「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」は、河村たかし名古屋市長やまともな日本人の抗議で中止になったことは良かったが、この炎上は最初から計算に入れたように左翼は表現の自由の弾圧と騒ぎ、自民党員でもある愛知県知事の大村秀章という与太者が憲法違反と河村名古屋市長を批判して反日左翼から拍手喝采を浴びている。この大村という男は反日の確信犯で工作員だったようだ。

 

そもそも津田大介が芸術監督になっているのが怪しいし、「表現の不自由展・その後」という企画展自体この「あいちトリエンナーレ」という芸術祭を反日宣伝に活用しようという陰謀だったようだ。

反発が予想以上に激しくというか予想通りというか、津田大介は弾圧に負けたという被害者を装って自分の反日ぶりを誤魔化し、次のステップの橋渡しをして退場したようだ。

 

もし100歩譲って、この「表現の不自由展」を真面目に企画したとしよう。しかし韓国の売春婦少女像や昭和天皇の尊厳を犯す写真を仮に展示したとしても、バランスを取ってナチスも毛沢東もスターリンも金正恩も金大中も安重根もみんなクソコラの芸術作品として展示されていたら、日本人としても苦虫を潰しながら許した可能性もある。

しかし、単純に反日のみを標榜するのは芸術に名を借りた(といっても売春婦少女像が芸術作品とは誰も考えないが)反日宣伝政治活動をするというのは誰が見ても常軌を逸していると言わざるを得ないし、左翼の狡い汚い本性を露呈したというしかないだろう。

 

ネットに次のように書かれていたが全くそのとおりだ。文句があるなら以下のような展示をして見せろ。

それでは問うが、

右半分が北金正恩将軍で左半分が文在寅の像。それが頭から赤いペンキをぶっかけた状態で今まさに全身が赤に染まり切りそうになってる展示という印象に見えるものを同スペースに展示しても全く問題無いよな。

少女像?だかの後ろに現代の売春街の実物大写真を貼ってもいいんだよな?

徴用工像?だかの額付近に持ち上げられた左手に札束を持たせたものも展示できるよな。

天皇崇拝の安重根(事実)が天皇の靴を舐めようとしている風に見える像の展示も自由だよな。

普通に考えたら明らかに対立煽りを想像し、「やるべきではない」と判断される筈な事を自分達の思想側の考えに基づくものであれば「表現の自由」として押し通そうとするダブルスタンダード。
パヨの脳の構造は全てこれ(反日行為は何をしても無罪)が根底にある欠陥品だ。そして日本人がする事は全て曲解し、話をすり替え、拘束しようという姿勢なのだからその事実を知る者には絶対に受け入れられる筈がないだろ。」

 

こんな展示もされていたようだ。これも芸術作品か

加藤清隆(政治評論家)ツィート
「愛知県での「不自由展」はいろいろ問題があるが、円形に紙をベタベタ貼ったような展示物には、上に特攻隊の皆さんの寄せ書きが書いてある旗を置き、題名に「間抜けな日本人の墓」とあるそうだ。
絶対に許せない!英霊をここまで踏みつけにするのか!それが芸術か!表現の自由か!」

 

左の元民主党(今はどこに所属してたっけ民民党?)の原口一博議員ですら、このトンデモ展示に怒って次のようにツイートしている。

聖書やコーランを火にくべることが何を意味するのか。日本人が大切にしているものを燃すことが何を意味するのか。表現の自由、芸術の名の下に許されていいのか?

