北海道ブラックアウトは、様々のことを人々に突きつけた。

北海道電力の脆弱性が第一だが、泊原発があれば停電しなかったという原発再稼働派の攻勢とそれを慌てて打ち消そうする左翼反原発派の逆宣伝活動が主なものか。

 

〈安全地帯にあった泊原発が動いていれば全停電なんて起きなかった〉
〈泊原発が動いていれば、北海道全域が停電することはなかったのに。

原発再稼働反対を叫んでいたお花畑左翼達のせいで、北海道は孤島になってしまった〉
〈北海道の停電は原発再稼働反対派による人災と言ってもいいのでは?〉

 

これに対し、反原発派は、今回の地震ではたまたま泊原発付近は震度2で済んだが、事実として大規模地震が原発を直撃しない保証はどこにもない、とか今回の地震時、泊原発は約8時間にわたって外部電源を失った。幸いにもいまは「稼働停止中」であったため、大事故にはつながらなかったが、全域停電という事態が起きれば、原発が暴走しかねない状況になることが、今回の地震でわかったのだ、などなど。

 

この事態に対し、あるブログは

「改めて思いましたが、反原発や再稼働阻止を叫ぶのはけっこうですが、このような大災害時に起きる停電リスクについて言及しないのはおかしいのではありませんか。今回の北海道地震が真冬に起きたなら、石油を運ぶインフラも同時に破壊されてしまっていますから、電気もつかず、ストーブも炊けずに多くの凍死者を出した可能性があるからです。」

 

 これでは、進むも地獄、退くも地獄、で思考も行動も停止となってしまうが、そんなことでいいのだろうか。

ブログ主がいうように、北海道地震が真冬に起きたならこんなのんびりしたことは言っていられないのではないか。例えば、凍死者が何百人もでているのに、原発再稼働は危険だから断固反対と言って済ませられるのか。

 

今回はそこまで緊迫した事態に至らなかった、つまり火力発電所の立ち上げも数日の内で可能となったから、政府も泊原発再稼働に言及しなかったが、真に多くの人命危機に陥っても原発再稼働は選択肢外になってしまうのか。

 

ここで私はいくつかの事例を想定してみた。

ひとつは、餓死寸前の人の前に、賞味期限切れの食料があったとき、あるいは腐りかけの食料があったとき、健康に良くないからと食べることを止める、あるいは食べようとしている人からその食料を取り上げるのか。

 

二つ目は、WOWOWで先日見た海外ドラマ「ハード・サン」の中で、連続殺人を告白された神父が警察から、犯人の名前を教えよ、と責められたが、告白された罪の秘密は厳守されなければならないと拒否をする。

その後、殺人が次々と起こり、警察はなおも神父を責めるが、神父は教会の教えの方を選択して言おうとしない。神の教えを守るのか人の命を守るのか、神父は悩むが、信仰を大事にする。これは正しい行いといえるのだろうか。

 

三つめは、自衛隊の行動だ。某国が日本を攻めてきたとき、日本国には自衛権があるので自衛隊は出動し、干戈を交えてよいのだが、日本国内の反戦派・反自衛隊派に配慮して、防衛行動に後れを取る可能性つまり最前線の住民の命を助けることに後れを取ることにならないか。

 

 それぞれの事例は、平常時ではなく緊急時にどの様に選択するかであり、そこには平常時の判断基準では、してはいけないのではないか、緊急時の判断基準があるのではないかということである。

 

 そんなとき、今日の三橋貴明ブログ「新世紀のビッグブラザーへ」に、

「こと原発関連のエントリーを書くと、日本語が分からない連中が次々に出現してウンザリするのですが、わたくしは「原発に変わる、エネルギー自給率を高める電源を、それも「今すぐ」に使える電源を教えて下さい」と、書いているんですよ。

 反原発派は、すぐに火力を増やせどうのと言い出しますが、火力発電所の新設には、土地の選定から数えると、少なくとも十年は必要です(原発は二十年だそうです)。

 十年間は「今すぐ」なの?

