たけしが稼いだお金をどう使おうとまさに勝手なことだが、離婚慰謝料としての金額が100億とか200億とか途方もない額になると少しは口も出したくなる。別にくれと言っている訳じゃないから少しぐらい言わせてほしい。

 

トランプ大統領ですら離婚した際は20億円、ケビン・コスナー、ハリソン・フォード、トム・クルーズらが100億前後らしい。それよりもはるかに多いぜ、世界の北野!。よくもまあ稼いだもんだ。

 

通常、財産分与では「夫婦で半分」が原則となるはずだが「たけしの財産は、ほぼ全額幹子夫人に分与された」と報じられている。その額200億円にのぼるということだが、幹子前夫人もそんな大金、もらっても使い切れないだろう、と余計な心配をする。というより、たけしも幹子前夫人の今後の生活やこれまでの慰謝を考えるなら、何も全財産200億は多すぎだろうと思う。ホント、大きなお世話なんだが。

 

なぜ200億の全額慰謝料なのか。推測するにたけしの気前良さ、前妻へ苦労をかけたという償い、はにかみ、美学なんだろうか。つまり金になんか拘泥しない、そんな金額は自分には何の意味もないという美学。

まあ勝手にしたらというしかないが、そういいながら、なんてもったいないことを。そんなに要らない金ならもっと有効に使ってもいいのではないかと思うのである。

 

たけし個人の財産の使い方に、他人が何の文句があるのかと言われそうだが、言われているだろうが、個人の持ち物でも勝手にしていいわけじゃないという事例があった。バブル時代の話だ。

 

バブル時代の「大昭和製紙」の斉藤了英名誉会長は個人での買い物で、しかも絵画2点で244億円という途方もない金額で購入した。

ゴッホの「医師ガシェの肖像」を8250万ドル(約1254000万円=当時)。ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を7810万ドル(約1187100万円=同)でで落札・入手したのである。

そして翌年に「死んだら2枚の絵とともに焼いて欲しい」と発言し、英仏を中心に批判の渦が巻き起こったのだ。2枚で244億円、しかも芸術的価値が大なのに永遠に失われてしまうという暴挙。

 

倫理学者加藤尚武氏は応用倫理学の問題として次のように論じる。

(ここでは83億円でゴッホのアイリスを買ったとなっているが、これも買ったのかも)

「まず最初に、美的価値と所有権に関してゴッホの絵は持ち主が燃やしていいかという問題を考えてもらいたいんですね。

斉藤了英という大昭和製紙の会長さんが83億円でゴッホのアイリスを買った。ところが、買ったことに対してものすごく非難を浴びたんですね。そしたら自分が死ぬときは棺に入れて燃やしてほしいという、とてつもない遺言をしたわけです。

斉藤了英さんは死にました。ところが死ぬ前に、彼は借金が返せなくなったので、ゴッホの絵は借金のカタに取れて現在銀行の金庫に眠っているんです。もしもそれが借金のカタに取られなかったならば本当に燃やすかという問題になるんです。どういうふうにすれば、「おれの持ち物なんだから燃やそうと勝手だ」と言う人に対抗することができるか。

 

(ブログ管理人注)

この件について、斉藤了英の孫が誤解されたと弁明している。

「祖父のあの発言は、絵が好きだという気持ちを表現しようとして軽口を言っただけだったのですが、誤解されて広がってしまった。絵を燃やすつもりは全くなかったと思いますし、祖父は本当に絵を愛していた。祖父と親交のあった平山郁夫先生も当時、“斉藤了英さんは絵の好きな方で、あの発言は全く真意ではない”と言ってくれたそうです」

 

 問題は、個人の所有物が余りにも多くの人々にとって価値のあるものになっているという事態です。所有物であれば所有主の勝手にできるという、その原則それ自体がいいのか悪いのかという問題です。

(引用終り)

 

加藤尚武氏は「所有物であれば所有主の勝手にできるという、その原則それ自体がいいのか悪いのか」と疑問を呈している。特に芸術品のような文化的歴史的に価値のある場合は、個人の所有物であっても自由な処分はゆるされないのではという問題提起だ。

 

たけしの財産の場合は、お金だから個人の所有物なので何ら問題はないのではあるが、しかし、200億ともなると、不謹慎ながら200億円を前妻の慰謝料として渡すといことは、斉藤了英氏がゴッホの絵を燃やしてしまうこと、つまりやり過ぎ、勿体ないという思いを起こさせるのだ。たけしから「俺の稼いだ金だぞ」怒られそうだが。

 

510億の慰謝料ならそういう感慨は起こらない。10億でも50億でもそうだろう。斉藤了英が所有する12億の絵画、そこそこ有名だが世界的ではない絵画を仮に死んだら燃やしてくれと遺言しても、勿体ないとは思っても、個人の遺志を貫いてもいいか、と思うかもしれない。

 

しかし、ゴッホやルノアールの絵画なら個人の所有とはいえ、いくら何でも燃やすのは問題ありとなるのと同じように、200億もの慰謝料なら、単に個人の懐に収めてしまうのでなく、社会的に有効な使い道を考えてもいいのではないかと思うのである。つまり、量は質に転化するのではないかと。

 

欧米の金持ちは税金対策であろうが、慈善財団や文化財団を作って、金を有効に使っている。或いは金持ち批判の回避の為に有効に使うことを装っている。偽善であれ何であれ、有効に使われることは大いに結構だ。ホリエモンはロケット開発に金を投じているがそれもいい。興味はないが。

 

たけしは文化的なことに興味が大いにあるはずだ。最近はボケが始まっているようだが、昔は広範な文化人と付き合ったり対談したりしている。そういう文化的なことに200億のうち少しでも回してみようという気は起きなかったのだろうか。

 

いつも問題になるのは、ノーベル医学賞の山中伸弥氏の研究費の足りなさだ。本来は国がやるべきだろうが、いつまでも放って置かれている。研究員の給与もまともに出ないらしい。だから山中先生がテレビに出たり講演をしたりして、研究費を稼いでいる。

例えば山中先生の研究費として幾らか寄付してもいいし、100億円使って高度医療推進財団を作ってもいいし、芸能文化推進の財団を作ってもいい。何でもいいが、いい使い方をすれば、金も立派に生きてくる。

 

幹子前夫人に200億円渡しても金は生きてこない。せいぜい10億も渡せば生活に困らない。庶民は2000万円も貯金することは困難だと言っているのだから。

 

日本の大金持ちで財産を社会的に有効に使っている例は少ないのではないか。ZOZOの前澤友作社長は、好きな時に屁をこきたくて自家用ジェット機を買ったそうだが、なんとも金の使い方が下手というしかない。

 

世界の北野がこんな訳の分からない金の使い方では、名がすたるのではないかと思うのである。

「うるさいよ」とたけしに怒られそうではあるが。