なんで今まで野党が国会審議を拒否しているのか、その理由を忘れてしまった。それだけどうでもいい理由で、つい今までのように国会審議拒否を叫んでしまったのだろうね。

 なんだか、国会審議拒否はもう何年も前から、拒否しては、何とか審議復帰したいから自民党さんどうにかして、と言って毎回恥を掻いていたのを覚えている。懲りない野党!

 

 国会審議拒否なんて、国民から批判を受けるに決まっているのに、バカと言うしかない。

なんでこんなに気楽に審議拒否なんて言うのだろう。野党が手詰まりになると持ち出す戦術なんだが、日本の大東亜戦争と同じで、終戦について全く考えずに、突っ込んでしまい、後は自縄自縛になって、自民党に泣きつく。恥ずかしくないのか。

 

 そもそも野党に取って、審議拒否は「伝家の宝刀」のようなものではないのか。伝家の宝刀は抜かないから価値があるのであり、そんなにしょっちゅう抜いていたら効果も薄れるのは当たり前。

 

なぜって、伝家の宝刀の中身は真剣かもしれないし、竹光かもしれない。竹光ならなおさら抜いてはいけない。しかし、毎回宝刀を抜いて、みんなの前に晒して効果がないとわかってしまったのは、この審議拒否という刀は竹光だったということだ。(若者のための解説、竹光って、竹で作った刀のことだよ。)

 

 むかし、仲代達矢主演の映画に「切腹」というのがあった。なかなか迫力が有りよくできた映画だった。この映画のストーリーのポイントは「竹光」だ。

 どんな映画かwikiから筋を少し。

「井伊家の江戸屋敷を安芸広島福島家元家臣、津雲半四郎と名乗る老浪人が訪ねてきた。半四郎は井伊家の家老である斎藤勘解由に、「仕官もままならず生活も苦しいので、このまま生き恥を晒すよりは武士らしく、潔く切腹したい。ついては屋敷の庭先を借りたい」と申し出た。これは当時、江戸市中に満ち溢れた食い詰め浪人によって横行していたゆすりの手法であった。

 

このような浪人が訪れるようになった原因は、ある藩で切腹志願の浪人の覚悟を認められ仕官が適ったという前例があったからであり、それがうわさとなり他の浪人達も同じ手を使って職を求めてくるようになったという経緯がある。当然諸藩はこれらの浪人を皆召し抱えることは出来ない。

以後処置に困り、切腹志願者に対しては職を与えるのではなく表向き武士の覚悟を評価するという名目で褒賞として金銭を渡すことで引き取ってもらっていた。藩は実際に切腹する気はないことは十分承知していたが、武士の情けを示したのである。

しかしながらこのような浪人の出現が度重なり藩としても対処に苦難するようになった。温情を掛けることが結果として、切腹志願の浪人を招きよせるという構図が出来上がってしまったのである。

 

勘解由はこの悪循環を断つべく、先日、同じように申し出てきた千々岩求女(ぢぢいわもとめ)という若い浪人を庭先で本当に切腹させるという挙に出た。切腹に際し求女はいったん家に帰り戻り切腹することを申し出たが、勘解由はそれを逃げ口実と解し許さず直ちに切腹を命じた。実は求女には病気の妻子がおり、最後の別れを告げようとしていたのである。ここに至って求女は武士の意地を通すために切腹する覚悟を決めた。だがもともと切腹する心積もり気はなかったので、腹を召す脇差を準備していなかった。千々岩求女は武士の魂である刀でさえ質草に出さねばならぬほど困窮し、携えていたのは竹光であった。しかしながら勘解由はあえて冷酷に竹光での詰め腹を切らせたのである。

 

切れぬ竹光を、腹に向けて3度、4度と血を滲ませながら突き立て、脂汗とともに悶え苦しむ求女に、介錯人の沢潟彦九郎は無慈悲にも首を落とす時間を故意に遅らせ、死に至るまで壮絶な苦痛を与えさせた。(後略)」

(引用終り)

(ストーリーはこの後佳境に入っていく。面白いのでぜひ見ることをお勧めします)

 

 つまり、辻元ら野党は、この「切腹」に出てくる貧乏若侍のようなものである。自民党を追及しているようで、国民から離反され、挙句の果ては竹光仕様の伝家の宝刀、国会審議拒否を叫ぶ。

 

 井伊家の家老は、切腹志願が金欲しさだと知っているから、どうぞ勝手に切腹して下さいと。つまりは自民党は、井伊家の家老のようなもの。審議拒否はご勝手に、と。

 

Wikiに書かれた

「切れぬ竹光を、腹に向けて3度、4度と血を滲ませながら突き立て、脂汗とともに悶え苦しむ求女に、介錯人の沢潟彦九郎は無慈悲にも首を落とす時間を故意に遅らせ、死に至るまで壮絶な苦痛を与えさせた。」

は、まさに野党の、審議に復帰させてほしい、自民党さーんという死に物狂いの姿を彷彿とさせる。

国民を無視した単なるパフォーマンス。本当に浅ましい限りだ。

 

玉木雄一郎は次のように言ったという。

「連休明けに民進党と結成する新党「国民民主党」の方向性に関しては「原則、審議拒否はしない。審議に出ていって、おかしいことはおかしいと言う」と断言した」

 

 全く信用できない。そもそもパフォーマンス男の玉木雄一郎、すぐに忘れて追及手段がなくなれば、またぞろ審議拒否戦術に出ることだろう。「「原則、審議拒否はしないと言ったのであり、審議拒否は絶対しない、とは言ってない」とね。

 

 ただ、野党の審議拒否にもメリットはある。この一ヵ月間野党のバカ連中の顔や下らない意見を見たり聞いたりしないで過ごせたということは、不愉快にもならずストレス解消にはなった。

 そういう効果もあるから、野党の審議拒否も絶対反対じゃないな。