昔から大相撲女人禁制問題はあったが、土俵上で倒れた舞鶴市長に救命処置を施した女性に対して「女性は土俵から降りてください」と場内でアナウンスしたことで、久し振りにぶり返した。

 相撲協会も不祥事続きだから、これまでのように突っぱねるわけにもいかず、検討するとしている。

 

大相撲で土俵は「神聖」なものとされ、「女人禁制」とされてきたが、色々調べる人が出てきて、相撲協会が言うほどの伝統はないと言っている。

 

例えば、室町時代に女性力士がいて、勧進相撲に「比丘尼(尼僧)」が出場していたことが記されていたとか、江戸時代でも女性が参加する見世物的な相撲や、女性同士が相撲を取る「女相撲」も行われているし、「女相撲」は戦前まで全国巡業もあったのだと。

むしろ明治の初めに女相撲が禁じられたぐらいだから、女が土俵に上がることは伝統的に禁じられていた訳ではないと。

 

 あるツイッターで

明治5年の違式註違条例第26条で男女相撲興行が禁じられるものの、後に緩和され興行が復活しており、現代も女相撲が存在することから、現代における土俵の女人禁制とは、その意味が完全に形骸化しつつも男と同じ土俵に女が上がることを禁じた制度なのではないだろうか。」

 

と書かれている。文の意味がよく分からないが、要するに明治以前は男女相撲興行が禁じられていなかった、しかしその後はなし崩し的に復活している、だから今相撲協会の取っている土俵の女人禁制は、完全に形骸化しているのではないのか、という批判的な見解なんだろう。

 

 ここにある明治5年の違式註違条例とは少し難しいが、私もこのブログで扱ったことがある。

麺“ズルズル”のヌーハラは、文明開化明治に先祖返りした「おもてなし」日本の喜劇なんだね

 

ここで、違式註違条例について以下のように解説した。 

 

「違式(いしき)」とは意図的におこなわれた犯罪を、「詿(かいい)」は偶発的な犯罪を意味する

「外国人に見られても恥ずかしくない国」を建設することを目的に制定されたもので、往来を裸で歩くことや肥桶の運搬、入れ墨や混浴の禁止などとともに、路上での立小便も禁止した。違式詿違条例は、現在の軽犯罪法へと発展したという。

 

 ツイッター氏は、明治5年の違式註違条例第26条で男女相撲興行が禁じられたということは、それまでは女相撲も盛んに行われていた証明ではないか、と言いたいようだ。

 しかし、ちょっと違う。この条例をキチンと読んでみよう。

違式註違条例は全国各地で独自に制定されているので、ここでは滋賀県の条例文を掲げる。

 

滋賀県違式註違条例第21条

 男女相撲並びに蛇使いその他醜体を見世物に出す者

 

違式註違条例に掲げられたということは、それを禁ずるということだが、ここで挙げられた男女相撲は今の大相撲又はそれに類することを意味するのだろうか。

ちょっと違うのではないか。

ここでは、男女相撲は蛇使いと同列に扱われている。

 

そもそもなぜ違式註違条例がいろいろと禁止したかといえば、「外国人に見られても恥ずかしくない国」を建設することを目的にしているのだ。

つまり、蛇使いのような醜体な見世物を日本の恥として禁じようとしているのだ。

だからここでいう男女相撲は蛇使いのような醜体な見世物を意味している。

それはスポーツ興行として相撲ではなく、エロチックなストリップ劇場で行われるような相撲の形を取った醜体なのではないか。

これが興行として色々な場所で行われていた。それは文明国日本として恥ずかしいことだからやめさせようとしたのだろう。

 

 つまり、ツイッター氏は明治5年の違式註違条例第26条で男女相撲興行が禁じられたということは、それまでは盛んに行われていた証明でもなんでもなく、スポーツ興行としての大相撲とは関わりのないものだったといえる。

 

 だから伝統的に大相撲で土俵は「神聖」なものとされ、「女人禁制」とされてきたのは嘘であるとは言えない、やはり伝統的に「女人禁制」は受け継がれてきたといってよい。

 

 とはいっても、なぜ土俵は「神聖」なものとされ、「女人禁制」なのかとか、女性差別だとかいわれれば、伝統やしきたりについてはそもそも合理的に説明できるものではない。

昔からそうしていると説明するしかない。だから普通の議論をすれば、伝統派は負けるに決まっているのだ。

 

 近代とは、人々が昔から時間や空間に意味を見いだしてきたものに、合理的精神からことごとく否定し破壊尽くす。それが近代というものの特徴だ。

 

 「敷居を踏んではいけない」という言い伝えに合理的な説明などできるだろうか。神社の周りは神聖な領域だとしても、ここもあそこも別に変わりがないよ、と言われればそれまでだ。全てが意味を失い、平均化される。

 

 土俵もそういう運命にある。なんで女が上がってはいけないの、に合理的な説明は不可能だ。女が不浄なんて今の時代に通用するわけがない。だから相撲協会が女人禁制について、合理的な説明については諦めたほうがいい。