日本のエネルギー安全保障は、すでに崩壊状態であったことを、全道ブラックアウトが証明しました。つまりは、「今すぐ」改善しなければならないのです。

 それにも関わらず、火力発電の強化を未だに言っている・・・。

 そもそも、北海道電力を含む日本の電力会社の火力発電所は老朽化し、使用に堪えないものが少なくないのです。それを、騙し騙し使わざるを得ない状況に追い込まれていたのです、日本の各電力会社は。

(中略)

苫東厚真発電所が復活したところで、老朽化火力に一定の電力供給を依存せざるを得ないという状況は変わりません。

 ちなみに、来年2月には石狩湾新港発電所が動き出しますが、当初は1号機だけなので、出力は56.94万Kwのみ。2号機以降は、2023年以降の稼働予定です(さすがに早めたいところでしょうが)。

 また、2019年までに運転年数が40年を超す老朽化火力は、132万kw。石狩湾1号機が動き出したところで、老朽化火力の稼働は続かざるを得ません。泊原発が再稼働しない限りは。

 結局、石狩湾1号機が動き出しても、北海道の電力供給は、苫東厚真発電所に極端に依存する構造は変わらないのです。

 目の前に危機があり、その解決方法も明らかである。

 無論「未来永劫」の解決策ではなく、泊原発を再稼働し、とにもかくにも「目の前の危機」を乗り越え、その後は石狩湾2号機以降の建設を早め、老朽化火力を「引退」させ、さらには水力発電の強化など中期的なエネルギーミックス確保を目指す。

 その「後」、原発についてどうするのか。使用済み核燃料の再処理や最終処分、廃炉の技術開発を着々と進めていきつつ、原発をエネルギーミックスの中でいかに位置づけるのかを考えていく。

 これ以外に、北海道のエネルギー安全保障を回復する道はありません

 正直「ピコーンッ!ひらめいたっ!」系の適当なアイデアで解決できるほど、北海道の(あるいは日本の)エネルギー安全保障崩壊は甘い問題ではないのです。

 「今すぐ」に解決する必要がある以上、北電は泊原発を再稼働しなければならないのです政治は動かなければなりません。」(引用終り)

 

 つまり、頼みの火力発電所すら近い将来稼働しなくなり、正真正銘のブラックアウト、どうすることもできなくなるブラックアウトがやってきたとき、それでも原発は危険だからと動かそうとしないのだろうか。

 

 そもそも泊原発は故障している訳ではなく、動かすと爆発するものでもない。大地震、大津波が来ると大変だというものだ。目の前の危険が迫っていても、絶対ダメというのだろうか。それはもう信仰に近いものだ。死んでも脱原発を離しませんでした、では困るのである。

 

あとは政治決断にかかっているというしかない。

いくら反対があろうと、国民の命を守るための決断は政治家がやるしかないのだ。選挙のことばかり考えていては政治家とはいえない。民民党じゃないんだから。

 

因みに、三橋貴明氏は「反原発派は、すぐに火力を増やせどうのと言い出しますが…」といっているが、反原発派はそんなことを言っていただろうか。太陽光発電などの再生可能エネルギーの拡大をいっているのではないか。

 

 再生可能エネルギーが原発や火力発電の代わりをするなんてありえない、全くのナンセンスである。

ドイツをみよ。再生可能エネルギーを十分拡大して、電気料金をバカ高くして、なおそのバックアップを火力発電にやらせている。全くばかげたことだ。

 

 三橋氏は火力発電所の新設に時間がかかるとだけ言っているが、時間がかかるよりも、環境省が火力発電所の新設は地球温暖化の観点から許可しないのである。だからこそ全国の火力発電所は老朽化のままなのだ。

 

 日本を危機に陥らせているのは、役立たずな環境省であり、地球温暖化CO2なのである。

 

苫小牧CCSも地球温暖化対策であった。そしてこれが大地震を引き起こした。

火力発電所を老朽化のままにして、新設を許さないのも地球温暖化対策であった。

要するに、諸悪の根源は、地球温暖化CO2説に尽きるのである。

 

火力発電所を今後拡大していけば、原発は全く不要だ。だからこそ反原発派は、再生可能エネルギーなんぞとバカなことをいわずに、地球温暖化対策反対と運動すべきなのである。

 

再生可能エネルギーの最大の太陽光発電は、今や自然を破壊する大公害になりつつある。次回は太陽光発電のダメさを考えてみたい。

 

<追伸>

011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても「絶対に電源を切らさないこと」だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか。」
とAERAに書かれているそうですが、これは全くの悪質なデマですね。

 

この文意は、泊原発を震度2で電源喪失寸前まで追い込んだというものですが、震度2で泊原発の電源が焼失した訳ではありません。震度2の揺れでは家庭用電気にすら何の損傷も与えないでしょう。小学生でも読めば分かります。電源喪失は震度7の地震によって苫東厚真発電所が損傷し、他の全ての火力発電所がダウンしたため、泊原発への送電が停止したのです。

 

もし、泊原発が稼働していれば、ブラックアウト自体があり得なかったのです。

それを震度2の地震で原発が壊れたかのイメージ操作をしたわけですが、これだけでも反原発派は事物にたいする誠実さを欠いている。つまり左翼の常套手段、目的のためには全てが許される、嘘でも騙しても許されると思っている信用ならない人間達ということになります。