喧嘩が嫌いだから話し合いをするといっても、相手が強ければ相手の言いなりになるしかない。相手が理不尽でも文句を言ったら喧嘩になるのなら、相手の言いなりになるしかない。殴られても言いなりになって喧嘩が済むのならそうするしかない。家族の誰かが傷つけられてもお金をふんだくられても抵抗するのはよくない。抵抗するのは戦争に通じるから抵抗するのはよくない。何しろ喧嘩はよくない。戦争はよくない。抵抗するのはよくない。二度と戦争はしてはならない。奴隷になっても平和がいい。収容所に入っても奴隷になっても喧嘩はよくない。北朝鮮の民が金正恩体制に抵抗するのはよくない。香港の学生・住民が中国本土に抵抗するのはよくない。戦争につながるからよくない。中国政府のいうことが理不尽であっても平和がいい。自由のない奴隷であっても平和が一番だ。

 

韓国に正当性を主張すると戦争に成りかねないから、韓国の言い分を聞いてあげて、日本の主張は取り下げて妥協して、謝れと言うなら謝って、戦争にならないようにしたほうがいい。日本は戦争になることだけは避けなければならないから。

 

書いていてバカバカしくなるのですが、

「戦争はよくない、戦争は避けなければならない」という全く正しい命題から、なぜ無抵抗の奴隷の平和が導き出されてしまうのか不思議です。

 

何であれ喧嘩や戦争を嫌うという心性を持つ人や国に対して、一番に勝つ方法は簡単なことです。喧嘩を仕掛け、相手を抑えつけ、戦争をちらつかせ、脅しつければいいだけの話です。抵抗しないといっているのですから、戦争するぞと脅してやればいいのです。

 

韓国はこれまで日本を平和を愛し、戦争を嫌う軟弱国として捉え、嘘を平気でつき、いつも脅しつけ、喧嘩腰な態度をしてきました。それで成功してきたわけです。

しかし、今回に限って日本もそんな喧嘩を嫌うあるいは抵抗しないという軟弱な態度がかえって相手を上長させ、喧嘩を煽ってしまうことに気が付いた。そして普通の国の対処の仕方を韓国にしたまでです。

 

日本国内の韓国応援者や戦争嫌いの平和主義者がビックリして、日本の対処方法に文句をつけました。喧嘩は関係を悪くする。戦争になる。相手の言い分を聞いて譲歩すべきだ。日本はやり過ぎだ等々。

 

しかし、韓国の文在寅は嘘つきで信用できないのです。本人が約束は守らないと堂々と言っているのです。話し合いをして、まとめても守らない、いつまでも日本が悪いと責め続けるといっているのです。

これでは日本は話し合いに応ずることはできません。

ただし、信用できないのは韓国ではなく、文在寅政権のことです。

 

いつも素晴らしいブログを書いて、新聞より役に立つ「農と島のありんくりん」の今日の記事をぜひ読んで参考にしてほしいと思います。

 

韓国は「戦略的放置」すればいいだけのことです」(2019.8.30

さてどうやら、ムン政権には日韓紛争を解決する意志はないとみえます。
ムン・ジェインは昨日になってこんなことを言い出しました。

「文在寅大統領は29日、「アジアの複数の国の不幸な過去があり、加害者が日本というのは動かない歴史的事実」と述べ、河野太郎外相の発言を強い語調で批判した。
  文大統領はこの日午前、青瓦台(大統領府)で開かれた国務会議の冒頭発言で「日本が過去に向き合う態度が正直でない」とし、このように述べた。「韓国が歴史を書き換えようとする」という河野外相の28日の発言を文大統領が批判したのだ。 ()
続いて「過去を記憶して省察することには終わりがない。一度反省をしたので反省が終わったとか、一度合意したので過去として過ぎ去ったとして終えられるものではない」とし「(反省と省察を通じて)ドイツが隣国の欧州国家と和解し、国際社会で信頼を受ける国になったということを日本は深く銘記する必要がある」と話した(中央日報829
)

 

