貴景勝はひょっとすると優勝するかもと思ったのは、稀勢の里に勝った初日の一番からだ。
そもそも貴景勝は嫌いだった。小太り、猪首、可愛げなしと三拍子揃っており、かつ憎らしくも結構強かったからだ。
押しと引きと横からの腕のラリアートのワンパターン相撲ながら、みんな他の力士は引っかかってしまう。だから嫌いだった。
しかし、悪役は時として人気者になる。ヒールとまでは言わないが、やはり強くなければ注目されない。白鵬、鶴竜が休場して、稀勢の里が引退もせずにしがみついている今場所のだらけた場所で、ひとり貴景勝だけが連勝して新鮮だった。
そのうち女房と一緒に応援していた。高安に負けた取り組みは残念だったが、千秋楽の高安-御嶽海戦で、いつにない力を発揮して高安を破った時は、女房と一緒にテレビの前で、やった、やった、貴景勝優勝だと叫んでいた。
九州場所を盛り上げた一番の功労者は若い貴景勝だった。よくやった。
それに比べ、弟子を守ると口先だけの貴乃花のダメぶりが改めて浮かび上がった。自分だけの思いで勝手に部屋を潰した貴乃花。優勝した貴景勝に顔向けできるのか。
10年経ったら、ああトンデモナイことをしたと反省するかもしれないが、弟子たちにはまさに無責任な行為だったことを思い起こせよ。
さて、高安が優勝しなくてよかった。ここで優勝すると第二の稀勢の里を作ることになりかねなかった。高安はまだ実力がない。薄氷の取り組みが多く、大関としての強さを全く感じられない。
こんな状態で今場所優勝して、来場所も準優勝でもすれば横綱の声が出て、下手をすると横綱になるかもしれない。実力のない横綱は稀勢の里でこりごりだ。
相撲協会も稀勢の里を横綱にしたことをどこまで反省しているか知らないが、優勝とか勝ち星だけで自動的に横綱にしてはならない。相撲の取り組みの中身をキチンと精査すべきなのだ。
高安も横綱なんかなりたくないだろう。稀勢の里の要らぬ苦労を傍でみていればわかるはずだ。
そういう意味で、高安は優勝しなかったことは、高安自身にとっても相撲協会にとっても良かったということである。
ところで、高安戦の前の取り組み、栃ノ心-松鳳山戦の成り行きはひどいものだった。
双方がぶつかり合ったのち、立会い不成立と藤島審判長(元武双山)が手を挙げたが、行司が気づかず取り組みが続行し、栃ノ心が松鳳山を押し出したものの、それから勝負不成立を宣せられたから、行司も力士も納得いかない様子。
そして息も整わないまま両力士は再度立ち合い。そして組んで少ししてから今度は行司が止めた。
この行司はアホとちゃうか。両者とも今度は手をついたと思われたが行司がわざわざ止めたのは、恐らく藤島審判長から又咎められるのを忖度したのではないか。全く不要な立会い不成立の判断だった。
そして3回目。やっと立ち合い、ぶつかったがもう両者とも疲れすぎていつもの力が出ない。そして栃ノ心の勇み足で負け。それも物言いがついた結果だ。しかも松鳳山は鼻血と口の中を切り血だらけ。何とも後味の悪い取り組みだった。
こんな取り組みにしたのは、ひとえに審判元武双山が原因だ。
武双山は立ち合いに厳しすぎ、取り組みを途中でも何でも止めてしまう。
では全ての取り組みで両手をつかない取り組みを全て不成立にしているかというとそうでもない。つまり適当なのだ。
今回の場合、確かに立ち合いで両手を栃ノ心(?)がつかなかったから審判が待ったをかけてもいいが、取り組みが進んでいたのだから、その流れを重視すべきだ。高速道路で制限時速を余りにもバカみたいに守っていれば、逆に事故につながりかねない。
藤島は、それと同じ間違いを犯している。立ち合いで両手を付くことだけが大事なのではない。スムーズな取り組みが成立することが大事なのだ。それを無視しているから、立ち合い不成立が多すぎて、相撲の興味が削がれるのだ。
しかも行司が審判による立ち合い不成立宣言に気がつかなかったのだから、なおタチが悪い。この行司、処分ものだ。
ネットを見ると、立ち合いのことが書いてあった。
「私が相撲を見ていてとても不快なのは、身体がぶつかってはじまった!と思った瞬間、行司や審判に止められるシーンだ。力士が手をちゃんとつけば済むことだが、それができないシーンを幕内でも一日一度は見せられる。客から野次が飛び、審判が仏頂面をして、力士が頭を下げたりする、あんなところは見たくないし、時間も無駄だ。あれを減らす策はないのだろうか?
2016年には、一層徹底させる方針となり、手つき不十分の待ったがかなり増えた。5月場所3日目、大栄翔対大砂嵐は、立合い手つき不成立が伝わらないまま相撲が展開されることが2度続き、いわば三番も行われることがあった。
そうなってくると、力士もボヤきたくなる。鶴竜は、「行司は上から力士の手を見るため誤認しやすい」と指摘した。ある力士は、「両手をつけたつもりだったが止められた、意図的につかなかったわけじゃないが、そこまで厳しくする必要はあるのか」と嘆いた。
それを受けてか、藤島審判副部長(元大関武双山)は「両手ともにつくのが理想だが、それしか認めないと不十分なケースが多くなってしまう。全部止めるわけにはいかない」と、柔軟な対応の検討を示唆した。」
なんだ柔軟な対応をいっているのは、藤島か。それが昨今一番厳しくしているのには納得がいかない。
立ち合いがいい加減なら、相撲協会がもう少し立ち合いのみの稽古を力士全体でやらせるべきだろう。