最近裁判所の判決に不信感が高まっている。

裁判員が出した死刑判決を高裁で破棄したり、近親相姦で12歳の娘を約2年に渡って強姦し続け、強姦罪に問われた父親が無罪になったり、安易に保釈決定して、懲役11年の被告を保釈して海外逃亡されたり、原発に素人の裁判官が原子力規制委員会が運転を許可(伊方原発)したものまで運転差し止めしたりと、裁判官も人の子とはいえ、裁判自体に不信感を植え付けるような判決が相次ぐ。

 

そして、求刑の7割が判決と決まっているから、検察が5年を求刑したら、判決は大体3年半だ。

検察も7割と下げられるなら、最初から7年と上乗せして求刑すればいいのに。まあそうなると、スーパーの価格値下げと同じようなものになるが、裁判官も見え見えの判決はよくないんだ。

 

また、犯罪の質によっては執行猶予が付くかどうかは最初から想定できる。

覚醒剤で捕まった芸能人はみな執行猶予付きだ。芸能人でなくても、こんなひどい犯罪にも執行猶予が付くのかと呆れる判決もある。

 

ある種の犯罪者つまり犯罪をなんとも思っていないようなワルにとっては、執行猶予が付くということは無罪と同じだ。それは被害者に憤懣やる方ない気持ちにさせる。

 

最近の執行猶予の例は沢尻エリカだが、プロスノーボーダー国母和宏も執行猶予が付いた。

国母和宏は、大麻を密輸したとして大麻取締法違反などの罪に問われたわけだが、懲役3年、執行猶予4年の判決を言い渡された。

「たくさんの方に迷惑を掛けて反省している」と謝罪したそうだが、彼が有名になったのは、腰パンを指摘されて、「(チッ、うっせーな)たくさんの方に迷惑を掛けて反省してまーす」と答えて有名になった。

 

つまり「たくさんの方に迷惑を掛けて反省している」との謝罪の言葉の裏には「チッ、うっせーな」という不貞腐れ言葉が隠れているに違いない。なぜなら、懲役3年の有罪といっても、執行猶予がついたのだから、実質無罪と同じなのである。

 

この執行猶予付きに我々が何だか釈然としないのはなぜか。また、永山基準とやらで被害者が2人で死刑の可能性が大きくなり、3人以上だとほぼ間違いなく死刑となる。逆に言えば一人殺しても死刑にならないという基準なのだが、これについても社会は納得していない。

 

日本は死刑制度賛成者が圧倒的に多いのはなぜか。それは日本の一般人が、因果応報という考えや社会の加罰感情を満たして安定を得ることを良しとしているからではないか。

加罰感情とは、いわば「復讐心」だ。

私的復讐つまり仇討ちは明治になって廃止になったが、江戸時代はむしろ奨励されていた。しかし、仇討ちは仇討ちを生み、果てしがない。

そこで私的復讐は禁止されたが、その感情面は国家による法による加罰に移行したのではないかと思われる。理不尽な又は残虐な殺人を国が死刑にすることによって、社会的な復讐心をすくい上げ、抑制していくという仕組みだ。原始的かもしれないがそういうものが無意識下にあると思われる

 

しかし、昨今は先に書いたように執行猶予とか永山基準とかで加害者にはとても有利な判決が多すぎて、社会の感情が収まらないことが多いのではないかと思うのである。

死刑問題は別として、安易な執行猶予付きは何とかならないものだろうか。

違法行為を屁でもないと思っている奴らには執行猶予は無罪と同じという現実をそのままにしてよいのだろうか。

 

そこで執行猶予でも必ず短期間刑務所に入れるという刑罰を設けたらどうだろうか。

例えば、国母の懲役3年執行猶予4年の判決の場合、懲役3年、実刑0.5年、執行猶予3.5年というように。つまり、執行猶予が付いたとしても必ず一定期間(1年未満)は刑務所に入れるのである。

そうすれば、社会の加罰感情は少しは満たされるのではないだろうか。

そうすると刑務所が満杯になるという問題が発生するが、それはその時に考えればいい。

 

不起訴が多いことについては書かなかったが、これは検察の不信感につながる。

特に不起訴の理由を言わないことが不信を増大させる。法律では不起訴の場合、公表する必要がないとのことだが、裏で何かごそごそやっているのではないか、金が動いたのではないか等を疑わせる。

示談による不起訴がまかり通るとするなら、犯罪を金でチャラにしたのと同じだ。金持ちの犯罪は無罪だというのは韓国で言われているが、日本がそういう国になるのは恐ろしいことだ。不起訴は堂々とその理由を公表すべきだ。検察の信頼のためにも。