稀勢の里、やっと引退。本当は先場所に引退表明すべきだったから遅すぎたといえるが、何はともあれご苦労様でしたと言っておきます。

 

横綱にさえならなければ、本当はもっともっと相撲が取れたはずなのに、分不相応な横綱にさせられたお蔭で稀勢の里の半生は台無しになったように思います。責任は、弱い大関を無理やり横綱にしてしまった相撲協会及び横綱審議会とそれに甘えて少しも頑張らなかった稀勢の里自身にあります。

 

今後のためにも、相撲協会は大いに反省すべきだと思います。それでなくても、白鵬の力の衰えと鶴竜の不甲斐なさ、三大関のだらしなさ、そして次の世代が小粒しかいないということを危機感をもって捉えなければ、長期停滞に突入すると思われるからです。

 

さて、涙の引退会見。

明日のスポーツ紙はどんな紙面作りをするのでしょうか。悲劇の横綱という扱いでしょうか。またワイドショーも怪我に泣いた横綱を前面に押し出して、可哀そうな稀勢の里を描くでしょうね。

稀勢の里は敗者ですが、日本的な感覚からすれば、済んだことはあげつらわない、責めない、悪口は言わない、と相場は決まっているようですが、ここでは意地悪目線というか本音で引退会見を評してみたいと思います。

 

稀勢の里の引退会見の言葉、当然のことあるいはああ言うしかなかったのかもしれませんが、余りにキレイ事ばかりが終始述べられて、鼻白む思いがして残念でした。もっと本音があってもよかったのにと。

そして、言葉が軽すぎる、現実と言葉が結び合っていない、その場かぎりの相撲と同じような。言葉使いが稀勢の里の本質をよく表しています。

 

-今の心境は。

「横綱として皆さまの期待に沿えないということには、非常に悔いは残りますが、自分の土俵人生においては一片の悔いもございません」

 

⇒土俵人生に一片の悔いもないなんて、嘘でしょう。悔いだらけでしょう。涙が止まらないのはその証拠でしょう。もっと相撲を取っていたかった、というのが本音でしょう。

 

-きのう負けてから決断までの気持ちは。

「もうやり切ったという気持ちが一番、最初に出ました」

 

⇒嘘でしょう。場所前のインタビューで調子がいいと言っていたのは誰ですか。力を出そうにも出ないという不甲斐なさの中で、「もうやり切った」なんていう言葉は出るわけがないし、全く自分を見つめていない。

 

-心に残っていることは。

「稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場の思い出は今でも覚えています」

 

⇒嘘でしょう。稽古嫌いは周知の事実です。休場中も瀬戸際になってもろくな稽古をしていなかったでしょう。休場明けの際、みんなに見せたたるんでプルンプルンの胸や腰、腕の筋肉は、何にも稽古していなかった証拠ですよ。少しくらい四股を踏んだり、すり足をしてみても体は正直なんですよ。稽古をやれば強くなったはずですが、それをやらなかった稀勢の里。「稽古場が僕を強くしてくれた」というのは昔の話でしょう。

 

-横綱審議委員会から「激励」の決議を受けたが。

「覚悟を持って、場所前から過ごして稽古をしてきました。自分の中で、これで駄目だったら、という気持ちがあるくらい、いい稽古をしました。その結果、初日から3連敗という形で、自分の中では一片悔いもありません」

 

⇒笑うしかありませんね。あの程度の稽古を自分で「いい稽古をしました」なんて言っちゃあお終いです。その程度で「覚悟を持って」なんて、どんだけ小さい覚悟なんだか。「その結果、初日から3連敗という形で、自分の中では一片悔いもありません」とは、もう開き直りでしかない。チャンスを下さいと言ったのは誰ですか。横綱としての必死さが全く感じられない。それが三連敗に結びついたんです。

「一片悔いもありません」なんていわずに、ここでこそ悔いが残ると言ってくださいな。

 

