稀勢の里休場で厳しい意見が出ると思ったが、テレビもスポーツ評論家も相撲協会も(一部を除く)親方も、みんな「一人横綱の重圧」で大変だった、もう一度チャンスを与えたらどうか、という甘やかしの大合唱だ。安田純平英雄論のような異常な統一された論評。
なんだこいつら。いつまで稀勢の里を甘やかしたら気が済むんだ。バカじゃないのか。稀勢の里に厳しく意見する奴はいないのか。
今日の読売新聞「編集手帳」のコラムが稀勢の里を連想させる。。
「<あんなに約束の時間にいい加減な人も珍しかった>と演出家の久世光彦さんが随筆に書いている。脚本家時代の向田邦子さんである。言い訳は「出がけに電話があった」か「猫が逃げてしまって」のどちらかで、<二つの言い訳で一生を賄った人だった>…」
このコラムは向田邦子を非難している訳ではないのだが、稀勢の里にも<二つの言い訳で一生を賄(まかな)った人だった>と言えるのではないか。
<稀勢の里の二つの言い訳>
・怪我をした。治してからいい相撲を取りたい。
・このままでは終わりたくない。来場所は頑張る。
稀勢の里を取り巻く社会・世間はとっても「やさしさ」に満ちているから、こんな子供じみた言い訳でも、皆が納得してくれて、その上「頑張れよ」と応援までしてくれる。
しかも、4日連続敗れた理由まで稀勢の里に成り代わって、忖度し解説してくれる。
曰く「一人横綱の重圧」(嘘つけ!白鵬、鶴竜休場で絶対に喜んだはずだ)
曰く「初日の貴景勝戦で膝を怪我したから、2日目以降は負けても止むを得ない。むしろ頑張った」
しかし休場を決めた日の記者インタビューに、稀勢の里はしらっとして出てきて、ぐちゃぐちゃと言い訳をしゃべる。何とも見苦しい。またその内容にも呆れてしまう。
「場所前に調子が良かっただけに悔しい」
「しっかり怪我を治し、いい相撲を取りたい」
「このままでは終われない。チャンスを下さい。」
来場所もまだ出る気ですよ、稀勢の里は。バカですね。
先場所も今場所も進退を掛けた場所だという現状認識、危機感がまるで感じられない言葉だ。
甘やかしばかりで、厳しい言葉をだれも投げかけないから、いつまでものんびりした子供のようなことを平気で言ってしまう。
4連敗の負けた理由を本気で怪我のせいにしているのだろうか。単に休場するための理由じゃないのか。
本気で貴景勝戦での怪我だけが理由なのか。違うでしょ。相撲が弱いだけでしょう。
妙義龍や栃煌山なんてちょろいと思ったんでしょう。
でも負けた。膝のけがじゃなくて、単に弱いだけなんでしょう。なぜそれに気がつかないんですか。稀勢の里だけでなく、親方も相撲協会も。
こんな弱くなったのは、胸の怪我をして治っても1年も場所を休み続けたから、相撲が弱くなってしまっただけでしょう。
それを来場所になったら強くなるとでも言うのですか。
膝の怪我は全治1か月の診断。稀勢の里は喜んで1か月稽古もせずに休養することでしょう。そして場所前2週間頃に稽古を初めて調子が出てきた、なんぞという。つまり今場所前と同じことをくり返すことでしょう。
下手をすれば、怪我が完治してないからもう一場所休場したいと言い出すかもしれない。
それは去年の名古屋場所休場の理由だ。あのとき稀勢の里はこういった。
「調整がうまく進まず、まだ相撲が戻らないので、今場所は休場することにしました。」
今の稀勢の里を見ていると、同じことを言い出しかねない。
相撲にはしぶとさは微塵も感じられないが、横綱への居残りには相当のしぶとさ、いや図太さを感じる。
そのように開き直った時、そして、来場所こそ頑張るので、チャンスを下さいと言った時、相撲協会自体が稀勢の里に引退を勧告できるのか。
そうなるともう稀勢の里の問題ではなくなり、相撲協会の問題となる。韓国のようにいつまでも稀勢の里に引っ張り回されていいのか。
来場所もぐじゃぐじゃするのは火を見るより明らかだ。ここは引き延ばすことなく、裏で稀勢の里に引導を渡すことだ。
そして潔く自ら引退したという花道を稀勢の里に作ってやることだ。
もしそれに失敗すれば、稀勢の里に引っ張り回されるだけ引っ掻き回され、相撲協会のの権威が失墜し、相撲それ自体の人気も凋落し、冬の時代を迎えることだろう。
白鵬も鶴竜も旬の時期は過ぎている。次の世代が育っていない。稀勢の里のような最弱横綱にかかずらっている場合ではないだろうに。
その証拠に、稀勢の里騒動のお蔭で、九州場所は全く面白味のない場所になってしまった。ひとり貴景勝だけが気を吐いていて、もしかすると優勝するかもと期待させる。逆に言えば大関陣がだらしない証明なんだが。
結論
稀勢の里に復活はあり得ないから、来場所のチャンスを認めてはならない。そのためには、協会の影の総意として引退を慫慂する。強引に引退に持ち込む。これが稀勢の里問題の打開策である。