今日17日の衆院予算委集中審議で、安倍首相が辻元に謝罪する方向でまとまっているようだが、それについて何故か勘違いの辻元が息巻いているとのこと。自分のしたことへの反省がこれっポッチもない。

 

辻元議員
「私に謝るのでなく、これは民主主義の問題だ。立法府の議員が今の政府をチェックし、意見や批判をするのは大事な役割だ。」「謝るらしいが、ほんまかいな。どういう謝り方をするのか見てから質疑に立ちたい」

もし首相の対応が不十分だった場合、野党側は異例の首相に対する懲罰動議の提出に踏み切ることを検討しているとのこと。

(新聞記事より)

 

辻元も野党もバカですね。なんでこれが「民主主義の問題」なんですか。

辻元の首相への罵詈雑言は、審議ではなくテレビ中継を意識してテレビの向こうの大衆を前にした単なるアジ演説にすぎない中身です。

質問の最後に罵詈雑言を並べたのは、首相の反論を封ずるためです。安倍首相はそれに気付いたので、一言「意味のない質問だよ」という言葉を投げて一矢報いたのです。

 

こういう経緯が明らかなのですから、辻元の言う「民主主義の問題」という指摘は、辻元が首相の反論を封じて、テレビの向こうの大衆に向かって首相が悪人であるというイメージ操作だけを、国会という場でしたのですから、それが「民主主義の問題」というならむしろ辻元による「民主主義の否定、議論の否定」につながるのであり、首相の「民主主義の問題」では全くないのです。

 

「立法府の議員が今の政府をチェックし、意見や批判をするのは大事な役割だ」という辻元の言い分は正論です。しかし、辻元はそんなことを少しもせず、首相のイメージを落とすことのみ血道を上げる。

そんな辻元に民主主義について偉そうに言ってほしくないのです。

 

左翼の常套手段ですが、自分の悪さを棚に上げて相手のみ悪いと追及するのです。今回の手法もその一環と考えるべきであり、安倍首相が謝るなら、当然首相に罵詈雑言を浴びせた辻元も首相に謝罪すべきなのです。

 

「どういう謝り方をするのか見てから質疑に立ちたい」」なんて偉そうにいう資格は辻元には無いんです。

 

辻元は最小限こういうべきなんです。

「私の言い方も強すぎて首相を責め上げたことについては反省をしています。今後はこういう言い方は慎んでいきたい。その点は許していただきたい。しかし、「意味のない質問だよ」という言葉も首相としては少し言い過ぎの点も感じられるので、今後は控えていただきたい。」

 

ネット
・「辻本は発言の後に安倍に反論の機会を与えるべきだった。悪態の限りでハイ質問を終わりますが民主主義かいな」
・「日本国民が聞いて、国会で首相に対してヘイトスピーチと言える内容の誹謗中傷・罵詈雑言を言った辻元にも責任問わないとおかしいでしょ」

 

しかし問題なのは野党でなく、自民党のほうだ。

親分の安倍首相が頑張っているのに、自民党議員が後ろから鉄砲を撃つのは卑怯ではないのか。
マスコミが「反安倍無罪」という風潮を作って、その尻馬に乗って、辻元と同じように上から目線で偉そうに自分の党の親分を叱る、罵る。恥ずかしくないのか。


前にも書いたが、その姿は、韓国の理不尽な要求・言い分に拝跪するへタレ日本そのままだ。
弱い者いじめよろしく一方的に安倍首相だけ責める、

こんなことばかりしているから野党はつけあがり、韓国と同じようにこれからもやりたい放題するだろう。そしていくら罵っても、野党軽視だとか何とか騒いで許されることになる。
国会は野党による単なる舞台かお白洲状態になってしまう。いやもうなっているのである。

この状態に敢然と立ち向かったのが安倍首相ではないのか。
 

野党は懲罰動議でも審議拒否でも何でもすればいいのです。また桜を見る会の二の舞です。野党のやることはいつも小さなことを大げさに騒ぐから、国民はそのバカらしさに呆れてしまうのです。

ぜひ審議拒否をして下さい。後で取り返しがつかなくなって、審議に戻させて下さい、と泣きつくのはいつも野党なんですから。

 

また、こういう状況をテレビや新聞でみて、いつものようにしたり顔で安倍を責める大衆も沢山いるだろうが、もう少し賢くならないといけない。

安倍首相を批判しても構わないが、国会を蔑ろにする野党にも同等のエネルギーで批判したらどうなのか。それが正しいバランスというものだ。

健全な民主主義は、反権力の恰好だけでは成り立たない。国民自体が反権力なんぞという無責任な考え方から脱却して賢くならないといけないのではないだろうか。