スーパーなどで買った生鮮食料品を、トレイ包装を外してラップ袋に詰め換え、そのトレイをゴミ箱に捨てて立ち去ることを「くるりポイ」というらしい。
外したトレイは、ゴミ箱に捨てるか、ゴミ箱がなければ買い物済の品をレジ袋へ詰め替えする台(サッカー台というらしい)や脇の段ボール箱の上にそのまま放置したり、サッカー台の下の隙間に足でけり入れる客が増えて、スーパーとしてはとても迷惑な行為なんだと。
スーパーにとってお客のこの大迷惑行為について、情報番組がにわかに騒ぎ始め、「くるりポイ」をする悪質お客を探しまわって映し出し、問い詰める。
ゴミ御殿やハトなどへの餌やり迷惑人と同様にテレビ局はこれをトンデモ迷惑行為として摘発する。
新聞の調査報道のようなものか。身近な迷惑人を取り上げて、視聴者の関心を引き、視聴率アップを狙う番組作りの一つにこの「くるりポイ」が選ばれた。
TBSが特に熱心なようで朝の「グッとラック!」、夕方のNスタなどで詳しくそして連続で取り上げていた。恐らく今後は別のテレビ局も取り上げていくことになろう。
TBSのスタンスは、はっきりしている。
「グッとラック!」の志らくは次のように切り捨てる。
志らく
「自分だけがよければよいのか。しようもない大人が多いですね」「しなきゃいいだけのこと。大の大人が子どもに見せられないよ」
コメンテーター
「やってはいけないことを、わかっていてやっている感じですよ」
根本気象予報士
「品物の容器や包装について考える必要があります」
Nスタでは、弁護士に法的に問題はないのかまでコメントさせている。
確かに「くるりポイ」は衛生面からも問題がありそうだし、空きトレイをゴミ箱に捨てるのならまだしも、サッカー台の下やその他にポイ捨てするのは、スーパーにとっては大迷惑な行為だろう。
「くるりポイ」客の言い分は「かさばるから」「トレイを外して何が悪いのか」「自宅のゴミがふえるのはいやだ」「ゴミ収集が有料化されたのでかさばるゴミを減らしたい」等だ。
私は定年退職してから特に女房のスーパーへの買い物のための運転手をしているから、スーパーで買い物客をよく見物しているが、テレビでやっているような「くるりポイ」はほとんど見たことがない。
まだ大流行まではいっていないのだろう。しかし、こんな扱いで「くるりポイ」を全国に宣伝したら、「ああ、こういうトレイの減らし方もあったのか」と逆に「くるりポイ」が流行るかもしれない。
私はこのTBSの報道スタンスには大反対である。
志らくの
「自分だけがよければよいのか。しようもない大人が多いですね」
「しなきゃいいだけのこと。大の大人が子どもに見せられないよ」
という発想はとても短絡的で、単純すぎる。ハトや猫への餌やり迷惑とはちょっと質が違うのではないか。
つまり、「くるりポイ」をなぜするのか、という分析を全く疎かにして、最初から迷惑悪人と決めつけているのである。
改善活動であるQC活動では、「なぜなぜ5回」という合言葉がある。ある問題現象があったとき、なぜなぜを5回繰り返せ、そうすれば真の原因が見つかるはずだ、という手法のことだ。
食料品を別のラップ袋に移し替えて、空きトレイを捨てるのだが、「なぜ」そんなことをするのだろう。
基本的には「自宅のゴミがふえるのはいやだ」というものだが、その前にもう一つ基本的な「なぜ」の問いを発したい。
それは、スーパーはなぜ生鮮食料品をトレイに入れて、ラップを掛けるのか、である。
この問いを考える方が先のはずなんである。スーパーや食品メーカーがトレイに品物を入れなければ、
そもそも「くるりポイ」なんて発生しないのだから。
「グッとラック!」では根本気象予報士だけが的確な問い「品物の容器や包装について考える必要があります」を発している。
スーパーやメーカーはなぜ生鮮食料品等をトレイに入れて販売するのか。
それは販売上の効率化・省力化・衛生面と販売促進とお客の買いやすさ等を考えて、積極的にトレイや容器を活用しているのである。
もし、トレイや容器なしで生鮮食料品を販売するとどうなるか。トレイや容器がないということは、販売のための事前準備が不可能になることから、お客が買いたいと申し出た時に用意することになるから、人手が沢山必要になるのである。そして、商品の見せ方・売り方の工夫(販売促進のための表示・置き方・商品個分けその他)も難しくなる。価格表示や品質表示もトレイがないと商品ごとに付けることができない。
