしかなくなっているのだ。

 

そして、その訳の分からない拒否理由が、私からいわせると「世紀の名言」なのでは、と思うのである。

「謝罪を、ということでありますが、私が横須賀に戻った事実は、謝ったところで変わりません。」

短くするとこうだ。

「(新年会に出たという)事実は、謝ったところで変わりません。」

 

これが何で名言かと言うと、世の中の犯罪、失敗、事件等全ての謝罪拒否の理由になったからである。

謝ったところで変わない過去というものがある。謝罪が過去を変えられるわけではない。だから、謝罪しても意味がない。だから謝罪しない

という論理立てだ。

 

何十人も殺したテロリストもこの論理は使えるし、原発事故を起こした東電幹部もこの論理は使えるし、日本を経済的に奈落の底に突き落とそうとする財務省もこの論理は使えるのだ。

 

つまりやったことは過去のこと。過去は変わらない。謝罪して何になる、ということ。とても合理的な発想である。

しかし、そこには人間味も責任を引き受けるという矜持もない。

でも便利な、トンデモナイことを犯した人間にとっては、とても便利な名言を小泉進次郎は吐いてくれたのである。