 

ただ言えることは、そんなことでは世の中は全く面白くなくなるということ、のっぺらぼうの世界のどこが面白いの、というしかない。

 昔の人々の思いが込められ、連綿と言い伝えられたことを意味あるものとして受け継いでいくことぐらいはしてもいいのではないか。

 

 宝塚市のおばちゃん市長の女人禁制への異議あり要求は、単なる選挙目当てに過ぎないから無視をしてもいいが、伝統を守ることは曖昧のままで何とか凌いでいけばいい。

 

 じゃあどうすればいいのか。私の提案は、日本郵政の非正規社員の格差解消方式の採用だ。

 

 日本郵政はトンデモナイ企業だ。最近正規と非正規社員の格差解消のため、住宅手当について正規社員の手当を廃止することで格差解消をすると決めたのだ。

 ふつうは、非正規社員にも住宅手当を支給することで格差解消するのに、あろうことか、改悪しておいて、「これで文句あるか、格差解消したぜ」というものだ

 他の企業も大いに追随することだろう。ホントにひどい。しなくてもいい民営化なぞするからだ。小泉純一郎の責任だ。

 

 脱線したが、大相撲女人禁制問題も日本郵政の非正規社員の格差解消方式を採用すればいい。

 

 つまり、土俵上で何か儀式をやろうとするからややこしくなるので、土俵上での賞状授与、市長の挨拶等を全て廃止する。セレモニーは全て土俵の脇で行うことにする。つまり、宝塚市のおばちゃん市長も土俵に上げない代わりに、男の市長も土俵に上げないことにする。これで男女平等だし、土俵の女人禁制は守ることができる。

日本郵政のトンデモ格差是正方式の正しき活用だ。

 

太田房江元大阪府知事は内館牧子氏の方法を引用して、以下のような提言をしている。

「…内館牧子氏は、ある取材(2007年2月)にこう答えている。「どうしても女人禁制を止めるなら、力士、親方、行司、呼び出し以外の人間は、男女とも神送りの儀式を済ませた後の土俵に上げることです。千秋楽の式次第を変え、神送りの後に表彰式セレモニーとする案です。でも、私はそこまでする必要はないと思っています」

 私が大阪府知事時代、部下の女性が、解決の道がないか調べてくれたことがあるが、同じような答えだったと記憶している。千秋楽の弓取り式が、内館氏の言う「神送り」に当たると彼女は言っていた。従って、弓取り式の後は女性が土俵に上がっても問題はない。神は天上にお上がりになって、土俵には宿っておられないから、というものだったと思う。」

 

 これも一つの手段だが、何だか理屈が勝っていてややこしい気がするが。

 

  さて、ちびっ子相撲や巡業時のわんぱく相撲に今年から女児を参加させなくなったのはどうするのか。

 これは横野芸能レポーターに言わせれば、貴乃花の提言だそうだ。しかしマスコミはそういうことを伝えない。なぜなら改革を訴える貴乃花が女人禁制に賛成するはずはない、と勝手に決めつけているからだ。

ここでは、貴乃花は頑固な伝統守旧派だ。マスコミが困っている。

 

 私の提案は今までどおり、女児は参加させてかまわない、というもの。

女人禁制との折り合いはどうするか。

これについてはこう説明すればよい。

つまり、女児は「女」ではない、女とは認めないとするのだ

え、それってひどい差別じゃん!

いや女児だけではない、男児も「男」と認めないのだ。

 じゃ何なの?

それは男児、女児は、人間ではない、神なのだ、と。

「7歳までは神のうち」という言葉が日本には古くからあったのだ。

 

 数え年7歳になるまでは完全に人間社会の存在だとはみなさない、という意味であり、それ以前の子どもは、半分(以上)、あちら側―神とか霊といったものの世界に属しているという意味だ。

 

また、わが国の神話や伝説において、神仏が翁や童子の姿に化身してこの世にあらわれたという記録は決して少なくなく、大人社会とは異なって特別な存在とみなされていた。

 

 ある人は「7歳までは神のうち」の意味を

「かつての日本には、このような悲しい言葉があった。簡単に言えば「7歳まではいつ死んでもおかしくない」という意味である。女児の背中に括られていた赤子は、いつ神様の元に帰ってしまうかわからない「脆い存在」だった。」

と捉える人もいるが、神として捉えていることには間違いない。

 

 だから、子供たちを土俵に上げても女人禁制を犯すことにはならないと考えればよい。

7歳までは神のうち」は厳密に考えることはない。7歳超えも小学生なら神の内と考えてあげればよいだけの話だ。

 

どうだろうか。

 

 ところで、稀勢の里、新部屋披露で土俵入りをして見せていたけど、前にも増して胸はたらんとしてぶよぶよだった。今場所は大丈夫かね。出場できるかね。

今場所が人生一番の山場だとわかっているかな。