-けがを抱えながらどんな思いで横綱として務めてきたか。

「このまま潔く引退するか、こうして横綱に上げてもらって、ファンの人たちのために相撲を取るか、というのはいつも稽古場で自問自答していましたが、ファンのため応援してくれている人のために相撲を続けようという判断になってやってきました。でもこのような結果になって、ファンの人たちには申し訳ないという気持ちです」

 

⇒「このまま潔く引退するか、こうして横綱に上げてもらって、ファンの人たちのために相撲を取るか、というのはいつも稽古場で自問自答していました」なんて全くの嘘っぱちでしょう。もしそれが本当なら稽古の仕方を工夫したり、真剣にやっているはずです。嘘ついちゃいけない。

 

-引退については天国の先代に何と報告を。

「感謝の気持ちを伝えたいです」

 

⇒さらっと言ってますが、心が籠っていませんね。レスリングの吉田沙保里選手がリオ・オリンピック決勝で負けた時、大泣きして「お父さんに怒られるぅー」と言っていました。見ていた皆が涙しました。これが心の底から出てくる師匠へのお詫びの言葉でしょう。稀勢の里には執念というものが感じられない。尊敬する先代の親方に不甲斐ないことをして申し訳ないと本気で思うなら、違う表現が出てきたはずです。

 

-生前の先代から、横綱になったら分かることがある、見える景色があると言われていたが。

「やっぱり大関と横綱というのは全く違うものでした。ですが、まだまだ先代の見ていた景色は見られなかったです」

 

⇒意味深な言葉です。下りのエレベーターのないのが横綱、でも横綱エレベーターにはずっと乗っていられる。下りも昇りもあるが、大関という特別エレベーターからすぐ降ろされるのが大関。考えようによっては、大関の方が厳しい状況にいつもさらされている。横綱は8場所休場しても横綱。この感覚が稀勢の里には甘美な誘惑になったのではないのか。

 

-横綱という地位は。

「自分自身を変えてくれました」

-どう変えてくれたか。

「全く環境も変わりましたし、自分の意識も変わりましたし、そういう部分で、自分自身が変わったなと思います。説明しにくいですけど、自分の中で本当に変えてくれたなと思います」

 

⇒先にも書いたが、稀勢の里は横綱になって確かに意識を変えたのだと思う。それは横綱の責任の重さという当然誰もが持つ責任感ではなく、急に管理者になって威張り散らしているバカサラリーマンのように凄い地位に舞い上がってしまったのではないか。「説明しにくいですけど」なんて言わずに、ちゃんと説明しろよ。「自分の中で本当に変えてくれたなと思います」というなら、これほど無責任な横綱にはならなかったはずだから。

 

-土俵人生で貫いた信念は。

「絶対に逃げない、その気持ちです」

 

⇒これが一番笑ってしまい、そして呆れた。稀勢の里から「絶対に逃げない」なんて言葉が出てくるとは。なんだか韓国国防部の報道官みたいだ。こういうことを平気で言うから、人生を誤魔化して生きてきたと言われるんだ。(誰か言っていたかな。オイラだけか。)

 

-「日本出身横綱」は大きな重圧だったか。

「いい環境、あの声援の中で相撲を取るということが本当に力士として幸せでした。本当にいい思い出です」

 

⇒アホですか。貴方の相撲人生をぶち壊したのは、この「日本出身横綱」を無理やり作ったことにあるのですよ。まだ横綱には早い、と横審の誰かが言ってくれれば、最低あと5年は関取をやれたんでよ。

 

一問一答に文句を付けてきたが、ちょっと厳しすぎるかもしれない。本当は親方又は先輩が休場中に厳しく稀勢の里に注文をつけておけばよかったのだ。

しかし、何故か稀勢の里はのらりくらりととらえどころがない。こういう性格はスポーツマンにはふさわしくないのだ。

やはり横綱になってはいけない人間が横綱になったための不幸な結果というしかない。