今日5日目、4連敗の勢に稀勢の里完敗。勢いのない勢に負ける稀勢の里に「勢い」が全く感じられない。

不安そうに土俵に上がる稀勢の里。負けて首をかしげる稀勢の里。

 

こんなことは場所前からわかっていたこと。一番の責任は稀勢の里本人にある。

まず稽古をしない。稽古が嫌いなんだろうか。横綱になってイベントに引っ張りだこで、楽しくて楽しくて稽古なんて、場所前にちょっとやっとけばチョロイと思っていなかったか。

 

横綱と大関の立場が違うということが全くわかっていない。

横綱は勝って当たり前。大関は負けても出直しが効く。その差は天と地の差がある。

横綱はやり直しが効かない。鶴竜も来場所復活できなければ引退するしかない。

琴奨菊は大関陥落、関脇陥落、小結も今場所陥落するだろう。でも楽しくやっている。このままチンタラやっても土俵に上がれるからだ。

だから、琴奨菊に横綱の声が掛かって、次の場所から負け続けたにも関わらず、関取としまだずっとやっていられる。横綱にはずみでならなくてよかったと稀勢の里を見ながら思うべきだ。

 

琴奨菊も相撲が下手だが、稀勢の里も下手だ。実力がないだけでなく、精神力も弱い。大関として優勝の声がかかると、下っ端にころっと負け、優勝が遠のくと俄然強くなるのは有名だった。つまりプレッシャーに弱いのだ。プレッシャーがなければ強いというのは、実力がない証拠だ。

 

横綱とは何か。土俵の上で日々プレッシャーがかけられているということ。負けは許されないのだ。つまり、稀勢の里が最も苦手とするところだ。

 

 しかし、不運というか幸運というか、優勝もしないのに横綱にしてくれた。強くもないのに。

相撲協会がどうしても日本人横綱を作りたかったからだ。相撲のプロのくせに稀勢の里の実力を評価できず、機械的に当てはめて横綱にしてしまった。横審のだれかがもう一場所見るべきだというべきだった。

 

稀勢の里も大変だが、相撲協会も困っていることだろう。人気先行で弱い横綱ほど手に負えないものはない。

歌の下手なアイドルよりも厄介だ。アイドルなら誤魔化せるが、稀勢の里はどう誤魔化すか。

休場という手はあるが、実力がないから戻ってきてもまた負ける。次も休場という手を使えるのか。もう使えやしない。

じゃどうする!引退しかない。横綱のつらいところはこういうところにあるのだ。

これは実力のない力士を横綱にした相撲協会にも大きな責任があるのだ。

 

 さて、今日の勢と取り組みで、左肩をひねられて投げられ、かつ土俵下に両足で落ちた時、膝に衝撃が加わったようだ。控室に帰る時、しきりに左足を痛がる様子が映し出されていた。

明日は休場だろう。

 

 なんで勢いのない勢に負けたのか。左肩がまだ直っていないのか。直っていないのではなく、場所前稽古で、嘉風に倒されて再び思いっきり左肩を打ったのだ。丁度テレビニュースがそのシーンを映し出していた。

 

直っていたのに又痛めたのだ。

何故か。稽古不足。ただただ稽古不足!

琴奨菊現象としての稽古不足だ。横綱としてちやほやされて楽しくて、しかも左肩が痛いという理由で稽古をしない理由ができる。

もう長い間大関を張っていたのだから、場所前にちょっと稽古すればすぐ元に戻ると高を括った。横綱という立場の難しさに思い至らずに。

だから見よ。初日から体に力が漲っていない。稽古不足がよくわかる。

これまで相撲をそこそこ見てきた私には、稽古をしっかりして場所に臨んだか、そうでないかは大体わかる。

みるところは足腰の踏ん張りと動きだ。これがしっかりしている力士は稽古をきっちり積んできた証明となる。

 

稀勢の里は体全体にみなぎる力が感じられない。稽古不足だから、相手の変化に付いて行けない。勝ちを焦っているからバタバタしてしまう。

そもそも相撲が下手で、まわしもロクに取ろうとしない稀勢の里。そういう弱点を多く持ちながら、あれよあれよと横綱に。

 

 さあどうする稀勢の里。猛反省をして休場して一時体を治療しながら、稽古を新人の時のように頑張るしかない。

押すだけではないまともな稽古をせよ。

イベントには金輪際出てはいけない。

この危機を乗り切らなければ、罵声を浴びせられて惨めな引退をするだけとなる。

安倍首相ですらちょっとした大衆の心変わりで安倍辞めろと平気で叫ぶ。稀勢の里も横綱辞めろというコールで一杯になるだろう。

 

こうなることは先場所から私にはわかっていた。稀勢の里の親方にも責任がある。相撲協会にも責任がある。そして一番の責任は稀勢の里自身にある。

そして白鵬がいかに偉大であるかが分かってくる。

 

ああ、琴奨菊がうらやましい。俺も今大関だったらなあと悔やんでも遅い。やるべきことはただ一つ。

 

稽古、稽古、稽古!