表現の自由といえども人々の心を傷つけることまで容認されていいのか?私は許されていいとは思いません。抗議の声をあげるのは当然です。

他者への尊重を失えば起きる事。他者の大切にしているものに理解が至らなければ知らずして踏みつけてしまうもの。 その作品が芸術と言うのならそれは人の心にある人を踏みつけにしてもわからないと言う獣性を顕にしたという点においてのみ反語的な意味での価値を持つと。吐き気をもよおすようなもの。

 

同時にこうも思います。世界にはこうして他者の心の痛みに無頓着なものもいる。私はそのようなものに絶対になりたくない。他方そのようなものがいることを自覚させてくれた事まで否定したくない。人の心の中にある人を人でなくするもの。それはそのもの達の中にだけあるのではない。私の中にもある。

人々の心に憎悪を掻き立てさせるもの。それを芸術と私は呼ばないし呼びたくない。

しかしそれは言うまでもなく暴力をもって排除されて良いものではありません。法と正義に基づかない如何なるものも認められないからです。 (後略)」

 

まともな日本人のまともな反応と言える。元民主党議員からのコメントだけに説得力がある。

 

ある学者は「もちろん表現の自由も絶対的に保障されるわけではなく,他者の権利,自由を守るために,あるいは,公共の利益のために制限することは認められる。」と言っている。

といって、私は表現の自由を安易に制限していいなどといっているのではない。

先に書いたようにバランスが取れていれば全く問題ないし、政治的宣伝活動をするならしてもいいが、それはそれにふさわしい場所で自前の金を使ってすべきなのである。税金を使って特定の政治宣伝・反日宣伝をするなら、それがいくら表現の自由の名でなされても、それは権利の乱用でしかない。

 

そもそも反日宣伝をするな、なんて言っていやしないのだ。隠れ蓑を作って、税金を使って特別な思想・イデオロギー宣伝活動は普通に考えて許されないといっているのだ。

この「表現の不自由展」の名を借りて、オウム真理教の麻原彰晃の像を展示して、信者募集活動をしてよいのか、ヒトラーの像を展示して、ヤダヤ人虐殺を奨励して良いのか、あの襲撃事件のシャルリー・エブドに描かれたムハンマドの風刺画を展示してもう一度襲撃事件を起こさせても構わないのか。自ずと「表現の自由」に限度があるということがわかるだろう。

 

大村も調子こいて憲法違反を叫ぶなら、河村市長を訴えて見よ。河村市長が展示を弾圧したのか。河村市長は展示にクレームは付けたが、展示中止の権限は持っていないじゃないか。

そもそも展示中止を決めたのは、大村、お前だろう。河村市長の圧力に負けたのか。市長の指示に県知事は従わねばならぬ上下関係、権力関係にあるのか。河村市長が検閲でもしたのか。クレームと検閲は全く違うだろう。

 

もしバカな大村の言い分が通るなら、反日左翼の今回の謀略は大成功だと言える。これからは公的資金をもらって反日宣伝活動が大威張りで出来ることになったも同じだからだ。

 

何でも芸術の名の元に公立美術館・博物館で「表現の不自由」展を全国で開催することを申し入れる。

そして拒否されたら、「検閲だ」「表現の自由の抑圧だ」「弾圧だ」「憲法21条違反だ」「権力の横暴だ」等々を述べ立て、公立美術館員を責め立てる。街宣車を動員して騒ぎ立てるぞと脅す。

当然美術館のお役人はこんなうるさい奴らとやり合っていても仕事にならないから、「表現の不自由」展開催を承諾する。

 

そして、反日展示にまともな日本人からクレームが入り、展示会炎上が社会的問題になる。

そして大村のようなバカ知事が出てきて、「表現の自由」は憲法に保証されているので、反日であろうが、売春婦像であろうが、天皇を侮辱するものであろうが、全てひっくるめて「表現の自由」は認めなければならないと宣言し、「表現の不自由」展は開催され続ける。

右派は指を咥えて見ているか抗議をするが、マスコミは右翼の横暴を憲法違反と騒ぎ立てるだけで、「表現の不自由」の中身について批評することは一切しない。

等々トンデモナイことになりそうである。

 

この「表現の不自由」展炎上は、このように考えてくると、左翼連中と津田大介と大村愛知県知事との合作であると考えるのが正しいかもしれない。

そして、今現実がそのように進行している。「表現の不自由」展の中止は、言わば、反日左翼の勝利の一環・ステップなのである。