もっと他にトレイがなくてはならない理由があるだろうが、要はスーパーやメーカーにとって、トレイや容器なしでの販売は考えられないのである。
というより、トレイや容器の活用によってスーパーという販売形態が確立したともいえるのである。
つまり、トレイや容器は佐藤弁護士が言うような過剰包装を問題にしても本質に迫ることができない必要な手法なのである。
弁護士佐藤光子のブログ
TBS・Nスタ「くるりポイ」問題へコメント
スーパーなどでお肉などのパックを開けてトレイを捨ててしまう、いわゆる「くるりポイ」がここのところワイドショー番組で話題になっていますが、今日の夕方のTBS番組Nスタで、法的に問題がないかコメントさせて頂きました。
お客さんには、マナーとしてはともかくも、法的には問題とはいえないですね。
要するに、プラスティックトレイ処理を誰がするかの押し付け合いですが、過剰包装をやめて、もう、このトレイ自体、使用しない販売方法に向けて行くしかないのだと思います。脱プラスティックです。
(引用終り)
この弁護士もスーパーとはどういう形で成り立っているのか、分かっていない。これは「過剰包装」の問題ではないのだ。過剰包装問題がないとは言わないが、それはまた別の問題だ。
志らくがしたり顔で「自分だけがよければよいのか。しようもない大人が多いですね」というが、それはスーパーに向かって言うべきなのである。
なぜ、地球温暖化対策でレジ袋だけが悪者にされ、レジ袋の何十倍ものポリエチレン、プラスチックが使われても、その削減を誰も言いださないのか。それはみんな(環境省もマスコミも)がトレイや容器はスーパー等の小売における必需品だと知っているからである。
ホントに地球温暖化対策をしたければ、レジ袋削減ではなく、商品トレイや容器の削減を言いださないといけないのである。
それを言わない環境省やマスコミは全く欺瞞的なのである。グレタも欺瞞的だが、対策を打ちたいなら真面目に考えるべきなのだが、真面目にやれば自らの首を絞めることがわかっているから、レジ袋削減やストローを紙で作るなどと誰もかれもみんな嘘と誤魔化しをやっているのである。
京都府の亀岡市がレジ袋の有料化を超えて、そもそもレジ袋を売らせないと条例を決めた。バカの極みであるが、本気でプラごみを削減したいなら、消費者に迷惑を掛けることなどせずに、スーパーでのトレイや容器の販売を条例で禁止してみろ、といいたい。そんなことが出来るわけないから、消費者をイジメて喜んでいるのである。亀岡市は誤魔化しても知らん顔の最低の市なのである。
私は、トレイや容器での販売を禁止しろといっているのではない。
スーパーの省力化効率化で得をしておきながら、「くるりポイ」をするお客を悪者扱いするスーパーやマスコミが許せないのである。スーパーやメーカーがトレイや容器で売りやすくした結果、大量のトレイや容器が生じたのである。これは確かに家のゴミとしては邪魔だし、分別も面倒だし、ましてやゴミの有料化でトレイごみが多くなれば金まで払わなくてはならない。元々はスーパーの必要性でやったことなのに、そのツケはみんな個々の消費者に転化させられている。
「そうだ、中身は別のラップに移し替え、トレイは捨てていこう」ということを考えたわけだが、これで何で文句を言われなくてはならないのか。いわば、庶民のささやかな抵抗なのである。
スーパーもケチなことをいってはいけないのだ。大事なお客様がトレイは要らないといっているのだ。それになぜ協力しようとしないのか。
ゴミ箱撤去など論外ではないか。片づける従業員が必要になる、だって?バカ野郎、トレイで省力化したんだから、そのツケ払いを少し位したからといって罰が当たるものか。
スーパーがお客を悪者とみなすのは、自分の商売の仕組みをなんら考えてこず、惰性で仕事をしている証拠なのだ。
そんなスーパーの言い分のみを鵜呑みにして、番組作りをするTBSにも志らくに呆れてしまう。
ネットに在野の近現代史研究家だという高橋克己という男が「“くるりポイ”はエコ効果絶大、仕組みを作ってむしろ拡大すべきだ」という文を書いている。