あーあムン様、とうとう言っちゃったね、というところです。
一度反省してもダメなら、しないほうまし。合意しようが条約結ぼうが終わらないなら、「完全かつ不可逆的に」蒸し返されるのですから、以後スッパリと止めましょう。
それを分かって言っているなら、一国の大統領がじぶんの国と条約結んでも無駄ですからという韓国番外地宣言を出してしまったわけで、まことにもって歴史に刻まれるべき仰天スピーチとなりました。

それにしても、ムン閣下はせっかく今まで最高裁に責任なすりつけてきたのに、とうとう本音を全開しちゃいましたね。
こんなこと言ったら決定的に日本が対話の扉を閉じるのはわかりきっていますからね。

側近逮捕間近とみえて、よほど追い詰められているんですね。

このムン様の発言は河野外相の「条約を守れ」という発言に対して浴びせられたものですから、韓国の回答は「守る気なんかない」と言った事になります。

そういえば、ムンが牢獄に叩き込んだパククネ前大統領もそっくり同じことを言っていましたっけね。

「朴槿恵大統領は1日、第94周年3・1記念日の演説を通じて、「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」とし、日本の前向きな変化と責任ある行動を求めた。朴大統領は、「日本が韓国のパートナーになるには、歴史を直視する姿勢を持たなければならず、そうする時に初めて両国の信頼と和解、協力も可能だ」と言及した」(東亜日報201339)
 

このふたりの韓国大統領はまったく同じことを言っています。
日韓紛争は日本が正しい歴史認識を持たないが故に起きるのであって、日本は韓国に永久に謝罪しつづけねばならない、ということです。この論法は耳にタコができるくらい聞かされて来ましたっけね。
だいたいこの歴史カードを持ちだされると日本は戦わずしてイチコロで負けてきたのです。

ときおり保守派議員が勇気を振り絞って常識的見解を持ち出すと、100%野党とメディアによって「暴言」として辞任に追い込まれてきた歴史があります。

 

ところが今回のムン発言は、同じ歴史カードを扱いながら今までにない苛立ちが含まれています。
なぜでしょうか。それは今回、日本が韓国の歴史カードを「相手にしない」態度で臨んでいるからです。

今回の「第2河野談話」(私の勝手な命名) は、今までの近隣国配慮から、一件一件是々非々でリアルに対応していく現実主義的外交路線に切り替わっていく象徴的発言として記録されることになるはずです。

「河野太郎外相は27日の記者会見で、1965年の日韓請求権協定に関し、「韓国が歴史を書き換えたいと考えているならば、そんなことはできないと知る必要がある」と韓国側を批判した。外国人記者からの「韓国政府が『日本は歴史問題への理解が足りない』と指摘していることにどう答えるか」との質問に答えた。」(毎日828)
 

(韓国が)歴史を書き換えたいと思っても、そんなことはできないと知れ」ですか、よくぞ仰せられた。まったくそのとおりです。朝日・韓国合作の慰安婦フェークをろくすっぽ調べもしないで謝罪談話をしてしまい禍根を残しまくったパパ河野による「第1次河野談話」を、息子がみごとにリカバリーしました。パチパチ。ついでにパパの談話も廃棄してくれれば嬉しいのですが、韓国じゃないからダメか、残念。

もちろんこの「第2河野談話」は、日本統治がすべったのころんだのということについて言ったわけではなく、かといっていわゆる保守的歴史観を対置するのでもなく、むしろそのような歴史問題を現実の外交局面から切り離そうとしています。私はこれこそが、韓国の「千年謝罪論」に対する最良の対応だと思います。

かつての自民党保守派のように、「日本は韓国統治でいいこともした」などと言えば、待ってましたとばかりに韓国からは「正しい歴史を知らない妄言」「極右」とお約束のようにように決めつけられ、同盟国であるはずの米国からさえも「歴史修正主義」とそしられるはめになるのは目に見えています。

