これは 1930年代のソ連の怖い笑い話である。命をかけてする止められない拍手の話である。スターリン時代ソ連で広く粛清がなされ、多くのソ連国民が収容所に連行され殺された時代があった。

 

 (笑い話の始まり)

モスクワのある地区の党代表者会議が行われている。会議の進行を務めているのは、最近ぶち込まれた書記の代わりに任命された地区委員会の新しい書記だ。
 会議の終わりに同志スターリンに宛てた忠誠のメッセージが採択される。もちろん全員が立ち上がる。
(会議の途中もスターリンの名前が出るたびに全員が一斉に立ち上がったが。)
小さな会議室に嵐のような大喝采が巻きおこる。三分、四分、五分、と経っても依然として 嵐のような大喝采が続いている。
 もう掌が痛い。いや、挙げた腕もしびれてしまった。年輩の人びとは息を切らしている。今では心からスターリンを崇拝している人びとにさえ耐えがたいほど馬鹿らしくなってくる。

だが、いったい思い切って先頭きって拍手をやめる者がいるだろうか?それが出来るのは演壇に立って、たった今このメッセージを朗読したばかりの地区委員会書記のはずだ。

だが彼は最近なったばかりだから、彼はぶち込まれた前任者の代リだから、彼自身おっかなびっくりなのだ!なにしろ、この会議室には内務人民委員部の連中が立って拍手をしているのだ。誰が最初にやめるかを彼らは注視しているのだ!

 こうして名もない小会議室の拍手は「指導者」も知らないまま、まだ続く。

六分!七分!八分!もう駄目だ!万事休すだ!心臓が破裂してぶっ倒れるまで、もうやめるわけにはいかないのだ!これが会議室の奥の隅っこのほうなら、人が混んでいるし、拍手の回数を減らしたり、叩き方を加減したりしてちょっぴりインチキをやることもできようが、人の目が向いている幹部席にいては、土地の製紙工場の工場長は自主性のあるしっかりした人間だが、彼も幹部席に立ち、この拍手を欺瞞だ、このままではにっちもさっちもいかないと知りつつ拍手している!

九分!分!彼はもの思わしげに地区委員会書記を見やるが、書記はやめようとしない。

ばかげている!どいつもこいつも!

かすかな期待をこめて互いを見渡しながら、だが顔には歓喜の表情を浮かべて、地区の指導者たちはぶっ倒れるまで、担架で外へ運び出されるまで拍手を続けるだろう!そんなことになってもまだ残った者たちは身じろぎもしまい!

 そこで製紙工場の工場長は十一分目にさりげないふうを装い、幹部席の自分の席に腰をおろす。

すると…おお奇蹟!…抑えきれないような、筆舌につくしがたいような全員の熱狂はどこへ消え失せてしまったのだろう?皆一斉にそこで拍手をやめ、やはり腰をおろす。助かった!一匹のリスが車から飛び出すことに気づいたのだ!

 だがしかし、ちょうどこんな具合にして自主性のある人たちがわかってしまうのだ。ちょうどこんな具合にしてそういう人たちは取り除かれてしまうのだ。

その晩、工場長は逮捕された。彼にはまったく別件で10年の刑が申し渡される。だが彼が最終調書に署名した後、取調官はこんな注意をする。

「だから決して最初に拍手をやめてはいけないんだ!」

「それではどうしたらいいと言うのだ?どうしたら拍手はやめられると言うのだ!」

(引用終り)

 

ソルジェニツイン「収容所群島Ⅰ」からの引用である。

まさに笑い話ではあるが、恐ろしい笑い話ではないか。

 

顔面を紅潮させた激しい拍手、喜びを満面にたたえた拍手、いつ終わるともしれない果てしない拍手!

北朝鮮の金正恩出席の会議での、この拍手の風景はテレビでも見慣れた光景だ。

しかし、このソ連の笑い話を読んだあとでは、決して笑えないだろう。拍手する彼らの心の内を想像するに余りある。

手が疲れたなんて言ってられない。一番真っ先に拍手を止めたら本当に銃殺が待っているのだ。

「ああ、金正恩様!拍手を止めるように声をかけて下さい。どうか、どうか」と心の中で叫んでいるのだ。あるいは「誰か犠牲を覚悟で、拍手をやめてくれ!」と叫んでいるのだ。

 

ここにあるのは何だろうか。

ソルジェニツインの笑い話では、自主性のある人たちを発見する道具であった。つまり、自主性のある人たちは革命に反対する可能性があるから、何はともあれ共産党としては排除しなければならない危険な人民なのである。

そうなのだが、拍手を続ける人々に取っては、それは忠誠心競争と言えるだろう。いつまでも拍手ができるのは私の忠誠心は他の人より素晴らしいのですよと。

 

独裁者であればあるほど部下の忠誠心を疑い、そして強く要求する。

独裁者金正恩は、部下のわずかなミスを疑い、多くの部下を銃殺している。ボーっとしてんじゃねえよ、と。だから、金正恩様が現れた場所では、周りの人間達は緊張の面持ちで、金正恩様の一挙手一投足、一言一言に一斉にうなづき、一斉にメモを取り、一斉に拍手する。メモをキチンと取らなかったという理由で銃殺された部下がいるのだから。

 

しかし、この忠誠心競争は、独裁国家だけの特別な現象なんだろうか。組織があり、小独裁者が存在するところでは必ず発現する現象ではないだろうか。

社長の発言が如何にバカバカしいものでも、一斉にうなづき、一斉にメモを取り、一斉に拍手するのではないか。ゴーンのいた日産も同じようなことがあったのではないか。

 

そして部下の忠誠心は、監視される。ソルジェニツインの笑い話では、内務人民委員部の役人が監視役をしていた。監視役は怖い存在だ。しかし、監視の目を逃れることもできる。監視役が見ていないところで手を休めればよい。いや、内務人民委員部の役人が見ていなくても、仲間が密告するかもしれない。

そうなったら大変だ。どこにでも監視の目があるということになる。

しかし、そのとき監視の目はどこに存在するのか。仲間の目でもあるが、本人の心の中にあるといえないだろうか。監視の目を想像するだけでもう動けなくなる。

 

一番効率のいい支配の形態は、内務人民委員部の役人を多く配置することでなく、内務人民委員部の役人の目を各人の心の中に持たせることだ。これが一番安上がりで強力な支配の形態だろう。

 

ソ連、中国、北朝鮮の支配形態、そしてそれを目指す左翼たち。彼らが作り上げる社会は笑えない怖い笑い話のような社会といえる。