「…筆者は(くるりポイを)「何と頭の良い所業!」と感心したのだが、番組作りは両局ともこれに否定的なスタンス。
「マナー違反どころではない行為にスーパーが困っています」と司会が紹介すれば、コメンテータたちは口を揃えて「自分のことしか考えない」とかいった客の批判ばかりに終始する。
スーパー側の言い分も「不衛生だ」とか「処理に困る」とか否定的だし、「雑菌で従業員が感染する危険がある」などという識者の意見なども紹介する一方、客側のコメントは「ゴミが出るからね」との「自分のことしか考えない」との批判を裏付けそうな画像だけを垂れ流す。
が、こうして番組が批判調になればなるほど、筆者の天邪鬼が「果たしてそうだろうか」と頭をもたげる。この違和感について白髪頭でここ数日考えたので、そのことを以下に述べたい。」
ここまでは、私のスタンスと同じなのだが、「白髪頭でここ数日考えた」結果は、失礼ながら全く大したことのない結論なのである。リサイクルなんぞといっているようではダメだ。
「…“くるりポイ”などはまさに格好の「コトづくり」と筆者には思えた。つまり「仕組み」のヒントを顧客が「必要だから発明」し、目の前で提供してくれているという訳。
番組によれば目下約5%の客がこれをしているそうだが、白色トレイを簡単に戻せる仕組みを作れば大幅に増えるのではなかろうか。
では筆者が考えた仕組みを説明しよう。それは呆気ないほど単純で、大まかな作業手順や包装材料の種類は変わらない。(中略)
スーパー側の手順はこうだ。肉を例にとる。従来は、①白色トレイに肉を置いてから、②ラップを肉の上からトレイの底まで回し掛けて完成。
改定手順は、①白色トレイにラップを敷いて肉を置き、②そのラップを肉の上からトレイの底まで回し、更に表側の半分位まで回し掛けて完成、ということ。
この方法なら、レジを終えるまで白色トレイとラップが果たしてきた機能は従来と変わらない上、白色トレイを持ち帰りたくない客はラップをほどいて外せば良い。肉はラップで1重巻かれているから客の手に触れないし、白色トレイも肉に直接は触れていないから使用前と変わらない。
スーパーはトレイの回収棚を設置しておき、1日何回か回収すれば良い。今でも買い物かごやカートを整理する要員がいるのでトレイ回収は彼らの仕事になろう。回収されたトレイは使用前と変わらないから、洗うなり検査するなりして再使用に供すれば良いと思う。新規トレイの購入費削減になる。
勿論、客の中にはトレイごと持ち帰りたい者もいるだろう。が、この“積極くるりポイ”の方が圧倒的にエコだ。
(中略)
その白色トレイも各家庭に持ち帰れば、洗ってゴミに出す良心派もいれば、肉汁が付いたまま出す不精者もいて、リサイクル業者は洗浄に膨大な手間とコストを掛けねばならない。だがどうだろう、客がみな“積極くるりポイ”をすれば、清潔な白色トレイの回収率が限りなく100%に近づく。
明日からでも採用できるこの“積極くるりポイ”、各スーパーにおかれては直ぐにでもご検討を願いたい。当方、アイデア料は申し受けませんので。」(引用終り)
リサイクルまで言及しているから、随分先進的に考えているだろうと言いたいようだが、前にも書いたがリサイクル自体が資源のムダ使いなのである。余計な事をしないで焼却するのが一番のエコなのである。
トレイや容器も大いに使って、販売効率化してもかまわない。(上げ底トレイは詐欺行為だから止めてほしいが)ただし、そのゴミを分別や有料化せずにドンドン焼却すればいいのである。
家に持ち帰りたくないお客には、むしろスーパーがその利便性向上の工夫をしてあげるべきなのである。
その時はこの高橋氏の工夫もありえるだろう。
つまりは、この騒動(といえるのかどうか知らないが)、志らくが偉そうにバカにした庶民は、間違った環境政策、間違った地球温暖化対策の犠牲者なのであり、「くるりポイ」はその庶民の環境政策批判を意図しないささやかな抵抗の姿なのだと捉えるべきなのである。
それでも「くるりポイ」は迷惑だという人に言いたい。
香港民主化運動のために香港の住民が迷惑を被っているが、運動の趣旨を大いに理解したからデモが迷惑であっても区議会議員選挙に圧勝したのではなかったか。
「くるりポイ」もそういう目でみてあげたらどうなのか。