逆に外務省的韓国応接マニュアルどおり、「日本は既に多くの謝罪してきており、カネも支払ってきています」なんてしおらしく答えようものなら、「心がこもっていない。首相くらいじゃだめだ。天皇を寄こせ。ひざまずかして謝らせろ」ということまで言い募ります。
ではほんとうに韓国か望むように、天皇陛下を訪韓させて土下座させて許しを乞うたとしても、今回のムン発言のように「一回謝ったくらいではダメだ」、また天皇を来させて今度は韓国大統領様の靴をなめろ、くらい言いかねません。

もちろん日本はそんな馬鹿げた要求には応じられるわけはありませんから、一蹴したらしたで昨日のメビウスの輪ではありませんが、また初めに戻って「歴史認識が間違っている。謝罪しろ」とリピートされるだけのことです。どこまでいっても堂々巡り。永遠のワンパターン。アホくさ。つきあいきれんわ。

 

つまりはなにをしようと、なにを言おうと、韓国は永遠に満足するわきゃないのです。
ならば韓国がなにを言おうと言うまいと、千年恨もうとどうしようと数万年憎もうと、常に日本は戦略的放置をキープして、リアルな局面についてだけ対応すればよいのです。

降りかかった火の粉は払う、それだけのことで、それ以上踏み込まないことです。

 

今回の場合は河野外相が言ったように、韓国は日韓基本条約をどうするのか、廃棄したいのかしたくないのか、するならそれ相応のおもてなしをすると宣告すればよいのです。
つまるところ、では日本統治時代の私的・公的資産を、耳を揃えて清算してもらいましょうか、ということに発展していかざるをえないのです。
あんたの国が言っていることは論理的にはそういうことですぜ、と言ってやることです。

 

とりあえず今回の輸出管理規制の変更は、歴史認識とは関係ないからね、よく経済産業省からもらったペーパーを読みなさい、と相手がイヤになるまで繰り返し言い続けることです。つまり日本は韓国がどう思っているかなどを忖度する必要は一切ないのです。

旭日旗をナチス旗のような戦犯旗と言おうと(朝日にもいうんだね)、オリンピックメダルのデザインがキョクジツキーだぁと騒ごうと(が、はは)日本製品を不買しようと(如何に依存していたか分かった)、日本を放射能汚染国と言おうどうしようと(測ってからいいな)、はいどうぞご勝手に。

具体的に淡々と事実だけを言えばいいだけのことです。


そう、あの輸出管理規制時の経済産業省のお役人を手本にすればいいんじゃないでしょうか。
当該官庁が、感情を交えずに淡々と回答する、それでオシマイです。
こういう対応が一番韓国の困ることで、言えば言うほど、自分のコリア小児病ぶりが暴露されてしまいます。

ムンは今や正恩からは「便を漏らした裏切り者」(ほんとにほんとにこう言った)としてして扱われ、中国にすがろうにも冷たくあしらわれ、本来ならば最大の後ろ楯のはずの米国からもGSOMIA裏切りで見事パーにしてしまいました。
もうどこの国も手を差し伸べません。そのうえ、最側近の逮捕間近でとうとう足元にも火が回り始めました。こんな奴は使い物にならないと、韓国の真のオーナーである民主労総が決断すれば、遠からず第2ろうそくデモも始まるしょう。
ムンとして残された一手が、この歴史認識ガソリンに火を着けることなのですから、おかしな対応をしてムンを喜ばせることはありません。

日本は米国と歩調を合わせながら、静観していましょう。実はいままでもそうだったのですが、遅まきながらやっと日本はそれに気がついたようです。

(引用終り)

 

「農と島のありんくりん」の言われるように考えていけば、単に喧嘩はよくないとか戦争につながるから韓国と仲良くしなければ、との言い分が如何に馬鹿げたものであるかわかるというものです。

 

そして今韓国国内は文在寅の馬鹿げた暴走により、自滅の道をひた走っているようです。韓国国民もバカではありません。文在寅の無法な弾圧による暗黒政治にようやく立ち上がりを始めたようです。

もうすぐです。

文政権が倒れれば、日韓関係は必ず正常化に向かいます。もう少し待ちましょう。今後が楽しみです。